スポーツナビ
2003/04/30
夢の日本人対決はイチローの先勝! ヤンキースvsマリナーズ3連戦初戦
切れ味見せたイチロー 松井は見せ場なし
2人のバットマンのバットから快音を聞くことはできなかった。一方は多少の皮肉を込めて、もう一方は多少の感慨を込めて、他の試合とは違った一戦だったことを認めた。
見どころをつくったのはイチローだった。3回に飛び上がってフェンスに激突しながら右邪飛をキャッチ。7回には完ぺきと言っていい投前バント安打を決め、6点目のホームも踏んだ。鋭い打球こそ飛ばせなかったが、イチローらしい切れ味は見せた。
だが「いつも通りにプレーできたか」との問いに「無理だ」と答えた。「他のメンバーが『アカデミー賞の授賞式でもあるのか』と言っていた。ゲームとは別の好奇心があったような…」
松井に見せ場はなかった。「微妙なところで(バットのしんを)外された」と7回まではメッシュに抑え込まれた。9回にようやく長谷川から中前打し「バットの先でラッキーなヒット。あまりにも打たないので長谷川さんが打たせてくれたのでしょう」と話した。 イチローが先頭打者だった試合開始と長谷川との対戦は「いつもと違うのかな。日本人がやっているんだな」と感じたという。「イチローさんは十分な実績をつくられた方。長谷川さんにしても佐々木さんにしてもそう。普通にやっているな、と思う」。(ニューヨーク共同)
イチローの「心技」を実感 同じ強さを求める松井
日本のプロ野球選手でイチローに注目したことのない者はまずいるまい。7年連続首位打者の打撃には誰でも目がいく。打撃スタイルもリーグも違った松井はイチローに何を見てきたのか。
「ここという点を見てきたわけではない。すべてにおいて突出しているプレーヤーだから」と松井は切り出した。そして続ける。 「打撃について言うならバットのしんでボールをとらえるということ。これはメジャーでもトップクラスだと思う」
体全体を使って強くたたかなければ球ははじき返せない。それでいて打席では微妙なバット操作を強いられる。大リーガーの球は、平均して日本投手の変化球より打者の近くで変化し始めると言われる。それだけ反応しにくい。そこで力を発揮しているイチローのすごさを実感している。
ほかに何を感じるのか。「自分の世界を持っている選手ですね。変わらないものを」。これこそ松井が大切にしているものでもある。「周囲の声は自分でコントロールできないもの。自分でコントロールできるものにだけ集中したい」と言う。外に表れているタイプは違うが、2人は同じ強さを求めているのではないか。
2人がクローズアップされた第1戦が終わり「松井は意識したのでは」と問われたトーリ監督は即座に答えた。「変わらないよ。周囲にまったく影響されないんだ。キャンプからそういうところを見たことがない」(ニューヨーク共同)
好守、小技さらりと披露 イチローに気負いなし
イチローは普段通りに働いた。5打数1安打、1得点と1三振。数字だけでは可もなく不可もなくだが、さりげない好プレーで存在を示す。注目の一戦でも、気負いはまったく感じさせなかった。
まず3回。先頭モンデシーの右邪飛をフェンス際で飛び上がって好捕した。「フェンスが近くてどうしても気になる。簡単なプレーではない」。ファウルエリアが極端に狭いヤンキースタジアムでも、自分の庭のようにプレーした。
そして、ダメ押しの2点に貢献した7回無死2塁での投前バント安打。「こっち(大リーグ)は人工芝が少ないから、ああやって打球が止まってくれる。あの状況では初めから狙っていた」。さらりと多彩な小技も披露した。
松井らが加入し、大幅な戦力増強を果たしたヤンキースを「最大の敵」と言う。それでも、意識せずにはいられない名門チームとの今季初対戦に、いつもと変わらぬイチローがいる。
「(オリックス時代に)日本シリーズで優勝した後、どんどん弱くなって球場もガラガラ。どうモチベーションを保つのか、が最大のテーマだったことがある」
「イチローなら打って当然」という不条理とも、もう10年近く戦っている。注目度の高さ、常勝の重圧とは違うプレッシャーをくぐり抜けてきた。そんなたくましさも、忘れてはならない持ち味だ。(ニューヨーク共同)
――松井、イチロー、長谷川、長嶋全日本監督試合後コメント――
日本人とやっている ヤンキース・松井外野手の話
ヤンキース・松井秀喜外野手の話 初めにイチローさんが打席に立ったときと(長谷川と対戦した)最後の打席は日本人とやっているんだな、と思った。試合中はそんな気持ちはなかった。いつも通り。
松井だけに集中できない イチロー外野手の話
マリナーズ・イチロー外野手の話 相手がヤンキースだから、そこ(松井と同じグラウンドでプレーしていること)だけに集中できない。でも、ヤンキースは一番の弱点といわれていたレフトに松井君が入った。弱くなるわけがない。
見出し作っちゃった 長谷川
9回から登板の長谷川が無難に1回を無失点。しかし、唯一の安打が松井の中前打だった。初球、落ちる球で空振りを奪った直後の直球を打ち返された。
