Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

読売新聞 松井が燃える 2006/08/30
「うまくなってるかも」
 ボストン、シアトル、アナハイムと遠征地を回り、ニューヨークへ戻ったら、ひんやりとした風に肌をなでられた。まだ8月下旬なのに、公園の木々の、ところどころに黄色い葉が交じっている。

 この街の夏は、腹立たしくなるほど短い。「あっという間に寒くなるんだろうなあ」とぼやいたのは、焼けるような日差しを思い出したせいだったか。

 さかのぼって今月9日、リハビリのために滞在していたフロリダ州タンパ。現地で過ごす最後の夜に、「結果は分かんないけど、可能性って意味で言うならね」と切り出した。

 「おれ、うまくなってんじゃないかと思ってんの」

 ホテルの一室でソファから腰を上げ、傍らのバットを手に取って、さり気なく振り始めた。


 今年の打撃フォームの改良点については以前、この連載で紹介した。

 例えば、足の使い方。昨年はオープンスタンス気味に構え、三塁側へかぶせる意識で右足を出していたが、メジャー4年目は同様に構え、投手へ向けて真っすぐに踏み込むよう心掛けた。できる限り長くボールを見た上で強くスイングするため、バランスを調整したと理解すればいい。

 せっかくつかんだ感覚だから、負傷した後も維持に努めて……。いや、それどころか松井秀は、さらに工夫を加え続けていたらしい。再びタンパ。緩やかな素振りが、背番号「55」の新たな姿を浮き彫りにしていた。

 体の回転軸になる左足のつま先が、少し捕手側へ開いている。「うん。体重が軸足に残りやすいかなって考えてね」

 右足の上げ幅が、春先と比べて小さい。「だね。強くステップすると、どうしても体が前に突っ込むでしょ。ゆっくり、軽く(足を)上げていく。そんで止まったときに、しっかり『間』(ま)がある。たまったパワーが一気に爆発する。そんなイメージ」

 驚かされるのは苦境に陥って、じっと耐えるのではなく進歩を求めた姿勢だ。

 「そうかな。ふつうでしょ。バッティングも毎年、何かしら変えてきた。同じだったことなんて一度もない。今、下半身を中心にやってんのもね、けがしたからっていうんじゃなくて、常にいいものを探してるだけなんだよ」


 22日、両手での打撃練習を医師に許可された。23日にティー上のボールを打ち、27日からトスされる球もさばいている。

 実は「バットが重く感じて、明らかにスイングのスピードが落ちている」し、「笑っちゃうぐらい、打ち損じが多い」けれど、徹底的に足腰を鍛えたお陰で、不安や焦りに押しつぶされることもない。「可能性って意味で言うならね」と、また鼻を膨らませた。

 「おれ、うまくなってんじゃないかと思ってんの」

 まもなく、フリー打撃を再開する見通し。戦いの場へ帰る日は、確実に近づいている。(田中富士雄)
スポーツナビ 杉浦大介 2006/08/23
松井秀喜はヤンキース最後のピース 復帰までのカウントダウン
ニューヨーカーは忘れていない

 ついに、というべきか。松井秀喜が復帰に向けて本格的に動き出すときが来た。ニューヨークで診察を受けた22日(現地時間)、両手での打撃練習にゴーサインが出た。これから先、ティー打撃、フリー打撃と徐々に段階を上げていく。一時は危ぶまれた今季中の復帰への望みが、再び生まれて来たのだ。
「痛みはほとんど感じなくなっているし、気になる所はほとんどない」(共同通信の談話より)と語る松井本人の言葉通りなら、フリー打撃も遠からず開始できるかもしれない。

 今から本格調整に入るとすれば、メジャー昇格は9月中旬あたりか。もしもその時期に戻れるのなら、実戦で慣らす時間もまだ充分にある。現在のヤンキースの戦いぶりを見るかぎり、そのころには地区優勝をほぼ確実なものとしている可能性が高い。だとすれば、出場機会を得るチャンスも多いはず。すべてがうまく運べば、その先に控えるプレーオフではほとんど全快に近い状態で臨めるかもしれない。

 最近では、回復の遅れから、地元ニューヨークでも松井の今季中の復帰を危ぶむ声が多かった。ジョー・トーリ監督やブライアン・キャッシュマンGMの口ぶりも、「松井抜き」の秋を覚悟しているように感じられた。しかし前回のコラムで書いたように、ニューヨーカーは松井を決して忘れてはいない。復帰が近いという話が広まれば、待望論も再び大きくなって来るだろう。

