講師の心.com 広岡勲
2009/06/25
「不動心の理由」Vol. 2 『謙虚さ』
松井選手入団2年目、私は彼の番記者になった。それには、若手注目選手には同じく若手の記者をつけ、より密度の濃い記事をあげさせようとの報知新聞社の狙いもあったようだ。今から15年も前、私がまだ28歳の頃の話である。
ところで、「番記者制度」は、政財界への取材では古くから確立されており、そのことの善し悪しを問う声は常についてまわっている。報道機関の公平性維持や取材対象者との癒着など、大問題につながる恐れを含んでいるからだ。それは、スポーツ取材でも同じことである。一国を揺るがすようなニュースは少ない分野だが、競技は多岐にわたり、そこに多種多様なファンが存在し、日々その結果に一喜一憂する。応援している選手やチームの一挙手一投足に注がれる視線は、政治報道に劣らないほど熱くて濃い。感情を投影しやすいぶん、政治よりも手近なニュースでもある。
もし番記者が、選手と一線を画したつき合いが出来なくなれば、そこにニュースは生まれない。選手にとって都合の良い記事しか書けなくなるからだ。これは、読者に対する裏切りである。松井選手の番記者を務めている間、とにもかくにも私が自分自身に言い聞かせていたのは、「松井に不利なことでも必ず書く」ということだった。
有難いことに松井秀喜という男は、いわゆる"調子に乗る"とか、"つけあがる"などという言動からは程遠い人物だった。世間から『大物ルーキー』だの『逸材』だのと騒がれる過程で、「あいつも変わったな...」と思わされた瞬間は記憶にない。番記者として親しく冗談を交わした翌朝の新聞に、松井の不調を書いた記事を載せてもそれで態度が変わるわけではない。その点は、長嶋茂雄監督も同じだった。
だが、そうは言ってもまだ二十歳そこそこの青年、社会経験はまだまだ浅い。怖いのは周りの大人たちが『大物ルーキー』に社会人としての在り方を教えることなく、持てはやしてしまうことだ。「こういう場合はどうすればいいのだろう」と本人が戸惑うことがあったとしても、大人たちが先回りしてしまう。
そういえば当時、こんなことがあった。
私が長嶋監督と食事を共にしていたとき、「広岡さん、松井はメディアや関係者の人たちと食事をした際、常に身銭を切っていますか」と、不意に尋ねてきたのだ。
私は、「いや、そういう場合もありますし...。うーん、いろいろだと思います」、とかなんとか、その場をつくろったのだが、実は周囲が松井選手にご馳走するケースが圧倒的に多いことを知っていた。
すると長嶋監督は、「松井に全部自分で支払うように言ってやって下さい。大物になるには、自分のお金を使うことが大切なんだ」と。
これは、あくまでも長嶋流のダンディズムである。収入も価値観も人それぞれだから、この話を聞いて「そんなバカな!」と思う方もいるだろう。だが、私は、妙に納得させられた一人だった。
つまり監督が言いたかったのは、"自分の稼いだお金を人付き合いで使うのは大切なことなんだ。社会的な立場が認められれば認められるほど、身銭を切ってお返しをしなさい。そこに年齢の上下は関係ないんだ"ということだった。そこには、接待だの懐柔だのという考え方は介在しない。まさに、長嶋流ダンディズムだ。
ただ、これを二十歳の青年に実行しろという監督も凄いのだが、松井選手もなかなか大したものだった。私からその話を聞いた後、彼は素直に「そうなんだ」と受け入れ、本当に実行していた(私の知る範囲では・・・)。
思うに、松井秀喜は闇雲に反論したり、拒絶したり、批判したり、ということをしない男である。もちろん、声を荒げることもない。二十歳の青年が「全部支払え」と言われても、文句ひとつ言わない。また、どんなに疲れていても、大負けしたあとでも、必ず記者と正対して取材を受ける。椅子に座ったままや背を向けたままで受け答えする姿を見せることはない。ときに、やり慣れないリップサービスをして失敗することはあるが。しかし、若いときから無礼な態度をとることはなかった。
そうした素地を作り上げたのは、やはり彼の両親である。父親の昌雄さんは、「90歳でも3歳でも魂は同格だから」と、息子の人格を尊重して幼い頃から「秀さん」と呼んでいたという。人間、相手が誰であっても丁寧に呼び合う習慣をつけていれば、乱暴な口調で言い合いすることもなかっただろう。現に、松井選手がプロに入ってから今日まで、ことあるごとに昌雄さんはFAXや手紙で息子を励ましているが、いかなるときも丁寧な言葉、丁寧な文字で綴っている。息子からの返信も同様だ。
親は息子を尊重し、息子は親を尊敬している。その姿勢は、私が15年間見てきて一度も変わることはなかった。
松井選手の成熟には、社会にもまれたことも勿論あるが、何よりも彼に対する両親の接し方が大きかったのだと思う。広報を担当していると、「松井選手は謙虚な方ですね」とよく言っていただくのだが、それは彼を育てた両親への何よりの賛辞ではないだろうか。
