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Columnコラム

NHKスポーツオンライン 高橋洋一郎 2012/03/26
『同じ響き』  ~松井秀喜~
「カーン……カーン……」

室内のバッティングケージ内に響き渡る、バットがボールをとらえる音。
時に目にも止まらぬ速さの打球がバッティング投手を保護するためのネットの金属枠を直撃する。
「キーン」という長く鋭い金属音がその場全体の空気を、大きく揺さぶる。
時折、大きく息をし、呼吸を整え、バットを構える。
そこから一気に振り下ろし再びバットを上げる。
納得のいかないスイングには声をあげ、ひとりつぶやく。
そしてまた構える。
ほぼ休みなくこの動作が繰り返される。
1球、2球、3球……300球をこえてもやまない。

3月も残すところあと1週間あまりとなった。
フロリダ州、アリゾナ州の温暖な地で行われているアメリカ大リーグ各球団のスプリングトレーニングが佳境を迎えつつあるこの時期、まだ寒の残るニューヨークで独り、黙々と自主トレに励んでいる野球選手がいる。
松井秀喜選手である。

所属先の決まらぬまま2月22日に渡米、そのすぐ翌日から現地での自主トレを始めおよそ1ヶ月が経った。
その間300スイングをこえる打ち込みを行う日々を重ね、来るべき「その時」のために、トレーニングを欠かさずにきた。

しかし。
「その時」はまだ、来ていない。
2003年に海を渡って10シーズン目、日本でのプロ生活をあわせると今季はちょうどプロ生活20年目となる。
そんな大きな節目の年に松井選手はまさに、みずからの野球選手としての存在のかかった正念場を迎えている。

「現実を受け入れるしかない……現状を受け入れながらも、日々準備というか練習をしていくしかない。それだけです」

この時期になってもまだユニフォームを着ていないという現実。しかしだからこそ「その時」が来たら、しっかりとした準備ができた状態でユニフォームが着たい。

「まだプレイをするという意思がある以上は練習しかない……ただプレイしたい、まだプレイしたいって、それだけ」

今できること、そして今やりたいこと。
そんなことは本人が一番よくわかっている。
昨年のオフシーズン、これからの野球人生について松井選手はこう語った。

「野球が好きだし、野球で今までずっとここまで来たわけですから……ということはやっぱり野球で結果を出して自分自身を証明する以外ないです」

その思いだけで今もバットを振り続けている松井選手。
彼のシーズンはすでに始まっている。
自分自身を証明する戦いの真っただ中にいるのだ。
冒頭の「カーン、カーン」。
室内に響き渡る音は、実はそんなさわやかな打撃音ではない。
どちらかと言えば「バシッ」とか、「ビシッ」といった破裂音に近い。
内なる思いを思い切りぶつけるかのような力強いスイングから生み出される音は「カーン」などという乾いた、マンガのような音ではなく、汗にまみれたボールを引ったたく湿った破裂音だ。

この響き、聞き覚えがある。
2006年、夏。
当時ニューヨーク ヤンキースに所属していた松井選手は選手生命を脅かすほどの大けがだった左手首の骨折からの復帰を目指し、懸命にリハビリを続けていた。

「みずからの真骨頂を見せるために」
「けがをする前よりもっとよい選手となるために」
炎天下のフロリダ州タンパ。
そのことを証明するために、来る日も来る日もバットを振り続けた。
お日様の姿さえ見えない室内ケージ。
300球を超えてもなお変わらずに響く、まだまだプレイしたいという心の声。
同じ響きだ。
Number Web 野ボール横丁 2012/03/10
松井秀喜は日本球界に帰らない……。命懸けでメジャーに行った男の覚悟。
 依然として、松井秀喜の契約がまとまらない。

