産経新聞
2009/11/15
最初で最後の後継者…「世界一」松井と長嶋氏の“絆”
ヤンキースの松井秀喜外野手が米大リーグのワールドシリーズで最優秀選手賞に選ばれたのに対し、長嶋茂雄元巨人軍監督は「松井の笑顔を見て、涙が出るほどうれしさが込み上げてきた」とコメントした。
「涙が出るほどのうれしさ」-。その言葉の裏には、長嶋と松井秀にしか分からない師弟のきずながあった。
長嶋は「ミスタープロ野球」といわれた自分にしか分からない英才教育を松井秀に施し、期待した。
松井秀が黙々と素振りを繰り返す姿を長嶋は見ない。ただバットのヘッドが返るときの、ビュッという音にだけ、神経を研ぎ澄ます。
「ようし、今の音だ。あと10回行こう」
だが10回では終わらない。戸惑いながら、松井秀は振り続ける。どの音が良い音で、どの音が悪い音か。当初は松井秀自身も分からなかった。それでも振り続けるしかない。満足な音が聞こえるまで、長嶋の指導は終わらないのだ。「あと10回」が200回になったときもあったという。
遠征時やキャンプ時には、1人、監督の部屋に呼ばれ素振りをした。集中力を高めるため部屋の明かりを消し、スイングの音だけが2時間以上、響いたこともあった。
「今の選手はマシンやティーで球を打つが、基本は素振りですよ。われわれの時代は素振りだった。素振りをして振り込まないと、体が覚えない」というのが長嶋の持論だ。ちなみに中日の落合博満監督も同じ考え方で、現役時代は素振りを重視していた。
長嶋には、松井が自らの打撃理論の「最後の後継者」との意識があった。そのため松井がヤンキースに入団しても、長嶋はできる限り、テレビで松井の打撃をみていた。時には試合中にもかかわらず、ヤンキース関係者に電話をし、松井に伝えるよう、アドバイスをしたこともあった。
実は、長嶋は第一次政権時(1975~80年)、東海大で大活躍していた原辰徳・現巨人監督を自らの後継者と考えていた。東海大での活躍をビデオに録り、「どういう打者にするか」という構想まで練っていた。だが原が巨人入りする直前に、長嶋は解任された。
93年、再び監督に就いた長嶋は外野手だった原を三塁手に戻し、原の再生に着手した。「技術的に問題はない」と判断し、「下半身のキレを戻そう」と助言。原は翌日から午前中、東京・稲城のジャイアンツ球場で走り込みを始めた。が、初日、古傷のアキレスけんを痛め、登録抹消となった。
95年、長嶋はもう一度、原再生に乗り出す。開幕直後の練習時、打撃練習を突然と止め、長嶋は原から投手方向に2メートル離れた場所に立ち、中腰で右手を顔の前にかざし、原の打撃フォームを2分間、じっとみつめていた。「よし」。長嶋はその言葉を言い残し、去っていった。
理論的には何も問題はなかった。だが、アキレスけんとともに、86年、広島の津田投手の球をファウルした際に骨折した原の左手首は、もう限界に達していた。
95年、原引退。同時に松井秀への英才教育は始まった。そして見事に世界一の打者に育て上げた。松井秀は最初で最後の長嶋の後継者となったのだ。
Number Web スポーツ・インサイドアウト
2009/11/11
松井秀喜とアトリー。ベーブ・ルースと肩を並べる好記録
第5戦まではチェイス・アトリーだと思い込んでいた。ヤンキースが勝とうがフィリーズが勝とうが、MVPに最もふさわしいのは、5戦で5本の本塁打(レジー・ジャクソンと並んで史上最多)を放ったフィリーズの二塁手にほかならない、と私は思っていたのだ。
1試合6打点を放った松井のMVPは文句なし。
え、負けたチームから? と思われる方もいるだろうが、すでに前例がある。1960年のワールドシリーズでMVPに選ばれたのは、敗軍ヤンキースのボビー・リチャードソン二塁手だった。ご承知のとおり、この年のヤンキースは第7戦の9回裏、ビル・マゼロスキーの劇的サヨナラ本塁打でパイレーツに苦杯を喫するのだが、リチャードソンは第3戦で1試合6打点のシリーズ新記録を樹立したのが高く評価されたのだった。
だとすれば、シリーズ第6戦でリチャードソンの記録に並んだ松井秀喜が、アトリーを一気にかわしてMVPを受賞したのもむべなるかな、である。前日まで私の本命だったアトリーが3打数無安打2三振と精彩を欠いたのに対し、松井は、本塁打、シングル、二塁打をつるべ打ちしてシリーズの打率を6割1分5厘(13打数8安打)にまで高めたのだ。アトリーのほうは、結局21打数6安打の2割8分6厘。5本塁打、8打点という数字は松井をしのぐほどだが、勝利への貢献度や打率を見ると、松井の優位は否みがたい。
6割1分5厘のシリーズ打率はMLB史上3位の成績。
シリーズの歴史を振り返ってみても、松井の打率は史上3位に相当する。1位がビリー・ハッチャー(レッズ)の7割5分(1990年)、2位がベーブ・ルース(ヤンキース)の6割2分5厘(1928年)。上には上がいるものだが、松井の8打点は、ミスター・オクトーバーと呼ばれたレジー・ジャクソン(77年と78年)と肩を並べる堂々たる数字なのだ。
いいかえれば、松井は今季のワールドシリーズで、持ち前の勝負強さを存分に発揮した。第2戦でも松井に本塁打を許したペドロ・マルティネスの年齢的な衰えを指摘する声は当然あがるだろうが、それを差し引いても松井の忍耐力と破壊力は、「男の集団」ヤンキースを象徴するものだったといってよいだろう。
“ヤンキース愛”を訴える松井の去就は?