 準備は整い始めている。秋に向けて、また新たな夢が見られそうだ。

地元紙が“ドリームチーム”と形容

 それにしても、序盤戦はやや苦戦したヤンキースだが、ここにきてすべての面で彼らに追い風が吹き始めた感がある。後半戦絶好調で地区首位を快走し、投手陣は先発、ブルペンともに安定。打線はきれいにつながり、そして松井やオクタビオ・ドテルらの故障者まで回復――。特に、敵地で迎えた宿敵レッドソックス戦での5連勝は、全米の野球ファンに「ヤンキース強し」を印象付けるに十分だった。

 地元紙『ニューヨークポスト』は現在のヤンキースを形容するのに“ドリームチーム”という見出しを使った。今の彼らにはそんなオーバーな形容さえもふさわしく思える。攻守のバランスを考えれば、過去6年間で最高のチームと言えるだろう。トレード期限にボビー・アブレイユを獲得して以降、打線はほぼ理想的と言えるものとなった。

 1~3番のチャンスメーカー(ジョニー・デーモン、デレック・ジーター、アブレイユ)はひたすらファウルで粘り、中軸にはジェイソン・ジアンビー、アレックス・ロドリゲスらの長距離砲がどっかと居座る。続くロビンソン・カノは、2年目で早くもメジャー最高レベルのスプレーヒッター(どの方向にも自由自在に打ち分ける打者)に成長しているし、ミルキー・カブレラも勝負強い。新旧、剛軟が入り交じり、必要とあらばスモールボールも展開できるオーダーだ。

最高のチーム支える最高のブルペン

 投手陣に目を移しても、先発3本柱(ランディー・ジョンソン、マイク・ムシーナ、王建民)に加え、ブルペンの安定が何より大きい。ジョー・トーリ指揮下でワールドシリーズ3連覇を果たしたころ(1998~2000)のヤンキースにとって、継投策が重要な武器だった。その流れをくもうと、過去数年間、ヤンキースは「マリアーノ・リベラへの橋渡し役」を必死に探し続けてきた。
 しかし、適役はそう簡単に見つかるはずがない。結局、終盤戦やプレーオフの修羅場になると、トーリ監督は条件反射のようにリベラの名を呼ぶしかなかった。

 それが、今季の人材豊富さはどうだろう? 101マイルの豪腕カイル・ファーンズワース、トーリ監督の信頼が厚いスコット・プロクター、デービッド・オルティーズ(レッドソックス)を見事に封じた左殺しマイク・マイヤーズ、長いイニングもいけるロン・ビローン。これに加えて、ドテルも徐々に調子を上げてくるだろうし、長いケガに苦しんできたカール・パバーノまで間に合うかもしれない。

「過去6年間で最高のチーム」とは、そのまま「最高のブルペン」と言い換えることもできる。より強力なブルペンを手にしたチームが、プレーオフでは絶対有利。それはMLBの歴史が証明しているのだ。

ロドリゲスらにないものを持つ「55」

 機は、おそらく熟したのだろう。
 スターのパワーばかりに目がいき、ここ数年はおざなりになっていた選球眼、ブルペンといった部分が今季は補強された。「勝利」だけを追い求めるプロ集団が、ついにブロンクスに誕生しつつある。
 王座奪還のために、ヤンキースが必要とする部分はもうそれほど多くはない。その中で、あえて足りない点を探すとするならばジアンビーやロドリゲスにはない、プレーオフでの実績を持ったスラッガー。大舞台で結果を出せる「RBI(打点)マシン」くらいだろう。
 そして、その存在となるべく、ヤンキースの「最後のピース」こそ、復活を期す「背番号55」なのだ。

 ヤンキースが王座を逃し続けて5年が過ぎた。ニューヨーカーにとって、永遠に感じるほど長い年月だった。だが06年、空白の日々は終焉(しゅうえん)を迎える。もうすぐ、豊潤の秋がやって来る。
読売新聞 松井が燃える 2006/08/16
チーム安泰「覚悟ある」
 例えばツツジのように、しなびても、色あせても散るまいと踏ん張る花の姿に美しさを感じる。一方で、満開の余韻に浸らず、平然と花びらを落とす桜の潔さも捨て難い。

