Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

スポーツナビ 岡田弘太郎 2007/08/23
松井秀に学ぶニューヨーク成功術
プレーヤーに厳しい環境

 日本人選手がメジャーで活躍することが珍しくなくなった現在でも、高き壁になっているのが、「ニューヨークで成功する」ということだ。伊良部秀輝、石井一久、松井稼頭央、吉井理人、新庄剛志……。世界中からの挑戦者が集まるこの街に、数多くの日本人選手が足跡を残してきたが、今のところ「成功」と呼べる活躍を見せているのは、ヤンキースの松井秀喜くらいではないだろうか。一方で、昨オフ、ヤンキースにポスティングで移籍した井川慶は今季2勝3敗、防御率6.79と期待外れの成績でマイナーへ降格。8月にはウエーバー公示され、パドレスへの移籍話が浮上するなど厳しい状況に置かれている。なぜ、ニューヨークでの成功例がこれほどまでに少ないのだろうか。この街で成功するには何が必要なのか――。

 他球団からニューヨークへ移籍してきた選手が、最初にぶつかるのが地元メディアへの対応だ。最近では、2005年に入団したランディー・ジョンソンがメディアと衝突したのをきっかけに、本来の力を出し切れぬまま、たった2年でこの街を去ったのは記憶に新しい。日本人選手では、06年途中までメッツでプレーした松井稼頭央が思い出される。3拍子そろった大型遊撃手の触れ込みでメッツに入団したが、高額な年俸に見合った活躍をしていないという理由でメディアにたたかれ、ファンから容赦ないブーイングを浴びせられた。相手投手以前に、厳しい環境下で苦悩を極めた松井稼は、わずか2年余りでニューヨークを去った。

精神的には打者優位か!?

「最終的には選手個人のパーソナリティが大きく関係しているようだ」

 ヤンキース取材歴20年を誇る、地元ラジオ局リポーターのボブ・トレイナー氏は成功の秘訣(ひけつ)についてこう断言する。さらに、「マツイは5打数無安打の翌日でも、何ともない顔で打席に立っている。自信に満ち溢れている姿は(デレック・)ジーターに似ている」と続けた。特に高額な年俸で移籍してきたフリーエージェント選手になると、少しでも活躍できなければ批判の的となる。それだけにケタ外れのプレッシャーの下で、普段通りに試合に挑む“タフ”な精神力が、ニューヨークで活躍する上では欠かせない。

 一方でトレイナー氏は、打者の松井秀、投手の井川に注目。「投手は1度の登板で結果を出せなければ、次のチャンスを得るまでに4日待たないといけない。だが、打者であれば翌日ばん回できるので、精神的には打者の方が楽なのではないだろうか」と興味深い持論を展開した。

 確かに、ヤンキースやメッツでは、ファンやメディアは選手の調子が上がるのをのんびり待ってはくれない。2、3度の登板で結果を出さないと焦りが生まれ、それが結果となって表れる。雑音が大きくなればなるほど、登板できない時間はストレスがたまる。逆に、打者は1日で不振を払拭(ふっしょく)し、周囲のブーイングを歓声に変えることができる。この理由だけで投手の方が不利とはいえないが、こういう側面もあることは確かだろう。

数少ない成功者「松井秀」

 ポール・オニール、ティノ・マルティネスらが支えた黄金時代が幕を閉じてから、ヤンキースは他球団のスター選手をかき集める戦略に転じた。その中で松井秀は、近年で唯一の成功例とも呼べる際立った存在だ。「普段はあまり目立たないが、打ってほしいと願うときに必ず結果を残してくれる選手」とジョー・トーリ監督は常々松井秀への信頼を口にする。また、ファンも松井秀を“クラッチヒッター”と認識しており、チャンスで打席がまわると声援は人一倍大きくなる。ジーターとまではいかないが、着実に“クラシック・ヤンキー”への階段を上がっていると言えよう。これも、毎年3割近い打率を残し、入団から3年連続100打点をマークし、昨年のけがを除けば、安定した成績を残してきたからに他ならない。トーリ監督が選手に求める「継続性」も、成功を勝ち取るための重要な要素だ。