「新聞の見出しを作っちゃったね。皆さん楽しめましたか」と大量リードの状況だったこともあり余裕の表情。「本当はもう少し内に投げて内野ゴロをと思ったが、少し中に入ってしまった。最悪シングルヒットでと思ったし、あれでいい」と話し、「今度、接戦ではちゃんと抑えますよ」と自信も見せた。
2年前、エンゼルス時代にもイチローとの初対戦でヒットされた。この時同様、「顔を見ないように投げた」と言うものの、「構えもオーソドックス。日本人ぽくない感じだね」と松井の印象を語った。(ニューヨーク共同)
長嶋さん「攻めが厳しい」 松井のバッティング
テレビ解説者として観戦した長嶋茂雄前巨人監督は、松井のバッティングについて「そんなにどうしようもない状態じゃない。データも入っているんだろうけど、本当に厳しいところを攻められていた。あれは簡単に打てるものではない」と話した。
プロ入り以来、幾度となく苦境を乗り越えてきたまな弟子の姿を見ている。「これからでしょう」と今後の活躍を信じているような口調で話した。(ニューヨーク共同)
――試合前ドキュメント――
長嶋さん、松井と再会 アドバイスはなし
長嶋茂雄前巨人監督がテレビ解説者としてヤンキースタジアムを訪問し、松井と再会した。
1対1で松井を鍛え上げたことは有名だが、アドバイスについて問われると「していません。出来上がった選手ですから」。このところ安打が出ない状態に「疲労もあるだろうし、まだ1回り当たっていませんから。これからじゃないですか」と話した。
地元紙に「ディマジオのような存在」と取り上げられたこともあり、米国の報道陣から熱心な取材を受けた。選手時代に日米野球でプレーを見たというトーリ監督は「王ほどの長打力はなかったが、パワーを兼ね備えた好打者。リプケンのようにだれからも慕われていて強い印象を受けた」と語った。(ニューヨーク共同)
松井、イチローに挨拶 ヤンキーススタジアム
試合前打撃練習を終えた松井が、ストレッチを終えて打撃ケージの後ろにいたイチローに歩み寄りあいさつ。グラウンドではヤンキースの打撃練習が行われていたが、2人がほとんどの報道陣の視線をくぎ付けにした。
マリナーズのメルビン監督は今季から指揮を執っているため、2年前にイチローが大リーグ1年目当時の報道陣の大騒ぎを目の当たりにしたことはなかった。それでも同監督は「日本の野球を代表するスーパースター2人が同じグラウンドで初めて戦うんだから、こんな騒ぎもよく分かる。日本の野球だけでなく、大リーグにとっても素晴らしいことだ」と理解を示した。(ニューヨーク共同)
スポーツナビ
2003/04/28
29日に実現! 松井とイチローが直接対決
歴史的な初対決、松井vsイチロー
日本人にとって究極の対決が、海を越えたニューヨークで実現! 日本時間30日からヤンキースが地元ヤンキースタジアムでマリナーズを迎えての3連戦を行う。伝統のあるピンスイトライプの5番に座る松井と、マリナーズ不動の1番打者として異国の地でもその実力を遺憾なく発揮しているイチロー。注目の初対決は30日早朝8時5分にプレーボール!
2人の初対戦は1990年6月24日、松井が石川・星稜高1年、イチローが愛知・愛工大名電高2年の時の練習試合までさかのぼる。その後、松井は巨人、イチローはオリックスへと入団し、それぞれ球界を代表する打者に成長した。
大リーグ挑戦はイチローが先。2001年のルーキーイヤーには新人王、首位打者、MVPを獲得し、あっという間にメジャーを代表する選手へと変ぼうを遂げた。松井も今年、鳴り物入りで名門ヤンキースに入団すると、本拠地開幕戦で満塁本塁打を放つなど、実力の片りんを見せつつある。
1996年には日本シリーズでも対戦した両者。その時はオリックスのイチローが勝ったが、今回は……。松井、イチローとも調子は下降気味だが、世界最高の舞台で日本最高峰の打者による素晴らしい競演を期待したい。
松井、イチローがNY対決 トーリ監督も「楽しみだ」
米大リーグ、松井秀喜外野手が所属のヤンキースとイチロー外野手のマリナーズが29日から当地で3連戦に臨む。日本を代表する2人の打者の初対決。日本だけでなく米メディアも関心を寄せ、ヤンキースのジョー・トーリ監督も「質の高い2人がそろうのは楽しみだ」と述べている。
28日現在、イチローは打率2割5分7厘、松井は2割5分2厘で本塁打はまだ2本。2人とも数字的には若干物足りないが、ヤンキースはア・リーグ東地区、マリナーズは同西地区の首位に立ち、主軸としてチームの躍進に十分貢献している。
2人はやはり、互いの存在を意識している。松井は「(マリナーズとの対戦で)多少は試合前に違った気持ちになるかもしれない」と話し、イチローは「お互いできるだけ長くメジャーのレギュラーでいられたらいい。(松井には)厳しいシーズンを乗り越えてほしい」と語っている。
注目の対戦に合わせ、日本からは前巨人監督の長嶋茂雄氏もヤンキースタジアムにやって来る。29日は午後7時5分(日本時間30日午前8時5分)開始で、ヤンキースが通算300勝にあと「3」と迫るエースのロジャー・クレメンス、マリナーズは若手右腕のギル・メッシュが先発の予定だ。
