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Columnコラム

産経新聞 大リーグ通信 2015, 3, 26, 19, 02015/03/26
松井は日米どちらで「監督」になるのか ヤンキース「特別アドバイザー」就任の波紋
 ピンストライプのユニホームを脱いで4年、松井秀喜氏(40)が再び袖を通すことになった。それも慣れ親しんだ「55」を背負って。ヤンキースのGM付特別アドバイザーに就任した。日本球界、特に古巣の巨人で指導者になるのでは、とも噂されたが、家族の住むアメリカを選択したようだ。

 ヤンキースの発表によると、松井氏の任務はキャッシュマンGMを補佐する形で、傘下のマイナー球団をめぐり、監督や打撃コーチにアドバイスを送るほか、若い選手に直接、打撃指導する。任期は明らかになっていない。

 現在、1Aチャールストンに所属する内野手の加藤豪将は、「憧れの人に教えてもらえるなんて…。いろいろな質問があるので早く聞きたい。本当に会いたい」と大いに期待しているという。

 ドジャースに渡った野茂英雄の成功以来、多くの日本選手がメジャーに移籍した。だが、日本球界復帰や引退で、今までにメジャー球団に残ってフロント入りしたケースはない。松井氏が特定の球団で役職につくのも初めてだ。

 2008、09年に松井を指導したジラルディ監督は大歓迎の意向を示した。「ニューヨーク・タイムズ」紙によれば、「マツイはいつも正しい方法で行動したし、若い選手の規範となった。ヤンキースにとって多くのことをもたらしてくれると思う」と語ったという。「ニューヨーク・ポスト」紙では「マツイは本当にヒットの打ち方や試合への入り方を知っている。彼の能力からみれば、いつも周りにおいておきたい人物だろう」と手放しでの喜びよう。

 松井氏自身、アドバイザー就任の会見で、「僕にとっても大きなチャレンジ。勉強の場になると思う」と意欲を見せた。

 ただ、マイナーを巡回するのに通訳も同行する予定という。松井氏が先々、さらに重責のフロント業務に就いたり、現場で本格的なコーチ業を行うには、コミュニケーションという高い壁がある。

 家族の住むアメリカで指導者の道を歩むのか、日本で帝王学を学び、監督の座につくのか。

 「将来のことはまだ具体的には考えていないが、もしそう(指導者)なったときには、今回の経験が生きてくると思う」と松井氏。日本で巨人などのユニホーム姿を当面見ることはなくなったが、オフを迎えるごとに去就が騒がしくなることは間違いない。
J SPORTS MLBコラム 2015, 3, 26, 19, 02015/03/25
松井秀喜氏とデレク・ジーター氏、敬愛すべきロールモデル
「○○馬鹿」といった言い回しには、野球の二文字もよく当てはめられる。専門とすることには造詣が深くても、それ以外は常識的なことにも疎いと揶揄された表現だ(そういう人も魅力的とは思うけれども)。その一方で、ひとつの道を極めた人には、ロールモデルとなる人格者も少なからずいる。

一昨年、国民栄誉賞を授与された松井秀喜氏と「ミスター・ベースボール」と全米で敬われているデレク・ジーター氏。名門ニューヨーク・ヤンキースでワールドチャンピオンにも輝いた元チームメイト同士の2人は、最高の「ロールモデル(お手本となる人)」だ。

そんな2人が中心となって開催された21日の東日本大震災の被災児童支援イベント、「ハイチュウプレゼンツ トモダチチャリティーベースボールゲーム」。参加した子どもたちには、生涯の支えとなる言葉がたくさん投げかけられていた。

「野球は楽しんでやってほしい。そして今の君たちに大切なのは、学校で勉強すること。それを忘れないでほしい」とジーター氏。子どもたちはきらきらとした目で、憧れのスターを見つめ耳を傾けていた。小学生が参加したベースボールクリニックでは、松井氏が直々にバッティング指導。ゴロをさばく練習では、一人一人に声を掛けたり、ハイタッチしたりと微笑ましい光景が見られた。

