Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

読売新聞 松井が燃える 2006/09/27
力の源は喜びと悔しさ
 観客のスタンディング・オベーションに覆われた空間を、松井秀が歩いていく。9月12日、メジャー復帰戦、第1打席。足取りは急ぐでも踏みしめるでもなく、無愛想なほどに淡々としていた。ファンに向けてヘルメットをかざしたのは「やらないと失礼かなって。それに、すごい歓声だったでしょ。ありがたいけど、あのまま続くと、集中できそうになかったの」。

 既に感慨は消えていた。

 「あえて言えば」と打ち明ける。「実感したのは試合直前。久しぶりにユニホームを着た瞬間、『戻ってきたなあ』ってね」

 自らの姿を鏡に映してみた。「当然。着こなしのチェックだよ」。正面、様になっている。首から下だけ回れ右。背中側も異常なしだ。「55」とあった。

 これより4か月前――。

 「診察台に寝てると、じょきじょき音が聞こえんの。『やめてくれよ。おれの大事なユニホームだよ』ってね、ショックだったな」

 負傷して病院に運び込まれ、治療のためにハサミで伝統のピンストライプを切り裂かれた。歯ぎしりするような思いを胸に、再起へ挑む戦いは始まった。


 野球人生、成長を促す力の源は喜びだったか、悔しさだったか。

 いったんは「おれの場合、どっちも同じぐらい。喜びはね、さらに高い目標を……」と語り出しておいて、なぜか突然、口をつぐむ。しばらく思案に暮れ、発言を修正した。

 「野球って、ほら、打っても3割ちょっとで精いっぱいでしょ。失敗の方が、はるかに多いわけじゃん。たくさん悔しさを味わってね、そこで腐らずに前を向く気持ちを育ててきたんじゃないかな」

 喜びに浸りながら心に火をつけるのは、たやすい。失意に襲われたとき、プレーヤーの本質が浮かび上がる。

 仮に今年、ワールドシリーズを制覇したら――。そんな記者の問いかけに、悔しさと付き合う“達人”は「間違いなく、うれしいよ。でも、あんまりプレーしてないっていう残念さも強くなる。複雑な気持ちが、きっと次へのパワーになると思うんだよね」と、すらすら言葉を並べた。

 10月のポストシーズン。ひとつ勝ち進むごとに喜びが増幅し、また悔しさも膨らんでいく。

 それでいい。


 記者からファンに提案。声援に感傷を添えるのは、ひとまず終わりにしよう。

 必要以上の称賛だって確かに美しいけれど、何だか寂しい。斜陽に照らされると、実体より大きな影が生まれるのに似ていて、どこか悲しい。だから、凡退を目の当たりにしたら遠慮なく落胆し、とことん悔しがらせてやればいい。

 松井秀に伝えたところ、「そう願いたいよ」と相好を崩した。「まだ『うまくなった』って断言はできないけど、体のキレはいい。スイングも、鋭い気がする。ダメならダメで、もっと頑張るだけだしね」と楽しげに笑った。(田中富士雄)
スポーツナビ 杉浦大介 2006/09/19
松井秀喜の復活は本物か? 宿敵が松井を分析
順風満帆の再出発にも、指揮官は……

 左手首の骨折から復活した松井秀喜が、ちょうど1週間を戦い終えた。

 復帰初戦の4安打以降はややクールダウンした印象もあるが、トータルで見れば本拠地での7連戦では18打数7安打の好成績だった。さらに、18日(現地時間)のブルージェイズ戦でも2安打。その間、特大のホームランも打ったし、レッドソックスの豪腕ジョシュ・ベケットからもクリーンヒットを放った。はた目には順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の再出発のように見える。

 しかしその一方で、ヤンキースのジョー・トーリ監督はやや慎重なコメントも残している。週末にも、「松井はマッティングリー(打撃コーチ)とタイミングを取り戻すトレーニングに取り組んでいる」といった趣旨の発言があった。これだけの活躍を続けても、松井を誰よりよく知る指揮官の目には、まだ100パーセントの状態ではないと映っているのかもしれない。

メジャー屈指のベースボールウォッチャー

 さて、それでは実際には松井の復調具合はどの程度なのだろうか? 復帰から1週間が経過し、打撃と体のコンディションは本当は完調なのか? あるいはトーリが示唆するようにまだ6、7分程度なのか? それとも……?

