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Columnコラム

web Sportiva 2012/05/31
松井秀喜、ライバルたちが戻ってくる6月以降の使われ方は?
 レイズとマイナー契約した松井秀喜が、入団から29日目にメジャー昇格を果たし、初戦で2ラン本塁打を放つ鮮やかな新天地デビューを飾った。傘下の3Aダーラムで13試合に出場し打率1割7分、0本塁打、4打点という成績での昇格。松井自身も「ちゃんとした成績を残して行きたかった」と言う通り、十分に調整できたのかといえば不安が残る船出だったが、ここ一番での強さはやはり健在だった。

 もっとも、本当の戦いはこれからだ。マイナー契約から這い上がってきたベテランは大抵の場合、両極端の扱いを受ける。結果を出し続ければ起用されるが、駄目なら容赦なく切られるというのが普通だ。

 松井の昇格は予想されたよりも早く、突然に発表された感がある。それはレイズに故障者が続出しており、攻撃面で苦戦する試合が続いていたというチーム事情があったからだ。しかし6月上旬には外野手兼一塁手のブランドン・アレンと左翼手のデズモンド・ジェニングスが故障から復帰する見通しで、果たしてこの時に誰を外すことになるのか?

 ジョー・マドン監督は、「状況によって松井を左翼とDHと代打で起用する」と今後の構想を明かしているが、それも結果を出し続けてこそだろう。また、DHには同じ左打ちのルーク・スコットがおり、相手先発が手強い左投手のときにスコットの代わりに松井を起用するのではないかとも言われている。松井は左投手を苦にしないと言われているが、昨季は手強い左相手で休むことが多かった。それが真逆になるのである。

 松井はメジャー10年目にして、かつてないほどの厳しい状況で戦っていかなければならない。それでも、どこからも契約のオファーがなく開幕を迎え、マイナーから這い上がった今の松井なら、この厳しい状況にも立ち向かっていけるだろう。

 3Aダーラムで1日も休まずプレイした2週間、松井は野球に没頭していた。ダーラムでは午後7時からのナイターの日は3時45分から全体練習が始まるが、3時には球場入りし、早くからフィールドに出て体を動かしていた。それは、今までにはない姿だった。全体練習が始まると他の若いチームメイトと一緒にフィールドで円陣を組んでミーティングに参加し、他の選手とまったく同じ練習メニューをこなした。

 早出特打ちにも積極的に参加した。内陸の南部にあるノースカロライナ州ダーラムは蒸し暑く、5月でも陽のあたる場所にいるだけでじっとり汗が滲んでくる。そんな中での長時間の練習はベテランには堪えるはずだが、松井はそれをいとわなかった。

 あるとき、午後2時30分から自由参加の打撃練習をするというので松井が早く球場入りしたことがあった。しかしグラウンドにはまだケージも何も用意されておらず、他の選手は誰も出てきていない。結局、打撃練習はキャンセルになっていたことをあとで知ったのだが、松井がいかに練習することを熱望していたかを示す出来事だった。

 マイナーの試合では、メジャーで実績のあるベテランに対して相手の若い投手が全力でぶつかってくる。松井は苦手なコースも知られており、外角の厳しいところを攻めてくる投手も多かった。その対策のためか、松井は打撃練習で逆方向に打球を打ち返すことにも取り組んでいた。

「試行錯誤は常にしています」

 松井はそう言った。37歳のベテランが新たな挑戦をし、必死に這い上がろうとしていたのだ。そしてメジャー昇格を果たした今、次は生き残りをかけて日々戦っている。
J SPORTS 石原敬士 2012/05/31
2か月遅れの開幕
今シーズン開幕時に所属チームが決まらなかった松井秀喜選手。知り合いの野球好きから、「松井はどうなるの?」「松井は大丈夫?」「日本に帰ってくるの?」など、たくさん質問された。その都度、「シーズン始まってからでも、どこかからオファーがあると思うし、そういったことはメジャーではよくあること」と答えていた。

果たして…。4月30日にタンパベイ・レイズと契約。その契約から1か月。松井秀喜選手の2012年開幕戦が5月30日だった。J SPORTSでは、その試合に合わせて急遽放送カードを変更した。その正式連絡をもらったのは前日の夜中だったが、何か、わくわくするものを私は感じていた。解説の紀田彰一さん、AKI猪瀬さんも同じような心持ちで放送に向かった。