雲の上のような大スターだが、2人はまるで近所のお兄さん(オジさん?)のような親しげなムードで、ニコニコしながら子どもたちと接している。イベント後、「子どもたちが楽しいと思ってくれたのなら、それが僕にとっての幸せです」と語った松井氏。一瞬一瞬を愛おしく思っている様子が伝わり、観ている人も自然と笑顔になる、そんな温かい時間が流れていたのが印象的だった。

松井氏とジーター氏は、「野球というのは、こんなにすばらしい友だちが出来て、世界が広がるんだよ」と2人の空気で伝えているかのようだった。

ロールモデルというものは、手が届かないような存在感を放ってはいけない。お手本なのだから、頑張れば近づけるような存在でなくてはならない。功績があまりに偉大な2人だが、そうした親しみやすい雰囲気は子どもたちに対してだけではない。ファンはもちろんのこと、メディアに対しても変わらないのだ。

松井氏は現役時代、常にていねいに取材に応じ、アメリカでも地元記者の投票からなる「グッドガイ賞」を受賞したのは有名な話だが、今でも“グッドガイ(いい人)”らしい穏やかな雰囲気は全く変わらない。

一方のジーター氏も、記者会見場では、一人一人の記者を尊重するように見回しては、時折、白い歯をのぞかせる。両氏ともが、“メディア”と一括りに見ることはなく、どんな時も誰に対しても、個々人として接しようとする希有な大スターなのだ。

そんなジーター氏の人柄をよく表したドキュメンタリー映像が、引退した昨年に撮影・放送されたゲータレードのCMだろう。

ジーター氏は、ニューヨークの人々にとって生きる伝説でもある。にもかかわらず、いやだからこそと、地元コミュニティの人々に直接感謝の気持ちを伝えるべく、歩いて球場へ向かうことを決意する。

シーズン中の夏の日、ヤンキースタジアムでの試合前だったそうだ。ジーター氏は次々と街の人々に声を掛け、スポーツバーに入っていき、老若男女すべての人に等しく接する——。

誰に対しても分け隔てなく、国も人種も「ベースボール」という枠をも越えて、人と人を繋ぐのが、最高のロールモデルなのだろう。松井氏とジーター氏との夢のような一時を過ごした被災地の子どもたちは、元気よく大きな声で、「失礼します!」と言って、私の前を通り過ぎていった。
Business Media 誠 赤坂8丁目発 スポーツ246 臼北信行 2015, 3, 12, 7, 02015/03/19
松井氏、ヤンキースのフロント入り――なぜ契約期間は「1年」だったのか
 ヤンキースがチームOBの松井秀喜氏のGM特別アドバイザー就任を発表した。松井氏の主な仕事はマイナーチームを巡回し、監督やコーチ、選手らの打撃に関する相談に乗ることで、さらにブライアン・キャッシュマンGMの直属となって同GM及びゲーリー・デンボ編成部副社長のフロント業務に関するサポートも担っていくという。元メジャーリーガーの日本人がメジャー球団で役職に就くのは史上初で、しかもそれが名門ヤンキースなのだからインパクトはとてつもなく大きい。

 言うまでもないことだが松井氏は2012年末に現役を引退したばかりの超大物OB。2009年ワールドシリーズMVPに輝くなど現役時代の輝かしい経歴は言わずもがなだが、フロント業務では何の実績もない。その松井氏をヤンキースは一体なぜいきなり抜てきしたのか。その背景をひも解いてみると、ヤンキースと松井氏、さらに日本の古巣である巨人のそれぞれの思惑が激しく交錯している様子が見えてくる。

大胆な改革プランを断行

 まずはオファーを出したヤンキース。「レジェンドOB」としてマイナーリーグの若い選手たちから崇拝されている松井氏の人望の厚さとチームに与える影響力の大きさを高く評価し、白羽の矢を立てたのは容易に想像が付く。だが、それはあくまでも“巡回コーチ”として期待する上での評価だ。実はヤンキースが松井氏に「GM特別アドバイザー」というフロント業務もこなすポジションを用意してオファーをかけたのは理由がある。この松井氏の招へいによって、それまでメジャーリーグに浸透していた「フロントの要職を担う人間には何より学歴や実績が求められる」という定義をいい意味でぶち壊そうとしている側面があるのだ。

