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Columnコラム

PHP Biz Online 衆知 松井秀喜 PHP文庫『壁を打ち破る100%思考法』より 2012/01/19
窓際に追い込まれても、やるべきことは必ずある
 正直に言うと、僕には「挫折」した記憶がありません。他人からは挫折に見えることでも、自分では「ああ駄目だ」と、へこむようなことがないからかもしれません。例えば、2006年に左手首を骨折してゲームに出られませんでしたが、「挫折」とは考えませんでした。その後すぐに復帰のことを考えていました。

 たしかに、野球ができないことほど辛いことはありませんでした。でも、ケガをしたら、それを治すしかありません。後ろを見ても、ケガが治るわけではないからです。どういう形でフィールドに復帰したいとか、いつまでに治したいとか、先のことだけを考えていました。自分でもパッとすぐ先のことを考えられるうちは大丈夫だと思っていました。

 ビジネスマンであれば、会社での自分の評価が低かったり、上司からよく思われなかったり、社内に自分の居場所がなかったり、という経験もあることでしょう。

 野球の世界でも、会社という組織にいるようなことが当然、起こります。監督からよく見られたいと思ってもスタメンで使われなかったり、フロントから正当に評価してもらえなかったり......。そういうことが日常的に起こります。

 でも、そんな現状に不満を言ったり、嘆いたりするのではなく、いま自分のやるべきことをしっかりやることが大切です。たとえ小さな仕事でも、手を抜いてはいけません。

 それ以外に、道はありません。それをやって初めて次の道が開けてきます。うまくいかないからといって、すぐに目先を変えたりしても、その一瞬だけはいいことがあるかもしれませんが、すぐに行き詰まると思います。自分に足りないものは地道に積み上げていくしかありきせん。何事も急に好転することはありません。日々の努力が大切です。

 やるべきことをきちんと準備して、それをやり抜けるかどうか。たとえ会社の窓際に追い込まれたとしても、そこでもやるべきことは必ずあるはずです。

 松井秀喜という人間は、野球のことに関しては、ことさら前向きです。失敗しても反省して、そこから学ぶものはたくさんあると考えるからです。自分が出した結果は変わらないので、それを気にしても仕方ありません。そこから何かを学んで、次に活かそうと考えることが大切だと思います。

人生には、失敗からしか学べないものがある

 日本でもメジャーでも、「選手として、やれる」という絶対の自信を持ったことは一度もありません。若いときはそういう感覚になったこともありましたが、そういうものがずっと自分のものにはならないと分かってきました。何かをつかんだとしても、それが次も有効である保証はありません。それを意識して再びやってみて、たとえ好結果が出たとしても、うまくいかなくなる時期が必ず来ます。

 メジャーに来てからも、そういう感覚をつかんで臨んだ打席での安打や凡打があります。大切なのは、うまくいったという記憶を数多く積み重ねることです。どこかで、こういうことがあったと経験則として活かせるようになります。それでも、つかんだものが、自分の手元にずっと残ってくれるとは限りません。

 そういうくりかえしの連続が、今の自分自身になっているということです。野球選手としてあらゆる経験を経て、自分の引き出しが少しずつ増えていきます。例えば、長いシーズンで月間MVPを獲るような調子のいい時期もありますが、その感覚がずっと続くことは絶対にありません。

 自分では、そのように理解しています。だからこそ、いいときでも、いつか悪くなるときのために、しっかりとした準備をしておかなくてはいけません。常に先のことを考えなくてはいけません。

 調子がいいときに、これからどのように悪くなるかを考えるのは難しいことではありません。この先、自分がどう崩れていくのかは、ちょっとした感覚で分かります。すぐに、「やばいな」と感じます。悪くなったら、悪くなった時点で、「じゃあ、この後どうしようか」と考えます。常に先のことを意識しながら、長いシーズンに臨んでいます。

 でも、僕は基本的に「大丈夫」と、楽観的に考えるようにしています。悲観的になるよりも、「俺はできるんだ」と楽観的に考えています。悲観的になるときもありますが、最終的には、「まあ、なんとかなるだろう」というぐらいの感覚で構えています。

 「松井秀喜は成功と失敗のどちらから学ぶのか」
 こんな質問をされたら、「失敗から学ぶ」と答えます。野球は失敗だらけのスポーツです。こうやって失敗したから、次は違う形でやってみようと考えます。たとえうまくいっても、それが続く時期は短いからです。うまくいかないときに、どうやってよくしていこうか、そればかり考えています。だから、基本的に失敗から学ぶことのほうが断然多いわけです。

 すべて相手の問題ではなく、自分の問題だと捉えています。誰かに言われて、何かをすることはありません。もちろん長いシーズン、監督やコーチからいろいろなアドバイスをもらうことはありますが、基本的には、自分で「これは必要、これは必要ではない」という判断をしています。例えば、バッティングに関して、打撃コーチのアドバイスには耳を傾けます。巨人時代であれば、長嶋監督から指導を受けることもありました。しかし、最終的な選択は自分の意思でやってきました。

 もし自分の中に固い信念があるならば、絶対に曲げません。ただ、人生を歩む上で、そうではなかったと悟ったら、固執せずに変えることも必要です。しかし「根幹」は変えないと思います。

 問題に対処する引き出しをたくさん持っていることは大事なことです。引き出しが多ければ、あらゆることを変えられます。そして、変えることを怖がらないことが大事です。その一方で、本当に基本的なことは変えません。

 日本とメジャーで18年間プレーをしてきて、野球に関することはほとんど記憶しています。人間は好きなことならば何でも覚えていると思います。野球をするには記憶力は大切だし、必要な要素です。対戦投手のデータに関する整理・分析はこれまでの経験でできてきました。相手が変わっている可能性もありますが、メジャーにはいろんなタイプの投手がいるので、こちらの引き出しは増えました。でも、自分の対処法は少なければ少ないほどいいと考えています。1つの対処法ですべての投手に対応できる打撃が一番の理想ですが、なかなかそうはいきません。そこが野球というスポーツの難しさです。

 だからこそ、ヒットやホームランを打ったときの楽しさは格別です。でも喜びは一瞬です。その結果に一喜一憂せず、次に備えることが肝心です。
web Sportiva 2012/01/14
【今日は何の日?】松井秀喜がヤンキース入団会見
【2003年1月14日】
ピンストライプのユニフォーム姿を初披露

 ついに『ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜』が誕生した。2002年、3冠王にあと一歩と迫る好成績(打率.334・50本塁打・107打点)を残した松井は、11月1日にメジャーリーグへの挑戦を表明。12月19日にヤンキースとの3年契約が合意に達すると、地元新聞も「ゴジラがブロンクスにやってくる」と大見出しで報じ、ヤンキースファンは期待に胸を膨らませた。

 そして翌年の1月14日、ニューヨーク市内のホテルで行なわれた入団記者会見には、日米合わせて約300人もの報道陣が殺到。会見にはランディ・レバイン球団社長をはじめ、ジョー・トーリ監督やエースのロジャー・クレメンス、そしてニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグなど、豪華な面々が顔をそろえた。

「僕にとって最高に幸せな1日になりました。早くユニフォームを着て、ヤンキースタジアムの偉大な先輩方が立たれたバッターボックスに立つのが楽しみです」

 背番号は、巨人時代と同じ『55』。ピンストライプのユニフォームに袖を通した松井は、満面の笑みでメジャーでの抱負を語った。