ただ私は、松井の復活にはもうひとつ大きな理由があったのではないかと思う。ポイントは膝だ。もしかすると松井の膝は、周囲の予想をはるかに超えるスピードで回復していたのではないか。ありきたりの結論に聞こえるかもしれないが、第2戦で低目の変化球をとらえた本塁打にせよ、第6戦で8球目まで粘った末、右翼二階席(コマツの広告看板に命中したのが笑わせる)へ運んだ一発にせよ、下半身の粘りがあってこその結果だった。いや、その前にも下半身を残してタメを作った例があった。第3戦、フィラデルフィアで代打に立った松井は、実に久しぶりに左翼への本塁打を放っていたではないか。
いずれにせよ、シリーズMVPの受賞で、今季でヤンキースとの契約が切れる松井の去就は俄然わからなくなった。松井はニューヨークへの愛情を切々と表明しているが、冷徹な管理職のキャッシュマンGMは、果たして松井の愛情に応えるだろうか。ちなみに先ほど触れたリチャードソンは、MVP受賞後も6年間ヤンキースに残留しつづけ、名脇役としての働きをまっとうしている。
追跡!AtoZ キャスター日記
2009/11/10
松井秀喜 MVPへの道
11月5日木曜午後(アメリカ東部時間4日夜)、松井選手のバットが快音を残しヤンキースタジアムのアッパーデッキまでボールが運ばれる。そしてワールドシリーズでのヤンキース優勝、松井選手のMVPが決まった時、「今週も番組内容は差し替えだ」と誰からともなく声が上がりました。土曜放送の番組で木曜日に「ネタ」を差し替えるのは結構大変なのですが、スタッフたちは連日の徹夜も厭わず松井選手の実像に迫ってくれました。
番組の見どころは2つ。ひとつは第6戦の松井選手のホームランの伏線となった第2戦の宿敵マルチネス投手との息詰まる攻防、ふたつ目は度重なるけがと戦う松井選手の姿です。
ゲストはNHK大リーグ解説、前西武ライオンズ監督の伊東勤さん。左バッターにとって軸足の左足がいかに大事かをスタジオで実演してもらいました。「軸足がしっかりしていないと体重を支えられない。ボールを呼び込めないし鋭いスイングもできない」。個人的なことで恐縮ですが、私は野球少年でした。中学と大学で軟式野球をやっていました。そして右投げ左打ち。松井選手と同じだと自慢しようというわけじゃなくて、伊東さんの話はとてもよく理解できるということが言いたいのです。
その左ひざを去年手術。右ひざの手術はおととし。2006年には左手首の骨折も経験しています。松井選手の大リーグ生活7年のうち後半4年間はまさにけがとの戦いです。伊東さんの話でハッとすることがありました。「普通はこれくらい大けがをすると選手生命が終わってもおかしくありません」。言われてみればそうです。松井選手なら何とか克服してくれるだろうと思い込んでしまっていました。
「重大なけがを克服して今年活躍できたのはなぜですか」という私の問いに対して伊東さんの答えはこうでした。「グランドに立てれば必ず結果を残せるという強い自信があるからでしょう。普通はけがをすると誰かに頼ったりするものですが、松井選手はちがう。自分に自信があるからけがを克服するための努力を怠らなかったのです」。
松井選手の去就が注目されています。ヤンキースに残留しようと他のチームに移籍しようと、これだけは確実に言えます。ヤンキースをワールドシリーズの優勝に導いた松井選手の活躍は大リーグが続く限り永遠に語り継がれるということ。そしてもうひとつ。小学生の時ホームランばかり打つのでハンディをつけるため右打ちから左打ちに代えられた、星陵高校時代甲子園で5打席連続で敬遠された、など数々の"松井伝説"に今回新たな伝説が加わったこと、です。
NHKスポーツオンライン 高橋洋一郎
2009/11/09
宿命
2009年のワールドシリーズ、ニューヨーク・ヤンキース 対フィラデルフィア・フィリーズの第6戦、フィリーズのマウンドにはあの投手がいた。ペドロ・マルティネス。
通算219勝、サイヤング賞3度受賞、言わずと知れた大投手だ。
ヤンキース相手には何かと因縁が深く、レッドソックス在籍時には数々の名勝負を演じ、またグラウンド以外での舌戦でもヤンキース、そしてそのファンを挑発し続けた。
すばらしい投手であるがゆえに“憎くて仕方のない”、まさに宿命のライバルというべき存在である。
昨年まで在籍したニューヨーク・メッツを離れ今シーズン前半は無所属、しばらくは全く音沙汰のなかった彼がフィリーズと契約したのは今年7月15日、そのまま因縁に導かれたかのようにワールドシリーズというこの上ない大舞台でヤンキースタジアムにカムバック、となったわけである。
敬虔なクリスチャンである彼は、試合前日の会見上、ワールドシリーズでヤンキースのペティット投手と投げ合えることについて、「このような機会に恵まれたことを神様に感謝します。2匹の年老いたヤギ(マルティネス38歳、ペティット37歳)はお互い全力をつくし、この機会を楽しむことでしょう」
と、彼らしい、まさに彼らしいコメントを残す。
そのマルティネス投手が、この負けたら終わりという崖っぷちに立った試合でマウンドにいる。
何も起こらないわけがないのである。
まずは2回裏ヤンキースの攻撃、先頭のロドリゲス選手が四球で出塁し打席には松井選手が入る。
投げるコースや球種をファールで一つ一つ潰した後、フルカウントからの8球目をたたいた打球は大歓声に後押しされるようにライト2階席へ。
夜空をバックに高く、大きな放物線を描いたホームランは、今季打った中で、というより松井選手がメジャーに来て打った中で最も美しいホームランと言ってもいいのではないだろうか。
続いて2対1と1点差に詰め寄られた3回、2死満塁でまわってきた第2打席。
すでに松井選手に対し攻め手に窮していたマルティネス投手は交代時かとも思われたが、マニュエル監督は迷わず続投させる。
今度は2ストライクと追い込まれながらも3球目、外高めへのボール球をきれいにセンター前にはじき返して2点タイムリーヒット。
マルティネス投手にとっては、外そうとした球まで跳ね返されてしまったわけだ。
これもまた因縁か、何だか似すぎてはいないだろうか。
ここでもあの試合が思い起こされるのだ。
2003年のリーグチャンピオンシップシリーズ、ヤンキース対レッドソックス第7戦。
5対2とレッドソックスのリードで迎えた8回裏、当時レッドソックスのリトル監督はマウンドに行きながらもそのままマルティネス投手の続投を選択、その直後にヤンキースの同点劇は起こった。
5回、それでも止まらない松井選手の第3打席。
今度はその日2本目のホームランかという大飛球、これがライトオーバーの2点タイムリー2塁打となる。
この試合何と計6打点、ワールドシリーズ1試合6打点は歴代最多タイ記録だ。
見事な大活躍、文句無しのワールドチャンピオン、そして殊勲のMVP……。
何も起こらないはずがないこの舞台で、確かに“何か”を起こしたのは誰あろう、松井選手であった。
2009年メジャーリーグのシーズンはヤンキースが27回目のワールドチャンピオンに輝き、幕を閉じた。
