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Columnコラム

web Sportiva 2016, 2, 27, 7, 02016/02/26
松井秀喜が「青空教室」でジャイアンツに授けた世界王者の打撃論
 松井秀喜氏が、2日間の視察に終わった昨年も含め、3年連続で巨人のキャンプを訪問。臨時コーチとして2月14日まで後輩たちの指導を行なった。一昨年は外野ノックを打ち、周囲の勧めでフリー打撃を実演するなど、動きが”派手”だったが、今回はパフォーマンス的な要素は少なく、選手たちの動きをじっくり見守り、積極的に助言を送るなど、コーチとしての仕事に徹した。

 今回の臨時コーチは、松井氏が巨人時代に一緒にチームを引っ張り、お互いの力を認め合っていた高橋由伸監督の要望もあって実現した。高橋監督は言う。

「この世界は何かのきっかけでガラリと変わる選手がいる。そのきっかけを松井さんが与えてくれるかもしれない」

 日米での豊富な実績、経験に基づく指導が、打撃強化を掲げるチームの底上げにつながると期待した。

 松井氏は1月31日に宮崎入りし、早速、全体ミーティングに参加。あいさつの場を設けられると、次のように語った。

「技術的な部分、精神的な部分、そして投手に対する対策など、いろいろと私の経験をみなさんに伝えていけたらいいと思います」

 その言葉通り、キャンプ初日から休む間もなく動いた。主将の坂本勇人や片岡治大らに身ぶり手ぶりを交えながら個人指導を行なったかと思えば、二軍にも足を運んで若手たちにアドバイス。

「僕の話がすべて正しいとは限らない。あくまで自分のいいと思うものを教えます。選手がどう受け止めて、どう成長につなげていくか」と言うように、無理強いすることはなく、ひとつの理論として選手に提供するスタンスだ。

 選手たちには好評で、坂本は「いいことを聞きました」と言い、片岡は「下半身の使い方を教えてもらいました。ボールを長く見ることがバッティングでは大事だという話をしてもらった」と感謝した。

 初日はあいにくの雨で室内での練習だったが、フリー打撃中はゲージ裏で高橋監督と並んで観覧。選手ひとりひとりに対して感じたことなど意見を交わし、昔話にも花が咲いたという。

 珍しい光景が見られたのは2日目だった。フリー打撃前に選手たちは円陣を組み、その中心で松井氏がバットを持ち、スイングを見せながら重要ポイントをレクチャーした。プロではなかなか見られない全選手揃っての”青空教室”だった。

「経験してきたなかで、バッティングで大事だと思うこと、素晴らしいバッターに共通していたことを話しました」

 教え方にも世界を相手に戦ってきたキャリアが生きてくる。軸足にしっかり体重を残すこと、テイクバックの取り方、構えたときのトップのつくり方など、ヤンキース時代のチームメイト、アレックス・ロドリゲスらを引き合いに出し、要点を伝えていった。

 このキャンプで松井氏の理論と同じく、重心を右足(軸足)に残すことを意識している村田修一は、「(青空教室は)新鮮でした。今やっていることは間違っていないと再認識することができた」と手応えを口にした。

 13日には視察に訪れた長嶋茂雄終身名誉監督とも対面し、高橋監督を含めた豪華なスリーショットが実現。その夜には、選手宿舎で三軍を含めた全選手、コーチも含めたスタッフの前で約40分間の講義を行なった。「日々の小さなことをどう積み上げていくか」、「変わる勇気を持たないといけない」、「楽な方にいかないよう、気にしていたつもり」など、一流選手へと上り詰める要因となった精神面でのアドバイスを送った。

 選手が助言を求めに来れば、親身になってじっくりと話し込む。ヤンキースでも巡回コーチを務めるなど、すっかり指導者としての姿も板についてきた。指導することの楽しみも感じてきたのではないか、という問いに「それはない」と否定し、こう続けた。

「選手が結果を出してくれて、初めてうれしいと思えるのではないかな。試合で打ってくれることが目的。その手助けになれば」

 長年、巨人軍の4番を背負い、チームの顔として打線を引っ張ってきた。OBとして願うことはただひとつ。「勝利をつかむ巨人であってほしい」ということだ。約2週間の短い間だったが、打線復活への種はしっかり蒔かれた。はたして、どんな結果が出るのだろうか。松井氏も楽しみにしている。
CYCLE 2016, 2, 25, 23, 02016/02/25
山下泰裕・松井秀喜の伝説シーンはアンフェア?…野村弘樹フェアプレー考 #2
1998年の横浜ベイスターズ日本一に貢献した元プロ野球選手の野村弘樹氏が、国学院久我山高校で生徒たちとフェアプレーについて討論。ロサンゼルス五輪の柔道・山下泰裕氏や、松井秀喜氏の甲子園での"伝説シーン"を例に、フェアプレーについて語り合った。