 そんな中、日本球界復帰説がまことしやかに流れているが、その可能性は極めて低いと思う。

「いつ辞めてもいいと思ってますよ」

 2010年2月、エンゼルス1年目のスプリングキャンプでのことだ。松井はロッカールームで、いつもの甲高い口調でそう語っていたものだ。

 軽い言い方だったが、その瞬間、松井はメジャーで野球人生を終えるつもりなんだろうなと直感した。

 引き際がやってきたら、そこまで現役に執着はしない。もっと言えば、日本に戻ってまでやろうとは思っていない、そう表明しているのだと解釈した。

「命をかけて」海を渡った松井秀喜の悲壮なまでの覚悟。

 松井の日本球界復帰について、いろいろな意見が飛び交っている。

 膝が悪いのなら、巨人で代打として数年間やればいいじゃないか。阪神の金本知憲や、広島の前田智徳のように、代打だけでもファンを喜ばせることはできる、という意見。

 いやいや、パ・リーグに入ってDHでやれば、まだ20本、30本はホームランを打てる、という意見。

 どちらも、現実味がないわけではない。ただ、いずれも、本人に日本球界に戻る意志があればの話だ。

 そうした仮定の話をする以前に、松井が日本のプロ野球のユニフォームを着る姿が、どうしても想像できないのだ。

 松井は巨人を去るとき、「決断した以上は、命をかけてがんばります」と発言した。普段、言葉で自分を飾ることをしない、あの松井が、だ。

 これは素直に訳せば「メジャーで死ぬつもりです」ということになる。

 松井は、それぐらいの覚悟でアメリカに渡ったのだ。

“巨人の四番”の絶対性に亀裂を生じさせた松井の移籍。

 今思えば、巨人人気の凋落、ひいてはプロ野球人気の凋落は、松井の海外移籍がターニングポイントだった。

 それまでの日本球界は、たとえ野茂英雄がメジャーで大ブレイクしようと、まだ、巨人のエース、巨人の四番が、価値観の頂点にあった。

 だが、松井の行動が、それを否定した。松井が意図するしないにかかわらず、巨人の四番以上に魅力のある世界があるということを気づかせるきっかけになった。

 もちろん、松井が悪いわけではないが、松井は、自分のしたことの大きさは自覚しているはずだ。それを口にするほど自惚れてはいないが、それに気づかないほど鈍感な男ではない。

 その重さがわかる以上、簡単に戻ってはこれまい。

岩村、松井稼はなぜ日本球界に復帰したのか?

 昨季、楽天に移籍した岩村明憲も、メジャーで苦労している頃、「自分でメジャーを選んだ責任は感じている」と暗に簡単には日本に戻るつもりはないという意味のことを話していたが、最終的には「自分を必要としてくれることに飢えていた」と帰国を決断した。契約時点で岩村はまだ31歳と若かっただけに、その気持ちは理解できた。

 しかし37歳で、9年間メジャーでプレーし、ワールドシリーズでMVPまで獲った松井にそこまでの飢餓感はないだろう。

 岩村と同じく昨年、楽天で日本球界復帰を果たした松井稼頭央の場合はどうか。松井稼頭央は以前から「最後は日本球界に戻りたいと思っていた」と語っている。

「簡単に帰るつもりはなかったけど、ある程度、動けるときに帰ってきたかった。日本で育ててもらったという恩義もありましたし。そのタイミングがちょうど合ったということだと思います」

 松井秀喜は、いずれのタイプにも当てはまらない。

松井を動かせるのは長嶋茂雄ぐらいのものだが……。

 松井が日本球界に復帰するとなれば、戦力としてだけでははかれないメリットがある。

 それは、彼の人気だ。

 どの球団が獲得に名乗りを挙げるにしても、アメリカに残るよりは金銭条件はいいだろう。

 だが、松井がもはや金で動くとは思えない。

 動くとしたら、プライドだ。

 そのプライドを動かせる男。それは日本では唯一、長嶋茂雄しかいない。だが、その長嶋も、もはや巨人の監督ではないし、体調面を考えると復帰することもないだろう。

 やはり、松井が日本に帰ってくることは100%に近い確率でないと思うし、メジャーで現役をまっとうするほうがふさわしいように思う。