Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

スポーツナビ 杉浦大介 2016, 6, 14, 7, 02016/06/14
松井が大活躍のオールドタイマーズ・デー 過去に感謝し現在を祝福する一日
 2回裏、“ミスター・オクトーバー”の愛称を持つレジー・ジャクソンを一塁において、松井秀喜がデービッド・コーンから右翼席への豪快なホームランを打ち込んだ。会心の一打に、松井は一塁に向かう途中で両手を横に広げる仕草を見せて……。

 ほとんどファンタジーに聞こえるかもしれない。しかし、すべては6月12日(現地時間)のヤンキースタジアムで本当に起こったことである。

「これ以上ないバッティング」と松井

 初夏の暑さだったこの日、恒例のオールドタイマーズ・デー・ゲームがニューヨークで開催された。今年も多くの元スター選手が参加した伝統チームの人気イベント。その中で最も生き生きした姿をみせたのは、当日に42歳の誕生日を迎え、「5番・ファースト」で出場した松井だった。

「ハッピーバースデー! ヒデキ・マツイ!」

 試合前のイントロダクションでそうアナウンスされると、バースデーソングも短く演奏される。地元を揺るがした人気は健在。ポール・オニール、バーニー・ウィリアムスといった近年の英雄たちとともに、今年の出場メンバーの中でも最大級の大声援が松井に送られた。

「これ以上ないバッティングだったと思います。現役時代でもなかなかあんなに完璧には打てないですよ」

 後に松井はそう振り返ったが、実際に2階席に運んだ大ホームランは見事な一打だった。さらに4回の2打席目ではフルカウントから右前打。3回裏にはファーストからライトの守備に移り、ライトフェンス際の大飛球を好捕するなど、現役時代をも上回るほどの(?)大活躍でファンを喜ばせた。

  現在のヤンキースはファーストの人材不足に悩んでいる。それだけに、試合後には米メディアも“現役復帰しては”と盛んにジョークを飛ばしたほどだった。

古き時代に思いを馳せる特別な時間

 今年で記念すべき第70回を迎えたオールドタイマーズ・デー。毎年1度、ヤンキースのOBが集って旧交を温め、親善試合を行う。ゲーム前のフィールドでは顔なじみのメディアの取材を受け、そこら中に話の輪ができるという楽しいイベントである。

 今年もジョー・トーレ、リッチ・ゴセージ、レジー・ジャクソン、リッキー・ヘンダーソン、ホワイティ・フォードといった殿堂入り選手をはじめ、多くの元スターが一堂に会した。ルー・ピネラ、オニール、バッキー・デント、ウィリー・ランドルフといった人気者も参加。レジェンド、スター選手だけでなく、ババ・クロスビー、ジェフ・ネルソンといった渋い脇役たちまでロースターに含まれているのも興味深いところだ。

 オールドファンにとって、古き良き時代、あるいは自らの青春時代に思いを馳せる特別な時間になる。そして、多くが現役時代を遠く離れたOBにとっても、間違いなく貴重な一日のようである。

「オールドタイマーズ・デーは1年の中で私が最も楽しみにしている日なんだ。過去の仲間や、伝説的な名選手たちに会い、話すことができる。時間はあっと言う間に過ぎ、私ももう最年長の部類になってしまった。この歳でファンから拍手をもらえるなんで本当に素晴らしいよ」

 1970年代にはヤンキースの一員として優勝を経験し、マリナーズの監督としてはイチロー、佐々木主浩らを率いたピネラも笑顔でそう語る。

松井とコーンの間にあった“因縁”

 毎年のオールスターを見ても分かる通り、MLBでは過去の名選手を讃えるセレモニーが頻繁に催される。他のスポーツと比べても、この種のイベントを取り計らう上手さは極めて印象的。そして、その中でも、これだけの規模のOB戦を毎年行えるのは28度の優勝回数を誇るヤンキースだけである。

「(招かれるのは)名誉なことですよ。ファンの方が覚えてくださっているだけでも、幸せです。(自分が活躍したのも)もうだいぶ昔の話ですから。もっと昔の人もいっぱいいるけど(笑)」

 伝統球団にとって現時点で最後となる2009年の優勝に大きく貢献した松井も、そう語って表情を緩ませた。12年に現役引退以来、今年が2年ぶり2度目の出場。今後もニューヨークに住み続ける限り、背番号55 もオールドタイマーズ・デーの常連的な存在となっていくのだろうか。

「まだ日本でプレーしていた頃、1999年のシーズン後にプレーオフを見に来たんですよ。そのときに(コーンが)先発していたんです。冗談ですけど、彼の球を見て、“打てるんじゃないかと思ってこっちに来たんだ”と彼に言ったんですよ。それがあの初球のメッセージだったんですけど」

 試合後には、コーンとの間のそんな友好的な“因縁”の存在も明かしてくれた。だとすれば、松井の打席でコーンがマウンドに立ったこと、初球がバックネットに達する大暴投だったこと、そして松井が本塁打後に両手を広げるポーズをとったことはすべて合点がゆく。