 「どっちも好きだよ。野球に結びつけるなら、しぶとくプレーして粘り強く技術を追求して、そうありたい。でも、腹が据わってるという意味ではね、桜みたいな心の準備をしておくべきだと思ってんの」

 心の準備――。

 多分、「覚悟」と言い換えた方がファンに伝わるだろう。


 12日の試合前、ヤンキースのトーリ監督は松井秀の復帰の見通しを尋ねられて、「来季のためにも大切なのは、100%の状態にならなければ使わないことだ」と答えた。

 チームは首位を走っており、22歳のカブレラは左翼手として十分に機能している。首脳陣が背番号「55」の起用をめぐり、慎重論に傾くのも当然だ。

 “レギュラー”の居場所は蜃気楼(しんきろう)のごとく、かすんでいく。ところが、あっけらかんとした口ぶりで「そんなのさ」と切り出した。

 「できることを全部やってダメだったら、しょうがないじゃん」

 実を言うと、かなり前から松井秀は、この種の話題に触れていた。大物が続々と加入し、若手が次々と台頭してくる環境に置かれて、しかし、己はベテランの域に足を踏み入れている。

 「けがしたり、自分より優れた選手が出てきたり……。いつか、そういう日が来る。プレーヤーは、常に覚悟を持ってなきゃなんない。50歳まで現役バリバリでいるのが理想だけどね。なかなか難しいでしょ」

 運命や時の流れに挑むのを、あきらめたんじゃない。ただ、ほんのちょっとの悔いも残さないと誓っただけ。負傷してリハビリテーションに励む今、「試合に出してもらえるかどうか、考える時間なんて無駄。うまくなろうと精いっぱい頑張って、何が起きたって受け入れる。それが、おれにとっての『覚悟』だよ」と、あらためて思う。


 室内練習場で行うティー打撃。相変わらず、ボールが当たる瞬間にバットから左手を放している。「自分の体に対して失礼な話だけど」と笑った。

 「これまでのイメージと違ってくるんだろうし、あんまり(骨折した)左手、あてにしてねえの。まあ、ほかでカバーするしかないよね」

 純粋な向上心が、努力する姿勢を生み、努力が痛ましさとは無縁の、涼やかな覚悟を育てるらしい。

 近ごろ、新しいグラブが手元へ届いた。従来の黄色を「縁起が気になっちゃって」藍色に変えたが、今季は使用しないと決意した。フィールドに立てるなら、予備の黄色いグラブで臨むつもりだ。

 現実から目はそらさないし、悪夢に惑わされることもない――。

 夏、真っ盛り。覚悟は固まった。(田中富士雄)
スポーツナビ 杉浦大介 2006/08/14
現在のヤンキースに松井秀は必要か ニューヨーク地元記者4人に聞く
松井の回復が遅れている

 松井秀喜のケガからの回復がここにきて遅れている。

 本人は「8月復帰が目標」と言い続けて来たが、13日(現地時間)の時点でまだ両手でのバッティング練習にゴーサインが出ていない。この状況では、復帰はどんなに早くとも9月上旬だろう。
 12日にはジョー・トーリ監督が「(松井が)いつ戻ってこられるか分からない」とコメントしている。用意周到な指揮官のこと、今季を松井抜きで戦う覚悟をもう決めているのかもしれない。実際に、ヤンキースは現メンバーでもオールスター以降、着実に勝ち星を重ねている。レッドソックスを抜いて、アメリカンリーグ東地区首位(13日現在)。トレード期限間際にボビー・アブレイユらを獲得し、松井抜きでも秋に向けて準備万端のように思える。戦力的にプラスアルファが必要な部分も、それほど多くはないだろう。

 そんな背景を考えると、こういった疑問も芽生えてくる。
「たとえ復帰がかなったとしても、今のヤンキースに松井は必要な存在なのだろうか?」
 いかに実績ある松井でも、勝負どころの9月からのぶっつけ参戦はリスクが大きい。チームケミストリーの面でも不安はある。もちろん松井は、今後も今季中の復帰に向けて全力を尽くすはず。だが、戻ってきても、王座奪回を目指す今秋のヤンキースに松井の活躍の場はあるのだろうか?

Yankees still need Matsui?