 それを理解する上で分かりやすいのがメジャーリーグの球団でGMを務める人物たちの過去の学歴と野球経験である。ワシントンDCにある名門アメリカ・カトリック大学を卒業したキャッシュマンGMの野球経験は学生時代に内野手としてプレーした程度。このようにメジャーリーグのGMには野球のプロ経験こそないものの、優秀な学歴を誇る頭脳明せきなタイプの人物が就くケースが多い。

 しかしながら一方でダイヤモンドバックスが今オフ、かつてアスレチックスなどで通算168勝をマークした元名投手のデーブ・スチュワート氏をGMとして迎え入れた例もある。このダイヤモンドバックスを皮切りに「現場を知っている人間だからこそチーム運営もうまくいく」という“オールドスクール”と呼ばれる原点回帰のスタイルがメジャーで徐々に派生しそうな傾向があるだけに、それに乗じる形でヤンキースもワールドシリーズMVPに輝くなど「チームレジェンド」ながらフロント未経験の松井氏を同職に指名する大胆な改革プランを断行したのである。

球団側の姿勢

 ヤンキースは2014年10月にキャッシュマンGMと3年間の再契約を結んだばかり。同GMには昨季限りでの退団のウワサもあったが、1998年の就任からここまでの17年間でポストシーズン進出14回(うちワールドシリーズ制覇は4回)の功績を残す敏腕GMの後任はなかなか簡単に見つからなかったようだ。だがキャッシュマンGMの続投は決まったとはいえ、2年連続でポストシーズン進出を逃すなど低迷中だけに再建を促すためにもフロントの現体制へ何らかのカンフル剤を投入する必要があった。それが今回断行されたオールドスクールの人事である。地元ニューヨークメディアの間で松井氏の登用がヤンキースの共同オーナーの1人であるハル・スタインブレナー氏の肝いりと見られているのも、まさにその流れだ。 

 もちろん松井氏が、いきなり「ネクタイ組」と同じようなレベルのフロント業務をこなせることはできまい。それでも有望選手のチェックなどチームの編成面においてGMや幹部クラスの面々に対し、現場を体感した元大物メジャーリーガーならではの有益なアドバイスを送ることは十分に可能だろう。「アドバイザー」という肩書きが与えられたのも当然そのためと見ていい。

 ヤンキースと松井氏の契約期間は1年。しかしヤンキースは余程のことがない限り、再契約のオファーを松井氏にかけるはずだ。キャッシュマンGMが松井氏について「彼がコーチになるにはまだいくつかのステップを踏む必要があると思う。5年間ぐらいは今年のような役割を果たすのがいい」と語っていることからも、球団側の姿勢がはっきりと汲み取れる。

 15年以上に渡ってニューヨークでヤンキース番記者を務めている某メディアのビートライターは、次のように打ち明けた。

 「ヤンキースはGMの言うように5年前後、マツイに球団の一員としてフロントと現場の両面を勉強させ、英才教育を施す方針を固めている。ヤンキースがマツイに求めるゴールはヤンキースの現場指導者だ。将来的に本気でマツイをメジャーのコーチにさせたいと明確なシナリオを描いているのだ。そのためのプロセスとして彼にはGM特別アドバイザーの肩書きが用意されたわけで、ここでは通訳の必要ないレベルまで語学力を引き上げることも含め多くのスキルアップを目指すことになる」

契約期間が「1年」の理由

 ここまで入念ならばヤンキースとしては松井氏と複数年契約を交わしたかったはず。日本ではなくニューヨークを生活の拠点としている松井氏にとっても、普通に考えてみてヤンキースからのオファーは文句なしに最高の条件であるのは明白である。それにも関わらず、契約期間が「1年」となったのはどうやら松井氏の配慮が大きく働いたようだ。その相手とは言うまでもなく、日本の古巣・巨人である。