 そんな話を聞いて、松井を久々に取り囲んだ記者たちも思わず笑顔を見せた。こういった風に、この日は選手、メディア、ファンの間でスマイルが絶えず、仲間たちとの交流と数イニングのプレーを純粋に楽しむことができる。

 過去に感謝し、現在を祝福する。伝統球団とそのファンの特権。1年に一度、オールドタイマーズ・デーの間だけ、ヤンキースに関わるすべてのものが、若い頃の気持ちを少なからず取り戻すことを許されるのである。
BASEBALL KING 2016, 6, 14, 7, 02016/06/14
“パワー”で張り合った唯一の日本人打者 松井秀喜のスゴさ
パワーでメジャーに挑んだゴジラ

 イチローが、新たな偉業への戦いに挑んでいる。

 日米通算では、ピート・ローズが持つ安打数の歴代最多記録:4256本まであと「4」本。メジャー通算では、3000本安打まであと「26」。今年中は不可能と思われていた大記録が、あと少しまで迫ってきている。

 これまでにも日本で結果を残した多くの打者たちが海を渡り、挑戦を挑んでは壁にぶつかってきた。ダルビッシュ有や田中将大をはじめとする日本人“投手”たちに比べ、「成功した」と言える日本人“打者”は少ないと言わざるを得ない。

 どうしても体格では劣るメジャーの世界。そんな舞台でも日本でプレーしていた頃の輝きを失うことなく、永きに渡ってプレーをすることは難しい。

 現在メジャーで活躍を見せる日本人“打者”といえば、イチローと青木宣親の2人になる。ともに日本でシーズン200安打の大台突破を経験しており、日本を代表する「安打製造機」として海を渡った。メジャーでも、期待される役割はさほど変わっていない。

 しかし、そんなメジャーの屈強な打者たちと力で対等に張り合い、パワーヒッターとしてメジャーに認められた唯一の打者がいる。“ゴジラ”こと松井秀喜である。

日本を圧倒したパワーで世界へ...

 松井といえば、言わずと知れた日本を代表するホームランバッター。甲子園での「5打席連続敬遠」という伝説を引っさげ、1992年にドラフト1位で巨人に入団した。

 2年目からレギュラーに定着すると、はやくもシーズン20本塁打を記録。当時の長嶋茂雄監督による徹底した打撃指導のもと、2002年には史上8人目となるシーズン50本塁打を叩き出す。

 日本人打者として、国内では無敵状態。そのパワーにおいて松井の右に出る者はいなかったと言えるだろう。そんな男は、2002年に満を持して海を渡る。

 巨人初の海外FA移籍で、名門・ニューヨークヤンキースに入団。しかし、当時は日本人のパワーヒッターがどこまでメジャーに通用するのかと言う期待も多かった反面、通用せずに打撃スタイルを崩してしまうのではないかという周囲の不安の越えも少なくはなかった。

 それでも、松井は入団1年目から名門ヤンキースでデビューを果たし、その「パワーヒッター」としての進化を見せつける。

「最後まで挑戦し続けた」という功績

 本拠地デビューのデビルレイズ(現レイズ)戦。松井は挨拶代わりの一発を満塁本塁打で飾るという鮮烈なデビューを果たす。

 1年目から打率.287、16本塁打、106打点という好成績を残し、中軸として十分な働きを見せたが、本人は納得がいかない。特に本塁打の「16」という数字に満足の行かなかった松井は、この年のオフから大幅な筋力強化と体重増加を図り、メジャーという舞台においても自らの生き残る道を「ホームラン」に求め、こだわった。

そして迎えた2年目の2004年。マークが厳しくなる2年目のシーズンにも関わらず、打率.298、31本塁打、108打点と、打撃3部門全てで前年を上回る好成績。さらに3年目にはリーグ7位の打率.305をマークし、23本塁打、リーグ8位の116打点と、本塁打以外の2部門で2年目を上回り、メジャーの打撃ランキングで上位に食い込む成績を収めた。

 それでも、本塁打数の減少に対する悔しさを変わらない。オフには103キロから111キロという大幅な体重増加を図る。翌年には、守備の捕球時に左手首を骨折するなどのアクシデントに見舞われるなど、51試合の出場に留まったが、2007年には143試合に出場。打率.285、25本塁打、103打点と復活を遂げた。

 結局、主に籍をおいたヤンキースでの7年間では、実に4度の20本塁打超えと100打点超え。あくまで“パワー”にこだわり、自分自身との戦いを続けた。

 野球に限らず、日本人アスリートが海外挑戦をするときには、「日本人らしさを活かす」ことがいわゆる王道である。しかし、松井はあくまで「松井らしさ」を明確に刻み続けた。

 真っ向から世界に挑戦した希少な日本人選手――。松井秀喜の功績は、種目や時代を越えて称えられるべきものなのかもしれない。