 ふと浮かんだそんな疑問を解き明かそうと、今回は松井の今後に関する質問をニューヨークの地元ライターたちにぶつけてみた。

「Yankees still need Matsui?」

 話を聞いたのは、地元紙『ニューヨーク・タイムズ』のライター、『Associated Press(AP)』のスポーツ記者、テレビ局『NY1』のレポーター、AMラジオ『スポーツショー』の記者の計4名。在米メディアの本音が知りたかったので、「筆者が日本人だからといって気を遣わず、正直な意見を聞かせてくれ」と事前にしつこく断りも入れた。そこで得た彼らの意見は、なかなか興味深いものだった。

 結論として、彼らはさまざまな理由で、ヤンキースにおいて依然として松井は重要な選手だと語ってくれたのだ――。

外野手リストの中でもトップに来る存在

 まず、『ニューヨーク・タイムズ』紙のデビッド・ピッカー記者は、自らの持論を元にこう語った。

「僕は常々、『レギュラー選手はケガによって定位置を失うべきではない』と思っている。それが松井ほどの格であればなおさらだ。確かにヤンキースには外野手の数はそろっている。ここにゲーリー・シェフィールドも戻れば、トーリ監督にとって難しい選択になる。ただ、もし松井が完調なら、外野手リストの中でもトップに来る存在だ。すぐにスタメンに戻るべきだろう。秋の戦いに必要なクラッチ能力も、松井のキャリアでもう証明されているしね」

 ピッカー氏は、話の途中で「もしも完調なら」と何度も念押しをした。とにかく体調次第。それさえ問題なければ、スター軍団ヤンキースの外野陣の中でも実力ではいまだに松井がトップ。特に勝負強さがものをいう秋の戦いでは――。有力紙NYタイムズの記者も、松井に関しては非常に高い評価を与えている。

後釜を務めているカブレラとの直接比較

 テレビ局『NY1』のレポーター、ロバート・ウー氏は、後釜を務めているミルキー・カブレラと直接比較する形で、松井への信頼について言及してくれた。

「こんな想像をしてみてくれ。プレーオフの重要な場面で、マウンド上にはフランシスコ・ロドリゲス(エンゼルスのクローザー)が立っているとしよう。そこで君は、カブレラと松井のどちらに打席に立ってほしい? たとえ、長期休養の後だとしても、ニューヨーカーのほとんどが松井だと答えるだろう。ヤンキースで松井以外にチャンスで打てるのは誰だ? ミルキー? アブレイユ? A・ロッド? プレーオフで松井ほど実績がある選手は多くない。たとえ、戻るのが9月中旬だろうと、松井が終盤に代打で1打席立つだけでも、必ず意味はあるはずだ」

 ウー氏と同様の意見を述べたのは、いくつかのスポーツ・ラジオショーのレポーターを務めるボブ・トレイナー氏だ。彼もまた、カブレラとの対比で松井のポテンシャルを指摘した。
「代役のカブレラは確かによくやってる。5月のレッドソックス戦で見せたスーパーキャッチなど、松井には絶対にできないプレーだったね。だけど、カブレラが潜在能力をフルに発揮しても、松井の70パーセント程度にしか過ぎない選手だと思う。安定感、パワー、クラッチヒッティング……。特に、9・10月のメジャーリーグは、実績のないルーキーが簡単に成功できる世界じゃない。そこで何よりものをいうのは経験なんだよ」

誰もが口をそろえる「クラッチ能力」と「大舞台での強さ」

 こうやって聞いていくと、誰もが口をそろえるのは松井の「クラッチ能力」と「大舞台(プレーオフ)での強さ」だ。ニューヨークでの実績は約3年強。そんな短い間に、松井はすっかり「大舞台に強いクラッチヒッター」という評価をニューヨークメディアの間に印象付けている。故障明けでさえも、その信頼に揺るぎは無いのだ。

 また、『AP』のエイドリアノ・トーレス氏は、松井の長期休養に関して、こんなポジティブな見方をした。
「松井は昨季の終盤戦、プレーオフでやや失速したイメージがある。その原因は技術が及ばなかったわけではなく、精神的な疲れだったと思う。心身共に休養充分で臨める今秋は、むしろより良い結果が出せる可能性もあるのでは?」

 それにしても、たいした信頼感である。戦列を離れてからはや3カ月。それでも地元メディアは松井を軽視などしていない。もちろん、ヤンキースファンにとっても同じ思いなのだろう。
「優勝のために松井が必要か?当たり前じゃないか!」