1984年のロサンゼルス五輪・柔道無差別級決勝で、右足を負傷した山下氏。対するモハメド・ラシュワン選手はあえて右足を狙わず戦ったことが、フェアプレーと称えられている。このシーンについて野村氏は「相手の気持、山下さんの気持ち、それぞれで感じるものがある人、手を上げて」と投げかけた。

生徒からは「相手選手の気持ちとしては、仮に右足を狙って勝っていたら、『弱点をついて勝てた』といわれ続けるかもしれない」「相手が右足を狙わないということが"相手の弱点"。狙われると思い防御されると判断したんじゃないか。そう思うとフェアかも」といった声が上がった。

これに対して野村氏は、「右足を狙って勝ったとしても、満足感は得られないという一面もあるかも」「本人の気持ちの問題。精神的なものもある。ケガしている人間に対し、当然、そこを狙う技もあるだろう。逆に、とことん右足をかけながら優勝したとしたら、わざと狙ったのか、そもそも自分の"技"として狙ったのか…。このあたりは当の本人にしかわからないこと」と返していた。

また、1992年の夏の甲子園大会で松井秀喜氏(星稜→巨人→ヤンキース→エンゼルス→アスレチックス→レイズ)が5打席連続敬遠を受けたことについて、フェアかアンフェアかの議論が続いた。

「ルール上はまったく問題ない。これは野球における"作戦"のひとつ。プレーに対して、敬遠した側(明徳義塾)、敬遠された側(星稜)、松井、それぞれどう思うか」(野村氏)

「作戦なんで、いいかなと思う。松井選手以外の人が点を取ればいいから。フェアプレーだと思う。敬遠して負けたら悔やむと思うので、自分は勝負したい」(バスケ部所属男子)

「ピッチャーとしての本質は、勝負したいんだよ。でもピッチャーの気持ちを抜きにしての作戦。そのとき君だったらどう思う?」(野村氏)

「一打席でもいいから、自分は勝負したい。悔いが残る」(生徒)

「勝つことを優先したいから敬遠したい。負けてしまったら、これまで支えてくれた人になんていえばいいか…。僕は勝つために敬遠したい」(サッカー部所属男子)

「自己犠牲ってことだよね。松井からみれば、ホームラン打って勝ちにつなげたいところだろう。でも敬遠は、自分の力が認められているということでもある」(野村氏)

こうした対話のあと、野村氏は松井氏の"姿勢"がフェアプレーだと生徒に伝えた。

「松井は5打席とも、バットをしっかりと構えていた。その姿勢こそがフェアプレーだと思う。態度を変えず、じっとしていたのはすばらしい。オレが打席に出てたら、きっと顔に出てたかもしれない。悔しいだろうけど、真摯に徹していた。そこもフェアプレーだと思ったね」
スポーツ報知 2016, 2, 25, 23, 02016/02/21
長嶋三奈さん、傘寿を迎えた父・茂雄さんを語る(後編)
 20日に80歳の傘寿(さんじゅ)を迎えた長嶋茂雄さん。次女の三奈さん(47)が父を語る第2弾は、「長嶋監督」と、巨人やヤンキースなどで活躍した“まな弟子”松井秀喜氏(41)との熱い師弟愛。2013年に国民栄誉賞を受賞した長嶋さんにとって、松井氏と一緒に贈られたことが何より幸せだったという。父の「松井LOVE」ぶりを、娘がこっそり教えちゃいます。(構成・谷口 隆俊)

 父が20日で80歳になりました。前々日の18日、「いよいよ明日で70代が終わるね」と問いかけたら「かーんけいないっ! 70も80も変わらないんだから」って。でも、その後に、言葉に力を込めて「80歳は区切りだな」と何かに納得するような表情に。80歳はまだひとつの区切り…。ある意味すごいかもしれません。

 これまで野球で結果を出してきた父ですが、自分をよく見せようという一面は全くない。むしろ、人と話したがりです。昔、多摩川を一緒に散歩していたら、ゴルフの素振りをしている男性がいて…。見つけた途端、近づいて、いきなりスイング、教え始めちゃった。「アドバイスしたい」と思ったんでしょうね。おじさん、口をポカーンとあけたまま。子供だった私は「何で教えにいくの?」って。私なんかは驚いちゃうけど、父には当たり前のこと。「何で、三奈ちゃん、そういうこと言うの」って。