NYでイチローと対決 「結果」出なかった16連戦
ミネアポリス、アナハイム、アーリントンと続いた遠征が終わった。移動日なしで本拠地ニューヨークから続いた16連戦だった。松井の打率は連戦前の3割1分6厘から2割5分2厘に落ちた。
「体力的には問題なかった」と言う。アナハイムを試合後に出て明け方にアーリントン入りする移動すら楽しそうにこなした。だが「ただ思い通りの結果が出なかった」と続ける。特にエンゼルス、レンジャーズと、オープン戦でも対戦のない2チームの主力投手には歯が立たなかった。
久しぶりの休養日を挟み「またあさってからニューヨークで頑張りたい」と、12日ぶりになる本拠地ヤンキースタジアムでの試合に臨む。マリナーズが相手になる。「(イチローをはじめ)初めて日本人のプレーヤーのいるチームと対戦する。多少試合前に違った気持ちになるかもしれない。でも、始まったら同じ」。日本を代表するパワーヒッターと既に大リーグで確固たる地位を築いたイチローとの日本人対決として注目される一戦だが、今の松井にとって6チーム目の相手にすぎないのだろう。
それでもトーリ監督は「打撃のタイプは相当違うけど、2人の質の高い選手がそろうのは楽しみじゃないか」。歴史的な一戦は30日午前8時5分(日本時間)にプレーボールがかかる。(アーリントン共同)
お互いに頑張れれば イチロー、松井を語る
松井のいるヤンキースとの初対戦を29日にひかえたマリナーズのイチローが「(松井を見る)2人の僕がいる」と語った。
「(松井は)自分で選択してこちら(大リーグ)に来た。大きな勇気が必要だったと思うし、野球に対する姿勢も真摯(しんし)と聞いている。お互いできるだけ長くメジャーのレギュラーでいれたらいいと思うし、厳しいシーズンを乗り越えてほしい」
ともに日本のプロ野球を代表する存在だった。それだけに松井の置かれている状況を理解し、応援する気持ちがまず頭に浮かぶという。
しかし、その一方でマリナーズを引っ張らなければならない自分もいる。「マリナーズの一員として彼を見るのであれば、最大の敵であるヤンキースの主力に頑張ってほしいとは思わない」
松井とは日本シリーズや球宴などで顔を合わせた程度で、公私で大きな接点はない。それでも大リーグの象徴ともいえるヤンキースタジアムでの再会を楽しみにしている様子だった。(シアトル共同)
プレーオフの雰囲気 マリナーズのメルビン監督
マリナーズとヤンキースの今季初対戦は、イチローと松井の顔合わせという意味で米球界でもちょっとした話題のようだ。マリナーズのメルビン監督は「イチローと松井、取材陣も多いだろうしプレーオフのような雰囲気になるだろう」と楽しそうに語った。
同監督にとって、ヤンキースタジアムの雰囲気を味わうのはダイヤモンドバックスのコーチを務めていた昨年の交流戦以来。「ヤンキース打線はよく振れているし、先発もすごくいい。でもうちだって調子はいい。面白いシリーズになるよ」と熱戦を誓った。(シアトル共同)
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/04/24
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.9
メディアも読者も気になる松井の存在
なぜ松井の写真がこんなに大きいの?
22日付の『New York Times』スポーツ・セクションの1面には、松井の写った写真が一番大きな扱いで掲載された。21日のツインズ戦で、5回、四球で出塁した松井がベンチュラのヒットで得点した直後、ダッグアウトでチームメートから手を合わされ、おじぎされて迎えられている場面のものだ。実はその写真を見て、2つの複雑な気持ちに陥ってしまった。
まずスポーツ・セクション全体に目を通した後に思ったのは、「なぜこの写真がこんな大きさで掲載されたのだろう?」という疑問だった。
21日の試合結果を振り返ってもらえば分かるだろうが、この試合、ヤンキースが15対1で大勝している。しかし、得点したとはいえ、この日、松井は無安打であり、得点の場面もすでに大量リードを奪った後。それでもトップでこんな写真が掲載されたのだから、松井の記事があるのだろうと思ったら、これがないのだ。
この日、同紙のヤンキース関連記事は、不振を極めているキューバの元エース、コントレラスの再建策について、トーリ監督とスタインブレナー・オーナーが対立している問題についての経過と、そのような問題を抱えながらも首位をまい進するヤンキースの強さについてのもの。後者の話題に関しては、松井の貢献も大きい、と触れられてもよさそうだが、残念ながらそんな記述はなかった。つまり、記事との連動が一見まったくない写真が1面に掲載されていたということなのである。
メディア側の人間としてはちょっと不思議な感じがするのだが、それだけ松井とそのプレーが同紙、さらには読者にとって“気になる存在”になっているということなのかもしれない。
松井への“あいさつポーズ”も見慣れる!?