放送前の打ち合わせでは、互いに「第一打席でいきなりホームランとか打たないかなぁ」などと言い合ったその第一打席。初球をフルスイングで空振りをした姿を見て、その可能性が現実になってもおかしくないという思いが放送ブース内にあふれた。結果はレフトフライだったが、マドン監督に出場の可否を尋ねられて、「I'm ready」と答えた松井選手の準備が充実していることを証明した打球だった。

AAAでは打率1割7分だっただけに、「もっとちゃんとした成績を上げたかった」と昇格の記者会見で話していたが、その一方では「やり残したことはない」とも語っていた松井選手。振り返れば、マイナー契約での記者会見という前代未聞の出来事がひと月前。かなり意地悪な質問もあったが、「ただ野球がしたい。」と語った松井選手はユニフォームを着てプレーすることを本当に喜んでいるのがわかる打席だった。

そして、第2打席。初球の145キロをしっかりととらえた打球は松井選手らしい放物線を描いてライトスタンドに吸い込まれた。とらえた後の打球を押し込むときの左ひざの折れ方。フォロースルー。すべてが何一つ変わらない松井選手の姿だった。その時、放送ブースではAKIさんが両手を挙げて万歳のようなガッツポーズ。私もこぶしを突き上げていた。みんなが願望のように願ったホームランが現実になった瞬間。夢を叶える存在の野球選手はこうでなくてはいけない。

アメリカンリーグ東地区は激戦のディビジョンだが、その中にあって大きな存在感になってほしいしなれると確信させてくれる一振りだった。このアメリカンリーグ東地区。ヤンキースに黒田投手がいる。日本にいるときに黒田投手と松井選手の対決は試合内容を超えた見ごたえのあるものだった。当時、黒田投手も「松井選手を迎えるときは特別な思いが出てくる」というようなことを言っていた。昨年まではリーグが違っていたが、これからは同一リーグの同一地区。またこの二人の対決が見られると思うとこれまたわくわくする。

2か月遅れとなった松井選手の開幕だが、その時間を埋めて余りあるプレーを期待している。
サンケイスポーツ 2012/05/31
松井秀、アーチにこだわり「自分に厳しく」
 昇格即本塁打で、メジャー10年目のスタートを切ったレイズの松井秀喜外野手(37)。巨人やヤンキース在籍時に“松井番”を務めた阿見俊輔記者(37)が、オフの孤独トレの様子を振り返りながら「ホームラン」に対するゴジラの秘めた思いを記した。

 海を渡ってからは「おれ、中距離打者だから」と自嘲気味に語る松井だが、本音ではないと私はとらえている。

 都内で練習していた今年2月。様子を見に行った。メニューの最後はフリー打撃だったが、場所は、とある室内練習場。快音を残しても、打球は内野後方の防球ネットにことごとく阻まれ「ボトッ」と音を立てて地面に落ちる。

 行く先の見えない当時の状況と重なり、悲しい音だな、と思っていると「あとホームラン10本で終わり。お前が判定してよ」と頼まれた。寒いしネットのせいで、飛距離などよくわからないので、それっぽい打球には「ホームラン!」と甘めに言っていると「いや、今のはフェンス直撃」、「これはライトに捕られたから無し」とダメ出しを連発された。私の判定は採用されなくなり、松井が自ら認定した10本を打ち練習は終わった。

 球拾いを手伝っていると「お前は自分に甘いな。苦しい時こそ、自分に厳しくしないと…」と松井がポツリ。体中から湯気を出しながら、私の判定では約50本の本塁打を打った姿に、「中距離打者」という言葉とは裏腹の本塁打に対する強い執着を感じた。

 熱望し続けたメジャーのグラウンドに、あの煩わしい緑色のネットはない。実はだれよりもこだわっている本塁打を、新しい背番号と同じくらい打ってほしい。
日本経済新聞 メジャーリポート 杉浦大介 2012/05/17
松井がレイズで担うだろう役割
 レイズとマイナー契約を結んだ松井秀喜が15日、ノースカロライナ州に本拠を置く3Aダーラムに合流した。これまでの練習試合の結果はとりあえず良好で、遠からず準備が整いそうだ。高レベルなア・リーグ東地区で優勝を目指すレイズで、松井はいったいどんな役割を担っていくことになるのだろうか(数字は15日現在)。