 トレーニングの合間でも「監督~」とか話しかけられると、うれしいんでしょうね。自分の方から「どうですか、調子は?」と声を掛けたりして。掛けられた方はビックリしちゃう。不思議です。80歳になってもまだ、自分から友達を作りたいのかな(笑い)。なんか『ピカピカの1年生』みたいで、たくさんの人と話して友達になって、話ができることを本当に楽しんでいる感じ。話しかけた方が喜んでいるのを見て、父もうれしいんだと思います。

 以前、松井さんにインタビューさせていただいた時、松井さんが「監督って、試合直前にいきなりベンチにススーッと出てきて、パーッとスタンドを見回して『今日のお客さん(の入り)、8割だなー』って言うんです」と話されて。「えー! 普通は『今日の先発どうだろう』とか試合のことを選手と話しますよね? これから戦おうと集中しているのに、ズッコケません?」と私が聞くと、松井さんは「でも、本当のプロはそうなんですよ」とフォローしてくれました。なんか、シビれます。

 国民栄誉賞を松井さんと一緒に受けた(2013年5月5日)のは、本人が1人で受けるよりも、100倍うれしいと思います。この世で一番大好きな松井さんと一緒に、上下おそろいの服を着て東京ドームに立つなんて。幸せな父です。

 父が泳げるようなくらい元気になって、もしも、海で、同時に松井さんと私が溺れたとしたら…。父は迷わず松井さんの方に泳いで行く。私、分かります。絶対に松井さんの方に行って、助けるんです。そして、その姿を見て、私は「さすがパパ。Good Job」って言って海に沈みます。フフフ。父が松井さんを助ける場面がうれしくて。フフフ。そのくらい、父は松井さんが大好きだから。松井さんは「何で、僕のことをここまで思ってくれるのか分からない」とおっしゃる。でも、2人は「聖域」なんです。2人一緒にいる時は私、入っていけない。不思議なオーラがあるので。自分の子供より特別な存在の人と出会えた父は、とても幸せだなと思うし、松井さんと出会えていなかったら、リハビリのモチベーションなんて半分くらいだったでしょう。

 父は、聞けば何でも答えてくれますが、唯一、松井さんに関しては答えてくれない。ボケたふりして(笑い)。松井さんのことは言いたくない。自分だけの大事なもの、みたいな感じで。こういう2人を見ることができて、私も幸せです。

 松井さんは、ファンに対してはもちろん、インタビューなど取材でも、相手を楽しませようとしていらっしゃる。インタビューすれば、父がなぜ大好きなのか、分かります。私も大好きですし、これからも父のことをよろしくお願いします。なんか松井さんへのメッセージになっちゃいましたね。フフフ。でも、自分の親に、こんなにも大好きな人がいるんだと思うと、うれしくなります。父が海で松井さんを助けて、私は笑顔で沈んでいく。ホント、ホント。そんな感じです。そうじゃないと父じゃないし、私じゃないですからね。

 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(球団を通じ)「白球を追い続けて、学生時代に日が暮れるまで受けたノック、天覧試合でのサヨナラホームラン、仲間たちとつかんだV9あるいは引退試合、10・8のナゴヤ決戦、ON日本シリーズなどあっという間の80年だったというのが偽らざる心境です。今後も多くの方に勇気を与えられるように活動して参りたいと思います」

 松井秀喜氏「誕生日、おめでとうごさいます。日本中で、これだけカッコよくて、元気な80歳はいないと思います。私は、監督は軽く100歳を超えるまで元気でい続けると思います。まだまだこれからも日本中の、長嶋茂雄ファンを喜ばせてください」
デイリースポーツ 2016, 2, 17, 21, 02016/02/17
松井氏が巨人軍に残した重みのある言葉
 巨人の宮崎キャンプが14日に打ち上げとなり、OBとして臨時コーチを務めていた松井秀喜氏(41)も任務を終了した。

 松井氏が巨人の臨時コーチを務めたのは14年以来2年ぶり。前回は周囲の要望もあって、フリー打撃の実演やノックを行い、毎日のように打撃投手も務めた。だが、今回は松井氏が主役となるような“パフォーマンス”は避け、一歩引き、選手を言葉でサポートすることに徹していた。

 2日目には首脳陣の要望でフリー打撃前に野手陣を集め、助言を送った。「私の経験した中で大事に思うこと、私が見てきた素晴らしいバッターの共通していた点をお話しした」。ヤンキースで同僚だったデレク・ジーターやアレックス・ロドリゲスらの名前を挙げ、技術論を展開。長くスランプに苦しむ村田は意識に変化が芽生え、構えた際の重心の置き方を変更した。