2000年以来実に9年ぶり、勝つ事を宿命づけられたチームにとっては許されざるブランクの末のワールドチャンピオンである。
宿命のチームで、宿命のライバルを打ち倒し、宿命のワールドチャンピオンへ。
そういえば先月このコラムで書いた、161ストリートに住むゴーストは今回も現れたのだろうか。
もちろん、現れた。
ここまでの舞台を用意したのもこのゴーストなら、その主人公に松井選手を抜擢したのもこのゴーストかもしれない。
「(MVP受賞は)予想もしてなかったですからね、びっくりした。ほんとにね………。何かの、何かというか、そういう力が何か働いたんだと思います」
松井選手が初めてこのゴーストに邂逅してから7年、遂に見入られたということか。
ヤンキースの長い歴史の中でも、このゴーストに見入られた本物のヤンキーはそう多くはないはずだ。
それはもう一つ、選ばれし者だけに与えられる“宿命”なのかもしれない。
サンケイスポーツ
2009/11/08
松井秀、外野復帰「一時も薄れたことはない」
【ニューヨーク6日(日本時間7日)】ワールドシリーズMVPで悲願の世界一に輝いたヤンキースの松井秀喜外野手(35)が、来季の目標に外野復帰を掲げた。単独インタビュー最終回では、守備へのこだわりや個人タイトルへの姿勢、そして比較され続けてきたマリナーズ・イチロー外野手(36)や愛妻、巨人ファンへの思いなど多岐に渡って語った。
世界一になった喜びを地元ファンと分かち合い区切りをつけた。パレードを終え、ヤンキースタジアムのロッカーを片づけた松井秀の気持ちは、すでに今オフ、そして来季へと傾いていた。
--ワールドシリーズで守備練習を再開。実現しなかったが、改めて外野復帰の気持ちが高まったのでは
「あくまで守備をやるんだ、という気持ちは一時も薄れたことはないですよ。今はできないけど、ひざがよくなれば必ずやる。その気持ちは常にあったし、今も薄れていません」
--実戦で最後に守ったのは昨年の6月15日。かなりのブランクになるが、来年の見通しは
「それはやってみないと分からないし、チームの状況によっても変わってくる。ただ自分としては、来年に向けてオフからできる限りの準備をしていく。(外野復帰は)まず守れることを証明するしかない」
--今季は04年の31本に次ぐ自身2位の28本塁打。来季は本塁打王争いができるのでは
「まだ今は思い浮かばない。毎年1年を振り返って、こうしたい、こういうことをしていこうと考えていきますから。ただ来年の目標として間違いなく言えることは、またこの日を迎えること。個人タイトルは素晴らしいけど、あくまで目標は世界一。そのために戦った末のタイトル獲得なら最高ですけどね」
--今年はWBC世界一の主役がイチローで、ワールドシリーズMVPが松井秀。また比べられる
「正直、何とも思っていません。比較するのは2人以外のメディアやファンで、自分がコントロールできることではない。ボク自身も、自分をイチローさんと比べることはしませんから」
--世界一になる上で“内助の功”があったのでは。本拠地ではオニギリを持ってきていた
「結婚して食生活がよくなったとか球場入りが早くなったとか言われますが、一番変わったのは自分の気持ち。そういう存在がいるという気持ちが大きかった。感謝しているし、喜んでもらえたと思う」
--02年オフ、自分を「裏切り者」とまで言って別れを告げた巨人ファンに世界一を報告できる
「あのときの“申し訳ない”という気持ちは今も変わりません。日本に残ってほしい、巨人にいてほしいというファンに対してのおわびでしたから、今こうやって世界一になりました、一緒に喜んでくださいというのは違う気がする」
悲願の世界一を初奪取した直後に吐露した外野復帰への強い決意。来春キャンプで外野を守れることを証明するため、今オフの松井秀は契約交渉の経過報告を代理人から受けながらトレーニングに励む。
サンケイスポーツ
2009/11/07
FAある!松井秀が去就を激白「今は受け身」
【ニューヨーク5日(日本時間6日)】米大リーグのワールドシリーズで悲願の世界一初奪取を果たしたヤンキースの松井秀喜外野手(35)が、サンケイスポーツの単独インタビューでオフの契約問題について「白紙」を強調した。一方、日本人大リーガー初のワールドシリーズMVP受賞から一夜明け、この日は多忙な一日を送った。
ニューヨークでも一躍、時の人になった。名門ヤンキースを9年ぶり27度目の王座に導いた松井秀が一夜明けて取材に応じた。注目される去就に関しては言葉少なだったが、サンケイスポーツの単独インタビューでは現在の心境を吐露した。
--今季で4年契約が切れる。契約する上で優先したい点は何か。起用法、年俸、本拠地の場所…。シーズン中は「自分を必要としてくれる球団」と言っていたが
「今は、ちょっと考えられない。これから今季を振り返る中で、少しずつ(考えが)できていくと思う。自分にとって何がいいか、自分にとってどういうチームがいいのか。もう1回、気持ちを白紙に戻して考えた方がいいかな、と思っている」
--ヤンキース残留が最優先ではないのか。シリーズ終了から15日間は独占交渉期間になる
「ヤンキースは素晴らしい球団だし、同僚もファンも好き。そのヤンキースに必要とされるのは幸せなことかもしれない。でも、自分が残りたいと言っても、球団に契約しないといわれたら終わりなわけですから…。あくまで今のボクは受け身なわけです。球団から何かアクションがあるまで、ボクからは何もない」
--第6戦で世界一になれば、ピンストライプのユニホームを着るのも最後になるかもしれないという気持ちは
「まったくなかったです。いつも通り、試合に臨みました。試合が終わるまでは、普段通りだったと思います」
--7年間追い求めてきた「ヤ軍での世界一」を達成したことで、球団への思いに変化は
「ヤンキースに対する気持ちは変わりません。確かに今年はやり遂げたけど、この球団にとっては世界一だけが唯一の目標なわけです。今は最高の瞬間だけど、時間がたつにつれて“来年もここにくるためにどうするか”を考え始める。そういう球団です。ボクが来年、そこにいるかは分かりませんけど…」
巨人からヤ軍入りした02年オフと、今回の4年契約を交わした05年オフを経験したことで、ゴジラから今オフの交渉に対する焦りは感じられない。来季の所属先を「白紙の状態で考える」という松井秀の本音、そして激白だった。
SPORTS COMMUNICATIONS 杉浦大介「NY摩天楼通信」
2009/11/06
ワールドシリーズMVP、松井秀喜の未来
全米を震撼させる松井秀喜の超絶パフォーマンスだった。
すべての野球人にとって夢の舞台であるワールドシリーズの第6戦で、4打数3安打、1本塁打。そしてシリーズタイ記録となる6打点。何より、この大活躍でヤンキースを27度目の世界一に導いたのだ。
「最高ですね。この日のために1年間も頑張ってきたわけですから。何年もニューヨークにいましたけど、初めてここ(世界一)まで来れて最高です」