「時間設定は設けない」

 4月30日にレイズとマイナー契約し、5月1日に地元セントピーターズバーグで入団発表を行った松井は、9日からフロリダ州のキャンプ施設で練習試合に出場。12日、オリオールズ傘下のマイナーとの練習試合で本塁打を放つなど、幸先よいスタートを切っている。

 3Aダーラムに合流した15日の試合は4打数無安打だったものの、フロリダ州での練習試合4戦の結果は18打数8安打1本塁打。もちろんマイナーリーガー相手に練習試合で打っても特に参考にはならないが、スロースターターといわれる松井にとって早く結果が出るに越したことはない。

 「時間設定は設けない。チームの層の厚さが試される時期が必ずくる。焦らず、状態が上がったときに彼の気持ちとチーム状況を考慮して判断する」

 5月8~10日、ニューヨークでのヤンキース戦に臨んだ際、レイズのジョー・マドン監督はそう語った。これから先にいつ声がかかってもよいように、なるべく早く戦える体制を整えるのが松井の目標になるだろう。

「松井が助けてくれることを期待」

 「王座を狙うために、僕たちはもっと安定した戦いができるチームになる必要がある。自分たちにとって最高に近いゲームをコンスタントにできるようにね。それを1年間続けていくのは簡単なことじゃないけれど、実績のある松井が助けてくれることを期待しているよ」

 ヤンキース時代の松井のチームメートであり、2009年に世界一に輝いた仲間であるホセ・モリーナ捕手はそう語った。

 5月4日の時点で19勝8敗と好スタートを切ったレイズだが、5日以降は4勝6敗。低迷中のアスレチックスにも連敗を喫するなど、確かに安定感はあまりない。

主力野手の故障者続出

 主砲のエバン・ロンゴリアが左太もも肉離れ、サム・フルドは右手首痛、デズモンド・ジェニングスは左膝打撲と、開幕前後から主力野手の故障者も続出。現在の打線を眺めても、正直言って群雄割拠の地区で優勝を狙う強豪とは思えないほど迫力に乏しい。

 ここに、松井のような経験豊富な打者が加われば、首脳陣も心強いのは確かだろう。モリーナは気の利いた発言が得意な選手ではあるが、松井についてはラテン系の記者にも同様のことを話しており、日本メディアへのリップサービスだけでは決してないはずである。

 ただ問題になってくるのは、松井がレイズで具体的にどういった役割を担うかという部分である。打撃は貴重な武器となり得るが、基本的に守備での貢献はあまり期待できないだけに、起用法も限られてしまう。

 「左のDHにはルーク・スコットがいて、まずまずの長打力を発揮している。松井も恒常的に使えば数字を残すかもしれないが、DHタイプの左打者を2人もロースターに入れるかどうか。僕が気になっているのはそこだよ」

 スポーツ・イラストレイテッド誌のジョー・レミア記者はそう指摘する。

DHのスコットは長打力発揮

 08~10年まで3年連続で20本塁打以上を放ち、まだ33歳のスコットは、現時点で松井より優先される存在と考えられる。今季も打率は.228と低いが、チームトップタイの7本塁打と期待通りの長打力を発揮している。

 今春メジャー契約を交わしているだけに、相当な不振か故障でもない限りは出場機会を与えられ続けるだろう。

 地元紙「タンパベイタイムズ」の報道によると、松井の年俸は3Aでプレーする間は月1万ドル。メジャー昇格した場合でも年90万ドル。年1300万ドルを得ていたヤンキース時代とは違い、首脳陣に「使わなければいけない」というプレッシャーを与える選手ではなくなってしまっている。

層を厚くする存在

 そして獲得が決まった当初から、マドン監督は松井は「保険」「層を厚くする存在」と明言し続けている。そんな状況下で、松井が狙う役割は「DH、外野の控え&代打要員」というものなのかもしれない。

 もともと今季はレイズの第4の外野手になるはずだったフルドが、開幕前に故障者リスト入り。代役に登用されたスティーブン・ボートも不振で、4月中旬にはマイナー落ちが宣告された(故障したジェニングスと交代で再昇格)。

 さらにその代役に獲得されたブランドン・アレンは4月26日にサヨナラ弾を放ったものの、5月10日には右足ふくらはぎを痛めて故障者リスト入り。レイズはやむなく27歳のブランドン・ガイヤーを起用している。