 巨人はOBの松井氏に原辰徳監督の後任指揮官として非公式ながらも現場復帰のラブコールを送り続けている。松井氏だってプロ入りから10年間在籍した球団だけに強い愛着を持ってはいるが、その一方で心の中に若干の“シコリ”を残しているのも事実だ。その理由には諸説あって「2002年シーズン終了後のオフ、メジャー移籍を表明してFA宣言した際に松井氏が球団幹部から『一体誰のおかげでここまでの存在になれたと思っているんだ』と言われなき罵声を浴びせられた」という噂も根強くささやかれているが、真相は当人にしか分からない。

 「そういう中でも松井君が巨人からの要請で2年前に臨時コーチを引き受けたり、今年も自主的に宮崎キャンプを視察したりしているのは恩師の長嶋さん(茂雄氏=終身名誉監督)の存在があるから。長嶋さんが松井君の巨人監督就任を望んでいる以上、それをムゲにすることはできない。ヤンキースと複数年契約を結べば“巨人復帰の意思なし”を強調することになるし、それで松井君も恩師が席を残す巨人のことを気遣って単年契約としたのでしょう。そう考えれば松井君の心は長嶋さんへの忠誠心は永遠に絶大であっても、巨人そのものにはそれほどない。巨人と比較すると圧倒的にヤンキースのほうが大きいと言えます」(事情通)

現場との温度差

 意中の人物から距離を置かれた形になる巨人からしてみれば、今回のヤンキースが発表した人事は「大ショック」かもしれない。だが、本当にそうだろうか。球界内からは「松井氏の監督就任をやたらと強く望んでいるのは巨人の球団幹部や親会社の読売本社幹部クラスだけで、それほどでもない現場レベルとは大きな温度差がある」との指摘も複数出ている。

 一部メディアでは松井氏がヤンキースで役職に就いても「巨人復帰の芽はなくなっていない」と報じられているが、どうもこれらを見ていると「消してはいけない」とする勢力からの後押しやリークを受けての記事なのではないかと勘繰ってしまう。

 実際に筆者も“ゴジラのG復帰”を猛烈にプッシュする巨人OBたちがヤンキースの人事発表後に「それでも松井は来年、巨人の監督をやるはずだぞ」「巨人のオファーからは逃げられっこない」などと根拠なく自信満々に語っている様子を目にした。

 仮に巨人が松井氏に今後もまだオファーをかけ続け、来季以降の監督就任を本人にOKさせたとしても「強引に引き受けさせた」という印象はどうしても否めないだろう。それならば無理強いせずに原監督を続投させ、今季から兼任打撃コーチに就任した高橋由伸外野手を数年後の次期指揮官として現場で育成するほうが懸命だし、ビジョンとしてはしっかりしていると個人的には思う。

 これには同調してほしいとは言わないし、異論や反論もたくさんあっていい。ただ、いずれにしても最終的には松井氏の本意に沿う形で「ゴール」が見つかってほしいと切に願っている。それは読者の誰もが同じ気持ちであろう。
Full-count 2015, 3, 12, 7, 02015/03/18
ジーター氏と松井氏が明かす秘話 実は「日本で一緒にプレーしたかった」!?
2004年以来となる日本での2ショットが実現、現役の頃から“共演”について話し合っていた

 21日に東日本大震災チャリティーイベント「ハイチュウプレゼンツ トモダチチャリティベースボール」(東京ドーム)を行うデレク・ジーター、松井秀喜両氏が18日、都内のホテルで記者会見を行った。ヤンキースでチームメートだった2人は親友としても知られているが、引退後に日本で“共演”することは以前からの夢だったという。

 ジーター氏が来日したのは、ヤンキースがデビルレイズ(当時)との日本開幕戦を行った2004年以来。当然、その時は松井氏とともに日本でプレーしている。ただ、ジーター氏はこんな“秘話”を明かす。

「松井さんとは現役の頃から『2人とも引退したら、一緒に日本に来てプレーしよう』、そんなことも言っていました」。そして、冗談まじりに「今、この年になっては2人ともプレーをするには年を取りすぎたかなと思っているところです」と付け加えている。

 一方で、松井氏も今回のイベント開催を心から喜んでいる。「ここにジーターがいるという事実だけでもすごいこと。この20年間、メジャーリーグの象徴だったジーターを連れてくることができてうれしいし、今回、イベントに参加する子供たち、ファンのみなさんに喜んでいただけると思います」と笑みを浮かべた。