ところで、お父さん、これまでさんざんご心配をおかけした「松井時間」ですが、結婚以来まったく問題ありませんのでご安心下さい。(広岡より)
ところで、「番記者制度」は、政財界への取材では古くから確立されており、そのことの善し悪しを問う声は常についてまわっている。報道機関の公平性維持や取材対象者との癒着など、大問題につながる恐れを含んでいるからだ。それは、スポーツ取材でも同じことである。一国を揺るがすようなニュースは少ない分野だが、競技は多岐にわたり、そこに多種多様なファンが存在し、日々その結果に一喜一憂する。応援している選手やチームの一挙手一投足に注がれる視線は、政治報道に劣らないほど熱くて濃い。感情を投影しやすいぶん、政治よりも手近なニュースでもある。
もし番記者が、選手と一線を画したつき合いが出来なくなれば、そこにニュースは生まれない。選手にとって都合の良い記事しか書けなくなるからだ。これは、読者に対する裏切りである。松井選手の番記者を務めている間、とにもかくにも私が自分自身に言い聞かせていたのは、「松井に不利なことでも必ず書く」ということだった。
有難いことに松井秀喜という男は、いわゆる"調子に乗る"とか、"つけあがる"などという言動からは程遠い人物だった。世間から『大物ルーキー』だの『逸材』だのと騒がれる過程で、「あいつも変わったな...」と思わされた瞬間は記憶にない。番記者として親しく冗談を交わした翌朝の新聞に、松井の不調を書いた記事を載せてもそれで態度が変わるわけではない。その点は、長嶋茂雄監督も同じだった。
だが、そうは言ってもまだ二十歳そこそこの青年、社会経験はまだまだ浅い。怖いのは周りの大人たちが『大物ルーキー』に社会人としての在り方を教えることなく、持てはやしてしまうことだ。「こういう場合はどうすればいいのだろう」と本人が戸惑うことがあったとしても、大人たちが先回りしてしまう。
そういえば当時、こんなことがあった。
私が長嶋監督と食事を共にしていたとき、「広岡さん、松井はメディアや関係者の人たちと食事をした際、常に身銭を切っていますか」と、不意に尋ねてきたのだ。
私は、「いや、そういう場合もありますし...。うーん、いろいろだと思います」、とかなんとか、その場をつくろったのだが、実は周囲が松井選手にご馳走するケースが圧倒的に多いことを知っていた。
すると長嶋監督は、「松井に全部自分で支払うように言ってやって下さい。大物になるには、自分のお金を使うことが大切なんだ」と。
これは、あくまでも長嶋流のダンディズムである。収入も価値観も人それぞれだから、この話を聞いて「そんなバカな!」と思う方もいるだろう。だが、私は、妙に納得させられた一人だった。
つまり監督が言いたかったのは、"自分の稼いだお金を人付き合いで使うのは大切なことなんだ。社会的な立場が認められれば認められるほど、身銭を切ってお返しをしなさい。そこに年齢の上下は関係ないんだ"ということだった。そこには、接待だの懐柔だのという考え方は介在しない。まさに、長嶋流ダンディズムだ。
ただ、これを二十歳の青年に実行しろという監督も凄いのだが、松井選手もなかなか大したものだった。私からその話を聞いた後、彼は素直に「そうなんだ」と受け入れ、本当に実行していた(私の知る範囲では・・・)。
思うに、松井秀喜は闇雲に反論したり、拒絶したり、批判したり、ということをしない男である。もちろん、声を荒げることもない。二十歳の青年が「全部支払え」と言われても、文句ひとつ言わない。また、どんなに疲れていても、大負けしたあとでも、必ず記者と正対して取材を受ける。椅子に座ったままや背を向けたままで受け答えする姿を見せることはない。ときに、やり慣れないリップサービスをして失敗することはあるが。しかし、若いときから無礼な態度をとることはなかった。
そうした素地を作り上げたのは、やはり彼の両親である。父親の昌雄さんは、「90歳でも3歳でも魂は同格だから」と、息子の人格を尊重して幼い頃から「秀さん」と呼んでいたという。人間、相手が誰であっても丁寧に呼び合う習慣をつけていれば、乱暴な口調で言い合いすることもなかっただろう。現に、松井選手がプロに入ってから今日まで、ことあるごとに昌雄さんはFAXや手紙で息子を励ましているが、いかなるときも丁寧な言葉、丁寧な文字で綴っている。息子からの返信も同様だ。
親は息子を尊重し、息子は親を尊敬している。その姿勢は、私が15年間見てきて一度も変わることはなかった。
松井選手の成熟には、社会にもまれたことも勿論あるが、何よりも彼に対する両親の接し方が大きかったのだと思う。広報を担当していると、「松井選手は謙虚な方ですね」とよく言っていただくのだが、それは彼を育てた両親への何よりの賛辞ではないだろうか。
ところで、お父さん、これまでさんざんご心配をおかけした「松井時間」ですが、結婚以来まったく問題ありませんのでご安心下さい。(広岡より)