日本人選手としてはもちろん初めてとなるワールドシリーズMVPを獲得しても、松井の言葉はいつも通りシンプルだった。だが今回ばかりはそうであるがゆえに、より実感がこもって聞こえたのも事実である。
渡米以来7年。スーパースターばかりのチームで過ごしながら、なかなか頂点には立てなかった。ジェイソン・ジアンビ、ランディ・ジョンソン、マイク・ムシーナらと同じ「勝てない高給取り」のカテゴリーの中に、松井の名前も含まれるようになってしまった。しかし、そんな日々もこれで終わる。
ワールドシリーズで大活躍したヤンキースの選手は、街では永遠に崇められ、いつしか伝説へと昇華していく。2009年11月4日は、松井がその地位にたどり着いた記念すべき1日だったのだ。
そして契約最終年の最後のゲームで残した強烈なインパクトは、松井自身の来季以降を考えても重要な意味を持つと言ってよい。「高齢」「故障持ち」「守れない」といったマイナス要素は未だに多いとはいえ、ワールドシリーズMVPに輝いた選手の放出は誰にとっても難しい決断となることだろう。
今年7月、筆者はこのページで「ヤンキースに残留するためにはポストシーズンで大活躍をする必要がある」といった趣旨のコラムを書いた。
「厳しい戦いが続く渦中で、大舞台での実績がないアレックス・ロドリゲス、マーク・テシェイラらが苦しむシーンが見られるかもしれない。そんな中で松井がかつてのような勝負強さを発揮し、ついに迎える肝心のポストシーズンでこれまで以上に印象的な活躍ができれば……」(>>第141回「松井秀喜、選手生命をかけた戦いへ」より)
実際にその通りにしてしまったのだから、松井には恐れ入るばかりである。ワールドシリーズの期間中、レギュラーシーズンではチームMVP的な働きを見せたテシェイラは不振に苦しんだ(22打数3安打、打率.136)。今プレーオフではここまで鬼神の働きをしていたロドリゲスにしても、絶好調とは言えなかった(20打数5安打、打率.250)。そんな中で松井秀喜がチーム1の8打点。打率、長打率ともにチーム内で断然トップ。DH制のない第3~5戦に出場しなかったにも関わらず、これほどまでの数字を叩きだしたのだ。
「マッティ(松井の愛称)は出逢ったときからずっと勝負強い選手であり続けてきた。とにかく勝負強いんだ」
シリーズ終了後、ジョー・ジラルディ監督もそう語って松井を絶賛。勝負強さをアピールするに、ワールドシリーズ以上の舞台はなかった。そしてチームに必要な人材だと印象づけるのに、1年で最後のゲーム以上に適したタイミングはなかった。
それでも優勝決定直後、ブライアン・キャッシュマンGMは松井残留を明言してなかった。それどころか、「彼は日本で最後のシーズンに優勝した。今回も我々とともに頂点に立てて本当に良かった」などと退団を臭わせるコメントすらも発表されている。
実は筆者も、このワールドシリーズを迎えるまで松井が来季以降もヤンキースのユニフォームを着る可能性はほとんどゼロだと思っていた。地区シリーズ、リーグ優勝決定シリーズを通じて、ゴジラのインパクトは薄かった。DHから大きな貢献がなくともチームは快調に勝ち続け、その事実は松井にとってマイナスに働くと思えたのだ。
そして悲願の世界一に就いた後でも、これを花道に引導を渡されても決して驚くべきではないとも考えている。去就に関しては松井だけの問題ではない。チーム全体の構想が関わってくるだろうだけに、予断を許さない。特に捕手としての能力が著しく低下し、それでいてあと2年も契約を残すホルヘ・ポサダの存在が、松井残留にとって大きな障害となるという線は消し切れない。
ただ、それでもワールドシリーズでの松井の大活躍が、ヤンキース首脳陣の決断を難しくさせることは間違いないだろう。久々の歓喜に酔ったニューヨークの人々が、「ゴジラ帰還」にラブコールを送ることも確実。そして、たとえどこのチームでプレーする結果 になろうと、金銭的に恩恵を受けるだろうことも明白だ。
多くのニューヨーカーがいつまで忘れないであろう第6戦での6打点は、ヤンキースの戴冠を大いに助ける価値あるパフォーマンスだった。そしてそれは、松井秀喜の未来をも変えかねない起死回生の猛打だったのだ。
サンケイスポーツ
2009/11/06
松井秀、最高!最高!チャンピオン最高!
【ニューヨーク4日(日本時間5日)】大リーグのワールドシリーズで最優秀選手(MVP)に選ばれたヤンキースの松井秀喜外野手(35)が試合後、サンケイスポーツの単独インタビューに応じた。日本選手初のシリーズMVP、悲願の世界一に輝いた心境や今後について語った。インタビューは6日から3回に分けて掲載。第1回は「世界一に感激」のゴジラをどうぞ-。
--ついに悲願の世界一。今の気分は
「本当に最高の瞬間だった。ヤンキースにとっては、きょうしかない。世界一が一番大きな目標で、あとはポストシーズンでどこまでいっても負けは負け。悔しい年が続いていました、きょうまではね。長かったですけど、やっと勝つことができた。みんなの勝ちたい、勝ちに飢えている気持ちがいい形で出た」
--日本大リーガー初のMVPで歴史を作った
「歴史を作ったかどうかは分からない。すごいことかもしれないが、実感がない。終わるまでMVPなんて考えてもいなかった。この試合を何とかしたい、という思いで頭がいっぱいだった。MVPより、ワールドチャンピオンになったことの方が大きい。自分の中ではとても大きな思い出になる」
--MVP表彰の壇上での気分は
「最高ですよ。ヤンキースタジアムのああいうところに立てたんだから。高さも最高? それは間違いない、東京ドームにあんなのなかったですから」
--1試合6打点はワールドシリーズタイ記録
「ビックリです。いい場面で回ってきたというのもある。そこで運よく打てたというのが一番大きいと思う」
--マルティネスには第2戦の決勝ソロに続いて、この日も先制2ランと2点適時打
「(本塁打の)感触はほぼ完ぺきでした。速球系が内角に何球か続き、いい当たりもファウルになって追い込まれたけど、最後に甘い球が入ってきた。それをしっかり打つことができた。どういうわけか、このシリーズは(マルティネスに)合いました。自分にとって非常によかった」
--優勝の直後、ジーターと抱き合った
「僕が来てからずっと一緒にやってきたし、彼も勝てない時代を引っ張ってきたわけですから。やはり特別な気持ちがある」
--今年のチームは
「5月くらいまで不安定だったけど、Aロッド(ロドリゲス)が戻ってきてからチームとしていい形になった。6月の交流戦での厳しい戦いを乗り越えてから勢いが出た。選手たちの、英語でいうケミストリー(化学反応)みたいなものがうまくいったのでしょう」
サンケイスポーツ
2009/11/06
松井秀、英語ペラペラも通訳入れるのは…
