Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

産経新聞 2009/12/30
松井秀、凱旋会見の一問一答
--空港で大勢のファンから拍手で出迎えを受けました

 「今年はいろいろありまして、みなさんに注目していただき、温かい言葉をかけていただいた。うれしかったですね」

 --今年はどういう1年でしたか

 「春先から夏場までは体調(左ひざ)が良かったり、悪かったりで、バッティングも同じく良かったり、悪かったり。守備には1回も就けませんでした。マイナス的なこともありましたが、最後に素晴らしい試合(6打点を挙げたワールドシリーズ第6戦)があり、すべてが吹き飛びました。終わりよければすべてよし、という感じです」

 --ワールドシリーズMVPの重みは感じますか

 「それは大きいですね。3試合しか先発で出ていないし、代打もありましたけど、あくまでもチームが勝つことに重きを置いた結果。そのおまけといっては(重みや価値が)大きいのですが、よかったですね」

 --ヤンキースでの7年間の思い出は何でしょう

 「監督も含めて素晴らしいチームメートに出合えたことですね。ニューヨークでプレーすることは、ぼくにとっていろいろな意味で大きかったですね」

 --エンゼルスでプレーする来年はどのような1年にしたいですか

 「新しいスタートに不安がある半面、楽しみな部分もあります。何試合かに1回は守備につきたいですね。目指すのはチームの勝利です。これはいままでとまったく変わりません」
産経新聞 2009/12/28
松井秀喜 ヤンキース→エンゼルス移籍 ファン惜別
「最初から最後までヒーロー」

 米大リーグで、松井秀喜外野手(35)が7年間在籍したヤンキースを離れ、エンゼルスに移籍した。今オフ、フリーエージェント(FA)となった松井はヤンキース残留を希望したが、交渉は進展せず。米紙ニューヨーク・タイムズがエンゼルスとの契約合意を報じた14日から、同紙のホームページには別れを惜しむファンの声が200件近く殺到。ワールドシリーズでMVPとなった強打者は、実力と人柄で異国のファンの心をとらえている。

称賛

 「ヤンキースタジアムに初登場したとき(2003年4月)に満塁本塁打を打ったよね。ワールドシリーズのMVPも取った。最初から最後まで私たちのヒーローでした」(キャサリーン サンフアン在住)

 「松井に感謝します。『2009年のシーズンで松井はワールドシリーズのMVPだった』とずっと忘れない」(ブレット・S ニューヨーク在住)

 「ワールドシリーズの松井の活躍は、それ自体で(来季の推定年俸と同じ)600万ドル以上の価値がありました」(J・H ニューヨーク在住)

 「松井が(2006年5月に)手首を骨折したとき見舞いの手紙を送ったら、なんと、彼からサイン入りの写真が送られてきた。彼は徹底して紳士だった」(ブース・セリグ ニューヨーク在住)

 「松井は本物の格調高い選手、究極のプロフェッショナルでした」(ジョー・M ニューヨーク在住)

 「ひどい移籍。松井はヤンキースにとって貴重な打者で勝負強さを示し、チームメートとファンにもよく好かれていたのに」(j・B ニューヨーク在住)

怒り

 「キャッシュマン(ヤンキースのゼネラルマネジャー)には耐えられない。松井の代わりにキャッシュマンをどこかへやれないのか?」(MSS・ラオ カリフォルニア在住)

 「ヤンキースは恥じ入るべきだ。なんという扱いなんだ。松井にサヨナラを言うことで、日本人ファンに対するチームの価値を崩壊させた」(トム・グレイブス 東京在住)

 「ヒデキさん、7年間の忠実なプロ精神をありがとう。ヤンキースは先見の明がない。バカな決断を悔いるだろう」(デニス ニューヨーク在住)

 「ボストン(レッドソックス)との試合で、孫娘に2つの贈り物をくれた彼がいなくなるなんて寂しい。1年以内に戻ってきてほしい。MATTSSUUUIII…」(ローズビー ペンシルベニア在住)

 「ヤンキースは左投手に対するベストな左打者を失ってしまった」(スティーブン ニューヨーク在住)