 ヤンキースでは、ジョンソン、ケビン・ブラウン、ジェフ・ウィーバー、ホセ・コントレラス……。メッツでは松井稼、メルビン・モーラ、モー・ボーンら、ニューヨークという巨大な壁に跳ね返された選手は枚挙に暇(いとま)がない。そう考えると、やはり松井秀という選手の存在の大きさを感じずにはいられない。メディアはジーターが3割をマークしたからといって大騒ぎしないように、松井秀が100打点を記録しても大きなニュースにはしないだろう。活躍して当たり前と思われるようになってこそ、初めて「成功」という言葉が生まれてくるのだ。ニューヨークの地に降り立ち、そして去っていく選手を見るほどに、あらためて“松井秀喜”というプレーヤーの偉大さを実感させられる。年を重ねるごとに背中の“55番”が大きくなっているように見えるのは、決して錯覚ではないだろう。
スポーツナビ 菊田康彦 2007/08/06
松井秀、メジャー100号は「永久欠番」への折り返し!?
ヤンキース史上35人目の記録

 8月5日(現地時間)、ゴジラ100度目の咆哮(ほうこう)が炸裂した。ヤンキースの松井秀喜外野手がロイヤルズ戦の3回に今季22号本塁打を放ち、メジャー通算100号に到達。日本人選手としては、初の快挙を成し遂げたのである。

 同時にこれは、100年を超すヤンキースの歴史の中でも35人目の記録となった。第1号はもちろんあのベーブ・ルース。1920年にレッドソックスから移籍すると、いきなり当時の常識を覆す54本塁打をマーク。翌年にはこれをさらに上回る59ホーマーを放ち、球団史上初めて通算100本塁打をクリアした。ヤンキースでデビューした選手としては、史上最多のサイクルヒット3度を誇るボブ・ミューゼルが、1925年に達成したのが最初だった。

 ただし、メジャーデビューから引退まで一貫してヤンキースでプレーし、100本塁打を達成した選手となると、グッとその数が減って過去にわずか10人を数えるのみとなる(正式な引退表明をしていないバーニー・ウィリアムズは除く)。その中でもダントツの通算536本を放っているのが、スイッチヒッター最多本塁打記録保持者でもあるミッキー・マントル。次いで2130試合連続出場の“鉄人”ルー・ゲーリッグ(493本)、そして不滅の56試合連続安打で知られるジョー・ディマジオ(361本)がこれに続く。

松井と縁が深い“先輩”

 このヤンキース生え抜きの10人の中で松井と最も縁が深いのが、ヤンキース左翼手の先輩であり、読売ジャイアンツの先輩にも当たるロイ・ホワイトだろう。第1次長嶋政権最終年となった1980年に巨人に入団し、翌年の日本シリーズ第2戦では起死回生の逆転2ランを放つなど日本一にも貢献した「助っ人」は、1965年のメジャーデビューから15年間にわたってヤンキースで渋い働きを見せた人気選手でもあった。

 そのあたりは、大のヤンキースファンで知られる歌手のビリー・ジョエルが公演で日本を訪れた際、巨人でプレーしていたホワイト見たさに当時の後楽園球場に足を運んだ、というエピソードからもうかがい知ることができる。ちなみに巨人・ヤンキースの両球団で4番を打った経験があるのは、松井とホワイトのほかにはジェシー・バーフィールドだけだ。

ヤンキース永久欠番の“手形”