【ニューヨーク4日(日本時間5日)】大リーグのワールドシリーズ第6戦はヤンキースが昨季王者のフィリーズを7-3で下し、4勝2敗で9年ぶり27度目の世界王者に輝いた。松井秀喜外野手(35)は「5番・DH」で4試合ぶりに先発。先制の3号2ランを含む3安打を放ち、シリーズの1試合最多記録に並ぶ6打点と大暴れ。日本人大リーガー初の最優秀選手(MVP)を獲得した。
試合後、松井秀はカーロン通訳を介して全世界に流れたMVPの公式インタビューに答えた。7年間の米国生活で英語力は飛躍的に向上し、日常生活やチームメートとの会話も通訳なしでまったく問題はない。だが「僕のつたない英語で万が一、誤解が生まれると困るから」と慎重を期して公式の場では通訳を入れる。また「仕事を奪ってはかわいそうだからね」と苦労をともにしたカーロン通訳を思いやってのことでもある。ゴジラは“気配りの人”なのだ。
サンケイスポーツ
2009/11/06
サンスポ“松井番”記者がゴジラの心情代弁
ニューヨークでの第6戦を前にした松井秀のコメントを紙面で目にした。「きのう(現地2日の第5戦で)勝っていればよかった」。場所はどこであれ、早く決めたいという気持ちもあっただろうが、決して本心ではないと受け取った。
「いつか、この日にこの場所に来たいと思っていた」
2006年9月11日。私は左手首骨折から4カ月ぶりの実戦復帰を翌日に控えた松井秀に取材を申し入れていた。「それ(取材)はOKだけど、寄っていきたいところがあるんだ」。車を走らせた先は“グラウンド・ゼロ”。昼間は2001年に起きた米中枢同時テロの追悼式典が行われ、夜になっても大勢の人でごった返していた。
「なぜ、マツイが…」と驚く人目も気にするそぶりはなかった。悲しみにくれる人、祈りをささげる人、ぽっかり空いたワールドトレードセンタービルの跡地…。約1時間、あらゆる光景を目に焼き付けた後、花束を手向けた。「野球以外で泣いたことはない」と豪語していた男の両目がうっすらとぬれていた。
03年1月、ヤンキースと契約して真っ先に足を運んだのも“グラウンド・ゼロ”。ニューヨーク市民にとって永久に消えない傷を、ヤ軍の世界一によって一瞬でも忘れさせることができるかもしれない。地元で決められるならば、なおいい。そう考えて毎年戦ってきたはずだった。
不振を極めていたとき、酔っぱらった中年女性から「お前なんか、とっとと日本へ帰っちまえ!」と罵声(ばせい)を浴びせられたのはマンハッタンのレストラン。エンパイアステートビルをのぞむ自室で、明け方までバットを振り続けた日もあった。今年で最後になるかもしれないニューヨークを愛した松井秀。「ここで決められてよかった」と心の底から思っているに違いない。
スポーツナビ 畑中久司
2009/11/06
球界に大きな衝撃を残した松井秀のMVP
打席前から勝負がついていたペドロとの対決
ブルージェイズのロイ・ハラデーは一瞬、けげんな表情を浮かべた。記者の質問の意図を測りかねているのは明らかだった。
メジャーを代表する投手であり続けている理由について、筆者なりの解釈を本人にぶつけたときのことだった。同じ相手でも、ある試合ではシンカー主体、別の試合ではカッター主体と幻惑してくる。これは長いスパンで対戦相手をとらえているから取れる戦略に違いない。つまり、ある試合でのシンカー主体の投球は、別の試合でカッター主体の投球で抑えるための“まき餌”なのではないかと思ったのだ。
「まき餌」という日本語を「scattered food」(小鳥を集めるための餌)と直訳したのがマズかった。主旨を説明するとようやく理解してくれた様子で、少しホッとしたような笑みを浮かべてこう答えてくれた。
「詳しいことは言えないけどね。ただ、相手に必要以上に考えさせることができたら有利にはなるんじゃないかな」
ヤンキースの3勝2敗で迎えたワールドシリーズ第6戦。松井秀喜のワンマンショーになった中で、通算219勝を誇るフィリーズの先発ペドロ・マルティネスとの2度の対戦は、打席に入る前から勝負は松井に軍配が上がっていたようにさえ見えた。
<第1打席>
0対0、2回無死一塁。全8球の配球は(1)ストレート(2)ストレート(3)ストレート(4)ストレート(5)ストレート(6)カッター(7)カッター(8)ストレート。結果は右越え先制2ラン。
<第2打席>
2対0、3回2死満塁。全3球の配球は(1)カッター(2)ストレート(3)ストレート。結果は中前2点適時打。
記者仲間と話をしていて、ほぼ全員と意見が一致したことがある。
「ペドロはなぜ1球もオフスピードのボールを投げなかったのか?」
1回にはジョニー・デーモン、マーク・テシェイラをチェンジアップで空振り三振に打ち取っているし、カーブにしてもキレは悪くなかった。それでも、マルティネスは松井に対して緩いボールを投げなかった。いや、投げたくなかった、というのが正解だろう。
松井は第2戦でマルティネスのカーブをすくい上げて、決勝打となる右越え本塁打を放っている。それが“まき餌”になった。松井に聞けば恐らく否定するだろう。ただ、結果的にではあっても、第6戦での大爆発につながったとみて間違いない。第2打席ではカウント2ストライクに追い込みながら、フィリーズ内野陣がマウンドに集まった。話し合いの内容は知るべくもないが、ハラデーが言うところの「相手に必要以上に考えさせた」点で、勝負はすでについていたように思える。
松井自身も認めた“見えない力”の後押し
試合後の松井の言葉は印象的だった。
「どういうわけだか、このシリーズでは合いましたよね」
「信じられない。自分でもビックリしてます」
「予想もしてなかったですから。何かそういう力が働いたのかもしれない」
野球の神様か、勝負の女神か。“見えない力”の後押しを松井本人も認めるしかなかった。指名打者制がないためスタメン出場できなかった敵地で決まらなかったこともお膳立ての一部だったのか。今考えれば、シリーズの流れが「松井=MVP」に向かっていた。ベーブ・ルースやルー・ゲーリックが憑依したのではないか。陳腐な表現だが「神がかり」という以外にない内容だった。
日本のメディアだけではなく、地元メディアの派手な取り上げ方は、ここであらためて書くのがはばかられるほどだ。もちろん、来季の去就について触れないメディアはないほど注目は集まっている。残留か、退団か。球団の方針が決まっていない現時点では、どの論調も予想や期待、憶測の域を出てはいない。
ブライアン・キャッシュマンGMは、試合終了直後にこう話した。
「これから会議で話し合うし、その手の話はまだしていない。みんなで祝福している今は、それを考える時間じゃない」
一方で松井はMVPのトロフィーを受賞した後、全米中継されたヒーローインタビュ−でヤンキース残留の意思があることをはっきりと明言した。
「そうなればいいですね。ニューヨークが好きだし、ヤンキースが好きだし、チームメートもファンも大好きですから」
慣例的にもメジャーの残留・移籍交渉がスンナリと収まるとは考えにくく、松井がどの選択肢を選ぶにしても、そう簡単にはまとまらないだろう。ただ「ワールドシリーズMVP」という肩書きは、ヤンキース首脳だけではなく他球団にも大きな衝撃を残したことだけは間違いない。