そう結論付けた上で、さらに気になってしまったのが、この“手を合わせておじぎ”というポーズだ。
これが松井への”あいさつポーズ”になったというのは、スプリング・トレーニングの時にも報道されていたが、マリナーズの佐々木なども同様のポーズを使っている。アメリカではこのポーズ、しぐさが日本人を表す共通イメージとなっているようだ。
確かに神社仏閣などで似たしぐさをするから、日本紹介番組などでそのようなシーンを見たらそう思ってしまうのも分からないでもない。しかし、あれが典型的しぐさ、と言われると普通の現代生活を送る筆者にはなんとも奇妙な違和感のようなものを感じずにはいられないのだ。
ただ、アメリカで生活していると、日本人は日常生活でペコリと頭を下げることを含めて本当に“おじぎ”をよくする、ということも実感する。それに、じゃああれに代わる日本人らしいポーズって何? と言われても困ってしまう。相撲や忍者じゃもっと違うし。
いずれにせよ、このまま松井が活躍し続けたら、あのポーズを見ることも増え、それはそれでNYのメディアにとっても、筆者にとっても見慣れた光景になっていくのかもしれない。
“松井のいる今シーズンのヤンキースらしい写真”といった感じで、あまり深い意味を持たず掲載されたかもしれない1枚の写真から、こんなことを考えてしまった22日の午前だった。
スポーツナビ 梅田香子
2003/04/24
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.8
松井も気になるヤンキースの独裁オーナー
新参者がヤンキースで成功を収めるには……
松井の順調なスタートぶりは驚異といっていい。ニューヨーク・ヤンキースにおいて新参者が成功を収めることがいかに困難か、その理由をまずおさらいしておこう。
1.ニューヨークはマスコミの総本山でもあるから報道競争も激烈で、論調の厳しさも世界一と言っていい。
2.最近はだいぶ治安が良くなってきたとはいえ、ストレスフルな都会ではある。そのせいか、ファンの気質がワイルドで、早急に結果を求め勝ち。
3.1と2ならメッツも当てはまるが、決定的に違う点がある。ヤンキースのオーナーはかのジョージ・スタインブレナーなのだ。
ジョージ・スタインブレナー。この名前を口にする時、大リーガーや関係者たちは一瞬、それぞれ非常に複雑な表情を見せる。
「FAになった時、ブレーブスよりヤンキースの方が条件は良かったけれど、スタインブレイナーの存在がどうにも気掛かりだった」(ブレーブスのグレッグ・マダックス)
「あのおっちゃん、僕のこと“友達や”言うてくれました。上から下へ変わり身の激しい人らしいそうやけど……」(元ヤンキース、カッツ前田)
「ジョージは氷山を探すタイタニック号だ。氷山に勝ち目はない」(元コミッショナー、ボーイ・キューン)
「金も出すが口も出す」オーナーは野手の守備位置までも指示?
父親の跡を継ぎ、造船会社アメリカ・シップの重役になったスタインブレイナーが、ヤンキースのオーナーに就任したのは1973年1月のこと。父親はマサチューセッツ工科大学のハードル選手で、息子のジョージも手ほどきを受け、カルバー士官学校とウィリアムス大学時代はハードルとアメフトに夢中だった。
そのシーズンの終わり頃には、早くも最初のトラブルがぼっ発している。ニクソン大統領の再選委員会に違法献金した首謀者として告発され、翌年の8月には有罪宣告。スタインブレナーは罰金1万5000ドル、アメリカ・シップ社は罰金2万ドルという判決で、懲役刑は免れた。が、74年11月27日、ときのコミッショナー、キューンは2年間のオーナー権資格停止処分を発表した。
2年後にこれが解除されると、スタインブレナーは待ってましたとばかりに愛するヤンキースのために、精力的に動き始めた。折しも76年から大リーグではFA制度が始まっていた。他球団のスター選手を次々と獲得していき、「金も出すが、口も出す」という表現がこれほど当てはまるオーナーもほかに例を見ない。ヤンキースは3年連続アリーグを制覇し、77年にはワールド・チャンピオンの王座に付く。
その間もワールドシリーズで野手にトランシーバーを持たせて、オーナーが自ら守備位置を指示したり、物議は絶えなかった。
今は亡き名将、ケンカ屋ビリー・マーチン監督とくっついたり、離れたりする関係は有名で、マーチン監督がヤンキースの監督を務めたのは、75-78年、79年、83年、85年、88年。5回も就任と解任を繰り返したのは、もちろん今も破られていない大リーグ最多記録である。
それでいて、スタインブレナーとマーチンは仲良く2人で、ビールの宣伝CMにちゃっかり出演して、
「オレたちはまったく意見が合わないけど、このビールのおいしさだけは意見が一致するなあ」
などとうなづき合っていた。
スタインブレナーと巨人軍オーナーとの違いは?
