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Columnコラム

Number Web Sports Graphic Number 2009/04/03
松井秀喜 「危機感は常に持っている」 【連載最終回】
WBCと新たな日本人メジャーリーガーたち

 2009年は日本球界にとっても、大きな節目となる年でもある。3月には連覇のかかるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の第2回大会が控え、マリナーズのイチロー外野手をはじめ、メジャーリーガーも多数参加。日本代表チームを率いる原辰徳監督は最後まで松井の参加の可能性を模索していたが、最終的には「万全の体調で大会に臨めない」と松井が辞退を決断した。

 また、WBCとは別に今年も日本から新たにメジャーに挑戦する選手は、かつて松井の僚友であったり、ライバルチームのエースとして激闘を繰り返した因縁の投手たちである。

 ヤンキースが所属するア・リーグ東地区には、今季から新たにかつてのチームメイトだった上原浩治投手がボルチモア・オリオールズに加入、ボストン・レッドソックスには斎藤隆投手が移籍してきた。アトランタ・ブレーブスには川上憲伸投手の入団も決まった。

――原監督は最後まで松井選手のWBC出場の可能性を探っていたようですが……。

「二人で話した中ではそういう話もありましたが、ちょっと厳しいですね。2月の中旬から3月にかけて100%のプレーは難しい」

――ヤンキースの意向というより、やっぱり自分の体の状態の問題?

「それはそう。そこを自分の一番の判断基準として、やっぱり厳しかったですね」

――ラストチャンスじゃないですか?

「4年後ってオレいくつ? 現役やっているかも分からないけど(笑)。まあ、それは仕方ない。縁がなかったということでね」

――前回、断ったことは後悔していない?

「でもあのときはあのときの事情があったから。決して後悔はしていません。まして日本が優勝したわけでしょ。僕が出ていたら優勝したかどうかも分からない。最高の結末だったのだから良かったんですよ。僕だって自分が出ていないから応援しないわけじゃない。日本国民の一人として、今回も応援しますよ」

――上原がきたことは?

「対戦するときは真剣勝負だけど、何か嬉しいですよね。またしょっちゅう会えるし」

――ああいうタイプの投手は?

「う~ん……あんまりメジャーにはいないかもしれないですね。スプリットを投げる投手も少ない。いまはほとんどチェンジアップだから。でも、アイツの一番の武器はコントロール。僕が知っている上原は、コントロールに間違いがないから、そんなに大崩れしない」

――球速が落ちていると指摘の声もあります。

「球の遅い投手はメジャーにもいっぱいいますよ。バッターを起こす球と逃げる球をきっちり投げ分ける。それで外角に変化球を出し入れできるコントロールと技術を持っていればある程度、抑えられると思いますね」

――打者としては日本人投手の方が球筋とか分かっているし対戦しやすい?

「う~ん、どうかなあ……。ピッチャーによるかな? でもバッターもメジャーのピッチャーに合わせてきている部分がある。逆に(日本人投手と対戦すると)珍しいピッチャーだな、っていう感じになるときもある。例えばオカジ(レッドソックス・岡島秀樹投手)みたいに、ああいうカーブとチェンジアップ、変化球を投げる投手はいない。アイツがあんなにコントロールが良かったっけ!って。(巨人時代は)良くなかったんですけど、今はいいですよ。マウンドとかが合っているんだろうけど、コントロールに間違いがない」

――やっぱり制球力ですか?

「オカジだって90マイルは出ないですよ。でも抑えられる。やっぱり制球力でしょう!」

――じゃあ打者の決め手は?

「ヒットを打つためには、いかにボールをひきつけて打てるか、かな。ポイントを近づけてホームランを打つのは難しい。落合(博満・現中日監督)さんなんかはうまく打てたけど、やっぱり難しい。だから逆方向に打つしかないんですよ。(タンパベイ・レイズの)岩村(明憲内野手)って逆方向に打つのがうまいんですよ。だからそれで対応していますよね」

4月3日新ヤンキースタジアム、オープン!

 2009年はヤンキースにとっても新たな第一歩の年となる。新ヤンキースタジアムは4月3日のシカゴ・カブスとのオープン戦でこけら落としされる。

「あの独特の雰囲気にやられた」というのは、まだ巨人に所属していた1999年のことだった。シーズンが終わった直後に飛行機に飛び乗り、初めて旧ヤンキースタジアムを訪れた。そこで感じた独特の空気。その瞬間に松井はヤンキースの虜になっていた。

 松井にとってはメジャーの出発点とも言える旧スタジアム。だからこそ昨年、左ひざの手術を回避しても本拠地最終戦への出場にもこだわった。その原点が静かに幕を閉じ、2009年はチームも、松井も、新球場でリスタートを切ることになる。

――新球場は?