 13日には宿舎で講義を行い、1~3軍の首脳陣や選手に“ゴジラ道”を注入した。「みんなスタート地点は一緒。僕はパワーがあり、体も強かったかもしれないが、全てが優れた選手ではなかった。日々の小さなことをどう積み上げていくか」。素振りで鍛えた自身の経験談を交え、控えメンバーや育成選手の心も奮い立たせた。

 迷いや悩みを抱える選手の背中を押すような言葉も送った。「変わるというのは大事なこと。怖いことだけど、変わる勇気を持たないといけない。取り入れるのも、取り入れないのも自由。ただ、正しいと思えることがあるのなら、それに違和感があったとしても、違和感を消す作業も大事なこと」。各選手の顔を見渡し、丁寧な語り口で訴えた。

 質疑応答では、現役時代から松井氏を知る川相3軍監督から「謙虚な姿が変わらない理由」を問われた。「意識したことはありませんが…。育った環境かもしれないし、長嶋監督を見ていたからかもしれない」と前置きした上で「心の判断に気をつけていた。何か判断しないといけない時に、楽な方にいかないよう気をつけた。欲に負けないよう気にしていたつもり」と返答。昨年は賭博問題で揺れた巨人軍にとって最も重く、大事な心のあり方が伝えられた。

 松井氏はキャンプ期間中、選手に送った言葉や助言を自ら明かすことを絶対にしなかった。宮崎キャンプの最終日には「自分が思う基本的なことを伝えたつもり。それがみんなに当てはまるかは分からないし、やるかどうかは選手が決めること」と語った。2週間の間に送られたさまざまな言葉。ひとりひとりの貴重な財産となり、継承されていくに違いない。
@Heaaart 2016, 2, 25, 23, 02016/02/16
引退セレモニーのときに知られた「慈善活動」 松井秀喜が行っていた“里親”の真相に感動
2013年7月28日、元ニューヨークヤンキースの松井秀喜さんの引退セレモニーが行われました。

同年、長嶋茂雄さんとともに国民栄誉賞を受賞した松井さんは、選手時代「ゴジラ」の愛称で親しまれ、野球人生において数々の伝説を残した名選手でした。

しかし、成功したメジャーリーグ選手に付き物の“慈善活動”について、多くは語られていない印象の松井さん。
この日の引退セレモニーで読み上げられた一通の手紙によって、松井さんが行っていた慈善活動の一部が明らかとなります。

手紙の内容

松井さんの活躍のおかげで多くのベトナムの子どもが助かりました。
本当に感謝しています。お疲れさまでした。


その手紙を書いたのはフン・ホーティ・チャさん(当時18)。
ベトナムで、親を亡くすなど家庭の事情で学費に困っている子どもたちに奨学金を与える“里親”と呼ばれる支援を受け、大学にまで進学したベトナムの女性です。

松井さんはメジャー移籍が決まった年から現役を引退する年までの実に12年間、膝のケガに悩まされ不調なシーズンがあった中でもこの「里親」を続け、ベトナムの子どもたちへの支援に貢献してきました。

きっかけは、松井さんの父親である昌雄さんが十数年前ベトナムを訪れて小学校で野球を教えた際に、学習意欲があっても貧しさから進学をあきらめる子どもが大勢いるという事実を知ったことでした。
このことを聞いた松井さんは、地元石川県の「北陸ベトナム友好協会」を通じて奨学金を送り始めたとのことです。

長い間、支援者を知らされていなかったフンさんたち20人の子どもたちは、この支援をし続けていた人物が有名な野球選手だということを知り感激、励みになったと言います。

引退セレモニーで手紙を読み終えたフンさんは、当時大学で英語を勉強していて将来の目標は通訳だと語っていました。

「アメリカで、松井さんのようなメジャーリーガーの通訳をする機会があればうれしい」

と、将来の夢を描いていたそうです。

「里親」の支援を元に成長した子どもたち。やがてこの感謝は受け継がれ、その慈善活動も伝説となる日が来ることでしょう。
朝日新聞 プロ野球 キャンプの素顔2016 2016, 2, 15, 21, 02016/02/15
「松井秀塾」優しく助言、その成果は G臨時コーチ終了
 人気球団の巨人のキャンプは、連日大勢のファンでいっぱいだ。最初の日曜となった7日は3万2千人の観客が詰めかけた。阿部、坂本、長野、村田、杉内、菅野……。たしかに実績のある選手がそろう。だが、そんなスター選手をおしのけ、ひときわ大きな声援を浴びている人がいる。OBで臨時コーチを務める松井秀喜さんだ。

