スポーツナビ 杉浦大介
2005/07/26
松井秀を動かした一人の日本人
松井秀を招いて行われた“ジャパニーズ祭り”
ニューヨークで暮らす日本人で、スタテンアイランド・ヤンキース(以下、SIヤンキース)の名を知らない者はもうそれほど多くはいないだろう。MLBの盟主ニューヨーク・ヤンキースのマイナー組織(1A)だというのも、確かにその理由の一つではある。だがそれ以上に、日本人球団職員・白井孝明氏(28歳)の地道な努力こそが、このチームが地元に根付いた最大の原因に違いない。
7月25日(現地時間)、月曜日。マンハッタンからフェリーに乗ってたどり着く海沿いのスタジアムで、白井さんの1年越しのビッグプランが実現した。松井秀喜選手を招いて、数々の日本風イベントを満載にして、盛大な「ジャパニーズ祭り」が開催されたのである。
入場ゲートでは扇子とおしぼりが配られ、ちょうちんで装飾されたコンコースではお面やヨーヨー、日本食を販売。まさに縁日風に演出されたスタジアムは壮観だった。また、試合前にはフィールド上で和太鼓のパフォーマンスや、神主を招いての神道儀式まで行われた。そして極め付きは、日本の英雄・松井による始球式である。これだけイベント盛りだくさんなら、球場を埋め尽くした約5000人の観衆も大いに満足したことだろう。そして、このお祭りの仕掛人となったのが、SIヤンキースのセールス・マネージャー、白井孝明さんなのだ。
白井さんのロマンとは?
「本当に面白いソフトだと思うんですよね。選手になじみはなくとも、海沿いのきれいな球場で、迫力あるプレーを間近で観ることができる。観戦に来てくれた人からは、試合後にはたいていポジティブな感想が頂けていますよ。今後に向けてのアイデアはたくさんあります。もっと多くの人に、この楽しいマイナーリーグ観戦を体験してほしいですね」
そう語る白井さんの今回のイベントに対する努力は、並大抵のものではなかった。数々のアトラクションの考案はもちろん、チケットセールスや、営業、雨天時のシート引きまで一手にこなす。SIヤンキースは、プロ野球とはいえ日本流に言えば6軍である。選手たちはまだ子供のような風ぼうだし、プレーも荒削り。運営面でもマイナーリーグ故の苦労は多い。しかし、MLBのメッツからも誘いのあった白井さんは、あえてこのチームを職場に選んだ。チーム運営の根本から関わることができる。選手たちの成長と共に自分も大きくなれる。ムーブメントの火付け役になることもできる。それ故に、やりがいもある。いわゆる男のロマンである。
今後への大きな通過点
そして、そんな白井さんに要請され、この日に始球式のマウンドに立った松井にとっても、今回のイベントへの参加は感慨深いものだったろう。
「日本という国に対して少しでもいい印象を持ってもらいたい。それに自分が役立てるのなら本当にうれしいし、何より子供たちの役に立ちたい。そう思って、協力を決意しました」
記者会見でそう語った松井は、ロッカールームで、故郷・石川県のリトルリーグチームの選手たちと対面した。また、地元ニューヨークのリトルリーグ選手たちとも交歓した。そんな時間に、子供好きな松井の表情はいつにも増して優しげに見えた。
「ニューヨークに来て、こちらの子供と交流して、ヤンキースの試合も観れて――子供たちにとって夢のような時間だったんでしょうね。野球も勉強も頑張ってねって伝えました」
子供たちには一生の思い出となったことは間違いない。しかし彼らと過ごした時間は、松井にとっても、また新たなエネルギーを生み出す貴重なものだったのかもしれない。
白井さんの音頭に松井が賛同して行われた「ジャパニーズ祭り」は、誰にとっても幸福なまま幕を閉じた。
「このイベントは、来年以降も必ず続けて行きたいです」
大盛況の最中に、白井さんはそうも語った。真夏の夜に行われた「ジャパニーズ祭り」は、彼にとっても、松井にとっても、小さな夢の実現であり、何より今後への大きな通過点だったのだ。