激励

 「松井にとってはいいことだ。彼が一流のチームに行ったことをうれしく思います。ガンバッテ、マツイサン」(O・コエーリョ ニューヨーク在住)

 「ヒデキ。あなたのようにヤンキースのためにプレーする、ひたむきなプロを見るのは楽しかった。見送るのは残念だけど、ファンやチームに与えてくれたすべてに感謝するよ。アナハイムでも頑張ってくれ」(ブロンクス41 ニューイングランド在住)

 「松井は決してゴシップ記事の対象にならなかった。エンゼルスへの加入を歓迎する」(バートマン タスティン在住)

 「本物のプロフェッショナル。どこに行っても、あなたの幸運を祈っている」(ポール ニューヨーク在住)


 移籍発表から1週間が過ぎてもファンの書き込みは続いている。来年4月13日、ヤンキースの本拠地開幕戦の相手はエンゼルス。ニューヨークのファンは、松井をスタンディングオベーションで迎えるだろう。
NHKスポーツオンライン 石田大輔 2009/12/22
GO WEST & GOOD BYE NY.
松井秀喜のエンジェルス入団が決まった。
年俸は650万ドル、ヤンキース時代のちょうど半分であり、しかも単年契約となった。
30本塁打、100打点を見込める松井秀喜の実力を考えれば、“低評価”であると首をかしげるファンの方も多いだろう。
しかし、35歳という年齢に加え、両ひざに爆弾を抱える状態を考えれば、今オフのメジャーリーグ市場においては“適正評価”と言えるだろう。
それほどに、このオフはどこの球団もお財布のひもが固い。

お財布のひもの固さを最も感じさせたのは、実は金満球団、ヤンキースだった。
例年、お金には糸目を付けず、獲りたい選手を獲る。
それは昨オフのサバシア、バーネット、タシェアラの獲得にもあらわれていたが、このオフ、キャッシュマンGMは「我々の予算には限りがある」という言葉を繰り返した。

ウインターミーティングではペティットを残留させ、タイガースから中堅を任せられるグランダーソンを獲得し、幸先の良い補強を果たしたかと見られた。
しかし、よく見て見ると、ペティットは今季と同額の550万ドルの1年契約に抑え込み、グランダーソンの来季の年俸に限っては550万ドル。
今季、松井やデーモンが共に1300万ドルであったことを考えれば、バジェットカット(予算削減)に躍起となっていることは充分に見て取れた。

これまでのヤンキースならば、ワールドチャンピオンを勝ち取ったレギュラーメンバーならばほぼ全員が残留。
そういう時代が続いていた。

ヤンキースの来季選手総年俸の予算はおよそ1億8000万ドルと言われている。
今季の2億ドルからは1割減、2000万ドルのバジェットカットを強いられた形になる。
ここで重要になってくるのが、ジーター、サバシア、カノー、スウィッシャーの来季年俸である。
あわせて1140万ドルの増額が契約上決まっている。
松井もデーモンも残したい。しかし、ふたりを今季同様の数字で雇うわけにはいかない。
もし、ふたりともに今季の半額で契約することに成功したとしても、削減費は1300万ドル。
まだまだ予算オーバーというのが実情であった。
20,000+1,140-1,300=19,840>18,000。

そして、ヤンキースは松井よりもデーモンとの契約を優先した。
デーモンとヤンキースの交渉は現地18日に決裂したが、当初、ヤンキースはデーモンとの契約がまとまらなかった場合に松井との契約交渉に入るつもりでいた。

このあたりのヤンキースの事情を把握し、したたかに松井獲得への戦略をたてたのがエンジェルスであった。
ヤンキースがオファーさえ出せない現地13日に電撃交渉し、ヤンキースが認めなかった守備機会を用意し、毎日4番打者として出場して欲しい最大限の誠意を見せた。
また、ヤンキースに逆襲されないよう、回答期限まで設けたという。
こうして、エンジェルスの松井秀喜は誕生したのである。

「僕自身、ヤンキースで長くプレーしてきたし、その強い気持ちもあったんですけれど、自分の希望をかなえてくれる“大きな心”で迎えてくれた。エンジェルスに行こうと。他のチームの細かい話は聞いていません」