 そんな疑問解明のため、今回は、先週末に対戦したレッドソックスのベテラン選手たちに、松井に関する意見を求めてみた。
 過去3年間、シーズン中だけで1年に19度も対戦してきた宿敵ならヤンキース選手のことも熟知している。敵チームゆえに余計な気遣いもなく、松井についてもむしろ率直な言葉が聞けるはず、と考えたのだ。
 中でも、最も意見を聞いてみたかったのはカート・シリングである。最多賞を2度獲得した名投手であり、メジャー屈指のベースボールウォッチャー。今回登板がなく、直接対戦した印象が得られないのは残念だが、それでもこの選手のタレント評価の眼力には元々定評がある。

 米国人の記者仲間の話では、シリングは今季トレード期限に、「ヤンキースに(ボビー・)アブレイユを獲得させたら、取り返しのつかないことになる」とレッドソックスのフロントに予言までしていたのだとか。その結果がシリングの言う通りになったのはご存じの通り。そんな逸話を数々持つベテラン投手の言葉なら、信頼できる。
 シリングは先週末の4連戦で松井をどう見たのか――。

松井は相変わらず自然体

「松井が戻って来るとしたら完全な体調だと思っていた。そしてその通りだったね。ケガをする前の彼から何も変わったところはないし、休養明けにはとても見えないよ。彼について特に素晴らしいのは、ボールを見極める選球眼に優れていることと、状況に応じた打撃ができること。簡単に言うと打席での『ディシプリン(規律)』だ。私は常々、松井はもっと多くのホームランを狙えるだけのパワーを持っていると思ってきた。だけどそれを狙わないことが、彼をより怖い打者にしている。ブランクの後でもそこは変わっていない。休養明けだと普通は少しでもいいところを見せようと気負うものだけど、松井は相変わらず自然体。もう100パーセントの状態か? そうだね。ヤンキース打線の中でも、相変わらずほかの主軸と同じくらい危険な打者だよ。秋にもいい結果を出せるだろうね」

 手放しの褒めようである。シリングは技術面よりもむしろ、松井の精神面の方を絶賛している。確かに、あれほどのブランクの後でも松井の献身的な姿勢にはまるで変化がない。これまでの遅れを取り戻そうとむやみに強打するより、走者を置いた場面では確実に軽打にいく。相手投手に1球でも多く投げさせる。そういった松井の姿が何よりシリングを感心させたようだ。

バリテック「彼は完調さ」

 続いて話を聞いたのは、「レッドソックスのハート・アンド・ソウル」と呼ばれるジェイソン・バリテック捕手だ。攻守ともにハイレベルで、体調がいいときならメジャー最高捕手の呼び声も高い。そのバリテックはやはり捕手らしく、技術面にも言及してくれた。
「スイングはコンパクトで速く、タイミング、パワー共に問題ない。彼は復帰初戦で4安打して、直後にホームランも打ったんだろ? ケガのあとにすぐに結果が残せるっていうのはすごい。成績が証明している通り、彼は完調さ。今シリーズでもオレの知っている通りの松井だった。彼には基本的にストライクゾーンで勝負するのは難しいけど、選球眼にも優れているからボール球も振ってくれない。打ち取るのは非常にタフなバッターだね」

 基本的にバリテックもシリングと同意見である。こうして宿敵から飛び出してきたのは、少々驚くほどの絶賛ばかりだった。少し突っ込んで聞いたところで、それでも「松井はもう完全だ」と彼らは断言し続ける。シリングとバリテック、海千山千の二人がである。