 松井はまだ4年契約の1年目。今季は無理をせず大事をとってみては、と思わないでもない。だが、ヤンキース悲願の王座奪還のためには、やっぱり早く戻ってくるべきなのだろう。何より、「世界で最も厳しい」と言われるニューヨーク・メディアたちがそう口をそろえているのだから。
スポーツナビ 2006/08/09
松井が支援する日米国際交流の向かう先は?
『松井秀喜のインターナショナル・フレンドシップ・プログラム 2006』第3回
国際交流に熱心なスタッテンアイランド・ヤンキース

 米大リーグ、ヤンキース松井秀喜外野手の支援で、石川県などを訪問していたニューヨーク・スタッテン島の野球少年たちは8日、帰国の途に就いた。この国際交流事業「松井秀喜のインターナショナル・フレンドシップ・プログラム」も2回目を終えたが、徐々にその根を下ろしつつある。

 金沢リトルリーグの子どもたちがニューヨークを訪れた昨年は、松井がシーズン中にもかかわらず参加し、その模様は地元紙などでも取り上げられた。その反響もあってか、今回は来日希望者が殺到。大変な選抜を経て、メンバーを決定したという。

 主催しているのは、ヤンキース傘下で1Aのスタッテンアイランド・ヤンキース(以下、SIヤンキース)。マイナーリーグのチームはどこも、地域コミュニティーを対象にしたイベントを数多く実施しているが、ここまで大規模に海外との連携を図っているケースは珍しい。SIヤンキースはほかにも、「サトウ・ジャパニーズ祭り」と銘打った日本文化を紹介するイベントを実施したり、同チーム出身でヤンキースの先発ローテーションの一角を担う台湾人右腕・王建民投手を招いたりと、異文化交流には非常に熱心だ。

 これは日本人や台湾人が多く住むニューヨークという土地柄もあるが、同チームの広報を務める白井孝明さんの存在が大きい。早大でスケート部総合主将も任された白井さんは、卒業後に渡米。ニューヘブン大でスポーツ経営学を学び、NHLのニューヨーク・アイランダースを経て、2004年にSIヤンキースで同職に就いた。

「スポーツが人をつなぐことは、以前から実感していました。ジャパニーズ祭りは、日本人のためですが、現地の人にも日本文化に興味を持ってほしいと思っています。またインターナショナル・フレンドシップ・プログラムも、ヤンキースに松井選手がいるということで、何ができるかを考えました。実現できる自信はありました」

プログラム支援を快諾した松井の思い

 もちろん今回のプログラムは、松井の協力なしには実現しなかった。白井さんは04年のシーズン終盤、松井のもとを訪れて、プログラムの趣旨を熱心に説明。松井は試合前の短い時間ながら、興味深く聞き入り、最終的には快くOKしてくれたという。

 松井は日本のプロ野球時代、そしてヤンキースに移籍してからも、少年野球教室などに精力的に参加している。また、04年春にはニューヨーク市観光局から観光親善大使にも任命されており、同市の顔として日米の架け橋という役割も果たす。そんな松井にとって、地元・石川と、ニューヨークの子どもたちとの交流には、特別な思い入れがあったはず。トレーニング中のタンパで撮影され、歓迎会で紹介されたビデオメッセージからは、そんな松井の思いが感じられた。

 今回の遠征を終えたニューヨークのポロ・バーゴス監督は、
「最高の思い出となりました。また、日本人の礼儀正しさや親切心は一生忘れません。今回は私たちが幸運にもこのような機会を得ることができましたが、たくさんのアメリカ人が日本を訪れ、その素晴らしい文化を学ぶことができれば、と思っています」
 とコメント。監督だけでなく、選手たちもそれぞれ、貴重な経験を持ち帰ったことだろう。

 今後、このプログラムはどのような形で継続していくのだろうか。白井さんは言う。
「長期的な国際交流がゴールですね。これをきっかけにして、いろいろな形で交流が生まれていってほしい」
 復帰に向けてリハビリを続ける松井も、きっと同じ気持ちのはずだ。
スポーツナビ 2006/08/07
松井選手に届け!日米の子どもたちが熱戦
『松井秀喜のインターナショナル・フレンドシップ・プログラム 2006』第2回
猛暑に負けず試合もヒートアップ