打って、守って、走る。野球人にとっては当たり前のこと。
お金ではない。守れない状態で松井も守らせてくれとは言わない。
ただ、ヤンキースははじめから「守備にはつかせない」と“上から目線”で断言した。
この時点で、松井とヤンキースを結んでいた糸はぷっつりと切れたのではないか。
そう感じてならない。
web Sportiva 2009/12/21
松井秀喜、笑顔の裏の決意と秘めた思い~35歳の原点回帰
【古巣への愛着を断ち切った理由】

「赤色のイメージ? うーん、子どものときはアントニオ猪木だったけどね」

 真っ赤な帽子に、白地のユニホームを身にまとった松井はこう言って微笑んだ。

 12月16日。ニューヨークの寒さとは対照的に、アナハイムは真冬とは思えない強い日差しが照りつけていた。 松井はほんのりと日焼けした顔で、詰め掛けた約100人の報道陣を前に、いつものように丁寧に対応していた。ただ、その笑顔の裏には、強い決意がにじんでいたように思う。

「僕自身、ヤンキースで長いあいだプレイしていたし、その強い気持ちはあったが、とにかく自分の希望をかなえてくれる、そういう大きな心で迎えてくれたエンゼルスにとにかく行きたいと思った」

 アナハイム・エンゼルスへの移籍。これまで巨人→ヤンキースと、王道中の王道を地で行っていた松井が、野球人生の岐路で大きな決断を下した。

 古巣への愛着、慣れ親しんだ同僚とプレイする喜び、すべてを断ち切った背景には、秘めた思いがあった。

「とにかく少しでも多くプレイしたい。そのためにまた守備に戻りたい」

 2009年は、1度も守備につけなかった。守備練習さえ制限され、野球選手としての喜びの半分を失っていた。遠征日に、新品のグローブを大事にしまう姿は、もの悲しさが漂った。

“元気があれば何でもできる”。松井はもう一度、野球選手としての”元気”を取り戻すために、ロスの地へたどりついたのかもしれない。もう一度、青く澄み渡る空の下で、白球を追うという野球選手の原点に立ち返るために。


【一睡もせずに悩んだ末の入団】

 入団会見の3日前。松井は、代理人アーン・テレム氏の自宅で、エンゼルスのソーシア監督、リーギンスGMと昼食をともにした。イタリア料理に舌鼓を打ったその席上、ソーシア監督は、悩める松井に、毎日プレイする機会を確約し、「外野守備にチャレンジしてほしい」と、くどき文句とも言える言葉をかけたらしい。

「先日ソーシア監督から非常にありがたい言葉をいただいて、僕自身も感激した。そのために精一杯頑張りたい」

 昼食を終えた時点では、まだ、ヤンキース残留のシナリオは残されていた。その夜、テレム氏はヤンキースのキャッシュマンGMに電話を入れ、すぐにオファーの有無を迫った。当初16日に設定していた返答の期限を早めたのは、エンゼルス側が早急な返答を求めたためだという。

 しかし、キャッシュマンGMは返答を避けた。入団会見が決まった翌日、同GMは嘆き節とばかりに、こう述壊している。「もう少し待ってほしかった」。

 だが、そもそも、キャッシュマンGMはワールドシリーズ直後から、「松井と契約しても、あくまでDH。守備をやらせることはない」と言い張っていた。

 その考えを頑なに曲げなかった。さらに、「補強の優先順位は、先発、外野手が先。DHは最後だ。DHの候補はいっぱいいる」(同GM)。

 野球選手としてのプライド、そして、「守備につきたい」という信念。

 松井は13日の夜、一睡もせずに悩みぬき、エンゼルス入団を決めたという。

 筆者自身、松井は残留すると思っていた。ピンストライプの重みをそう簡単に捨て去ることはできないと考えていた。

 だが、松井は、ヤンキースより、野球への情熱を取った。

 もっとプレイしたい。守りたい。

 くしくも、エンゼルスのある南カルフォルニアは、松井が初めて海外を訪れた場所だ。高校の日本選抜の一員として、ユニホームをグラウンドの土で泥まみれにしながら、白球を追いかけた。打って、守って、走って。