 それでは、ジョー・トーリ監督の心配は取り越し苦労なのだろうか?
もちろん、一番間近で見ている同監督にしか見えないタイミングのズレもあるのだろう。だが少なくとも、レッドソックスの両輪にそれだけ警戒心を抱かせたのだから、松井の状態がかなりのハイレベルにあることは間違いないはず。この分なら、さらに調子を上げて、ポストシーズンでの爆発も本当に期待できるのかもしれない。何しろ、「予言者」シリングもそう語っているのだから。

同国人として本当に誇らしい選手

 さて最後に、これは現在の打撃の調子とは関係ない話になるが、レッドソックスの40歳のリリーフ投手マイク・ティムリンが、松井に関してこんな言葉を添えてくれたことも付け加えておきたい。
「ヤンキースにいる私の友人たちは皆、松井がどれだけ一生懸命に復帰を目指してきたかについて語ってくれた。そしてそんな話を聞いても、少しも驚きはしなかった。私が知っている限り、松井とはそういった選手だからね。常にハードにプレーし、どんな小さなことでも当然のことと思わず、最善の努力をする。人間的にも素晴らしい男だよ」

 MLB歴19年の大ベテランから、野球に取り組む姿勢をこれだけ絶賛される松井――。同国人として、本当に誇らしい選手である。
スポーツナビ 杉浦大介 2006/09/13
序章にすぎない松井秀の復活劇
「真っ白な気持ち」で打席に立った松井

 松井秀喜、復帰戦でいきなりの4安打パフォーマンス――。
 そんな中でも、カムバック物語の最大のハイライトシーンとは、やはり常に最初の打席にやって来るものだ。

 12日(現地時間)のデビルレイズ戦は、試合開始直後からヤンキースの猛攻が続き、1回に4点を奪って、なおも1死一、三塁。そんな場面で、松井秀喜の約4カ月ぶりの打席が回ってきた。
 松井がゆっくりとバッターボックスに向かって歩いて行く。スタジアムがここぞとばかりに爆発する。この日一番の大歓声が巻き起こり、スタンディング・オベーションが続く。バックネット裏では、小さな星条旗までもが振られている。

 午後7時33分。ティム・コーコランの4球目のカーブを、松井は泳ぎながらも、とらえた。小飛球がセンター前に落ちてタイムリーヒットになると、たどり着いた一塁ベース上で松井は晴れやかな笑みを見せた。

「真っ白な気持ちで打席に立って、自分がどうなるか楽しみ」
 試合前に松井はそう語っていた。その言葉通りの気持ちで臨んだ再出発の打席。そこで結果を出して、塁上で浮かべたのは真っ白な笑顔だった。

完ぺきなカムバックにチームメートも苦笑い

 それにしても、松井秀喜の節目の試合、注目される試合での勝負強さには、今さらながら驚嘆させられるばかりである。
 今季絶望と思われたケガから必死に立ち直り、復帰戦では得点機で初打席に立ち、いきなりタイムリーを放つ。そして、4打数4安打……出来過ぎである。これではまるで映画のストーリーではないか。

 こんなパフォーマンスを見せられては、ヤンキースナインも半ばあきれるしかない。試合中も、4本目のヒットが出たときには、多くの選手たちが苦笑いを浮かべるシーンがTVモニターに映し出された。そして試合後も、主砲を取り戻した同僚たちの歓喜は続いた。
「休んでいた間の分のヒットも、一気に取り戻すつもりなんだろう(笑)。この調子で毎日打ってくれたら良いね」
 ジョニー・デーモンはいつも通りの爽やかな笑顔と共にそう語った。

「特別な選手だよ。彼は必要以上のことをやろうとしない。誇りに思うとしか言いようがない。献身的で、一生懸命な、松井のような選手が味方でいてくれてうれしく思う。特に、彼のプレッシャーのかかる状況でのプレーの見事さは教えてできることじゃない」
 ジョー・トーリ監督の絶賛する言葉も途切れることはなかった。

