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Columnコラム

J SPORTS Do ya love Baseball? ナガオ勝司 2015, 4, 14, 20, 02015/04/14
松井秀喜は、言葉の力を信じる。 書評「エキストラ・イニングス 僕の野球論」
松井秀喜はいつか、きっと日本のプロ野球チームの監督になるのだろう。たぶん、読売巨人軍の監督になるのではないだろうか―。

そう思っている人は多いのではないかと思う。特に2013年、ジャイアンツの試合前に松井の引退セレモニーと国民栄誉賞の授与式が行われたことで、『ああ、やっぱりいつかは巨人軍に帰ってくるんだな』とイメージした人は多かったのではないか。

それが実現するか否かはともかく、本書「エキストラ・イニング 僕の野球論」の巻末に、引退後2年が経った時点での今後の展望について松井自身がこう語っている。

「一度野球の世界に入りユニホームを着れば、また勝負の世界に戻ることになる。そうなれば違った熱さが出てくると思います。ただそれが自分にとって本当にいいのかは、今は分からないです。もしかしたらこのままずっと行ってしまうかもしれないし、それは分からない。」

本書にある松井の言葉には、日本のプロ野球や野球界全体を愛しながら、どこか突き放した感覚があるような気がする。それはまるで「そんな考えでは、前には進めませんよ」とでも提言しているかのような感じなのだ。

たとえば大谷翔平投手の二刀流について、彼はこう語っている。

「両方やっていては一流になれないという意見もあるようだが、これまでほとんどいなかったわけだから、無理だと言うこと自体がおかしいと僕は感じる。」

たとえば高校野球の連投について、彼はこう語っている。

「僕が投手でも甲子園のためなら壊れてもいいと思ったはずだ。何連投でもしただろうし、投げただろう。だからこそ指導者の判断、管理が必要になる。
高校で相当投げてもプロで活躍している選手は確かにいる。だが一方で豊かな才能を持ちながら、大学や社会人も含めた次のレベルにたどり着く前に球界から消えていった選手は多い。高校生があえてリスクを冒す必要はないと個人的には思う。」

彼の思慮深さや懐の深い部分がよく反映されているのは、とくに“指導者”を語る部分だろう。

「指導者が圧倒的に強い立場にいて従うのが当たり前だと、どうしても意図は伝わりにくくなる。」

「コーチが技術指導を真剣に考えれば、必然的に選手の立場になってものを考えるようになる。」

今まで慣例的にそうしてきたから、それを継続していくだけ。そういう考えはきっと、松井の中には存在しない。だからたぶん、彼の中には“巨人軍の監督”に対する偶像も存在しないのではないか。プロ野球の(こういう言い方はあまり好きではないが)指導者になることが野球人としての最終ゴールとも思っていないのではないか。そんな気がしてならない。

松井秀喜の言葉とはつまり、松井秀喜の意思表明である。

じっくり考えてから繰り出された言葉には、強い思いが込められており、それゆえに本書を読み進めていく内、「松井はいつか、巨人軍の監督になるだろう」などという考えには疑問を持つようになる。

その過程として、プロ野球の監督があるのは構わないし、メジャーリーグで言うところのGM=ゼネラルマネージャー(編成の最高責任者)があっても構わない。だが松井にはもっと、面白くて大変な仕事が似合うのではないか。

プロもアマチュアも旧態依然とした日本の野球界全体、簡単には変革できないほど歴史が長く、巨大な組織を変えられる役割を担うこと。それこそは松井のような選手に求められることであり、我々が本当に期待すべきことなのではないか、などと思ったりする。