“迷わず行けよ。行けばわかるさ”。35歳の原点回帰。

 ユニホームは紺から赤に変わっても、背番号55はただひたすら野球のことを考え、自分の力で重い扉をこじあける。
SPORTS COMMUNICATIONS 杉浦大介「NY摩天楼通信」 2009/12/18
松井秀喜がニューヨークにもたらしてくれたもの
 12月14日の夕方ごろのこと。『スポーツ・イラストレイテッド」誌の記者からのメールで、松井秀喜のエンジェルス移籍が決定的になったことを知った。
「俺の言った通りだったじゃないか!」
 その記者は11月に雑誌の企画で行なった「松井去就予測座談会」に参加してくれていて、松井のエンジェルス行きを予想していたのだ。しかし筆者はそんな得意気なメールを軽く読み飛ばすと、すぐにスポーツサイトで彼のメールが真実であると確認し、そしてしばし呆然としてしまった。

 松井がニューヨークを去る日———。遅かれ早かれ訪れることだと考えてはいたが、実際にそれが起こるとやはり特別な感慨を呼び起こさせられてしまう。
「ゴジラ」の愛称で喧伝され、彼がニューヨークに初めて降り立ってからもう7年。「たった7年」と思われるかもしれないが、しかし同じ時期にニューヨークで日々を過ごしてきたものにとって、それは紛れもなく「時代」と呼ぶに相応しい時間だったように思える。

 ヤンキースでの通算成績は打率.292、140本塁打、597打点。勝負強さと献身的な姿勢でスター揃いのヤンキース打線の中でも確実に存在感を築き、主に4、5、6番といった重要な打順を任された。
「パワーは期待されたほどではなかった」という声も確かにあるが、しかし健康ならば安定して20~30本塁打が期待できる日本人メジャーリーガーは他に存在しないし、これから先も出てこないかもしれない。

 そして、その貢献はフィールド内だけに止まらない。間接的なものまで含めれば、松井がニューヨークにもたらした経済効果、さまざまな好影響は計り知れないものがあったはずだ。

 個人的な話をさせてもらえば、筆者のスポーツライターとしての初仕事もメジャー入団1年目の松井に関するものだった。このウェブサイトの二宮清純編集長から当時の担当者を通じ、「ニューヨークの松井フィーバーをレポートして欲しい」と依頼されたのだ。未熟なりに精一杯の想いを込めたその原稿が、無事に掲載されたときの喜びは未だに忘れられない。
 経験も技術もないライター志望者が、執筆機会を得るチャンスなどそれほど数多く転がっているわけではない。松井がヤンキースに来なかったら、今ごろどこかで別の仕事をしていたかもしれない。そして……そのような恩恵や影響を受けたのは、筆者だけに限った話ではないのだ。

 松井の活躍がゆえに憧れだったニューヨークに来られた記者、あるいは現地で新たな仕事を得たライターは他にも存在する。「松井が常連だ」と謳って客足を伸ばした日本食レストランもある。もちろんビジネス面だけでなく、松井入団がきっかけでこれまでさほど興味がなかったMLBに注目するようになった、生活の楽しみが増えたという人もニューヨークに数多い。

 ヤンキースタジアムにも以前に増して日本人の姿が数多く見受けられるようになった。彼らは立ち上がって母国語で声援を送れるようにもなった。これまでは球場の片隅で静かにプレーを見守ることの多かった日本人ファンが、少々大げさに言えば、松井のおかげで伝統のスタジアムで市民権を得たのである。

 と、こうして少々センチな感慨を込めて振り返っていると勘違いされそうだが、しかし筆者は特に深い思い入れを抱いて松井ばかりを見つめてきたわけではない。
 本格的にライター業に専念して以降、基本的に国籍に関係なく選手を見ることをポリシーにしてきたこともあり、ヤンキース内でも松井をメインに取材してきたわけではない。個人的に親しくしていたわけでもまったくないし、松井の記事執筆が仕事の中心だったわけでもない。