 日米の少年野球チームが交流する「松井秀喜のインターナショナル・フレンドシップ・プログラム」は4日、強い日差しが照りつける中、金沢市の専光寺ソフトボール場で、日米の少年チームによる最初の親善試合が始まった。昨年、金沢リトルリーグがニューヨークを訪れた際には、金沢が大勝したが、ことしは果たして……。

 試合はニューヨークが先制。エラーとタイムリーで3点を挙げ、昨年との違いを見せつける。しかし、金沢も負けていない。その裏、すかさず2点を返すと、続く3回には、前日「ホームランを打つ」と公言していた4番・広瀬京太郎君(金沢市高岡中1)が、松井にも負けない豪快な一発をレフトスタンドにたたき込み、同点に追いついた。

 金沢はその後も畳み掛け、3回に逆転した後、4回には大量10点を奪って、大きくリードした。だがニューヨークは、メンバーを頻繁に入れ替えた金沢に猛攻を仕掛け、5回に何と14点。まさかの大逆転を演じたのだ。

 その後、金沢が自力を見せて、18-17で逆転サヨナラ勝ちをしたが、大いに盛り上がっていたのは、むしろ敗れたニューヨークのチーム。応援団の保護者たちも、親善試合とは思えない大きな声援を送っていた。本塁打を放ったジュード・ジュニア君は、「すごく暑かったけど、ホームランも打てたし、いい試合ができた。明日も頑張りたい」と話していた。

将来の松井、ジーターは?

 翌5日には第2戦。土曜日ということで、前日よりも多くの人が球場に訪れ、試合前には、両チームの選手と家族がグラウンドに「友」の人文字をつくったり、記念ボールがヘリから投下されるなど、さまざまなイベントも催された。

 この日の試合も、第1戦と同様、激しい点の取り合い。ニューヨークが初回にマット・パンセティ君の満塁本塁打などで一挙7点を奪えば、金沢もその裏にすかさず6点を挙げて、1点差まで迫る。その後は、金沢が広瀬君の2試合連続となる本塁打や、主将の棚田貫太郎君(浅野川中1)の本塁打などで加点。ニューヨークの攻撃を2回以降、無失点に抑えて、15-7で連勝した。

 2試合とも金沢の勝利に終わったが、いずれも大熱戦を演じた両チームには惜しみない拍手が送られ、少年たちもお互いの健闘をたたえ合い、友情を深めた。豪打でひときわ注目を集めていた広瀬君やパンセティ君ら、この中から将来の松井、デレック・ジーターが生まれるかもしれない。

 このイベントをバックアップしている松井は現在、フロリダ州タンパで復帰に向けて練習を続けており、ようやく右手だけでのティー打撃をこなすようになったという。彼の元にも、間もなくこの親善試合や少年たちの話は伝わり、大きな励みとなるだろう。

 ニューヨークの子どもたちは6日に松井ミュージアムを訪れた後、東京に移動し、巨人戦を観戦。東京を観光した後、8日に日本を離れる。
スポーツナビ 2006/08/05
松井秀が子どもたちに贈る素敵なプレゼント
『松井秀喜のインターナショナル・フレンドシップ・プログラム 2006』 第1回
歓迎会には松井の両親や恩師の姿も

 米大リーグ、ヤンキース傘下1Aのスタッテンアイランド・ヤンキースが企画し、松井秀喜が全面的にバックアップする日米の子どもたちの国際交流事業「松井秀喜のインターナショナル・フレンドシップ・プログラム」もことしで2回目。昨年は松井の出身、石川県唯一のリトルリーグチームである金沢リトルリーグがニューヨークを訪れたが、ことしは反対に、ニューヨーク・スタッテン島の選抜チームの選手たちが、松井の故郷に招かれた。

 選手16人と保護者、指導スタッフら計47人は2日、石川県に到着。翌日には、松井がイメージキャラクターを務める小松市の建設機械大手「コマツ」粟津工場や、金沢市・兼六園などを見学した。その後、同市内のホテルで行われた歓迎会で、金沢リトルリーグのメンバーと対面した。最初は言葉が通じずに若干の戸惑いも見せた選手たちだったが、さすがにそこは子ども同士。すぐに意気投合し、ゲームなど共通の話題で盛り上がっていた。

 歓迎会には、松井の両親や、恩師の山下智茂・星稜高野球部総監督らも出席。父・松井昌雄さんが「日米の野球少年がお互いの文化を知り合うという素晴らしい体験をしている。秀喜も言っているが、人生の宝になると思う」と語ると、山下総監督も「松井選手も高校時代、台湾、米国、韓国を相手に、全日本の選手として大活躍した。お互いに出会いを大事に素晴らしい友情を深めてほしい」と述べた。

復帰を目指す松井がサプライズ登場!?

