Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

スポーツナビ 梅田香子 2005/06/16
松井秀の“モンスター伝説”は続く
梅田香子の『メジャー交友録 2005』 VOL.17
松井秀とイチローのメディア対応の違い

 危なく連続試合出場記録が途切れるところであった。
 ミルウォーキー、セントルイスと続いた中西部遠征の最終日は、松井秀喜の31回目の誕生日。試合前は報道陣からプレゼントされた誕生日ケーキの前でポーズをとってくれた。春季キャンプ中ならともかく、シーズン中はなかなか頼みにくいものなのだけれど……。

 こういうところがイチローから、
「松井は報道陣を甘やかし過ぎる。あれでは記者が育たない」
 と忠告されるゆえんなのであろう。
 松井秀らしいといえば松井秀らしいし、イチローらしいといえばイチローらしいと言える。
 オリックス時代からイチローは球団のカレンダーひとつをとっても、自分の写真は入念なチェックを怠らなかった。それがたまたま知らないカメラマンの作品だったりすると、ジムでのトレーニングの合間に面接までした。もちろん当のカメラマンはイチローに会えたのだから、大喜びであった。

 ただし、松井秀の名誉のために付け加えておくと、彼のせいで記者が育っていないというのは事実ではない。巨人の親会社が新聞社だったせいもあるが、松井秀の周辺にいた力のある人たちは、次々と独立して活躍している。

マスコミの向こうにファンがいる

 今回ミルウォーキーではスタメンを外れたこともあり、
「自分の考えているところにバットが出ていない。これはもう打ち込むしかない」
 セントルイスでは気温35度という、信じられないような猛暑の中、午後2時半から早出特打を行った。
「暑さに強いんですよ。元高校球児ですから」
 と松井秀は常々語っているが、打撃練習に付き合ったトーレ監督もドン・マッティングリー打撃コーチもジョギングのような格好をして、汗だくなりながら、
「ヒデキは本当に暑さに強い」
 とあきれ果てていた。

 暑さといえば、北米の場合、日差しがかなりきつい。幼稚園児用のサイングラスもスーパーマーケットにはずらりと売り出される。イチローもマリナーズ入りしたばかりのころは、
「試合では必要ないでしょう」
 ところが、実際にデーゲームだと眼が疲れて充血してくるから、かけずにいられなくなり、そのおかげでかっこいいイメージが定着した。

 松井秀も今まで高橋尚子と同じサングラスを試したり、球団の方で用意されたものをかけて、
「ほーら、似合うでしょう」
 と喜んでみたり、今までさまざまなタイプのものを試してきたのだが、
「僕は頭が大きいから、なかなか合うものがないんですよ。子供やファンをがっかりさせたくないんですけど」
 松井秀の頭の大きさは今までヤンキースのチーム内で、散々ジョークのネタにされてきた。
 ついにスポンサー契約している運動具メーカーの方で、松井秀のオリジナル製品が製作されることになった。
「子供のファンは大事にしたい。彼らをがっかりさせたくない。一人一人のファンには会えないから、僕の気持ちを代弁してくれるマスコミの人たちの仕事は尊重したい」

 そういうポリシーだから松井秀は稚拙な質問であろうと、疲労がピークに達していようと辛抱強く、連日インタビューに応え続けているのだ。

やっぱり松井秀は鉄人だった

 さて、スランプ気味で松井秀が消沈気味だった時期、イチローは、
「松井は松井しかできないことをやればいいんだ。いっそゴジラらしく、壁にぶち当たって破壊してしまうとか」
 と励ましたそうだ。

 いずれにせよ、親はなくても子は育つ、という言葉はあるが、スター選手が活躍してくれなければ、スポーツライターは育たない。それだけに松井秀が外野守備で足をねんざしたときは、日米問わず全記者が一瞬、凍りついた。
「あまりいい誕生日ではありませんでした。ケガはするし、試合は負けるし」
 と松井秀が珍しく弱音を吐いたのも道理で、右足首はみるみると腫れ上がり、サンダル履きで球場を後にしなければならなかった。

 足首は骨も腱も筋も大小いろいろな形のものが複雑に詰め込まれているので、ねんざにしても骨折にしても厄介だ。レントゲンでは骨の異常が認められなかったが、はく離骨折というのはたいてい、3週間以上たってからではないとレントゲンには写らない。
 ホワイトソックスの主砲フランク・トーマスがいい例だ。昨年の6月頃からてっきり左足首の炎症だと思い込んでいたのに、なかなか痛みも腫れもひかなかった。テーピングで固定しながら試合に出ていたら6月末さらに悪化させてしまい、7月6日以降欠場するようになった。10日後、ようやくMRI検査で疲労骨折が見つかった。もっとも早い段階で見つかっていたら、3週間も固定すれば、くっついたはずだ。ところが、すでに正常な筋肉の間に細かい骨の破片が入り込んでしまったため、炎症と痛みが激しく、結局トーマスは手術することになった。そのため昨年の終盤から今年の開幕にかけてリハビリを余儀なくされてしまったのである。

 松井秀は足首をケガした時点で、日米通算1634試合出場を続けていた。巨人にいたときから、
「ある意味でホームラン以上に自分の中では高い価値観をおいていました。いつも試合に出ていたいから、準備を万端に整える。そういう自分に誇りを感じていました」
 と語っていたのだが、
「チームに迷惑をかけたくない。連続試合出場より、そのことが大事。足のケガがひどかったら監督の判断に従いますけど、出れるか? と聞かれたら、出れると答えます」
 ケガしてから約48時間後に自己治癒がはじまると聞いていたが、松井秀のねんざも劇的に腫れがひき始め、14日のパイレーツ戦では指名打者(DH)でスタメン出場。第5号ホームランを放ち、首脳陣を驚かせた。やっぱりゴジラはゴジラで、モンスターだった。