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Columnコラム

スポーツナビ 2003/01/15
松井秀喜、ヤンキース入団会見全文
 1月14日(日本時間15日)、ついにニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜が誕生した。ニューヨーク市内のホテルで行われた入団記者会見に集まった日米の報道陣は約300人。ランディ・レバイン球団社長らフロント幹部をはじめ、ジョー・トーリ監督やエースのロジャー・クレメンス投手、マイケル・ブルームバーグ・ニューヨーク市長ら、豪華な顔ぶれが並ぶ中、巨人時代と同じ「55」番のピンストライプ(縦じま)のユニホームに袖を通した松井は、終始笑顔で抱負を語った。

僕にとって最高に幸せな1日

 みなさん大変お忙しい中、たくさんお集まりくださり、ありがとうございます。

 僕にとって最高に幸せな1日になりました。ニューヨークという素晴らしい都市に来れて、またそのニューヨークのみなさんが最も愛する偉大なヤンキースの一員になれたことが、大変うれしいです。これから今年、僕なりにベストを尽くし、ヤンキースがワールドチャンピオンになれるように、少しでも力になれたらいいなと思います。

 偉大なヤンキースに温かく迎え入れられたことを大変うれしく思います。ミスター・トーリはわざわざ遠くから来ていただき、大変申し訳なく思いますし、日本で最も有名な投手、ミスター・クレメンスもわざわざ駆け付けてくれて、大変うれしく思うとともに、恐縮しております。1日も早くニューヨークの方々、そしてヤンキースのみなさんにチームメートとして認められるように、頑張りたいと思います。

 僕は日本から来ましたが、日本の野球界とアメリカの野球界の橋渡し的な役割もできたらいいなと思っています。とにかくベストを尽くして、早くこのユニフォームを着て、ヤンキースタジアムの偉大な先輩方が立たれたバッターボックスに立つのが楽しみです。

 一生懸命頑張りたいと思いますので、みなさんよろしくお願いします。ありがとうございました。

ニックネームはやはり「ゴジラ」

――先日の日米野球では、8試合31打席5安打2打点本塁打なしという成績でしたが、すべてが全米で一番いい投手でない中でのこの成績をどのように説明しますか

 その結果を受け入れて、これから努力しなければいけないと思います。

――こちらでニックネームはどのように呼ばれたいですか

 もちろん、みなさんご存知の通り「ゴジラ」が一番いいと思います。

――ストライクゾーンの話ですが、バリー・ボンズ選手のようなストライクゾーン、それとも新庄剛志選手が得たようなストライクゾーン、どちらを得られるような選手になりたいですか

 バリー・ボンズのストライクゾーンを目指して頑張りたいと思います。

――今日もたくさんのメディアの方が来られていますが、日本のメディアの対応と比べて、ニューヨークのメディアについてはどのような印象を受けますか

 日本も同じなんですが、すごい(仕事)熱心ですし、これからいいお付き合いができればいいと思います。

――ピンストライプのユニフォームに袖を通した感想は

 大変興奮しています。

――日本から村上雅則投手が1964年に、野茂英雄選手が95年に来て、それから多くの日本人選手が来ていますが、あなたは野手では4人目です。あなたが日本からアメリカの野球に貢献できることはあると思いますか

 僕自身が持ってこれるものはプレーしてみないと分かりませんが、先輩のプレーヤーの方々がある程度、日本の野球の素晴らしさを伝えていると思いますので、大丈夫だと思います。僕自身もベストを尽くしますが。

――松井選手は日本では非常にいい立場にいたと思いますが、あなたにアメリカに来る決断をさせたのは

 日本では10年間、読売ジャイアンツという球団でプレーしてきましたが、もちろんそれも僕にとっては素晴らしい野球人生でしたし、もしそれを続けていても素晴らしかったと思います。ただ、フリーエージェントという権利を得て、新しいスタートを切るチャンスをもらって、そのチャンスを生かして世界一のリーグでプレーしたいという気持ちが強かったということです。

日本に戻るつもりはない

――日本での昨年の成績(3割3分4厘、50本塁打、107打点)に近い成績を今年残すことができると思いますか

 難しいとは思いますが、少しでも近い数字を残せるように頑張ります。

――将来的にヤンキースとの契約期間の後、またはその後、日本に戻ってプレーすることを考えていますか

 現時点では考えていません。

――クラブハウスやダッグアウトで日本語をしゃべる選手がほかにいませんが、その中でプレーすることに関しては

 最初は不自由な面があるかもしれませんが、1日も早く英語をマスターしてコミュニケーションが取れるようにしたいと思います。あと、アルフォンゾ・ソリアーノ(元広島)がしゃべれるので大丈夫だと思います(笑)。

――トーリ監督とはまだ話したとこがないとおっしゃっていましたが、今日はどんな話をしましたか

 まず「はじめまして」とあいさつしました。その後、「わざわざこの会見のためにハワイから来ていただいてありがとうございました」と言いました。「昨日は(ハワイで)鯨を見ていた」と言われたので、「たくさんの人の前に来ていただいて申し訳ない」と伝えました。トーリ監督からは、「リラックスして頑張れ」と言われました。

守備でも自信がある

――日米野球の時に、(ヤンキースの)ジェイソン・ジアンビー選手やバーニー・ウィリアムズ選手と時間を過ごしたかと思いましたが、彼らから何か影響を受けましたか

 ジアンビーとは一緒に夕食をしましたが、「ヤンキースは素晴らしい球団だよ」と何度も何度も言われて、その言葉に僕の気持ちが揺らいだことは事実だと思います。バーニーとは球場で何度か話をして、彼は「君がハッピーならどの球団でもいい」と言っていましたが、温かく話してくれて感謝していますし、これからはチームメートとして、ともにエンジョイしながら頑張りたいと思います。

――肩の強さなど、ご自身の守備については

 みなさん僕の守備については印象を持っていないかと思いますが、結構自信を持っています。

――ニューヨークの暮らしや長い距離を移動しなければならないど、グランド以外での不安はありますか

 生活に関しては慣れればまったく問題ないと思っています。あと、移動や試合数に関しても、僕の中で一番自信があるのは試合に出場し続ける体力だと思っていますので大丈夫です。

――こちらに着いてすぐにグランドゼロ(世界貿易センタービル跡)を訪れたそうですが、テロの後、観光客が減っている状況で、松井さんの試合を見るために、もっと多くのファンが日本から来てほしいという願いはありますか

 実は僕も着いた日にグランドゼロに足を運んで、今でもあのような事件があったことは信じられないですし、非常に心が痛みました。(ファンの方には)ぜひ僕のプレーを見るために、日本から来ていただきたいと思います。

――日本ではお父さんが強い味方となってアドバイスを与えていたそうですが、アメリカにも来て松井選手をサポートする可能性はありますか

 日本でも一緒にいたわけではありませんし、もちろんこちらにも年に何回かは見に来るとは思いますが、問題ないと思います。あと今はメールや電話、FAXなどいくらでも(話す)手段はありますので大丈夫だと思います。