ブログ報知 蛭間豊章記者の「Baseball inside」
2009/11/06
おめでとう松井秀喜
ヤンキース・ファン、そして松井ファンにとっては忘れられないワールドシリーズとなった。私も第6戦の5回、6打点目となる右中間二塁打を放った時には、「ワールドシリーズ・タイ記録だ」と大声を出してしまった。それが通じたかどうか、スポーツ報知では堂々の「号外」を発行。号外の原稿で、今回ぐらいパソコンのキーボードをたたくのが楽しかった事はなかった。
シリーズの優勝を決める試合でサヨナラ本塁打を放った選手は1960年のビル・マゼロスキー(パイレーツ)と1993年のジョー・カーター(ブルージェイズ)の2人。しかし、今回の松井のように3打席にわたっての大活躍は1977年のレジー・ジャクソン(ヤンキース)の3打席連続初球アーチ以外思いつかない。アメリカで生まれ育った野球少年なら誰もが夢見るシーンをやってしまったのだから、大リーグの歴史に大きな足跡を印した事は間違いない。
これまで数々のヤンキースでの松井のシーンを思い出すが、左手首を骨折した2006年5月11日のレッドソックス戦は強烈な印象だ。その日、スカパーのMLB中継で解説を担当していた私は、自分が骨折をしたような気分になった。骨折から復帰した9月12日デビルレイズ戦も忘れられない。第1打席に向かう際に超満員のヤンキース・ファンから受けたスタンディングオベーションは感動的だった。その試合で4打数4安打、翌日の紙面で作家の伊集院静さんが、寄稿してくれた文章の中で「スター選手は本人の力量・努力によってプレーしているが、スーパースターになるには見えない多くの手がその選手の背中を押し、ある時は抱擁してくれる幸運を持たなければならない」と書いている。今回のワールドシリーズMVPとなって、改めてその一文を思い出した。
巨人時代から松井番記者がいるために直接取材の経験はない。それでも、日米野球、そしてヤンキース入りしてからは、イチローとともに大リーグ面の主役として、あれこれと振り回される日々が続いた。メジャー1号の号外を出すために、開幕戦から待機(7試合目に初アーチ)し続けた。また、渡米1年目は東海岸のデーゲーム(普通は日本時間午前2時5分開始)の第1打席で本塁打を打った場合、最終版に掲載するために深夜勤務も続いた。このとき、50試合前後待機して、本塁打を打って紙面に掲載したのは2度だった。そんな思い出を笑い話にさせてくれるほど、松井に携わった多くの人たちが「おめでとう」と言いたくなるような今回の大活躍だった。
いつの日か「ヤンキースが9年ぶりの世界一となった試合のマツイの大活躍を見て彼のような野球選手になりたいと思った」という米国人大リーガーも出てくるのではないだろうか。
毎日新聞 余録
2009/11/06
松井秀喜選手のMVP
1985年のことだ。ニューヨーク・タイムズなどが米国で行った世論調査で、知っている日本の有名人を挙げよという項目があった。挙がった名のベスト3は昭和天皇、ブルース・リー、そしてゴジラだった▲天皇以外は、香港の俳優と映画の怪獣という結果だ。批評家は自動車や家電製品が米国市場を席巻しつつあった日本への米国人の無知を嘆いたが、ゴジラが日本を代表するキャラクターとして浸透していたのも分かった(W・M・ツツイ「ゴジラとアメリカの半世紀」中公叢書)▲米国ではゴジラバーガーなどというように大きなものをはじめ、恐るべきもの、頑固なものを表すゴジラだ。日本でのニックネームをそのまま背負ってのヤンキース入りから7年、松井秀喜選手が初のワールドシリーズ制覇をその活躍で実現し、最優秀選手(MVP)に選ばれた▲この間、3年前からは骨折やヒザの故障などに悩まされ、限界説もささやかれた松井選手である。迎えた契約の最終年、念願の世界一を勝ち取った試合は先制2ランを含む3安打の大暴れで、6打点はシリーズ2度目となるタイ記録だった▲「何か、夢みたいです」とは、自らの腕で長年の夢をかなえた人の実感かもしれない。試合中から「MVP」コールがわき起こり、試合後の「やはりヤンキースが好きです」の言葉がスタンドの大喝采(かっさい)を浴びたニューヨークのゴジラだった▲もしも日本人の名を挙げる調査が今行われても、ゴジラと答える米国人は多いかもしれない。だが、それは回答者が日本人を知らないからではなく、ヤンキースを9年ぶりの世界一に導いた選手の恐るべき力をその目で見たからだ。
毎日新聞
2009/11/05
松井秀喜:逆境乗り越えWS主役に…野球の神様ほほ笑む
ジーターでも、ロドリゲスでもない。大歓声に包まれたヤンキースタジアムのこの日の主役は間違いなく松井秀だった。松井秀は言った。「神様? 何か、そういう力が働いたのだと思う」。ならば野球の神様は、逆境を乗り越えてきた松井秀の強さやひたむきさに、ほほ笑んだのだろう。
前回のワールドシリーズ出場から6年。「ヤンキースで世界一になりたかった」という松井秀はこの間3度も体にメスを入れた。
06年5月に左翼手でスライディング捕球をして左手首を骨折し、日米通算1768試合連続出場がストップ。「鉄人」ぶりを示す数字が途絶えたのを境に、苦悩の日々を迎える。日本時代からの古傷の左ひざをかばうあまりに右ひざを痛めて手術したのが07年11月。すると、翌年9月には左ひざが悪化し、手術のため3年連続で戦列を離れた。
左ひざは今も水がたまることがある。今季は守りたくても指名打者が専門。出番がない日も多かった。出たり出なかったりの不遇の日々で、リズムを失い、凡打の山を築いた。6月の月間打率はわずか2割4厘。「首の皮一枚でつながっていた」
本来は悔しさとか、苦しさとか、感情に左右されるタイプかもしれない。出番がなかった次の日の打席では、よく力んで引っかけたゴロを打つ。それが分かっているからだろう。松井秀は「過去は振り返らない」と繰り返す。そう思うことで前を向き、ひたむきに努力する。クールでなく、人間味あふれる強さがのぞく。
優勝後の会見で松井秀は「苦しいと思ったことは決してない。プレーや試合ができれば決して苦しくない」と、野球に対する純粋な思いを口にした。世界一の大舞台でこれ以上ない活躍。野球の神様はよく見ている。【小坂大】
サンケイスポーツ
2009/11/05
日本の長距離砲、「揺るがぬ心」でMVP
「野球の首都」と呼ばれるニューヨークで、大リーグを象徴するヤンキースが、9年ぶりのワールドシリーズ制覇を果たした。ヤンキースタジアムの中央、選手の輪の中心で最優秀選手(MVP)に与えられるトロフィーを高く掲げたのは、松井秀喜外野手だった。米国に渡って7年目。シリーズで3本塁打を放ち、チームを頂点に導いた。
▽長距離砲の挑戦
2003年、ヤンキースに入団した松井秀が繰り返し聞かれたのは「大リーグでもホームランを打てると思うか」だった。「同じように打てるとは思わない。そこで自分が変化すると思う。それが楽しみ。違うバッター、松井秀喜というものを構築できたらいい」。日本最高の長距離砲は新しい世界に飛び込んだ。