 2人の友情があるからこそ、夢のような企画が実現する。この日も、ジーター氏からいつも通り「トシヨリ(年寄り)」と呼ばれた松井氏が「年寄りと言われましたけど、彼も同い年です。ということで、彼も年寄りということです」と切り返して笑いを誘うなど、息が合ったところを見せた。

 そして、日本で一緒にプレーすることが現役時代からの夢だったことを松井氏も認めた。

松井氏、子供たちへのアドバイスは「ずっとジーターを見ておけ」

「確かに、引退した後に2人で日本でプレーしようという約束をしていたんですけど、僕の方が『トシヨリ』だったということで2年も早く引退してしまったので、その夢は叶わなかった。でも、今回、こういう形で2人で一緒に日本でイベントをできるということで非常に楽しみにしています」

 イベントではジュニア向けの野球クリニックも行われる。参加者にとって夢のような時間となることは間違いない。どんな内容にしたいかを聞かれた松井氏は、こう約束した。

「ずっとジーターを見ておけと。それが1番大切なことだと思います。最も尊敬しているチームメートですし、模範となる選手。このような機会を十分に楽しんでもらいたいですし、自分たちのものにしてほしいし、野球を好きでい続けてほしい。そういう気持ちを一番大事にしてほしい。そういう気持ちを伝えていきたいと思っています」

 誰よりも主役の2人が楽しみにしていた今回のイベント。ジーター氏は「できるだけ多くの支援を広げていきたい。東京に来るのは開幕戦に来た2004年以来。友人の松井さんと過ごせるのが楽しみです」と言う。選手としての“共演”とはならなかったが、11年ぶりに日本で実現した2ショットで、被災者に元気を届ける。
Full-count 2015, 3, 12, 7, 02015/03/15
【米国はこう見ている】将来的にはヤンキースで監督も? 松井秀喜氏が“入閣”した意味とは
GM特別アドバイザーに就任した松井氏、地元メディアが報じた「記者会見から分かった8つのこと」

 2012年限りで現役引退した松井秀喜氏が、古巣ヤンキースのGM特別アドバイザーに就任し、11日(日本時間12日)にキャンプ地のフロリダ州タンパで記者会見を行った。若手選手への打撃指導が主な仕事とされ、今年はマイナーを巡回することになるという。

 では、松井氏には具体的に何が期待されているのか。そして、どんな役割を果たすのか。ESPNは「マツイの記者会見から分かった8つのこと」と題して特集記事を掲載した。

 1つ目として、記事では「キャッシュマンは、ヤンキーに望む全てのものをマツイが体現しており、球団の次世代の選手に英知を授けられると信じている」としている。

 ブライアン・キャッシュマンGMは会見で松井氏に対する絶大な信頼を明かしている。

「我々は選手育成システムを発展・改善し続けなければならない。その最善の手は何だろう? マツイはアマチュアの世界から日本のプロリーグへ、さらには日本から米国のメジャーリーグへと、明らかに境界を乗り越え、アメイジングな成功を収めた人間だ。彼のような人々へのアクセスを、我々は若手たちに提供する。彼はプロとしてあのクラブハウスにいて、あらゆる形でグラウンド上に存在した。我々が思うヤンキーの何たるかを、彼はくまなく体現している」

 ヤンキースに所属する人間として、松井氏の野球に対する姿勢、人柄などは理想的だと同GMは評価している。その存在だけで若手に大きな影響を与えられると見ているようだ。

「我々はできる限りのことをヒデキから学ぶことになる」

 また、2つ目としては「キャッシュマン曰く、マツイの役割は発展するが、それはマツイ次第だ」としている。記事では、同GMが会見で「我々はできる限りのことをヒデキから学ぶことになる」と明かしたことを紹介。ここからも松井氏に絶大な信頼を寄せていることが伝わってくる。

 3つ目は「キャッシュマンから見てマツイが最も貢献する方法は?」とされている。その上で、キャッシュマンが「彼が打撃ケージに入ったとき、本当の交流と魔法が起こるだろう」と話したことを紹介。松井氏がヤンキースに所属する選手たちへの指導を行ったとき、有望な若手に劇的な変化が起こる可能性もあると見ているようだ。

