Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

NHKスポーツオンライン 高橋洋一郎 2012/07/09
連帯~松井秀喜~
今シーズンここまで、例年になく思案にくれている姿を見かけることが多かった。
やや、おかっぱ気味のヘアスタイル、太っているわけではないが角(かど)のない顔つき。
笑った時のいたずら小僧のような表情は接する者を瞬時に武装解除してしまう。

2012年、タンパベイレイズの松井秀喜選手の前半戦が終了した。
5月29日に昇格して以来、出場したのは27試合、80打数14安打、ホームラン2本、打点7。 打率.175。
松井選手加入後もチームはけが人が続出、そのぶん当初予想されたよりもはるかに多くの試合に出場、打席に立ち、守備につくこともできた。
チャンスはあった。
そのなかで積み重ねてきたのがこの数字である。
本人がこの数字に納得するわけがない。

そして、この人もこの数字には納得していない。
タンパベイ・レイズ、広岡勲広報。
2月。
ニューヨークで先の見えない自主トレを続ける松井選手をひたむきにサポートし続けた。
街中のバッティングセンターで打ち込みを続ける松井選手の鋭い目線の先にはいつも、バッティング投手を務める彼の姿があった。
松井選手の所属先が決まらないとうことは彼の所属先もまた、決まらないということである。
焦り、不安、いらだち……
いくら松井選手といえども、否定できない感情だったのではないだろうか。

「これまでと同じように、普通に接することが一番難しかった」

レイズとのマイナー契約後、高校を卒業したばかりのような若い選手に混じっての延長キャンプ、その後の3Aダーラム・ブルズでの調整試合出場、松井選手の横には当たり前のようにいつも彼がいた。
2003年に松井選手とともに海を渡り、以来10年間、球団所属の広報として松井選手を担当、陰にひなたにサポートし続けてきた。
ヤンキース、エンジェルス、アスレティックス、そしてレイズ。
28歳だった野球青年は38歳となり、あの頃とは違う選手となった。
しかし、松井選手の横には同じく10年の齢(よわい)を経て、心も体も少しだけ丸くなった彼の姿が10年前と同じようにある。
再びメジャーでユニフォームを着る時に向けて、全力で準備しなければいけない。
また、ユニフォームを着たからといって、ずっと着続けられるという保証は全くない。
唯一の保証はその時にしっかりと結果を出すこと、それだけだ。
その思いだけで独りトレーニングに励む松井選手を全く同じ思いでサポートし続けたのだった。

「今はシーズン途中からであろうと、野球ができることに喜びを感じながら、毎日それに打ち込んでいると思う。ただ、だからこそ結果が出ない理由をそこにもっていくわけにはいかないんだ」

「例年のキャンプを経ていないから」
「生きた投手の球を打てなかったから」

ある意味、どれも正しいのかもしれない。
ただ、必要なことはやってきたつもりだ。
その時、その時に出来ること、正しいと思ったことを一生懸命続けてきたつもりだ。
あの時をともに感じ、ともに戦い、ともにくぐり抜けて来たのはほかでもない、彼らなのである。
きのう、きょう生まれたのではない、強い連帯意識がそこにはあった。

「まだシーズンは折り返し。まだ、半分もあるし、取り返す試合数もたっぷりある。ここから上がっていく楽しみもある」

本人以上に彼はそう思っているはずだ。