 松井もこのまま最後までヤンキースでプレーを続ければ、こうした先輩たちの仲間入りをすることになるわけだが、まだ33歳とあって今後は通算200号への期待も膨らむ。過去にヤンキースで200ホーマーした選手は12人いるものの、チーム一筋でメジャー人生をまっとうしてこの記録を達成した選手となると、前述のマントル、ゲーリッグ、ディマジオに、ドン・マッティングリー(222本、現ベンチコーチ)とビル・ディッキー(202本)を加えた5人しかいない(バーニー・ウィリアムズと現役のホルヘ・ポサダも達成)。しかも、全員その背番号がチームの永久欠番となっているだけに、この「ヤンキース一筋200ホーマー」は数字の上では永久欠番の“手形”とも言えそうだ。

 そう考えると、通算100本塁打に到達した松井は永久欠番への道のりをちょうど折り返したところということになるが、実際にはよほど突出した成績を残さない限り“数字”だけで永久欠番になれるものではない。必要なのはやはり“プラスアルファ”。前述の5人のうち、チームの低迷期にキャプテンとして奮闘したマッティングリー以外は全員ヤンキース世界一の立役者となっているだけに、まずはチームをワールドチャンピオンに導くようなインパクトのある活躍が求められる。開幕から苦しい戦いを強いられてきた今季、それを実現できれば、将来の永久欠番に向けて強力な追い風となるのは間違いない。
スポーツナビ 杉浦大介 2007/08/02
松井秀、「地味で堅実」からの脱皮 メジャーキャリアハイの月間13本塁打を記録
「パワー減退か」はうそのような活躍

 7月の松井秀喜の爆発ぶりは本当にすごかった――。

 この1カ月間の25試合で、なんとメジャーキャリアハイの13本塁打(打率3割4分5厘、28打点)。しばらく前には「パワー減退か」とささやかれたのがまるでうそのようで、同じく打撃好調の同僚ホルヘ・ポサダも、「驚異的なペースで打ちまくっているね」と驚嘆していた。

 7月31日(現地時間)のホワイトソックス戦では、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)だった月の最後を飾るにふさわしい2本塁打。アレックス・ロドリゲスの通算500号が見れず、がっかりと席に座ったファンたちを総立ちにさせる豪快な打球の連続だった。

「松井は波のある打者と言えるのかもしれない。だけど、一度調子に乗ってしまうと、本当に手がつけられない打撃をしてくれる。引っ張っても流しても、どちらもいけるから見ていて楽しい選手だね」
 過去4年間をともにしてきたデレック・ジーターもそう語り、現在の松井の調子に太鼓判を押す。

3割30本達成も十分可能

 8月2日には7月のメジャー月間MVPが発表されるが、アメリカンリーグの打者部門では松井がその最有力候補と目されている。7月の本塁打数がメジャートップだったことを考えれば、松井が選出されても文句はあるまい。もしも受賞となれば、日本人野手としてはイチロー以来2人目の快挙だ。

 また、今月の猛チャージに助けられ、松井の今季の通算成績も、本塁打と打点はともにキャリアハイを更新するペースとなっている。このままいけば、今季は一流打者の証(あかし)と言える3割30本塁打達成も十分可能だ。

 2007年、夏――。素晴らしい数字を積み上げ、月間MVPという大きな価値のあるタイトルの獲得も視野に入った。松井はここに来て、名実ともにリーグのエリート打者に近い領域に足を踏み入れつつある。

劇的にキャリアを変えるチャンス

 この絶好調期間が始まる約1カ月前のコラムで筆者は、「今季後半戦は松井のニューヨークでのキャリアを左右する重要な戦いの日々になる」と記した。当時は「開幕から続く不振脱出は急務」という意味で書いたのだが、ここしばらくの猛打でそんな懸念はきれいに吹っ飛んだ感がある。ファンや地元メディアの反応を見る限り、「松井は心配のいらない打者」という定評はすでに完全に取り戻された。

 それどころか、現在の打棒がこのまま続くなら、今後にはまた別の意味で「キャリアを変化させる」チャンスすら巡ってくるかもしれない。過去15年間、『ESPN』や『HBO』などでスポーツ実況を務めてきたベテランブロードキャスター、アルフレッド・ベハー氏はこう話す。