 これまでのところボート(13打数0安打)、アレン(13打数2安打)、ガイヤー(7打数1安打)とこの立場で登用されてきた選手たちは軒並み不調。アレンが戦列に復帰すれば、とりあえずはガイヤーに代わって再び起用されることになるのだろう。

スコットがDH専任でなくなれば…

 しかし26歳のアレンも大砲候補としてのポテンシャルは感じさせるものの、アスレチックス時代の昨年8月末~9月にかけて14試合連続三振を記録するなど、粗さは否定できない。

 「肩の故障からの回復途上のスコットが順調に良くなれば、(DH専任ではなく)一塁や外野を守れるかもしれない。そのときにはスコットとアレンの代わりに、スコットと松井をプラトーンで起用していくことも考えられる」

 タンパベイタイムズ紙もそう記している通り、外野と一塁の控えであるアレンがこのまま立場を確立できなければ、松井にもチャンスは膨らむ。

 5月下旬から6月あたりにスコットがDH、一塁、外野手を兼任できるようになれば、松井がDHと外野の控えを務め、臨機応変にローテーションしていくような起用法になっても不思議はない。マドン監督もスコットと松井の守備起用の可能性を否定しなかった。

守備につけることをアピールする必要性

 だとすれば、松井も起用法が極めて狭まる専属DHから脱皮し、守備につけることをマイナーでの調整中にアピールしていくことが大切になる。

 11日の練習試合では初めて外野の守備につき、無難にこなしたようだ。このように、たとえ1週間に1、2度でも守備につく姿をみせれば、早期昇格の公算もぐっと高まるに違いない。

 カルロス・ペーニャ、スコット、マット・ジョイス、B.J.アップトン、さらにはアレンらが持てる力を発揮し、投手力にも優れたレイズが今後しばらく勝ち続けた場合、松井の出る幕はなくなるかもしれない。3Aで打ちまくれば話は別だが、そこそこの成績に終わった場合、なかなかメジャー昇格の声がかからぬままくすぶり続ける可能性だってあるだろう。

臨機応変な打順を組むマドン監督

 しかし、日本メディアだけでなく、レイズを取材する記者、関係者も「いずれ松井は上がってくるだろう」と捉えている節がある。「試合に臨む姿勢には一目置いている」「左右どちらの投手も苦にしない」といったマドン監督の松井に関するコメントも、単なる外交辞令とは思えない。

 低予算チームのレイズをハイレベルなア・リーグ東地区で過去4年中3度もプレーオフに導いたマドン監督は「現役有数の指導者」との評価を得ている。

 そしてこのマドン監督は、臨機応変な戦術を好むタイプの指揮官である。たとえば相手先発が左腕のC.C.サバシアだった5月10日のヤンキース戦では、これまでシーズン2ケタ本塁打を放ったことがないジェフ・ケッピンジャーを4番に、ガイヤーを5番に起用。長いシーズンの中で、このような思い切った打順で臨むことが幾度もある。

 守備でも守備位置を頻繁に変えることで知られ、5月7日発売のスポーツ・イラストレイテッド誌で、レイズは「最も頻繁に守備シフトを採用するチーム」のランキングで断然トップの1位にランクされていた。

松井の勝負強さは魅力的

 このような策士にとって、使える駒は多いに越したことはない。そして献身的で、経験豊富で、なおかつ今なら「都合の良い便利屋」的な起用が可能な松井は、マドン監督にとって使い勝手の良いプレーヤーに違いない。

 中軸の打順に据えられる日があったかと思えば、数日間に渡ってベンチなこともあるかもしれない。しかし今季もプレーオフを目指すレイズの中で、松井が何らかの形で役立つ時期は必ずくるだろう。

 特に昨季も得点圏打率.224でメジャー30チーム中で28位と苦しんだレイズにとって、キャリア通算得点圏打率.298という松井の勝負強さは魅力的。し烈な地区優勝争いが続くであろう夏場から秋にかけて、古巣ヤンキースやレッドソックスを相手に、重要な場面の打席を任されるシーンも見られるはずだ。

 知将、マドン監督と松井がどんな“化学反応”を起こし、レイズにどんな形で貢献していくか――。そんな楽しみを実現させるために、一刻も早くメジャーで戦えるだけの準備を整えておかなければならない。
NHKスポーツオンライン 高橋洋一郎 2012/05/14
第1号 松井秀喜
久しぶりにみる情景だった。
「バシッ」というバット音に時が止まる。
ほんの一瞬の静寂。
白球は青い空に向かってすーっと糸を引く。
そのまままぶしさに目を細めるすきに、白い雲にまぎれてしまう。