 松井自身も、「(今夜は)ぜんぶ良かったです。内容的にも良かった」と語ったように、この日はすべてが完ぺきだった。「セカンドチャンス」の街として知られるニューヨークでも、これほど完ぺきなカムバック物語の結末は珍しい。そう、舞台こそニューヨークだが、それはほとんど「ハリウッド・エンディング」だったのだ。

松井の生還を冷静に喜ぶジーター

 だが、MLBはハリウッド映画ではない。
 これが映画や小説の世界なら、復帰後の活躍で大団円なのだろう。しかし現実の物語は、まだ続かなければならない。そんな事実を知ってか、快哉(かいさい)を叫ぶばかりのクラブハウスの中には、冷静な男もいた。みんなが頼りにするキャプテン、デレック・ジーターである。
「(4安打よりも)重要なのは松井が健康に戻れたこと。たとえきょう、彼がノーヒットに終わっていたとしても、もう長い間打線の主軸だった選手が、あれほどのケガから帰って来てくれたことが何より大きいんだよ」

 このジーターの言葉の裏に、真理が見え隠れする。この日の一歩は大きな一歩には違いない。だが成功の理由の一端が、デビルレイズ投手陣の不甲斐なさにあったことも否定できない。
 今後、戦うべき相手はほかにいる。レギュラーシーズンはあと20試合で終わり、プレーオフは目前だ。そこでは強豪のエース級との対戦が待っている。好敵手とのマッチアップが続く戦いの中でこそ、復帰の成否はようやく問われるのだろう。
「きょうの4安打よりも、ヤンキースにとってより大切なのは完調の松井」
 ジーターの言葉は、あまりにも正しい。

「ハリウッド・エンディング」は10月に

 確かに、今夜の松井のパフォーマンスは素晴らしかった。
「たくさんのファンがスタンディングオベーションで迎えてくれたので、忘れられない瞬間になった」
 試合後に松井はそう語った。そして、この日を決して忘れられないのは本人だけではないはずだ。

 1回裏、松井がオベーションに応えて打席でヘルメットを取った瞬間、大歓声はさらに大きくなった。過去3年間の松井の実績をニューヨーカーが認め、ケガからの帰還をもろ手で迎えた。そこにいたすべての者が感動するような、それは素晴らしい雰囲気だった。
 そして、こんな最高の夜を、本当に意味のあるものにするために。今後、松井にはさらにレベルの高い投手たちからも打ちまくってほしい。故障前と同じか、あるいはそれ以上の打棒でファンとチームメートを喜ばせ続けてほしい。

 きょうの第一歩は序章にすぎない。
 MLBの「ハリウッド・エンディング」とは、10月にワールドシリーズを制したときにだけ訪れる。その場に松井が立ったとき、復帰の物語はようやく完結するのだ。
読売新聞 松井が燃える 2006/09/13
この日「ずっと待ってた」
 “蚊帳の外”にいた4か月間で、ヤンキースはがっちりと首位の座を固め、プレーオフ進出へのカウントダウンを始めていた。

 復帰して求められる役割は指名打者か代打か。最後までベンチを温めるケースだって、きっと増える。メジャー合流を待ち焦がれていた背番号「55」は、レギュラーと控え選手の中間にあるような立場を予期して、しかし、「試合に出ない日でもチームの力になれる」と鼻をうごめかした。

 「準備している姿勢をね、常に示し続けるのが大事だと思う。例えば、真剣に練習することだとか。『そろそろ代打かな』って感じたら体を動かしておいて、いざ監督が振り返ったときに『おれは、とっくに用意できてます』みたいなね」

 腐らない。華々しく戦う機会が減っても、精神はねじれない。長い野球人生で作り上げた、哲学がある。


 松井秀喜、17歳、石川・星稜高2年生の秋。新しく主将に就任した後、同世代の仲間に「おれの家、泊まりに来いよ」と声をかけた。

 「一緒にメシ食って、近くの温泉に行って、ゲームやりながらバカ話して、そんだけなんだけどね」。恐らくスポットライトを浴びずに高校生活を終えるメンバーが、何人か含まれている。レギュラーの結束を強めるにとどまらず、そんな“補欠”の面々との触れ合いも重視した。