「行きましたよ。ロッカーとかも全然、雰囲気は違いますね。なんて言うかな……あの独特の重い空気はないですね。でもこれからそういう雰囲気が出てくるんじゃないかな。ヤンキースが新たな伝統を作っていけば出てくると思う。でも作っていけないと、普通の球場になっちゃうかもしれませんね」

――今はあまり感動はない?

「それはそれであるけど、僕が初めてヤンキースタジアムに立ったときの感動はない。巨人時代に初めて来たとき、ヤンキースの一員として初めて足を踏み入れたとき……。空気が違う。何というか何十年の澱(おり)というか、そういうのが溜まったようなね……」

――ワインみたいだね(笑)。

「それはちょっときれいに例え過ぎ! でも何とも言えない空気があるんですよ」

――そういう意味では球場も松井選手自身も、今年がリスタートですね。

「うん、まあそういう気持ちで、うまくリンクしてというか、うまくいけばいいなと思いますね。球場も、自分もね」

――キャンプインの予定は?

「2月の頭にニューヨークに戻って4、5日後にはタンパに行くことになるでしょう。フリー打撃はタンパに入ってから。何も変わらないですよ。やるべきことをやる。それでいい結果がついてくれば、それは嬉しいね」
Number Web Sports Graphic Number 2009/04/02
松井秀喜 「危機感は常に持っている」 【連載第2回】
ヤンキースで生き残るために

 昨年9月に手術した左ひざの回復は順調だという。2007年オフに右ひざを手術し、患部の状態は格段に良くなった。左ひざは巨人時代からの古傷。ヤンキースに移籍した当時から抱えていた故障だった。それだけに左ひざも手術したことでここ何年か抱えていた悩みを解消し、今季は移籍後、一番いい状態でプレーできる可能性も秘めている。

――手術の経過は?

「右足と同じような経過です。同じという意味ではいい経過といえるかもしれません」

――去年のキャンプイン時点と比べると?

「去年はまだ全力で走れず、実際問題としては間に合っていなかった。試合には3月の9日か10日ぐらいに出たけど(正確には9日のツインズ戦)、まだ足(の状態)は全然、戻っていなかったですから。でも、今年は間に合いそうですね」

――右ひざに比べると左ひざの状態は悪かったと聞いています。

「そうですね。軟骨が痛んでいた範囲は左の方が大きかった、とドクターも言っていました。でも2カ月手術が早かったという時間的な猶予はあります」

――ひざの手術は、術後のリハビリがカギと言われます。いま気をつけていることは?

「無理しないこと(笑)。右ひざの経験があるんで、治っていく感覚は分かります。こういう痛みは嫌だとか、ね。ただ、なかなか痛みは引かないし、なかなか筋力も戻ってこない」


 メジャー2年目の2004年に31本塁打をマーク。翌'05年には打率3割5厘で23本塁打、116打点とクラッチ・ヒッターとしてチーム内でのポジションを確立した。
だが、翌'06年の左手首骨折からはケガとの戦いとなった。連続試合出場の記録を更新して“鉄人”のイメージが強かったのがウソのように、ずっとケガとの戦いが続いている。ただ、オフになればトレード報道が飛び交いながらも、それでもまだ生存競争の激しいヤンキースで生き残っている。その事実が松井に対するチームの評価となるのだろう。

今年の目標は1年間ケガをしないこと

――今年の目標は?

「まず一年間、ケガをしないでいい健康状態でプレーすること。どこかでケガをした時点で終わりだと思っています。ヤンキースに残るという意味でも、ケガをしたらそこでチャンスはなくなるでしょう」

――チームはスウィッシャー、テシェーラと大物野手を補強。厳しさは感じますか?

「そりゃそうでしょう!(笑) 世界一お金を使っているチームなんだから。でも野手はそんなに変わっていないですよ。アブレイユ(外野手)が抜けて代わりにスウィッシャーが入って、ジェイソン(ジアンビ一塁手)がいなくなってその代わりにテシェーラがきた。そんなに大きくは変わっていない。外野手はちょっとダブついていますけどね」

――昨年、トーリ監督からジラルディ監督に交代した影響はありましたか? やっぱり監督が自分を観る目が違うというのもあった?