 実は同じニューヨークのチームでもメッツの方に肩入れしており、正直に言えば、サブウェイシリーズなどで好機に確実に仕事を果たす松井を疎ましく思ったことも一度や二度ではなかった。
 ただそれでも、もちろん松井の存在が自分の人生にもたらしてくれた好影響は認識しているし、少なからず感謝もしている。

 松井は過去7年間、黙々とグラウンドで汗を流し、チームのための打撃に専念し続けてきた。不調時でも変わらずに記者団の質問に答え続けた。
 そんな無骨でシンプルな方法で、筆者を含む日本人にとって、MLBとヤンキースをより身近なものにしてくれた。これまで誰も、ヤンキースの先輩・伊良部秀輝でも成し遂げられなかったことを、彼はやってのけてくれたのだ。

 今秋、最後の最後でワールドシリーズのヒーローになった松井は、もうニューヨークでの役目をすべて終えたのだろう。そしてこれから、新天地である西海岸で現役生活を続けようとしている。
 これでもうメッツが松井のバットで痛い目に遭わされることもなくなる。膨大な数の記者(自分ももちろんその1人なのだが)で溢れかえったヤンキースタジアムの記者席で、窮屈な思いを味わうこともなくなる。

 そして松井のビジネス効果がなくとも、自分ももう新人とは言えない年齢まで仕事を続けてきたわけだし、今後もこれまで以上に懸命に努力すれば、もうしばらくはニューヨークでスポーツライターとして生き残っていけるかもしれない。

 ただそれでも……今、松井秀喜がこの街からいなくなることが寂しい。
 彼は7年間もヤンキースの主力として活躍し、常にそこにいるのが当たり前と思える存在だった。自然な形で、ニューヨーカーに多くの好影響を与えてくれた。派手さはなくとも、鈍い光で周囲を静かに照らしてくれた。そんな日本人選手は、筆者のライター人生の中でも、ニューヨークにはもう2度と現れることはないに違いない。
ブログ報知 もうひとつのMLBスクラップ メジャー担当・楢崎記者のブログ 2009/12/18
”愛”に飢えていた松井
会見後のエンゼル・スタジアムの
グッズ売り場です。

まだ「55」グッズはないものの、
店内の画面では
松井選手を歓迎してました。

このブログの更新できず
読んでいただいている方、
申し訳ございませんでした。

ようやく決まった松井選手の移籍先。

MVPをとったワールドシリーズから1か月以上。

動向を追う側としては本当に長かったです。

いろいろな情報が飛び回り・・・

アメリカのメディアが契約合意と15日昼に報じ、
日本にも16日の朝にはその情報が流れましたが、

実は最後の最後まで、どうなるかわからなかったんです。

最後、獲得競争はエンゼルス、ヤンキース、そしてRソックスの
三つどもえになりました。

エンゼルスと契約する方向に決まったのは
それから10時間以上後の15日未明。

松井選手のハートをつかんだのは

お金でもなく、契約年数でもなく、

「誠意」。気持ちでした。


もちろん、ヤンキースがビジネスと割り切り、
シビアに交渉をしていたのは理解できます。

でも日本の選手からしてみれば、
本当に必要としてくれているその気持ちが
一番大事だったのです。

会見でエンゼルスのリギンスGM、ソーシア監督の
松井選手に対するコメントは
こっちが「言い過ぎじゃないの?」というくらい
愛情があふれていました。

本音じゃなかったら、あそこまで
「本当に素晴らしい選手」「うちの野球を理解してくれ打者」
「ワールドチャンピオンをもたらしてくれる!」などなど、
絶賛コメントしないでしょうし、
世界一を狙えるチームが、162試合全部に出てほしいとも
言わないでしょう。

ヤンキースからトーレ監督が去ったここ2年、
松井選手はここまで首脳陣の言葉、方針に
戸惑いがありました。口には出さなくても、
表情には悔しさが出ている時もありました。

「ソーシア監督から非常にありがたい言葉をいただいた」
と会見で話したように、”愛”に飢えていた松井にとって
エ軍首脳陣の賛辞に久しぶりの感情が体を駆けめぐったと思います。