 「もしもね、たった一人であれ『不満分子』が現れると、チーム全体が悪い方へ向かっちゃう。直接的なことは言わない。野球の話も、ほとんどしない。でも、『みんなで頑張るんだぞ』という思いが伝わればいいなって、願ってた」

 巨人に所属した当時、出場するチャンスがないと決めつけてベンチ裏へ退き、雑談に興ずる一部の控え選手に、憤慨したことがある。「チームが白けちゃうんだよね」。あの年は確か、早々に優勝戦線から脱落した。

 「ホントに強い集団はね、目標を見つけにくい控えのプレーヤーも前向きな態度でいるんだよ。自分もさ、そうありたいと思ってんの」

 戦列を離れた悔しさ、打線に穴を開けた後ろめたさ、技術的なもどかしさ……。スラッガーの感情を虫眼鏡で細かく観察したら、多分、そこかしこにネガティブな“染み”がある。ファンなら、これらを消してやれる。簡単な作業だ。なりふり構わずチームを支えると誓った男に対し、ただ真っ白な心で声援を送ればいい。


 メジャー復帰が目前となった11日、ヤンキースタジアム。気持ちの高ぶりに任せて、バットを振り込んだ。負傷した途端、ひどく無愛想になってしまった天然芝が、照明塔が、バッターボックスが、今は親しげな姿に映る。

 「ずっと待ってた。この日が来ると信じて、やってきた。やっぱり、うれしいよね。うん、うれしいよ」

 12日のデビルレイズ戦。松井秀が124日ぶりに、本拠地のフィールドへ立つ。(田中富士雄)
スポーツナビ 杉浦大介 2006/09/07
ゴジラ松井が戻ってくる! 松井復帰でトーリ監督のさい配は?
松井の快音連発にファンの熱視線

 9月1日(現地時間)、松井秀喜が故障後初めて、ヤンキー・スタジアムのフィールドでのフリー打撃に臨んだ夕刻。筆者は松井の1巡目の打撃だけをフィールドで見届けると、その後はスタンドに上がって見た。復帰への階段を懸命に上がる松井の姿を久々に見たときの、ファンの即座の反応を肌で感じてみたかったのだ。

「おお、マツイだ。マツイが打ってる……」
 すぐに、バックネット裏で熱心に打撃練習を見守っていた30代くらいのアメリカ人男性がそうつぶやくのが聞こえた。こちらの視線に気付いたようなので、「松井の復帰が楽しみ?」と水を向けてみた。
「そりゃもちろん。最初はDHでも良いしね。彼は例年春先の仕上がりが速いから、万全で出て来るなら今回もすぐに打ってくれるんじゃないの?」

 その後、外野席の方にまで足を伸ばした。飛び込んで来るボールを楽しみに待っているファンが見つめる前で、松井が何本か柵越え弾を放った。
「マツイだ!」という声がまたいくつか聞こえ、そして消えていった。次第にみんなが松井の存在に気付いていった。この日に6本放った柵越え弾は、ケガによって失われた期間をかき消し、過去と現在をつなぐ架け橋のようでもあった。

気にも留めていなかったことに感じる幸せ

 松井がフィールドから消えてもう3カ月。試合前の打撃練習で快打を飛ばし、ときに外野席に打ち込む。かつては何でもなかったそんなことが、今では特別になった。以前は気にも留めていなかったことを幸せに感じる。ファンにとっても、取材する側にとっても、そしておそらく松井秀喜本人にとっても。

 そしてきょう、松井は2Aトレントンでの復帰戦に臨んだ。4カ月ぶりの実戦を物ともせず、3打数1安打1打点。第4打席にはタイムリーヒットを放ち、勝負強さは健在だった。このまま順調に行けば、メジャー帰還のXデーは次週、本拠地でのデビルレイズ戦になりそうだ。
 みんなが待ち望んだ復活が、本当に間近まで迫っている――。

