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Columnコラム

読売新聞 松井が燃える 2006/05/31
前向きとノーテンキの差
 自宅マンションの室温が少し高くなった。ニューヨークの気候のせいじゃなくて、全身の毛穴が四方八方に熱をまき散らしているからだ。苦悶(くもん)の表情は、左手首の痛みと無関係。筋肉が負荷に耐えようと、悲鳴を上げたのだ。

 神経と筋肉のつながりを重視し、体の動きにキレを与える狙いで長年、取り組んできたトレーニングがある。「(指導する)先生が日本から来てくれた」21日、これを本格的に再開した。午前9時ごろに起床し、同11時から約1時間、体をいじめる。昼食、休憩を挟んで夕方に1時間、また鍛える。「左手を地面に着けないこと以外、けがする前と同じメニューだよ」

 夜、ヤンキース戦のテレビ中継を眺めながら、テーブルの上に積んだ小魚を口へ放り込む。効率良くカルシウムを吸収するため、ビタミンやコラーゲンの摂取とともに、何杯も牛乳を飲む。ウナギの骨をバリバリとかじる。画面に映し出される世界へ、1秒でも早く加わると誓い、未来だけを見つめている。

 「ドクターに『骨、折れてます』って言われてね。すぐに『復帰へのプランは、どうすっかな』と考えた」らしい。プラス思考は天性の能力か――。

 「いや、前向きになるって、けっこう難しいと思うんだよ。ノーテンキとは根本的に違うしね」


 あえて過去を振り返るなら、連続試合出場が止まるまで、「おれの中に二人の松井秀喜がいた」そうだ。

 まず、「チームが勝つための力になりたいと、本来の目標を追う自分だよね」

 ひと息、ついた。

 「そんで、『記録を続けさせてやりたい』と気遣う人たちにこたえようとする、もう一人の自分。こっちはね、記録にこだわって無意識のうちにけがを恐れながらプレーするとか、チームにとってのマイナス部分を生んだケースが、あったと思う」

 手術後の会見。「(記録継続を)サポートしてくれた方々の気持ちを考えると残念ですが、ぼく自身は、そうでもないです」と乾燥した声で言葉を並べた。

 周囲の期待を背負った「もう一人の自分」は存在する意味を失い、ふらりと姿を消した。松井秀はやっと肩の荷を下ろせた――。

 実のところ、この解釈は核心を突いていない。歯ぎしりするぐらい悔しくて、身もだえするほど切なくて、「そんな感情も確かにあったよね。『もう一人の自分』とはいえ、すごく大事にしてたし……。けど、吹っ切らなきゃなんないから、ああやって(記録に対し冷たくして)みせたのかもしれない」

 さらに、「いずれ『もう一人の自分』は帰ってくるんだよ」と苦笑した。どんな価値観を携えて戻ってくるのか、すでに知っているという。


 もう一人の背番号「55」は、「前向きとノーテンキの違い」に関するカギを握ったまま、旅に出ている。記者は“彼”を捜し当て、次回に登場してもらうことにした。(田中富士雄)
読売新聞 松井が燃える 2006/05/18
窮地に新境
 地震、雷、火事、おやじ、「おやじを除いて全部、怖い」し、蛇が苦手で、お化けの存在を思い浮かべると背筋が寒くなる。「体はでかいけど結構、憶病」なのは、ちょっと情けないので秘密にしておいた。

 だから、公の場で弱みをさらけ出すなんて、実に珍しい。

 「ここまで、すべて順調だった気がするんです。『いつか、こういう(プレーできない)日が来るんじゃないか』って、どこかでおびえている。そういう自分もいたような気がします」

 骨折した左手首の手術を終え、16日に臨んだ会見。私服の左打者は「また違った心境で(野球を)やれるかもしれません」と続け、ひと皮むけた31歳の姿を周囲に印象付けた。

 ただし、これは意識の奥深くに巣くうおびえを振り払ったのでなく、多分、新たに襲いかかる恐怖に対して精いっぱい強がり、我が身にムチを打つセリフだった。


 「プロ入りして、どうしようもない窮地に立たされたって記憶はないんだよ。ポキッと折れるような状況に陥って、再びはい上がれるか。正直、分からない。未体験の世界だしね。おれは『折れない強さ』を磨くしかないよ」

 巨人に所属した4年前、三冠王を期待されるほど打ちまくる中で、記者に明かした背番号「55」の弱点だ。

 1999年の夏、右わき腹に肉離れを起こしたけれど、野球の神様は、プレーする楽しみを奪わなかった。メジャー移籍後の昨年6月、右足首のねんざに見舞われても、ファンの前に毎日、顔を出せた。「折れない強さ」の、なせる業だった。