この監督は、きっと松井秀喜を大事に扱うだろうな、
とコメントや態度から伝わってきました。

ミスターと松井、トーレ監督と松井

のように、ソーシア監督と松井選手も
お互いを尊重し合う師弟関係の構図に
なるのではないかと思います。

”真っ赤”なゴジラが
これまでの鬱憤を間違いなく
バットで晴らすでしょう。
MATSUI55.TV 2009/12/17
エンゼルスとの契約合意に関するお知らせ
ヤンキースからフリーエージェントになっていた松井秀喜外野手(35)が17日(現地時間16日)、ロサンゼルス・エンゼルスと正式に契約、同日入団が発表された。
1年契約で年俸は公表されなかった。背番号は巨人、ヤンキース時代と同じ「55」。

この日午前7時過ぎ(現地時間午後2時過ぎ)から記者会見した松井秀喜は「新しい自分自身の出発に非常にエキサイティングしている。今まで身に付けたものを来年はエンゼルスのワールドチャンピオンのために。全部出し切りたい」と決意表明。

松井選手はヤンキースとの4年契約の最終年だった今季、主に指名打者で142試合に出場して28本塁打、90打点をマーク。
ワールドシリーズでは3本塁打、8打点などの大活躍で9年ぶりの世界一に貢献し、最優秀選手(MVP)に選ばれた。

エンゼルスはア・リーグ西地区を3年連続で制している強豪で、過去に長谷川滋利投手が在籍した。
リーギンス・ゼネラルマネージャーは「ヒデキのような才能ある選手を獲得できて興奮している。来年、エンゼルスのユニフォームを着た姿を見るのが楽しみ」とコメントした。
MATSUI55.TV 2009/12/15
エンゼルス契約に関するお知らせ
米紙「ニューヨーク・タイムズ(電子版)」が14日(日本時間15日)、ヤンキースからフリーエージェントとなった松井秀喜外野手(35)が、ロサンゼルス・エンゼルスと年俸650万ドル(約5億8000万円)の1年契約で基本合意したと報じた。

これを受けてMLBの公式サイトの取材に応じたエンゼルス関係者は「まだ何もアナウンスすることはないが、正式な発表は松井がメディカルチェックをパスするまで待ってほしい」とコメント。
事実上、エンゼルス移籍が決まったことを認めた。

現在、ロサンゼルスでミニキャンプを張り、来季に向けたトレーニングを続けている松井選手は、現地時間の15日(同16日)午前中にもメディカル検査を受けた後、問題がなければ正式に契約することになる。
MATSUI55.TV 2009/12/07
2つ目のチャンピオンリングを
はい、皆さんこんにちは。松井秀喜です。

今年はワールドシリーズ、優勝で終わりですね。
大変素晴らしいシーズンになりました。

ただ、松井秀喜はヤンキースの4年契約が今年で切れてですね、フリーエージェントになっております。
これから新しいチームを探していかなくてはいけないのですが、
もちろんヤンキースの戻る可能性もあるのですが、これからどういう形になるか、全く想像がつきません。

どういう形になるにしてもですね、僕自身は精一杯今まで通り頑張っていきますし、
またそのチームで2つ目のチャンピオンリングを目指したいと思っております。

これからもその動向に皆さん注目しながら、温かく見守って頂ければと思います。
MATSUI55.TV 2009/12/03
長年の夢でした
はい、皆さんこんにちは。松井秀喜です。

2009年ワールドシリーズ、とうとうヤンキースがワールドチャンピオンに輝くことができました。
ありがとうございます。

そしてそのワールドシリーズで、本当に皆さんのたくさんの声援が僕の大きな力となり、
MVP受賞という、大きなオマケと言ったら本当に大きすぎますけど、
本当にそういう素晴らしい結果を残すことができ、大変僕自身も嬉しく思っております。

長年の夢でしたワールドシリーズ、制覇でき、本当に今は感激でいっぱいです。
本当に1年間声援ありがとうございました。

今年は皆さんと美味しいお酒を飲みましょう。
MATSUI55.TV 2009/12/03
松井55TV会員のみなさまへ
いつもご声援、ありがとうございます。
皆さんの応援のおかげでワールドシリーズMVP、念願の世界一を達成することができました。
ヤンキース入団から7年、変わらぬ応援に心から感謝しています。

松井秀喜