1995年に野茂英雄がドジャース入りして日本投手の評価が高まった。投手に比べ難しいとみられた野手の評価を高めたのは、1年目の01年に242安打を放ってシーズンMVPに選ばれたイチローだった。今度はパワーで劣ると言われる日本のスラッガーがどこまでできるか。松井秀に全米の目が注がれていた。
▽アメリカンスタイル
松井秀の無駄の少ない打撃スタイルに注目し、活躍を確信する関係者がいた。96年に日米野球で来日したジャイアンツのダスティ・ベーカー監督(現レッズ監督)は、足を大きく上げるなど体全体の勢いを使ってバットを振る日本の打撃スタイルに言及しながら「マツイは違うな。あれはアメリカンスタイルだ」。米国での活躍の可能性を問う声に、一貫して「何の疑問もない」と言い続けた。
堅実な打撃に徹した1年目は、本塁打こそ16本だったが106打点を挙げ、日本選手初となるワールドシリーズでの本塁打も放った。そして2年目は31本塁打。球速150キロが当たり前の大リーグに、さらに無駄を省いて順応した。
こだわったのはバランス。「球が投手の手を離れる前から勝負は始まっている」と最速のバットスイングにつながる体勢でボールを迎えることを重視した。「簡単ではないけど、それができたら(投手から打者に届くまでの)0・4秒が長く感じられることもある」
▽揺るがぬ心
成功を収めた松井秀にとって、打撃技術と同様に大きかったのは、若いころから修羅場をくぐり抜けて培った精神的な安定感だった。フルスイングするスラッガーは、いったんバランスを崩すと不振に陥る。不調になれば一線級の投手が徹底的に弱点を突いてくる。
ヤンキースのジョー・トーリ前監督(現ドジャース監督)は「あいつを信頼できると思ったのは、まったく打てなかった1年目の5月。調子のいいときとまったく様子が変わらなかった。あれで大丈夫だと思った」と振り返る。名門を強打で頂点に導き、日本の強打者が世界の強打者であることを示した。松井秀でなければ、できなかった。
スポーツナビ 杉浦大介
2009/11/05
松井秀のワンマンショーで幕を閉じたワールドシリーズ
逆境に負けずたどり着いた頂点
2009年・MLB最後のゲームで展開されたのは、「ヒッティングマシン」松井秀喜による、メジャーの歴史に刻まれるワンマンショーだった。
ワールドシリーズ第6戦で4打数3安打、1本塁打。そしてシリーズタイ記録となる6打点。チームメートすら呆気にとられる猛打でヤンキースを27度目の世界一に導き、当然のようにMVPを獲得した。ケガを乗り越え、ここ2年間は定位置も保証されない逆境にも負けなかった。日本が生んだ最強のスラッガーが、渡米7年目にしてついに世界の頂点に立ったのだ。
「最高ですね。この日のために1年間も頑張って来たわけですから。何年もここにいましたけど、初めてここ(世界一)まで来れて最高です」
そう語った松井の第6戦での打棒を、一部の地元記者は「ニューヨークのベースボール史に残るパフォーマンス」と表現した。
まず2回裏にはフィリーズの先発ペドロ・マルチネスと8球に渡るバトルを繰り広げた末に、右翼席にたたき込む先制2ラン。続く3回には2死満塁でマルティネスに2ストライクと追い込まれながら、見送ればボールの高めの速球をセンター前に運んで2人のランナーをかえした。
「(第2打席は)ぽんぽんとファウルで追い込まれたんですけど、最後はアウトコース高めだと思います。ストライクに近いところだったけれど、うまく打てました」
松井は後にこともなげにそう振り返ったが、しかしこの時点でスコアはまだ2対1。直前に主砲アレックス・ロドリゲスが三振に打ち取られていたことを考えれば、この第2打席の適時打こそが今夜の最も重要なヒットだったかもしれない。
客席からこだました「MVP」コール
フィリーズにとってもう後がなかったのだから、松井には完全に見切られていたペドロを降板させ、ここでは左腕J・A・ハップに勝負させていても良かったようにも思えた。しかし続く5回裏の第3打席で、松井は1死一、二塁からそのハップからも右中間に奇麗なタイムリー二塁打を放った。
「松井には何を投げても打たれてしまった。ハップのスライダーも打った。ペドロからの2安打は速球だったしね」
フィリーズのチャーリー・マニエル監督もそう感嘆した通り、今夜の、いや今シリーズの松井にとって、もう相手が誰であろうと関係なかったのだろう。
通算13打数8安打で打率6割1分5厘は史上3位(10打席以上)、3本塁打、8打点はチーム最多。
特に殿堂入り確実の名投手ペドロを、シリーズを通じて4打数4安打2本塁打1四球と完ぺきに打ち込んだ(おかげで筆者は試合中、ヤンキースファンがペドロを罵倒する「フーズ・ユア・ダディ!(おまえのご主人様は誰だ?)」の日本語訳を複数の地元記者から尋ねられる羽目となった)。
今夜の第4打席を迎えた際、松井はスタンディング・オベーションで迎えられ、「MVP」の大コールがスタジアムにこだました。契約最終年の、最後の試合でファンに見せた今季ベスト・パフォーマンス。終わってみればすべて筋書き通りと思えてしまうほどの、とびきり幸福な「ハリウッド・エンディング」。
松井自身の来季以降を考えても、この日の活躍の意味は大きかったと言って良い。これほどの大爆発の後では、放出の引き金を引くのは誰にとっても難しい決断になるに違いない……。
いや、去就の話はまた別の機会に譲るべきなのだろう。ニューヨークに久々にタイトルが戻って来た夜に、相応しい話題とは思えない。
そしてニューヨークの伝説に
米国時間で11月4日―――。ナショナルリーグの雄・フィリーズを下したヤンキースは、2000年以来9年振りにワールドシリーズを制した。
レギュラーシーズンを圧倒的な強さで勝ち抜き、ポストシーズンに入って以降も昇竜の勢いだったツインズ、3年連続アメリカンリーグ西地区を制したエンゼルス、昨季王者フィリーズにすべて力の差を見せつけて一蹴した。そしてそのニューヨークが勝ち取った栄冠に、日本が生んだスラッガーも印象的な形で貢献を果たした。今夜だけは、それで十分なのだろう。
「マッティ(松井の愛称)は出会ったときからずっと勝負強い選手であり続けてきた。とにかく勝負強いんだ」
すべてが終わった後の、ジョー・ジラルディ監督のそんなシンプルなコメントも心に残る。実際にニューヨーカーは、昔も今も、「世界一の立役者」の勝負強さを忘れることはない。09年最後の夜に見せた松井の打撃は、これから先も、いつまでも、この街の人々の間で語り継がれていくに違いない。
草野仁の日々是精仁
2009/11/05
本当におめでとう!! 松井秀喜選手
松井秀喜選手がついに夢を実現しました。7年前、読売ジャイアンツからFAで二ューヨークヤンキース入りした松井選手、その胸の中にあった目標はヤンキースの一員としてワールドシリーズを制して世界一になることでした。一年目の2003年にはアメリカンリーグで優勝しワールドシリーズに進出しましたが、フロリダ・マーリンズに敗れ念願は叶いませんでした。