スタインブレナーは、たびたび読売巨人軍の渡辺オーナーと比較されているようだが、確かに双方とも熱烈な勝利至上主義者なので、似通った印象を与えるのかもしれない。ただ、スタインブレナーの方は、「野球を愛するがゆえにエキセントリックな行動に出てしまう」という声があるようだ。
筆者も何度かインタビューしているのだけれど、とても複雑な思考回路の持ち主なので、簡単には答えを出せずにいる。というのも、デーブ・ウィンフィールドとの一件が引っ掛かっているからだ。
ウィンフィールドといえば、スタインブレナーが自ら交渉を持ち、当時としては破格の10年契約2000万ドルで獲得した元パドレスの主砲である。打率3割5分をマークして、ア・リーグ優勝には貢献したものの、ワールドシリーズでは22打数1安打というスランプで苦しんだ。これに激怒したスタインブレナーは、
「レジーシャクソンはミスター・オクトーバー(プレーオフで活躍する選手)を呼ばれたが、ヤツはミスター・メイ(シーズン序盤でしか活躍しない選手)ではないか」
とさんさん“口撃”した揚げ句、10年契約の最後の年、90年の5月にエンゼルスにトレードで放出した。
ところが、その一方で、同年7月にはこともあろうに賭博(とばく)師に4万ドルを払って、ウィンフィールドの弱みを買おうと働きかけていたことが判明。コミッショナーはフェイ・ビンセントに変わっていたが、オーナー資格停止処分を決定し、そのニュースがヤンキースタジアムで流れると、観客はスタンディング・オーベーションで大喜びした。
停止処分が解除されると、さっそく『スポーツ・イラストレーテッド』誌の表紙をナポレオンの扮装で飾ったものだ。人格はそう簡単に変わるものではない。スタインブレナーを知る者の多くが、松井がこのままワールドシリーズ最終戦まで突っ走ってくれることを祈っているはずだ。
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/04/17
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.8
発売間近! 松井トレカのお値段は?
新形式の「etopps」トレカはウェブ限定発売
トレーディングカード(通称トレカ)については、知っている人も多いと思う。
「UPPER DECK」などが発売しているトレカは、通常何枚かのカードがシュリンク・パックに入れられた形で販売され、開封するまでだれのカードが入っているか分からない。中には直筆サインカードやユニフォームの切れ端が入った“レア”なカードが入っていることもある。さらに、一般に注目度が低い新人選手のカードは、枚数が少ないことが多いので、“ルーキー・カード”と呼ばれ、後に人気が出ることが多い。
と、こんなことは今やファンには常識なのかもしれない。日本でも、プロ野球選手やアイドルなどさまざまなトレカが発売され注目されているようだが、アメリカではここ数年レア・カードの人気が加熱し、取引価格が高騰、それによって純粋なスポーツ・ファンというよりも投機目的で売買をする人も増えている。
そんな背景を踏まえた上で、今回紹介したいトピックが、「etopps」の松井カード発売だ。この「etopps」は、やはりトレカ大手の「topps」が2001年から発売し始めた新形式のトレカ。従来と違い、選手個人のカードが同社専用ウェブサイトで1週間限定、しかも枚数限定で発売されるのが特徴である。
だいたい1週間に6人の選手カードが、1枚4~9.50ドル(約500~1100円)で、各1000~1万枚程度発売される。当然、発売期間が過ぎれば、もうそのカードを購入することはできないのだが、この「etopps」はウェブオークション大手の「ebay」と提携しており、その専用コーナーでオークションによって取引できるようになっているのだ。
値段が人気のバロメーター 松井カードも高騰か!?
これまでも活躍や話題性によってカードの取引価格は変動してきたが、主に専門業者や専門誌の判断に負う部分が大きかった。それが「etopps」だと、ファンの心理が価格にダイレクトに反映されることになる。こう書くと、気づかれる方も多いと思うが、証券市場に似たシステムになのだ。いわばトレカの投機的要素を極めた商品で、「etopps」のウェブには各カードの価格変動チャートまで掲載されるし、発売のことをInitial Player Offeringsと呼んで、新規株式公開と同じIPOという略号を充てる徹底ぶりなのである。
値動きがリアルタイムに出ることは、人気のバロメーターという点でも画期的と言える。現在、高いカードでは100ドル以上の値段が付いているものも多い。もちろん、これまでにイチローや新庄など日本人選手のカードも発売されている。
気になる松井のカードだが、既に絵柄が宣伝に使用されるなど、発売は決定しているようだが、いつ、だれのカードが発売されるか分からないのが、難しいところ。最近の活躍を見ると、枚数によっては発売直後に急騰する、ということもありそうだ。値動きや「etopps」自身の枚数、価格設定によってアメリカでの松井の評価が出るわけで、筆者はカード購入もさることながら、その動向をとらえようと今か今かと待ち構えている状態なのである。
ただ、じゃあ松井で一発お金もうけ、と思った人に気をつけてほしいのは、活躍したから必ず価格が上がるというものではないこと。イチローの2002年カードは意外にも現在原価割れしていたりするのだ。いろいろな思惑で変動が起こる、そのあたりも株と同じなのである。
スポーツナビ 梅田香子
2003/04/16
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.7
松井は「ブロンクスの動物園」に溶け込めるか!?
荒くれ男の集まりヤンキースはまさに動物園?