「これまでの松井は堅実さで評価されてきたけど、一方でジーターやロドリゲスらに比べて地味な存在だった。しかし、最近は本当にすごい勢いで打ち続けている。それと時を同じくして、ヤンキースがプレーオフに向けて追い上げを始めたことには大きな意味があるかもしれない。このままチームを救うような活躍が続けられれば、松井の価値と評価は劇的に高まるんじゃないかな」

デーモンを「ボストンの英雄」にした世界一

 ベハー氏が語ったことと同じような例を探すなら、レッドソックス時代のジョニー・デーモンが分かりやすい。デーモンは2002年にレッドソックスに移籍してくる以前から、すでに俊足好打の外野手として高く評価される存在だった。だが、彼が真の意味で「ボストンの英雄」となったのは、やはり04年の後半戦からプレーオフで鮮やかな活躍を続け、チームを世界一に導いた後だったろう。

「あの優勝のおかげで、地元ボストンはもちろん全米が僕のことを知ってくれて、僕に何ができるか気付いてくれたんだと思う。以降、僕はずっとチャンピオンなんだ。いま思い返しても素晴らしい出来事だったよ」

 2年半前の栄光の日々を振り返り、デーモンは筆者にそう語ってくれた。あの年のレッドソックスはとにかく奇跡的だった。シーズン後半から猛然と勝ち進んだ末に、プレーオフでは3連敗からの4連勝で宿敵ヤンキースを制圧。86年ぶりというだけでなく、何より勝ち上がり方が劇的だっただけに、デーモンを始め当時のメンバーは英雄としてあがめられたのだった。

2000本安打よりも価値の高い月間MVP

 そして、それと似たような道のりを今季のヤンキースもたどろうとしている。一時は地区首位に14.5ゲーム、ワイルドカード争いでも8ゲームもの大差をつけられながら、そこから追い上げ体勢に入った。もし、ヤンキースがこの逆境を跳ね返してプレーオフに進出し、そこでも勝ち上がることができたら? そして松井が現在の絶好調を保ち、そのミラクルの立役者となったなら……?

 これまで野球に限らず、NBAやNFLでも数々のヒーロー誕生を見守って来たベハー氏はこう語る。
「アメリカのスポーツファンは劇的な逆転劇が大好きだし、特にニューヨークのファンはなおさらだ。その原動力になった選手は、間違いなくヒーロー的扱いを受ける。今季にそれを成し得れば、今までやや地味だった松井の名声も、次の段階に進む可能性があるんじゃないかな」

 メジャーの並みいる強打者たちをりょうがするパワーの末に、松井は明日(2日)にも7月の月間MVPを獲得しようとしている。個人的には、それは日米通算2000本安打よりもはるかに価値の高い偉業と考える。しかし波乱の今シーズンが終わるころには、そんなタイトルも小さな通過点として考えられているのかもしれない。

 チームが追い上げ体勢に入った時期の打撃爆発は、タイミング的に最高。このまま前進を続け、ヤンキースをプレーオフに導き、松井はメジャーリーガーとして「次の段階」に進めるのか。メジャー5年目のゴジラ松井に大きなうねりが起ころうとしている。
スポーツナビ 杉浦大介 2007/08/01
松井秀から生まれた新たな伝統 3度目を迎えた「インターナショナル・フレンドシップ・プログラム」
夏のニューヨークの恒例イベント

 通算3度目を迎えた「松井秀喜のインターナショナル・フレンドシップ・プログラム2007」がことしも盛大に行われている。

 米大リーグ・ヤンキース傘下のスタテンアイランド(SI)・ヤンキースが企画、松井が全面バックアップし、日米の子どもたちの交流を促進するこのイベント。3年連続となれば人々にもなじみとなり、すっかり夏のニューヨークの恒例となった感がある。
 スタテン島と松井の故郷、石川県金沢市のリトルリーグチームが1年ごとに海を渡るが、ことしは金沢リトルがニューヨークに来る年。日本の少年たちは7月27日(現地時間)に到着、新しい出会いと発見を繰り返し、生涯の思い出となるだろう日々をニューヨークで過ごしているのだ。