 ところが、5月11日、文字どおりに「折れた」。

 運び込まれた病院で、ベッドに横たわり、激しい痛みに耐えながら、長期離脱を覚悟した。雨粒が窓をたたき、時折、雷鳴がとどろく。外は嵐になっていた。


 「ホームランを打ったって、試合に負けたらうれしくない」と口をとがらせてきた負けず嫌いが、打線不発で敗れるチームを正視できるのか。

 「あいつが欠けたら、チームが成り立たない。そんな風に言われる選手でありたい」と願う男が、逆に楽々と勝ち進む仲間たちを、心に一点の曇りもなく祝福できるのか。

 「技術的な挫折はね、頑張れば解決する。何てことないよ」と信じる努力家が、日ごとに細くなっていく左の腕を目の当たりにして、平常心を保てるのか。

 そして松井秀喜は、折れた野球人生を完璧(かんぺき)に接合する“再生力”を、備えているのか――。

 ユニホーム代わりに白いシャツを着たスラッガーは会見で、「今まで以上のパフォーマンスというぐらいの気持ちで、今季中に戻って来たいと思っています」と宣言した。

 とくと見せてもらおう。レベルダウンして復帰するのは許さない。これは、記者からの挑戦状である。(田中富士雄)
読売新聞 松井が燃える 2006/05/03
剛腕ハラデーに“片思い”
対決成長の物差し

 体の回転軸となる左足をバッターボックスの、ぎりぎりまで捕手寄りの場所に据えて少し考え、不思議な動きを見せた。その左足を投手側へずらし、あらためてセットし直し、バットを構えたのだ。

 近年のテーマは「できる限り長くボールを見る」。わざわざ相手との距離を縮めるなんて、やっぱりおかしい。記者の目の錯覚か。

 「いや、確かに前へ出た。『彼』はね、思い切ったことを試さないと、打てるピッチャーじゃないんだよ」

 彼――。ブルージェイズのロイ・ハラデーは、2003年にサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)を獲得した剛球右腕。150キロを超えるボールが、ときにカット・ファストボール(カッター)となって懐へ食い込み、あるいはシンカーとなって逃げるように滑り落ちていく。一定の軌道から、どちらへ変化するのか、予想するのは極めて難しい。

 4月28日の今季初顔合わせ。ひそかにカッターを捨て、シンカーに狙いを絞った。ボールが遠ざからぬうちにさばこうと、立つ位置を変えた。

 第1打席の3球目、絶妙のシンカーに手を出せず、ストライク。カウント2―3で、6球目もシンカー。「反応しても凡打になる」素晴らしい球だから、あえて見送った。判定に耳をそばだてた。


 3年前の大リーグデビュー戦で、初打席に初安打、初打点を記録したとき、マウンドにいたのがハラデー。「あれは、ラッキーだっただけ」。以来、一流投手の典型を尋ねられるたびに、「彼」の名を挙げた。

 ただ、ライバルかと問われたら「違う」と答える。永遠の好敵手は、自らの理想像。しかも、「互いに認め合ってこそ、ライバルと言える。ハラデーは世界でも屈指のピッチャーだしね」。

 つまりは“片思い”。そのせいか、「毎回、出会うのが楽しみなんだ」。

 メジャーの壁にぶつかり、悩み、バットを振り、ハラデーとの対決を物差し代わりに、「松井秀喜」の成長の度合いを判断する。家の柱の前に立って背丈を測る子供が、刻んだ傷の高さを眺めて喜ぶ感覚に多分、それは似ている。


 さて、フルカウントで向かってきたシンカー。審判は「ボール」と宣告した。「試合中は真剣。後で冗談めかして考えた。『ハラデーから四球。これはガッツポーズ級の勝利だな』って」

 実は戦いを控え、「ゴロを打たされたら、おれの負け。フライかライナーならアウトでも、おれの勝ち」と一方的に決めていた。四回の第2打席は、3球目のシンカーを引っ掛け、ボテボテのゴロ。これが幸運にも内野安打となった。

 今回は1勝1敗ということで……。

 「おいおい、ヒットだよ、ヒット。勝ちでいいじゃん」と記者に抗議し、小声で付け加える。「そりゃあ、内容は完敗だけどさ」

 “両思い”になる日、いつになりますやら――。(田中富士雄)