 4つ目は「マツイはユニホームを着てダッグアウトに入り、チームの監督、打撃コーチ、選手たちと一緒に仕事をする」こと。ヤンキース傘下には3Aスクラントン、2Aトレントン、1Aチャールトン、1Aスタテンアイランド、ルーキリーグ・タンパといったマイナーチームがあるが、各地で松井氏の姿を見られることになりそうだ。

 5つ目では「マツイは打撃のヒントを提供するだけでなく、どのようにメディアに対処するかを選手たちに説明する」ことが挙げられている。

 松井氏は現役時代、どんなに調子が悪くても、どんなに叩かれても誠実にメディアに対応し、辛辣で知られるニューヨークメディアの記者からも一目を置かれていた。

 ヤンキース加入初年度には、地元メディアが選出する「グッド・ガイ賞」を受賞している。これは取材に最も協力的だった選手に贈られるもので、日々の対応がいかに素晴らしかったかを表している。将来、メディアからの注目度や重圧もメジャー随一とされるヤンキースでプレーする若手選手にとって、最高のお手本となることは間違いない。

「彼をいつの日か監督やコーチといったよりいいポジションに置くために」

 さらに、6つ目は「マツイ自身はそう簡単にはいくとは思っていない」としている。松井氏は会見で「上達するのが選手にとって大きな挑戦であるように、これは僕にとっても大きな挑戦です」と話したという。指導者としてさらに大きな一歩を踏み出すことになるが、相当な覚悟を持って新たな仕事に臨むことになりそうだ。

 7つ目は「マツイはキャッシュマンと育成部門担当副社長のゲイリー・デンボに報告を行う」こと。マイナーを巡回し、若手を指導しながら、報告を上層部に上げていくことになる。日本人プレーヤーの加藤豪将内野手も当然、評価対象に含まれる。

 そして、最後の8つ目には、ヤンキースが松井氏に大きな期待を寄せていることが挙げられている。

「キャッシュマンは、マツイの英語が来年にかけて上達することを期待している。彼をいつの日か監督やコーチといったよりいいポジションに置くために」

 記事ではこう言及。キャッシュマンGMは松井氏の英語力について「恐らく彼は常にコミュニケーション・スキルを向上させるから、ロジャー(ロへリオ・カーロン氏)は必ずしも通訳としてではなく、友人としてヤンキースと関わることになるだろう。将来(マツイは)、求める道ならどれだって選ぶことが可能になるはずだ」と話したという。

 将来的にヤンキースで監督や打撃コーチを務めるとなれば、選手や報道陣と英語で直接、コミュニケーションを取ることは必要不可欠。キャッシュマンGMは、本気で松井氏を重要ポストに置くことを考えているようで、そこに向けての本格的な準備が始まる1年となりそうだ。

 超異例とも言える今回の松井氏の抜擢。そこには、ヤンキースで積み上げた高い評価と、将来への大きな期待が表れている。巨人の監督としても待望論が根強い松井氏だが、現状ではヤンキースでも将来のポストは約束されていると言えそうだ。いずれにせよ、この1年で松井氏が貴重な経験を積むことは間違いない。
Excite エキレビ! オグマナオト 2015, 3, 12, 7, 02015/03/12
新たな道を歩み始めた松井秀喜が大切にしていること
「僕は言葉の力を信じる」

巨人、ヤンキースなどで活躍した稀代の大打者・松井秀喜が先月上梓した『エキストラ・イニングス 僕の野球論』の中の綴った一節だ。

現役時代はメディアと友好的な関係を築き、比較的そのコメントがファンに届く選手だった松井。
だが2012年の現役引退後、そのままアメリカで生活を送るようになると、松井の言葉はずいぶんと遠くなった印象がある。

だからこそ、引退後初の著書となる本作で綴った野球論、そしてこれまで関わってきた野球人にまつわるエピソードは、どこを切り取っても読み応えが満載だ。

たとえば、
・イチローと比較されることについて。
・落合博満とバリー・ボンズの打撃コンセプトが同じであること。
・唯一、ライバルとして意識したのは高橋由伸であること。
・阿部慎之助が球界を代表する選手になるとは思っていなかったこと。
などなど、これまでの著作でも語られていなかったエピソードは多い。