子どもたちにさまざまなな体験を

「ニューヨークは世界中のさまざまなもの、世界中のエネルギーが集まっている場所だと思います。だから、何よりもそんなエネルギーを感じてほしい。街を少し歩いてみて、流れる空気を吸うだけでも感じるものはあるでしょう。ニューヨークの熱い空気は実際に来て感じてみないと分からないものだと思います」
 今回のプログラム開始を前にしたインタビュー時、松井は子どもたちにそんなメッセージを送ってくれた。

 その言葉通り、日米の子どもたちはこの旅中に、ニューヨークでさまざまなことを体験できる運びになっている。交流試合とバーベキュー大会に始まり、市内観光、SIヤンキースのマイナーリーグ観戦、ニューヨーク・ヤンキースの試合観戦、さらには国連訪問、松井も出席しての交歓会……。盛りだくさんの内容には圧倒されるばかりだが、すべては発起人の白井孝明さん(SIヤンキース職員)と、そして松井の尽力によるもの。
「素晴らしい経験をさせてくれて、子どもたちに夢を与えてくれる松井選手に感謝します」(金沢リトル・押切勝康監督)
「松井は子どもに優しい、心の広い選手だ。ヒーローとの交流は財産だよ」(SIリトル・ビル・クレイパック監督)
 参加した両チームの監督も、それぞれ目を輝かせて喜びを語ってくれた。子どもたちだけではなく、周囲にいるすべての人々にとっても、この夏の日々は忘れられない財産となったはずだ。

子どもたちがホームランをリクエスト

 イベント全体のハイライトは、7月30日に国連本部で行なわれた子どもたちと松井の交歓会だ。
 29日の交流試合で見事な完封勝利を挙げた金沢リトルの河本朋和くんが、松井へのメッセージを読みあげた。前日には「あれ、(松井さんと会うの)あしたでしたっけ?」と、とぼける大物ぶりをみせた河本くんは、ここでも堂々と「あしたはホームランをよろしくお願いします」と松井にリクエスト。
 また、特別参加した大島賢三国連大使も「皆さんのうちから何人かは将来、松井選手のようなメジャーリーガーになるでしょう」とコメントするなど、和やかに盛り上がる中で会は進んでいった。

「僕が子どものころを思うと夢のようなイベントです。ここで感じたこと、学んだことを生かしてください」
 最後に子どもたちに笑顔でそう語りかけた松井は、少年時代には野球教室などで日本のプロ野球選手と触れ合うチャンスは一度もなかったという。そんな松井にとっても、自らが関わった国際交流の機会が成功し、浸透していることの意味は大きいに違いない。

 そして翌日(今夜)の試合では、前日にせがまれた約束を守り、見事に2本のホームランを放った。それはまるで物語のようで、海を渡ってやって来た子どもたちへの最高のプレゼントとなったことだろう。

「続けられる限り続けていきたい」

 実際に、冒頭でも述べたように、世界をまたにかけたこのプログラムはもうすっかり夏の定番となった感がある。数を重ねたためか運営もスムーズで、目新しいトラブルもない。そして松井は来年以降の協力も確約している。

「続けられる限り続けていきたいし、僕も力になっていけるならうれしいです」

 こうやって成功を重ねれば、松井の願い通り今後もニューヨークの恒例イベントとして続いていくはず。そして大島大使が語ったように、いつかこのプログラム出身者から本当にメジャーリーガーが誕生する日が来ても不思議はない。日本から世界はもう決して遠くはないのだ。
 松井が起点となり、金沢市とスタテン島が仲介地となって、静かに生まれたムーブメント。子どもたちの真夏の国際交流を通し、日本とニューヨークの間に新たな伝統が生まれようとしている。