フロリダ州ポートシャーロット。
タンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ松井秀喜選手がこの地での延長キャンプ(Extended Spring Training)に合流、トレーニングを開始しておよそ2週間がたった。
フロリダ特有の湿気を含んだ熱気。
太陽が少しでも顔を出そうものなら、温度計の針はかんたんに30度を越える。
立っているだけで肌は焼かれ、黙っていてもじっとりと汗がにじむ。
大部分がまだ体の出来あがっていない、10代後半から20代前半の選手たちに囲まれ、合流初日から彼らと同じように、同じメニューをこなした。
朝の9時にはグラウンドに出て、彼らと一緒に走り、投げ、そして打った。
ほぼ毎日のように室内ケージに向かい、30分も40分も出てこない。
厚いネットに囲まれ、うっすらとしか中をうかがうことのできないケージからはバットがボールをたたく音だけが途絶えることなく漏れてくる。
そんな日々が続いた。
日に日にしまってゆくその表情に、オーバーワークの懸念もあったが、本人は意にも介さず練習量を落とすことはなかった。
鋭い目線はこの先、そのまた先を見据えているのだ。

その日、松井選手はボルチモア・オリオールズ傘下のチームとの練習試合に出場していた。
4試合の出場予定だったその4試合目。5打席立つ予定だったその5打席目。
打った瞬間にわかる大飛球。
ライトが一歩、二歩と、後ろではなく横に動いて、すぐに止まった。
ボールはフェンスのずっと後方、そのあたりの草むらにたくさん繁殖している小さなトカゲたちを驚かせたことだろう。
その先にある「ワニに注意!」という、本気なのか冗談なのかわからない看板の立つ池にまでとどいたのかもしれない。
表情一つ変えずにベースを一周し、ダグアウトに戻って来た松井選手をはるかに若いチームメートが迎える。
やや控えめに、ヘルメットごしの頭をペッタペッタとたたく。

「ヒデキ、ウェルカムバック!!」
「ヤンキースタジアムだったら2階席だ」
「いや、3階席だろう!」

狙って打ったわけではない。
ただ打つ「予定」だったかのような、涼しい顔をしたホームラン。
その打席を最後に途中交代、バットの入ったバッグをかつぎ一人クラブハウスにゆっくりと歩いていく松井選手の後ろ姿はできすぎたヒーロー物語の一遍みたいで、少しばかりむずがゆさを覚える光景だった。

そんな松井選手の姿を反対側のベンチから見ていた選手がいた。
ミゲル・テハーダ選手。
松井選手と同じ37歳。
オールスター選出6度、2002年にはアメリカンリーグのMVPにも輝いた、実績からいえば松井選手をもしのぐ選手である。

「またユニフォームが着れてとてもハッピーだ。まだ僕の心と頭には野球が残っているんだよ」

5月8日にオリオールズとマイナー契約を結んだばかり、いわば松井選手とは同じような境遇にいる。
「それにしてもさっきのあれ、すんごい当たりだったね!」
と愛きょうのある大きな目をくるくるさせながら、まるでみずからのことのように興奮しながら話してくれた。

「俺たちベテランにもまだまだできることがあるんだ。近いうちに上で会おうってマツイに伝えておいてよ」

松井選手、今シーズン第1号。
週明け、松井選手は3Aチームに合流する。
第2号はそこで打つことになっている。
NHKスポーツオンライン 高橋洋一郎 2012/05/03
始動 松井秀喜
68日。
その間、一体どれだけの数のスイングを積み重ねたのだろうか。
現地時間4月30日。
これまで所属先の決まっていなかった松井秀喜選手とタンパベイ ・レイズの契約が発表された。
去就の決まらぬまま2月22日に渡米してから68日目、2012年のシーズンはすでにその6分の1を終了しようとしている。