口の悪い人はヤンキースを指して、「ブロンコス(ヤンキースタジアムがある地区の名称)の動物園」という愛称で呼ぶ。確かにクラブハウスを見渡してみると、昔も今もまるで荒くれ男たちの展示会だ。
松井秀喜を初めて日本のオールスターゲームで見た時は、ゴツいイメージがあったが、この中に交じるとやや繊細なアジア青年といった印象を漂わせている。ホームオープナー(ホーム開幕戦)で満塁ホーマーを打った後、いったんダグアウトに引っ込んでからもう1度出てきて、観客の声援にこたえた時、初々しさと安ど感とが表情ににじみ出ていて、とても良かった。
問題児ウェルズが出版した暴露本が問題に
39歳のベテラン左腕投手デービッド・ウェルズは、永久欠番になっているにもかかわらず、尊敬するベーブ・ルースの背番号を欲しがったり、ユニフォームのボタンを外しすぎて審判から注意されたり、これまで何かと話題には事欠かなかった。
伊良部秀輝(現阪神)がヤンキース入りした時には、一番近しい存在に見えた。脂肪とも筋肉ともつかぬ肉体とスキンヘッドがトレードマークだが、話してみると気さくな人柄で、伊良部のことばかり聞かれても嫌な顔一つしなかった。
開幕直前には『PERFECT I'M NOT(おれは完全じゃない)』という題名の自伝を出版して、球団からチームから10万ドル(約1200万円)の罰金を命じられたのは記憶に新しい。発売前から『シカゴ・サンタイムズ』などは大きな扱いで内容をセンセーショナルに報じて、やっぱりウェルズがやってしまったのか、というのが大方の感想だった。
自伝というより暴露本と言った方がいい内容で、バイクにまたがった表紙といい、NBAのデニス・ロッドマンの『ワルがままに』を思い出させる構成になっている。プライベートな写真も満載で、女装しているものやら、中指を突き出したチームメートたちやら……。ニュージランドへの新婚旅行では羊の群れに向って、なぜか全裸でVサインを送っていた。
なんといっても、外部の人間は立ち入りできない場面でのチームメートたちとのやりとりが興味深く、2、3度巨人入りの話があって取材したことがあるチャーリー・ハインズの言葉を借りれば、
「このクラブハウスでは毎日、安っぽい三文ドラマが演じられている」
といつも言っていたそうだ。
伊良部のヤンキース入りが決まった時、普段は日曜学校の教師のように、もの静かでジェントルマンなアンディー・ペティットが声を上げてしまったとか。当時、ペティットは既にヤンキースで通算39勝20敗を挙げていて、年俸は60万ドル(約7200万円)だった。それなのに、まだ1勝もしていない伊良部が自分の5倍の額を取ると知って憤慨したらしい。マリアーノ・リベラもスペイン語で「へどを吐くような金だ!」と叫ぶなど、クラブハウス内はかなり騒然としてしまった、という描写が延々と続く。
やはり外から見て想像している以上に、この「ブロンクスの動物園」に溶け込むことは大変なことなのだろう。
スラングなんて聞き取れない方がいい!?
野茂が1年目、メッツ戦で初めてニューヨーク入りした際、やはりヤジがすごく、差別用語が飛び交っていた。もっとも当時の野茂は今と違って英語が聞き取れなかったから、
「ニューヨークって日本の物が何でもそろっていて便利ですね」
と上機嫌で、タクシーではなく地下鉄を使って球場入りしたり、かなり楽しんでいる様子だった。
野茂はずっと後になって、デービッド・コーン(現メッツ)から、
「アメリカでどこの都市を気に入ったか?」
と質問された時、
「ニューヨークとシカゴ」 と答えている。スラングなんて最初から聞き取れないほうが、松井もかえって野球に集中できるのかもしれない。
放送禁止用語に人種差別、松井はどう対応する?
ウェルズの本にも、判定に不服で土を蹴った伊良部に対して、主審のジョン・ヒースベックがカンカンに怒って詰め寄り、
「ジャパニーズ・マザー○○○○○!」
と放送禁止用語を叫ぶシーンがあるのだが、伊良部は英語なので何を言っているのか理解できなかった。これが審判と選手が逆の立場だったら大変な事態となり、コミッショナー事務局からの罰金か出場停止処分は免れなかったはずだ。
ヒースベックといえば前年、ロベルト・アロマーに対してスペイン語で差別用語を口にし、ツバをかけられて大問題に発展したばかり。世論の大半がアロマーを批判し、アロマーも全面的に謝罪するのだけれど、ヒースベックの方はまったく反省しなかったようだ。
人種差別はこのような形で今でも存在しているのだし、野球の質や環境だけではなく、審判一つをとっても日本とは随分かけ離れている。松井が日々戦っているのは、相手チームだけではないのだ。
デービッド・ウェルズ/David Wells 1963年5月20日生まれ。米カリフォルニア州出身。82年にブルージェイズに2位指名されるも、けがに苦しみ、メジャーデビューは87年。その後、タイガース、レッズ、オリオールズなどを渡り歩き、97年にヤンキース入り。同年16勝を挙げると、翌98年には完全試合も達成する。2000年にはブルージェイズで20勝を挙げ最多勝を獲得。02年、再びヤンキースに復帰した。
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/04/10
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.7
松井、初本塁打で「歴史書に刻み込む」!?