なかでも長嶋茂雄監督との関係性の深さは、改めて感じ入ってしまう。

「俺は35歳の時が一番良かった。35は技術も体も一番いいときだ」といわれた35歳のシーズンに日本人初となるワールドシリーズでのMVPを獲得したこと。
そして、現役引退をした年がどちらも38歳だったことなど、本人も気づかないうちに師の足跡を辿っていたことを振り返るページは、読んでいるこちらまで感慨深くなる。

松井の言葉が現役時代よりも遠くなってしまった要因のひとつに、今後の人生をどう歩むべきか、その選択に慎重になっているからもあるだろう。

ファン、そして巨人関係者からの「次期監督は松井で!」という期待と思惑。
一方で、メジャーでも確かな足跡を残した男に対して、ヤンキースも2年連続でスプリングキャンプのトレーナーに招待。
他にも野球の五輪競技復帰を目指す上での親善大使的な活動も求められている。

個人的には特定の球団の監督よりも、もっと大所高所的な立場から球界全体を盛り上げる役が松井ほどの人物ならふさわしいのでは?と思っていた。
だが、本書を読んで「指導者・松井秀喜」の姿も見てみたい、と思うようになった。

「教え上手と教わり上手」という項目では、「指導者が圧倒的に強い立場にいて従うのが当たり前」という日本のスポーツ界に警鐘を鳴らし、指導者と選手の間でなぜ齟齬が生じるのかを的確に解説していたからだ。

《打撃や投球の感覚をどんなに説明されても、それは自分とは別な肉体を持つ人が語る言葉だ。互いに自分の肉体を通した感覚しか知らないのだから、言葉を表面的に受け止めて分かった気になると誤解が生じることになる。(中略)言葉を漫然と受け入れるのではなく、自分で解釈して具体化しないとアドバイスは身にならない。》

ここでもやはり、「言葉」の重要性と難しさを解く。同時に、指導者の課題にも言及する。

《教え上手な人は、自分を選手に置き換えられる人だと思う。(中略)外から見た目でしか教えられないと「何で分からないんだ」となる。そこがコーチと選手の間の溝になる》

松井自身は高校時代も特別な打撃指導を受けたことはなく、自分の感覚でプロ入りを果たした異能な才の持ち主だ。
そんな人物が、感覚的、と称されることが多い長嶋茂雄のマンツーマン指導、いわゆる「松井秀喜4番千日構想」の日々を血肉化させてプロとしての打撃スタイルを築きあげていった。

松井自身は長嶋監督の指導スタイルを「言葉は確かに独特かもしれない。ただ言葉がわかりにくいと思ったことは一度もなかった」と打ち明ける。
誰もが「感覚的」と称する指導を言葉で理解することができたからこそ、日米を代表する大打者にまで登りつめることができたのだろう。

本書では他にも、スポーツに取り組む上での心構えなど、松井秀喜の指導理論のベースになりそうな考えが随所に登場する。
たとえば昨夏、松井秀喜の母校、星稜高校が地区大会決勝で8点差を逆転勝ちした試合を例に出し、あえて敗者にスポットを当てる場面が印象的だ。

《誰も永久に勝ち続けることはできない。敗戦は付きもので、スポーツは人生の早い段階でそういう感情を乗り越える訓練をする場でもある。(中略)野球で起きたことは何らかの形で日常生活に生きるはずだ。グラウンドで直面した厳しい現実を心にとどめて別の道を歩むことは、もしかしたら野球を続けて雪辱を図る以上に意義のあることかもしれない》

こんなことをサラリと言える指導者ならぜひ見てみたいなぁ……と思っていたら、ヤンキースのゼネラルマネジャー(GM)特別顧問に就任するというニュースが飛び込んできた。今後、ヤンキースのマイナーリーグを巡回して打撃面のアドバイスを送ることになるという。

いよいよ次の道を歩みだすときが来たのか? その場所が日本ではなかった、というのが少し寂しい。