契約発表の前々日。
ニューヨーク州内の屋外フィールド。
風に残るわずかな寒が、ほんの少しだけ肌を刺す。
子供たちが楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。
隣の野球場では少年野球の試合、子供たちの声以上に、その親御さんの発する声援が辺りに響く。
その横では中学生くらいだろうか、女子のホッケーの試合がおこなわれている。
時折聞こえるホイッスルの鋭い音や女の子特有の歓声に、ふと振り向かされる。
そんな歓喜の声をよそに、しかしそれらに包まれながら、黙々とトレーニングをする松井選手の姿がそこにはあった。
これまでずっとここでそうしてきたかのように、そして、これから先もずっとそうしていくかのように。
子供たちも親御さんたちも、誰も、その姿に目を留める人はいない。
渡米翌日からさっそく現地でのトレーニングを開始、日々のスイングが300を超えるまでは幾日もかからなかった。
連日のように、松井選手がトレーニングを続けた室内ケージにはバットがボールをとらえる湿った破裂音がこだまし続けた。
3月中旬には場所を代え、屋外でのトレーニングも行ってきた。

「ただプレーしたい、まだプレーしたい」

その思いはずっと途切れることはなかった。
むしろ日々強く、たくましくなっていったかのようだ。
少年野球の横でのランニング、少女サッカーの脇でのキャッチボール。
いつかまた再びユニフォームを着る時のために、日々トレーニングを積みしっかりとした準備をしながら待ち続けてきた「その時」がついにやってきた。
期間は1年、マイナー契約。
メジャー昇格の保証はない。

「マイナーリーグ契約ということは、現時点での僕自身の現状だと思っています。それだけです」

5月1日に行われた入団会見の際、松井選手には一切笑みがなかった。
確かにきびしい契約には違いない。
しかし、そこに悲壮感はみじんもない。
プロ20年目にたどり着いた現状を受け入れ、そこから突破口を見いだそうとする「潔い覚悟」があるだけだ。

「結果がすべて、それまでの経過なんて関係ない。」
2012年の松井選手のシーズン。
結果だけを求め、その結果のみでみずからの野球選手としての存在を証明しなければならないシーズンだ。
ゼロからのスタートではない。
マイナスからのスタートでもある。

「自信がなければプレーはしない」

68日間積み重ねたスイングの数だけの自信とともに。
タンパベイ・レイズ、松井秀喜、待ちに待った始動である。
J SPORTS The Challenger 2012 ~MLBの挑戦者たち~ 出村義和 2012/05/02
さあ、ゴジラの大逆襲だ
「ただ、プレーをしたい。野球をしたい」と、松井秀喜は心の叫びを口にした。その気持ちこそが、2度目のメジャーチャレンジの原点となる。

予期せぬ浪人生活だった。「マイナー契約するにしても、球団によりけりですね」と、1月末に会ったときの松井にはまだ、余裕があった。やがてスプリングトレーニングが始まり、オープン戦がスタートし、無所属のまま開幕を迎える。ニューヨークでひとりトレーニングをして過ごす日々。そして、1か月。ようやく、タンパベイ・レイズに入団が決まった。当然、マイナー契約だ。

試合に出場できる体を作り、実戦のカンを取り戻すために、松井はマイナーの故障者などが参加するエクステンデッド・スプリングトレーニング(延長キャンプ)に送られ、傘下のマイナーチームに配属される。

「チャンスをいただいたレイズに感謝でいっぱいです」と、松井はいった。

チャンスは、しかしチャンスに過ぎない。メジャーにはメジャー契約の40人枠があり、ベンチ入りの25人枠がある。ひとつのスポットを空けるには、誰かが外される。それは、単純に戦力的な判断で下されるわけではない。チームの将来や、人件費など、多角的かつ総合的な判断によって決められる。

だが、選手が証明できるのはプレーでしかない。スロースターターの松井は、いきなりギアをトップに入れなければならない。

「体調もいいし、早い段階で試合に出られると思う」と、自信ありげにいった。

とはいえ、6月に38歳の誕生日を迎えるベテランにとって、条件は厳しい。高温多湿のフロリダでの調整。マイナーチームに配属されると、バスによる長時間遠征や、食事などメジャーとは比較にならない劣悪な環境が待つ。日本時代からスーパースターの道を突き進んできた松井にとっては、あらゆる面でチャレンジになる。

しかし、乗り越えることができれば、その先には面白いベースボールが待っているはずだ。レイズには、ジョー・マドンという現代の名将が監督を務めるからだ。

98年創設以来、毎年のように最下位を繰り返し、リーグのお荷物のような存在だったチームをヤンキースとレッドソックスに対抗できる強豪に作り替えた、球界きっての頭脳派。決して多いとはいえない予算の中から獲得した選手を有効に使い、ベンチ入り25人全員を使い切るような野球をする。相手投手によってラインナップを大胆に変え、昨日4番に起用した選手を翌日には8番に入れるということもある。