 松井さんは、とにかくよく動く。1軍の練習をしばらく見ているかと思えば、突然、別メニューで調整する阿部のもとへ。身ぶり手ぶりで30分ほどアドバイスを送ると、今度は2軍の球場へ。気づけば3軍の練習場にも足を運んで熱血指導をしている。「全選手に期待してるからね。少しでも高橋新監督の手助けになれたらいい」

 日米通算で507本塁打を放った大打者の指導法とは。昨季はリーグ優勝を逃し、若手の台頭も少ないチーム。さぞかし、後輩たちに厳しく接するのかと思って近くで聞いてみたが、違った。「こういう打ち方もある」「俺はこんな意識でやっていた」などと自らの経験を踏まえて優しく助言していた。「打ち方はいろいろあるし、それぞれ長所がある。こうしろ、ああしろ、はよくない。僕の言っていることがヒントになってくれたらそれでいい」と言う。

 13日は宿舎の一室に1~3軍の全選手と首脳陣を集めて、40分にわたる講義も開いた。現役時代に考えていたことや練習方法を伝えたという。

 松井さんの臨時コーチは、チームの宮崎キャンプ打ち上げとともに14日で終わった。「選手個々がしっかりと課題を持って取り組んでくれたと思う」と2週間を振り返り、「願うのは、勝利をつかむジャイアンツ」と優勝奪回を期待する。

 はたして、「松井塾」の成果は表れるのか。シーズン開幕が待ち遠しい。
まいじつ 吉見健明のダッグアウト取材メモ 2016, 2, 15, 21, 02016/02/14
松井秀喜と内田打撃コーチもう一つの「師弟関係」
球界が清原騒動に揺れる中、巨人軍の宮崎キャンプは盛況を見せている。

高橋由伸(40)が新監督に就任し、松井秀喜(41)が臨時コーチとして帯同。2大スターの競演ともなれば、盛り上がって当然だ。さらに、長嶋茂雄終身名誉監督も2月中旬に宮崎入りすると言われており、ミスターとゴジラ松井の師弟揃い踏みが実現するのも間近に迫っている。

と、ここまではスポーツ紙記者ならば誰でも当たり前のように気づいていることだが、ゴジラ松井をめぐっては、実はもう一つの“師弟再会”が実現している。それは今季から巨人に復帰した内田順三・一軍打撃コーチ(68)のことである。

松井と内田コーチの出会いは、松井の巨人入団2年目、1994年にさかのぼる。前年まで10年間、広島で打撃コーチ(一軍コーチとして84~87年、二軍コーチとして88~93年)を務め、小早川毅彦、緒方孝市、野村謙二郎、江藤智、前田智徳、金本知憲らを育てた名伯楽の内田氏は、このシーズンから巨人の二軍打撃コーチに就任した。

その内田氏に師事したのが、すでに主力選手として活躍していた松井。二人が一軍と二軍の枠を越え、ジャイアンツ寮で連日、バットスイングのチェックに励んだのは知る人ぞ知るエピソードである。

内田氏が語る。

「彼はあれだけの素質がありながら、とにかくよくバットを振っていました。熱心さで言えば、私が見た中でも1、2を争うほどでしたよ。その彼が先日、こんなふうに言ってくれたんです。『内田さんは僕に「軸足を意識して打て」と何度も言いましたね。それは、実は実績あるメジャーリーガーが口を揃えて言うことだったんですよ』。私が彼に教えてきたことが、メジャーの大打者たちが『バッティングの本質だ』と言っていることと同じだというわけです。手前味噌ですが、私の打撃理論が証明できて、本当に嬉しかったですよ。一番大事なことは、理想的な打撃フォームをつかみ、いかに振り続けることができるかということ。その一点に尽きます。あの長嶋さんにしても、そうやって人一倍バットを振ったんですから。偉大な打者は、みんな同じ道をたどったんだと思います。アメリカで実績を積んだ松井秀喜も言うことだから、私なんかが言うより、ずっと説得力があるでしょう(笑)」

私と内田氏の出会いは80年代、私が大阪スポニチの記者だったころのことだ。内田氏は当時から情熱的なコーチで、広島の若手選手を指導し、鍛えることにすべてをかけていた。

「松井秀喜との出会いは、私にとっても本当に大きなことでした。いま、巨人に復帰して、松井が若手時代にどれだけ努力していたかを、若い選手たちに伝えることができるのですから、コーチ冥利に尽きますよ。しかも、このキャンプでは、生きた教材が目の前にいるんです。選手たちにとっては、どれだけ幸せなことか。心して、彼の話に耳を傾けてほしいですね」

一流が一流を認め合う本当の師弟関係。内田コーチの語り口は、宮崎の陽気のごとく温かった。