「5年間やってきたトーリの最後と、1年目のジラルディを比べたらやっぱり違う。積み上げてきた期間が違いますから、違って当たり前なんです。でも、僕が日本からきたときはトーリも半信半疑だった。だからそのときのトーリと、昨年のジラルディを比べれば、見方はそんなに変わらないと思いますよ」

――去年、一緒にプレーしてアピールできた?

「去年のキャンプインの時点に比べれば、松井秀喜というプレーヤーに対する評価は、多少は上がったと思います、おそらくね。下がっていたら悲しいですけど(笑)」

――勝つためのプレーを評価された?

「そういうこともそうだし。試合の中で選手を見ていたら、ある程度、この選手は何を考えてプレーしているかは分かるんですよ」

――体が万全ならばその信頼関係からスタートできるという自信はある?

「お互いの理解度という面では、少なくとも去年よりは間違いなく高いところからいけると思いますね」

――指名打者として起用されることは?

「それは仕方ない。ただ、キャンプからオープン戦と守るチャンスはあると思いますから、普通にできることを見せられれば変わってくると思います。そのときにどういうものを見せられるかです」

――グラウンドでやることによってジラルディ監督の考えを変える……。

「そういうことはあると思う。自分のやっていること、やらなくてはいけないことをやるだけだけど。でも、それでいい風に変わってくれるといいなと思いますね」
Number Web Sports Graphic Number 2009/04/01
松井秀喜 「危機感は常に持っている」 【連載第1回】
崖っぷちのシーズン

 ここ数年、オフには必ず日米のメディアを巻き込みヤンキース・松井秀喜外野手のトレード報道が流れる。ただ今年、例年にも増してその可能性が報じられたのは、いくつかの背景があったからだった。

 新ヤンキースタジアムの1年目。チームは新球場で是が非でも世界一に返り咲きたい。そのためになりふり構わぬ補強を続けた。

 C・C・サバシア投手とA・J・バーネット投手と、FA市場の目玉投手を両獲り。打者でもニック・スウィッシャー外野手に加え、やはり大物FA選手の一人、マーク・テシェーラ一塁手も獲得した。さらにはかつてライバルのボストン・レッドソックスでヤンキースを脅威にさらしたマニー・ラミレス外野手にまで触手を伸ばしているというウワサも飛ぶほどだ。

 松井自身を振り返れば、一昨年の右ひざに続いて、昨年は左ひざの手術を受け、肉体的に完全かどうかはキャンプに入ってみなければ分からない。しかも2009年は4年契約の最終年。1300万ドルという高額年俸もあり、FAになる前年の放出要員という条件にはピタリと当てはまることもあった。

 最終的にはどうやらヤンキースのユニフォームを着て、2009年シーズンは始まることになりそうだ。ただ、こうした周辺環境を考えれば、ヤンキースの選手としてはまさに崖っぷちのシーズンとも言える。言葉を換えればヤンキースに、メジャーに残れるかどうかの分岐点の年ということだ。松井にとってはメジャープレーヤーとしてのアイデンティティーを賭けた勝負の年が、幕を開けることになる。

ヤンキースでプレーしたい

――危機感を持ったキャンプインですね。

「また今年もレギュラーをとるところから始まるわけですから、そういう意識、危機感は持ってやっていきます」

――追いつめられている意識はある?

「客観的にはそうかもしれないけど……」

――周りは確実にそう見ていますよ。

「まあ、見る方はそう見るだろうし、実際そうなのかもしれない。でも、僕的に言わせてもらえば危機感というのは常に持っています。どういう状態でも、どういう立場にいても常にそういう気持ちは持ってきた」

――契約最終年ということは?

「もちろん現実だけど、あまり考えないです」

――結果が悪ければチームを去らねばならない。

「それは間違いない。ヤンキースは結果が出ない年俸の高い選手がいられるチームではないですから。それははっきりしています。結果が出れば残る可能性もあるでしょうし、結果が出なければ違う球団に行く。誰の身にもふりかかり、自分も例外ではない。そういう覚悟は常に持っています」

――ヤンキースで野球生活を終わるのが目標?

「目標というより、そうなればいいとは思う。ヤンキースが一番好きだし、ヤンキースでプレーしたいけど、それがかなわないなら仕方ないという割り切りも持っています」