また、打者によって細かい守備シフトを敷き、満塁策をとって5人内野にすることも珍しくない。機動力を積極的に使い、犠牲バントも多用する。勝利をつかむためには、ありとあらゆることにチャレンジする。つまり、野球というスポーツの可能性をとことん追求するような独創的な戦略、戦術を使う。マドン監督はマドン・マジックともいわれるような野球で、過去4年で3回もチームをポストシーズンに導いている。

松井はその監督と野球をすることになるのだ。過去、ヤンキース時代のジョー・トーレ監督を始め、代行を含めて4人の監督のもとでプレーしてきたが、いずれも動かないタイプだった。それだけに、マドン監督がどのように起用し、松井がどんな働きができるのか、実に興味深い。

浪人生活、マイナー契約。スーパースターとして君臨していた時代とは対極の状況から這い上がることで、松井の野球人生のストーリー性は劇的に高まる。日米プロ通算20年の集大成をゴジラの大逆襲としてみせてもらいたいものだ。
web Sportiva 2012/05/02
松井秀喜、最後の挑戦「自信がなければプレイはしない」
 現地時間5月1日。タンパベイ・レイズの本拠地、トロピカーナ・フィールドで行なわれた入団会見で、松井秀喜に笑顔は一切なかった。

「ただプレイがしたい。野球がしたい。またプレイするチャンスをいただいたレイズに対する感謝の気持ちでいっぱいです。あとはメジャーに上がって頑張るだけです」

 松井の立場はノーギャランティーのマイナー契約選手。メジャー昇格を保証する条項は一切ない。現時点で松井に与えられたものは、延長キャンプで練習を行なった後、3Aのダーラム・ブルズでプレイすることだけ。米国での10年目が始まることは決まったが、メジャー10年目のシーズンが始まることが決まったわけではない。笑顔なき入団会見は当然のことだった。

「マイナーリーグ契約というのは、現時点での僕の状況だと思います」

  輝かしい実績、勝負強い打撃、クラブハウスでの模範的姿勢。米国での松井秀喜評はどこへいっても高い。しかし、現状ではどれも過去の評価に過ぎない。

  かつてのチームメイトや監督、GMたちは松井の所属先が決まらないときに、「ヒデキならばまだプレイできる。契約が決まっていないのは信じられない事実だ」と口を揃えた。しかし、どの言葉も社交辞令に過ぎず、どこの球団からも色よい話は来なかった。そして、はじめて手元に届いたオファー、それが人工芝のトロピカーナ・フィールドを本拠地とするレイズからのマイナー契約。他に選択肢がない松井は、受け入れるしかなかった。

「この時期の契約、はじめて具体的なオファーをいただいた。きっかけはそれだけです」

 2月下旬に渡米した松井は、ニューヨークでバッティング・ケージを借りきり、孤独な打ち込みを黙々と行なっていた。暖かくなってからは、マンハッタンから北へ車で45分ほどのところにある街の公園で、たったひとりのスプリング・トレーニングに励んでいた。来るべき日のために準備だけは欠かさない。それが松井にできる唯一のことだった。だからこそ期するものがあった。

「試合はできなかったですけど、それ以外の練習はしてきました。体調もいいので、早い段階から試合への準備はできると思います」

 レイズは松井の調整にはタイムテーブルを設けず、本人の意向に沿った形にしていきたいとその方針を語った。

 とはいっても、今の松井に与えられた時間は多くない。3Aでの実戦が始まれば、早い段階での結果が求められる。スロースターターのイメージが定着している松井だが、昨年のようになかなか調子が上がらない状態が続けば、いつ解雇されても不思議ではない。それでも、松井は惑わされることなく、自分ができることだけに集中する。”松井が松井であることは変えられない”ということだ。

「自分の中ではスロースターターだと思ったことはない。自分の中でベストを尽くしていくしかないと思っています」

 あれだけ背番号55にこだわって来た男が「まったく思い入れはない」と語り、日本球界へ復帰することも「考えたことはなかった」と言い切った。

 そして記者からの「自信はあるのか?」という質問に、松井は迷わず答えた。

「自信がなければプレイはしないと思います」

 集大成にして背水の陣。松井秀喜の『誇り』をかけた戦いが始まろうとしている。