敵将ソーシアに「とんでもない」と言わしめた打線

 松井復帰の日は地元で盛大に祝われるだろう。しかし感慨にふけるのは最初だけなのかもしれない。その後は、すぐに現実に引き戻されるからだ。
 松井が加わったヤンキースは、今秋のプレーオフに向けてより完成系に近づくことになる。だが、そこで微妙な問題も再び浮上してくるはずだ。それは言わずと知れた、飽和状態となるタレントの起用方法である。

 これは8月中旬のヤンキー・スタジアムでのこと。アウエーベンチで担当記者たちと談笑していたエンゼルスのマイク・ソーシア監督が、ヤンキースのメンバー表を見ながら言った。
「それにしても、とんでもない打線だよなあ」
 フィールドに目を向けると、ヤンキースの選手たちが打撃練習を終え、大歓声を浴びながらベンチに引き上げるところだった。そのスター軍団の中に、リハビリに励む松井の姿もあった。
「この中に、マツイもそろそろ帰って来るんだろ?」
 囲んでいた中では唯一の日本人だった筆者の方を向いて、ソーシアはそう言った。無言のままうなずき返すと、「かなわないよなあ」とでも言うようにまた首を横に振ってほほ笑んだ。

 ソーシアが示唆した通り、タレント過多など本来ならぜいたくな悩みなのだろう。使うべき選手が多すぎて困るなんて他チームではあり得ない話だ。実際に、筆者は一時期、トーリこそが最も過大評価されている監督だと思っていた時期がある。

今季のヤンキースMVPはトーリ監督

 ヤンキースのロースターはオールスターが敷き詰められているのだから、試合前に打順表を書き込めば仕事の大半は終わる。ケガ人が出ても、すぐに新しいスターが届けられ、マイナーからの若手でやりくりする必要もない。

 DH制のアメリカンリーグは元々ナショナルリーグに比べ、投手交代がはるかに簡単な上に、しかも、トーリはマリアーノ・リベラという絶対的切り札まで持っている。困ったときはリベラの名を呼んでしまえば、もう誰にも文句は言われまい。個性的なスターぞろいでまとめるのが困難という声も、デビルレイズのルー・ピネラ前監督は笑い飛ばしていた。
「そんな悩みを抱いてみたいもんだよ。それにしても、何で彼らはこのメンバーで何十回も負けるんだ?」

 だが、今季のジョー・トーリ監督の仕事に関しては、本当に見事だったとしか言いようがない。ケガ人続出の難しい時期に、例年のような安易な補強をしてもらえなかった。それでも、継ぎはぎ打線を何とか駆使し、苦境を乗り切ったのだ。デレック・ジーター、バーニー・ウィリアムズら生え抜きベテランの助けがあったとは言え、古参と若手を上手に配置したトーリの功績が大きいことは揺るがない。それゆえに、今のヤンキースには近年まれに見るケミストリーが宿っているように見える。筆者も見る目の無さを恥じ、トーリに対する誤った評価をあらためざるを得ない。今季のヤンキースMVPは、ジーターよりもトーリだろう。

知将のお手並み拝見

 さあ、そんなトーリの前にまた新たな課題が出現だ。勝負の秋を迎えたこの時期に、松井秀喜を取り戻したヤンキースは、再び新ロースターでの戦いに挑むことになる。順調ならば巨大な武器に違いない松井を、どのように慣らしていくのか? 起爆剤的存在のミルキー・カブレラを今後も有効に使いこなせるか? 控えにまでそろったスターたちを、積み上げられたケミストリーを崩さないまま、バランス良く起用できるか?
 ゴジラ松井が戻って来る記念すべき日は目前――。まずは松井の復帰が順調に、願わくば劇的な形で飾られることを祈りたい。そしてその後は、いま一度知将ジョー・トーリのお手並み拝見である。