 さて歓迎会も終盤に差し掛かると、会場正面のスクリーンに何やら映し出される。そして、そこにはケガからの復帰を目指す松井の姿が……。フロリダ州タンパでのトレーニング中に、このプログラムのために時間を割き、コメントしてくれたのだという。

「野球を通じて国際交流が広がることは素晴らしいことだと思います。今シーズン、僕はケガをしてしまい、チームを離れています。ファンの方にはガッカリさせてしまっていますが、ケガは順調に回復しています。シーズン中には必ずグラウンドに戻って、いいプレーをしますので、待っていてください。君たちの声援が僕の力です。この体験は君たちにとって、大きな宝物となるはずです」

 松井の力強い言葉に、会場からは大きな拍手が起こった。子どもたちも「わざわざ時間をつくってくれるなんて、うれしい」と感激もひとしお。「松井選手のようにホームランを打ちたい!」。翌日から行われる親善試合に向けて、大きな励みとなったようだ。
読売新聞 松井が燃える 2006/08/02
完全復活誓い、今は走る
 16年前の冬、ある日の午後、石川・星稜高野球部の仲間と共に病院を訪れた。腰の手術を受けたチームメートがベッドに横たわっている。見舞いの第一声は、確か「来てやったぞ。感謝しろ」なんて高飛車なセリフだった。

 このチームメートは、練習で松井秀の打球に飛び込み、腰の持病を悪化させた。「治ったら、また同じボールを打ってやるよ」と再び憎まれ口をたたく。場の空気を明るくするために、わざと軽薄な姿勢で接した。加えて、実は戸惑っていた。

 「けがでプレーできないって経験がなかったし、どうやって励ましたもんか、分かんないわけ」

 病室を後にする際、「無理すんな。でも、お前は必要だから早く出て来い」と告げた。ありきたりだな――。ひとり、苦笑した。


 メジャー4年目、左手首の骨折で心を磨く機会にも恵まれたと解釈する。

 「こんな状況に陥ってね、初めて理解できる人の気持ち、あると思ってんの。それこそ指導者になって、役立ちそうだよね」

 負傷して半月が過ぎたあたりか、日本から手紙が届いた。差出人は病魔と闘う少年だった。

 「自分で摘んだ四つ葉のクローバーを添えて『願いがかなうらしいので入れておきます』って。あとは『骨が折れたのに、そのままボールを二塁へ投げた松井選手を見て感動しました』とか『いつも松井選手に元気づけられています』とか、そんな内容だね」

 うれしくて、同じぐらい切なかった。「ホントは、こっちが勇気をあげなくちゃいけないんだよなあ」

 長年、つらい境遇に置かれた人々を励ましながら、一方で「みんなに伝わったかっていうと、正直、絶対にないと思う」。輝かしい世界に存在する己の言葉の説得力を、無邪気に信用するほど単純じゃない。

 32歳の夏、あらためて考えた。

 「そんでも常にメッセージを送り続けたい。たとえ一人だって、影響を受けてくれる可能性があるなら。復帰して、いいパフォーマンスを発揮することでね、ちょっとは(激励の効果が)大きくなるかもしんないって思ってんだよ」

 戦列に戻り、仮に痛みを覚えても、背番号「55」は間違いなく平然とした表情でプレーする。それは多分、演技なのだろうが、全身全霊の演技は現実を押しのけ、きっとファンにとっての“真実”になる。


 「おれの場合、だれかのために頑張るってことはない。ないんだけど……」

 壁を乗り越え、社会的な弱者や夢を追う子供たちに「結果として」希望を与えられたら、幸せは倍になるはず。だから、もっと強くなりたい。

 完璧(かんぺき)に悲壮感を排除して、ヤンキースタジアムのフィールドに立つと決めた。今は歯を食いしばるときだ。フロリダ州タンパ。猛烈な日差しの中、鬼のような形相で汗を滴らせ、芝の上を駆け回っている。(田中富士雄)