Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

読売新聞 松井が燃える 2006/06/21
野球の神様から試練
 頻繁に夢をみるらしい。

 「場所は知んないけど、ティーバッティングやってんだよ」

 無機質な空間。どこからともなく白球が現れる。体のバランスに注意して、力強くバットでたたく。ボールは快音を発して飛び、闇にとけて消える。

 「奇妙だよね。夢でも、けがをしてるって意識がある。うん、いつも。『打てねえはずなのに』って考えながら両手でガンガン、スイングしてんの」

 打ち損じを反省していたら突然、視界は白い天井に覆われた。住み慣れたニューヨークのマンション。目覚まし時計のアラームが鳴っていた。


 5日に屋外での練習を始め、6日に硬球を投げ、9日にはランニングをスタートさせた。11日、右手だけを使って、素振りにとどまらず、ひそかにティー打撃も再開。12日以降、近くへ出かけるときに限り、車を運転している。

 順調な回復を実感する一方で、「必ず壁に当たる。絶対、『何か違うぞ』っていうのが出てくる」と腹をくくった。手術後、1か月が経過した日、「かなり細くなった。焦りはね、正直言ってあるよ」と右手で左の腕をつかんだ。

 「でもね」と継ぐ。

 「必死に頑張れば、いっぱい得るものがあるでしょ。たくさん勉強しとけよってさ、野球の神様に試されてる感じがすんだよね」

 困難から目をそらして明るく振る舞うのは「ノーテンキって言われちゃうな」。事実を受け止め、立ちはだかる壁を血まみれになって登り、その先の輝かしい未来を信じるのが「前向きってことだと思う」。

 だから、ほかの覚悟もある。「復帰しても、試合に出続けるという気持ちは捨てられないね」

 この連載で前回、「ふたりの松井秀喜」を紹介した。「チームが勝つための力になりたいと、本来の目標を追う自分。『連続試合出場を伸ばしてやりたい』と気遣う人たちにこたえようとする、もう一人の自分」が存在したのだ。

 記録はストップし、「もう一人の自分」は姿を消した。ところが、32歳は「いずれ、もう一人の自分は戻ってくる」と断定した。

 「そんで同じものを追っかけるんだよ。『ファンに毎日、プレーを見てほしい』って。変わるのは、おれの価値観じゃなくて周りでしょ。簡単に休ませてくれるんだろうし、もちろん指示には従うけど、おれは決して休養を望まない。つらくもない。たとえ、第三者が見て苦しげであっても」


 夢の世界に別れを告げ、アラームを止めた。ベッドの上で、ゆっくりと左手首を回す。やはり動きはぎこちない。厳しい現実を突きつけられて、しかし、落胆は「全くしない」そうだ。

 「起きて、『だよなあ』って笑っちゃう。『おれも夢の中で、そう思ったんだよ』って。そんなに甘くねえっつうの」

 正真正銘、前向きな男である。(田中富士雄)