NHKスポーツオンライン 高橋洋一郎
2012/08/16
再び ~松井秀喜~
現地8月1日。
タンパベイ・レイズを戦力外となった松井選手はこの日、事実上の自由契約いわゆるフリーエージェントとなった。
レイズとマイナー契約を結び直しマイナーでプレーをし続けながら再起を図る、という選択肢を自ら放棄し、他のチームからのオファーを待つ、という選択をしたわけだ。
それからすでに2週間近くが経つ。
獲得を打診して来たメジャーの球団はない。
今シーズンレイズで松井選手が残した数字。
34試合に出場、ホームラン2本、打点7、打率.147。
しかも7月2日には左足太ももを痛め、それ以降は試合に出る事さえままならなかった。
残念ながらそのような状態で、しかもこの成績では他のチームからの獲得を望むのはむずかしいと言わざるをえないだろう。
言うまでもないが、そんな事は本人が一番よく認識しているはず、そのうえでのこの選択である。
この日遠征先で「マツイはまだメジャーでプレーできるか?」と聞かれたレイズのマッドン監督は、迷わず「できる」と答えた。
もちろん社交辞令的な部分もあろうが、それまでのこの監督の松井選手の起用法をみるに、「本当にそう思っている」ととれないわけではない。
そしてこの「まだできる。」という想いを誰よりも強く感じているのは他でもない、松井選手本人なのである。
今年2月に所属先のないまま渡米、そのすぐ翌日から自主トレを開始したあの時期と同じ状況に戻った。
あの時持ち続けていた「まだプレーしたい、まだプレーできる」という気持ちを、今また改めて強くしているところなのかもしれない。
心が折れていないのであればまだ先はある。
一度乗り越えた壁はもう一度乗り越えることができるはずだ。
先のまったく見えない状況でも決して諦めずに、自らのできる事、やるべき事をしっかりとやり続けた。
その先にあったのがタンパベイ・レイズとの契約だった。
もちろん戦力外となった時点で『引退』という選択も、より一層リアルなものとして本人に迫ったはずだ。
「自分でコントロールできる事を、しっかりとやる」
松井選手にとって「バットを置く」のは自らのコントロール(意思)でする事であって、決してこの状況に「置かされる」ことであってはならない。
ましてや、まだプレーしたいのである。
まだできると信じているのである。
発表があった数日前、トロピカーナ・フィールド。
チームはまだ遠征中、試合はないため球場自体は開いていない。
もちろんフィールドの照明は点灯しておらず、薄暗くひっそりとしたグラウンドには誰もいない。
試合のある日は忙しく立ち働いている外の警備員も、降り注ぐ陽の光にいまいましそうに目を細めながら、大きなあくびをしている。
これまで松井選手と苦楽を共にして来た広岡勲広報と、通訳のロヘリオ・カーロン氏が、松井選手のロッカーの荷物整理のため球場を訪れた。
大方の荷物はすでにクラブハウス担当者が片付け終わっており、またそのほとんどが郵送される手はずになっているため、運び出す荷物はほとんどなかった。
近所のスーパーマーケットのロゴの入った小さなショッピングバッグサイズのものが2、3個、拍子抜けするほど少ない。
その、一見ゴミと見間違ってしまいそうな2、3のバッグに混じって、バットが3本。
バシッ、ビシッ……
あの響きが聞こえてきそうだ。
タンパベイ・レイズを戦力外となった松井選手はこの日、事実上の自由契約いわゆるフリーエージェントとなった。
レイズとマイナー契約を結び直しマイナーでプレーをし続けながら再起を図る、という選択肢を自ら放棄し、他のチームからのオファーを待つ、という選択をしたわけだ。
それからすでに2週間近くが経つ。
獲得を打診して来たメジャーの球団はない。
今シーズンレイズで松井選手が残した数字。
34試合に出場、ホームラン2本、打点7、打率.147。
しかも7月2日には左足太ももを痛め、それ以降は試合に出る事さえままならなかった。
残念ながらそのような状態で、しかもこの成績では他のチームからの獲得を望むのはむずかしいと言わざるをえないだろう。
言うまでもないが、そんな事は本人が一番よく認識しているはず、そのうえでのこの選択である。
この日遠征先で「マツイはまだメジャーでプレーできるか?」と聞かれたレイズのマッドン監督は、迷わず「できる」と答えた。
もちろん社交辞令的な部分もあろうが、それまでのこの監督の松井選手の起用法をみるに、「本当にそう思っている」ととれないわけではない。
そしてこの「まだできる。」という想いを誰よりも強く感じているのは他でもない、松井選手本人なのである。
今年2月に所属先のないまま渡米、そのすぐ翌日から自主トレを開始したあの時期と同じ状況に戻った。
あの時持ち続けていた「まだプレーしたい、まだプレーできる」という気持ちを、今また改めて強くしているところなのかもしれない。
心が折れていないのであればまだ先はある。
一度乗り越えた壁はもう一度乗り越えることができるはずだ。
先のまったく見えない状況でも決して諦めずに、自らのできる事、やるべき事をしっかりとやり続けた。
その先にあったのがタンパベイ・レイズとの契約だった。
もちろん戦力外となった時点で『引退』という選択も、より一層リアルなものとして本人に迫ったはずだ。
「自分でコントロールできる事を、しっかりとやる」
松井選手にとって「バットを置く」のは自らのコントロール(意思)でする事であって、決してこの状況に「置かされる」ことであってはならない。
ましてや、まだプレーしたいのである。
まだできると信じているのである。
発表があった数日前、トロピカーナ・フィールド。
チームはまだ遠征中、試合はないため球場自体は開いていない。
もちろんフィールドの照明は点灯しておらず、薄暗くひっそりとしたグラウンドには誰もいない。
試合のある日は忙しく立ち働いている外の警備員も、降り注ぐ陽の光にいまいましそうに目を細めながら、大きなあくびをしている。
これまで松井選手と苦楽を共にして来た広岡勲広報と、通訳のロヘリオ・カーロン氏が、松井選手のロッカーの荷物整理のため球場を訪れた。
大方の荷物はすでにクラブハウス担当者が片付け終わっており、またそのほとんどが郵送される手はずになっているため、運び出す荷物はほとんどなかった。
近所のスーパーマーケットのロゴの入った小さなショッピングバッグサイズのものが2、3個、拍子抜けするほど少ない。
その、一見ゴミと見間違ってしまいそうな2、3のバッグに混じって、バットが3本。
バシッ、ビシッ……
あの響きが聞こえてきそうだ。