豊かな資金力でスター選手を集めることのできるヤンキースですから松井選手の夢は遠からず実現しそうに思えたものですが、現実は厳しいものでした。長く頂点にいたヤンキースも次第にチームのバランスが悪くなり、プレーオフに残ってもワールドシリーズまで駒を進めらくなってしまいました。2006年には松井選手が左手首骨折の重傷を負い、その後も右膝、左膝と手術をしてリハビリや調整に努めなければならず、何とも苦労の多い日々を送らなければならない羽目に陥りました。
そして今年は松井選手にとってヤンキースとの契約最終年なので、良い結果を残すことだけがヤンキースとの契約延長の条件でした。ですから、スランプがちょっと続いただけですぐにトレードの話だけが独り歩きして記事になる始末だったのです。その上ヤンキースの采配を振るうジラルディ監督はデータ重視の細かい野球を志向するタイプですから、膝にまだ不安を抱えている松井選手を守備に就かせようとはしませんでした。さらに始めの頃、松井選手は左投手を苦手にしているという誤ったイメージを持っていたせいでしょうか、右投手の時だけ使うような傾向がありました。それでも松井選手が素晴らしかったのは偶々対決することになった左投手を苦も無く打ち崩して監督の考えを改めさせてしまったところです。
そんな苦闘の積み重ねの中からジラルディ監督も松井選手の勝負強さを十分認識するようになり監督発言の中にも松井選手の存在の大きさを認めるコメントが徐々に増えてきました。与えられた数少ないチャンスに答えを出してポストシーズンの闘いに入る前、「マツイはヤンキース打線に欠かせない存在」とまでジラルディ監督に言わせたのです。普通の選手なら気持で負けて行ったかもしれないところを松井選手は自力で切り抜けて今日の評価を獲得したのでした。
ワールドシリーズに入ってからは特に集中力が高まっていて、出番があれば何時でも対応するという姿勢が印象的でした。それが第2戦のマルティネス投手からの勝ち越しホームラン、第3戦の代打ホームラン、第5戦の代打でのヒットを生み、そして本拠地に戻っての今日の大爆発に繋がったような気がします。今年6月、二ューヨークで取材したときに「必ず爆発します」と宣言した松井選手でしたが、その言葉は実は今日の日のための言葉だったのではないかという気がしてきました。
松井選手の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」ということで、何があっても慌てず騒がず最善を尽くして結果を待つということですが、正しくその通りに振舞ってワールドシリーズMVPを獲得したのだと思います。ここまでの様々な苦労は神が松井選手に与えた試練であり、その試練を乗り越えることのできた松井選手に勝利の女神がほほ笑んだのだと思います。日本人が大リーグのワールドシリーズのMVPに輝くということはなかなかあり得ないことで、大リーグの歴史に刻まれた大きな1ページとして何時までも語り継がれることでしょう。「ヒデキ・マツイ」は本当にすごい選手です。
NHKスポーツオンライン 石田大輔
2009/11/02
ワールドシリーズ 松井秀喜のホームランの“意味”は!
見応えのあるワールドシリーズとなっている。
ヤンキース、フィリーズ両球団選手の気力がみなぎるプレーぶりは、是が非でもワールドチャンピオンを勝ち取るという強い意思が伝わってくる。
まさにその名にふさわしい戦いぶりだ。
ここ数年、ワールドシリーズの戦いには少し不満を感じていた。
リーグ優勝決定シリーズの方がはるかに見応えがあった。
ワールドシリーズに進出することが、一大目標であることはわかる。
しかし、せっかくの進出もその時点で、心身ともに疲れきっていたり、達成感さえ生まれているのではないかと、感じずにはいられなかった。
ワールドシリーズが第7戦までもつれ込んだのは2002年のエンジェルス対ジャイアンツまでさかのぼらなければならない。
2004年以降に限れば、4ゲームスイープが3回、4勝1敗が2回。
ワンサイドの展開がばかりである。
今年は第3戦を終わった時点で、ヤンキースの2勝1敗。
まだ先の展開は読めないが、両チームともに疲労感や達成感は微塵も感じられない。
第7戦まで、最高峰の試合を見せてくれると信じたい。
さて、ヤンキースの2勝に大きく貢献しているのが松井秀喜のバットだ。
2戦連発の本塁打はともに試合展開のなかで大きな意味を持つ本塁打となったが、それだけではない。
第2戦。1対1、6回2死走者なし。
ペドロ・マルティネスから放った勝ち越し本塁打は、何から何まで松井らしい本塁打だった。
投手に追い込まれ場合の松井は、ストレートにあわせながら、相手投手の持つ変化球をすべて頭の中にインプットする。
マルティネスはこの場面、松井が苦手とする外角に“バックドアー”のスライダーで決めにかかった。
ここに決めっていれば、おそらくこの結果はない。
しかし、この1球は真ん中からインサイドへと甘く入って来た。しかも低め。
松井には絶対に投げてはいけない“彼のツボ”である。
逆に言えば、失投は逃さずにとらえるという、松井の真骨頂であった。
そして、第3戦の代打本塁打。
この本塁打の持つ意味は、シリーズというよりも、彼のこれからのキャリアを考える上で、意味のある本塁打となるではないか。
35歳にしてもなお、松井にはまだ成長が出来る伸びしろが残されていることを示したと思う。
8回、7対4でヤンキースがリード。2死走者なしで松井は代打で登場した。
相手投手は右のマイヤーズ、カウントは1-1。
この場面、マイヤーズの持ち球、特徴から“高い確率でアウトコースにストレート系の球”がくると、松井が考えたことは容易に察することができる。
状況が決め打ちを許してくれていた。そこに予想通りの球が少し甘く入って来た。
伸びしろを感じたのはこの後である。
過去7年間、レギュラーシーズンとポストシーズンをあわせ、松井は148本の本塁打を放ってきた。
その中で左方向への本塁打はわずかに5本。
左方向への長打は松井の技術において、最も苦手な部分であった。
「パワーがなかいからね」と自虐的にも語っていたが、その技術を持ち得ていなかったというのが、事実であろう。
しかし、今回はものの見事に、強い打球で左翼席中段まで運んだ。
そして、ここで特筆したいのが“打ったポイント”である。
今までの松井が外角球を打つポイントより間違いなく体の中に入っていた。
ボール1個あるか、ないかの違いであろうが、外の球をあそこまで飛ばすには、体の中まで呼び込み、そこから強く押しこまなければ、ボールは飛んで行かない。
この感覚、ポイントを彼が身につけることが出来れば、40本塁打は可能になる。
メジャー7年目、しかも最高峰の試合でその可能性を見せてくれたことが、何よりもうれしい。
日本人としては、松井のバットに期待を抱きつつ、ヤンキースの世界一を見てみたいものである。
いずれにしろ、力と力のぶつかり合いを持って、第7戦までもつれこむ好シリーズを見せてもらいたい。