イラク戦争を追いやった松井報道
8日(日本時間9日)、本拠地ヤンキー・スタジアムでの開幕戦で、大リーグ移籍後初の本塁打を、試合を決定づける満塁本塁打で飾った松井は、まさにその瞬間からニューヨークのスポーツ・メディアから大々的に取り上げられる存在となった。
この日の試合をTV中継したWCBSはもちろん、地元のニュース専門チャンネル、NY1など地元TV局はスポーツ・ニュースのトップで、そのバッティング・シーンを何度も紹介し、快挙を伝えた。
翌9日には、地元タブロイド紙の『New York Post』『Daily News』『News Day』が、いずれも表か裏の1面で松井の大きな写真を掲載。特に『New York Post』『Daily News』の2紙は、ともに表1面でバッティング・シーンを、裏1面でその後のカーテン・コールを載せ、イラク戦争報道を追いやって松井の独占状態にしたのだから、恐れ入る。
記事についても、いずれの紙面のスポーツ面トップにも松井の記事が並んだ。『New York Post』は、George King記者が「8週間前、(松井は)スタインブレナー・オーナーの最新のマーケティング・ツールだった。それが日曜日までに、トーリ監督就任以来最高の左翼手になった。今日、ヒデキ・マツイはヤンキー・スタジアムで崇拝の対象になった」と、松井の存在感がこの満塁本塁打デビューで決定的になったことを伝えている。
さらに同紙のコラムニスト、Joel Shermanは、松井は既にその人柄の良さから慕われる存在になってはいたものの、“本物のヤンキー”になるにはさらなるものが必要だったとした上で、「昨日、寒くてどんよりとした午後、ツインズ戦で、ヒデキ・マツイは正式にピンストライプを得た。実際、彼がそれを着た最初の日だったが」と言及。よく紹介されているが、昨年新加入だったジェイソン・ジアンビーが、期待されながら当初は不振にあえぎ、ファンからブーイングを浴びせられたことが、ニューヨークのマスコミにもかなり印象深かったようだ。
また、『Daily News』は「マツイ、歴史書に刻み込む」という見出しで、ヤンキースの歴史に残るほどの快挙であることを強調している。
依然大学バスケ中心の米メディア 松井が全米を席巻する日は?
このように一気にヒートップした松井報道だが、付け加えたいのは、この熱狂はあくまでニューヨーク特有のものだという点だ。全米レベルで見ると、8日のスポーツでのトップ・ニュースは全米大学バスケットボール選手権の女子決勝戦だった。全国紙の『USA TODAY』は松井の活躍を「7対3の本拠地開幕戦勝利で、松井が満塁本塁打」(Tom Pedulla文)という記事で紹介したが、これはあくまでベースボール欄の一記事という扱い。1面は先の女子大学バスケとゴルフのマスターズの記事がメインだった。
さらに、地元ニューヨークでも老舗(しにせ)日刊紙の『The New York Times』は、スポーツ・セクションの1面に松井の記事を載せたものの、やはりトップは女子大学バスケという構成になっていた。ある種、この冷静さが同紙らしさと言えようか。いずれにせよアメリカではこのように対象者、地域によってニュースの扱いが大きく変化することが多いのである。
まずはニューヨーカーたちの心をつかむのに成功した松井だが、ヤンキース、そして大リーグの歴史にその名を本当に刻むのはまだまだ先のこと。試合後に彼自身が語った通り、この初本塁打はまだ「1本目」なのである。
スポーツナビ 梅田香子
2003/04/09
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.6
ピンストライプを愛する松井の先輩、ジアンビー
だれもが持つピンストライプへの特別な思い
今でも縦じま(ピンストライプ)のユニフォームで活躍しているのだから、いやみにならないはずだが、
「ヤンキースのピンストライプ(縦じま)の重みは野球をやったことのある人でないと分からない」
とかつて言い切ったのが、現阪神の伊良部秀輝である。
確かに野球人にとっては特別な思い入れがあるらしく、今シーズン直前に中日との契約を白紙に戻した現レッドソックスのケビン・ミラーにしても、
「子どもの頃からMLBファンだったから、ヤンキースとレッドソックス、ドジャースの3球団には伝統もあって、ほかとは違う重みを持っている」
と口にしていたし、現オリックスの吉井理人も、
「ニューヨークはえーね。ヤンキースのユニフォームは一度でいいから着てみたいという思いがあるよ」
と雑談の合間にぽろっと本音を漏らしたことがある。
ジアンビーがヤンキース入りを決めたのは「お金じゃない」
さて、松井秀喜よりも1年早く、ニューヨークで華々しい入団会見を行ったのがジェイソン・ジアンビーである。ジアンビーは会見で、
「お金の問題じゃない。アスレチックスにたとえ同額提示されたとしても、僕はヤンキースを選んだ」
と感激の涙を浮かべ、同席した両親も大きくうなずいていた。
6年あまり在籍した古巣アスレチックスが、契約更新に当たって6年総額9100万ドル(約110億円)を提示したのに対し、ヤンキースは7年1億2000万ドル(約144億円)。その内幕は1年目の年俸800万ドルとボーナスの1700万ドル、2003年は900万ドルと400万ドル、04年は1000万ドルと400万ドル、05年は1100万ドルと450万ドル、06年は1800万ドルと100万ドル、07年は2100万と50万ドル……という、すさまじい数字のオンパレードだ。さらに08年のオプション(選択権)はジアンビー側にあって、09年はヤンキース側が持つ。