小さな島から生まれた、新しいムーブメントの行方を、今後も確かに見守って行きたいものである。
ニューヨークで暮らす日本人で、スタテンアイランド・ヤンキース(以下、SIヤンキース)の名を知らない者はもうそれほど多くはいないだろう。MLBの盟主ニューヨーク・ヤンキースのマイナー組織(1A)だというのも、確かにその理由の一つではある。だがそれ以上に、日本人球団職員・白井孝明氏(28歳)の地道な努力こそが、このチームが地元に根付いた最大の原因に違いない。
7月25日(現地時間)、月曜日。マンハッタンからフェリーに乗ってたどり着く海沿いのスタジアムで、白井さんの1年越しのビッグプランが実現した。松井秀喜選手を招いて、数々の日本風イベントを満載にして、盛大な「ジャパニーズ祭り」が開催されたのである。
入場ゲートでは扇子とおしぼりが配られ、ちょうちんで装飾されたコンコースではお面やヨーヨー、日本食を販売。まさに縁日風に演出されたスタジアムは壮観だった。また、試合前にはフィールド上で和太鼓のパフォーマンスや、神主を招いての神道儀式まで行われた。そして極め付きは、日本の英雄・松井による始球式である。これだけイベント盛りだくさんなら、球場を埋め尽くした約5000人の観衆も大いに満足したことだろう。そして、このお祭りの仕掛人となったのが、SIヤンキースのセールス・マネージャー、白井孝明さんなのだ。
白井さんのロマンとは?
「本当に面白いソフトだと思うんですよね。選手になじみはなくとも、海沿いのきれいな球場で、迫力あるプレーを間近で観ることができる。観戦に来てくれた人からは、試合後にはたいていポジティブな感想が頂けていますよ。今後に向けてのアイデアはたくさんあります。もっと多くの人に、この楽しいマイナーリーグ観戦を体験してほしいですね」
そう語る白井さんの今回のイベントに対する努力は、並大抵のものではなかった。数々のアトラクションの考案はもちろん、チケットセールスや、営業、雨天時のシート引きまで一手にこなす。SIヤンキースは、プロ野球とはいえ日本流に言えば6軍である。選手たちはまだ子供のような風ぼうだし、プレーも荒削り。運営面でもマイナーリーグ故の苦労は多い。しかし、MLBのメッツからも誘いのあった白井さんは、あえてこのチームを職場に選んだ。チーム運営の根本から関わることができる。選手たちの成長と共に自分も大きくなれる。ムーブメントの火付け役になることもできる。それ故に、やりがいもある。いわゆる男のロマンである。
今後への大きな通過点
そして、そんな白井さんに要請され、この日に始球式のマウンドに立った松井にとっても、今回のイベントへの参加は感慨深いものだったろう。
「日本という国に対して少しでもいい印象を持ってもらいたい。それに自分が役立てるのなら本当にうれしいし、何より子供たちの役に立ちたい。そう思って、協力を決意しました」
記者会見でそう語った松井は、ロッカールームで、故郷・石川県のリトルリーグチームの選手たちと対面した。また、地元ニューヨークのリトルリーグ選手たちとも交歓した。そんな時間に、子供好きな松井の表情はいつにも増して優しげに見えた。
「ニューヨークに来て、こちらの子供と交流して、ヤンキースの試合も観れて――子供たちにとって夢のような時間だったんでしょうね。野球も勉強も頑張ってねって伝えました」
子供たちには一生の思い出となったことは間違いない。しかし彼らと過ごした時間は、松井にとっても、また新たなエネルギーを生み出す貴重なものだったのかもしれない。
白井さんの音頭に松井が賛同して行われた「ジャパニーズ祭り」は、誰にとっても幸福なまま幕を閉じた。
「このイベントは、来年以降も必ず続けて行きたいです」
大盛況の最中に、白井さんはそうも語った。真夏の夜に行われた「ジャパニーズ祭り」は、彼にとっても、松井にとっても、小さな夢の実現であり、何より今後への大きな通過点だったのだ。
小さな島から生まれた、新しいムーブメントの行方を、今後も確かに見守って行きたいものである。