庶民には実感のわかない高額なサラリーのため、世間一般の受け取り方を気にしたのか、この契約を取りまとめた辣腕(らつわん)エージェントのアーン・テーラム氏は、
「ポイントになったのは金額ではない、ノントレード条項(本人の承諾なしではトレードを決めることはできない)を含むかどうかだった。アスレチックスは渋ったが、ヤンキースは2つ返事でこの条件をのんでくれた」
としきりに主張したが、両親の言葉の方が説得力があった。
「ジェイ(ジェイソンの愛称)は私の影響で、子どもの頃からヤンキース・ファンだった。ヨギ・ベラ(※)から電話があった時は、もう夢ではないかと私の方が興奮してしまった」
と父親のジョン。
「結婚してから、私はずっと夫からヤンキースの話ばかり聞かされてきました」
と母親のジーニー。
ヤンキースの強さは豊富な財政だけではない。ジョー・トーレ監督が自らジアンビーを誘い、OBのドン・マッティングリー(※)も「ヤンキースに来い」という内容の手紙を書き、ヨギ・ベラが自宅に電話を入れて、ジアンビー本人だけではなく、ジョンとも話をしたのである。これで心を動かされない野球人は皆無のはずだ。<続く>
ヨギ・ベラ/Yogi Berra 1925年5月12日生まれ。米ミズーリ州出身。50年代のヤンキース黄金時代を支えた名捕手で、MVPにも3度輝く。引退後はヤンキース、メッツで監督を務める。72年に野球殿堂入り。背番号「8」はヤンキースの永久欠番となっている。
ドン・マッティングリー/Don Mattingly 1961年4月20日生まれ。米インディアナ州出身。ニューヨーク・ヤンキース最後の主将で、抜群の統率力でチームをまとめ「球団史上最高のキャプテン」とも呼ばれる。通算成績は、2153安打、222本塁打、1099打点、打率3割7厘。背番号「23」は永久欠番。現在はヤンキースの臨時打撃コーチとして松井を指導する。
父親の影響でヤンキースファンとなったジアンビー
ジアンビーが、ロサンゼルス郊外のウエスト・コビナで育ちながら、ヤンキースのファンだったのは、父親の影響が大きい。
「キャンプに行く時も僕の父親はプラスチックのバットを持ってきた。僕が右投げなのに、左打ちなのはミッキー・マントル(※)にあこがれた父が特訓して、僕を左打ちにしてくれたからだ」
ちなみに4歳年下のジェレミー・ジアンビー(レッドソックス)も左打ちである。
ジェイソンがアスレチックスに入団した時、マントルの背番号7はスコット・ブローシャス(元ヤンキース)が付けていたし、ヤンキースでは永久欠番となっているから、足して7になる「25」を選んだ。
昨年、念願だったヤンキースに入団したものの、開幕直後の4月は不調な日々が続き、打席に立つたびにヤンキースタジアムにはブーイングが起こった。開幕から21打数3安打とあって、
「ファンの反応は当然だと思う。僕は自分を見失わずにやるだけさ」
とコメントするのが精一杯だった。
その後は本来の調子を取り戻し、最終的には打率3割1分4厘、41本塁打、122打点の成績を残したが、序盤の苦しみを味わったジアンビーだからこそ、自分と同じようにヤンキースを新天地とする松井を人一倍気に掛けているのだろう。
ヤンキースが次にラブコールを送るのはイチロー?
ジアンビーが松井にエージェントを紹介したのは、もはや有名なエピソードだし、1993年にはハワイアン・リーグでイチローと会っているから、日本人大リーガーたちとは何かと縁があるようだ。
これは仮定の話にすぎないのだが、イチローとマリナーズの契約は今年いっぱいで一区切りだ。ヤンキースのオーナー、スタインブレイナーは過去を振り返ってみても、ほとんどの大物を獲得したがり、事実、積極的にアクションを起こしてきた。
だから、当然イチローにもラブコールが掛かる可能性は高い。もしジアンビーやヨギ・ベラから熱いラブコールがあったとしたら、イチローはどう返答するのだろうか。
ジェイソン・ジアンビー/Jason Giambi 1971年1月8日生まれ。米カリフォルニア州出身。92年のドラフトでアスレチックに入団。2000年、打率3割3分3厘、43本塁打、137打点の成績を残し、初のMVPに輝く。01年も打率3割4分2厘、38本塁打、120打点の好成績をマークし、オフにFAでヤンキースに移籍。昨年の序盤は不振にあえいだが、その後本来の調子を取り戻すと、ヤンキースの中軸として活躍した。
ミッキー・マントル/Mickey Mantle 1931年10月20日生まれ。米オクラホマ州出身。49年ヤンキース入団、51年メジャー昇格。ロジャー・マリスと「MM砲」と呼ばれた強力なコンビを組み、12度のアメリカン・リーグ優勝、7度のワールドシリーズ制覇に貢献した。56年に三冠王を獲得。MVPに3度、本塁打王にも4度輝く。68年限りで現役引退。74年に野球殿堂入りしたが、95年8月に63歳の若さで他界。背番号「7」は永久欠番。
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/04/03
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.6
ヤンキース開幕戦! マツイもジーターもアンラッキー!?
戦争より大きかったスター遊撃手のケガ
3月31日の開幕戦、記念すべき初打席の初球をたたいて初安打、初打点を記録した松井。その場面を見て、アメリカ・メディアの松井報道を追う本連載の執筆者として、その活躍とともに「これは明日の(地元)新聞はドカンと松井が大きく来るかも」と正直思った。
しかし、そのすぐ後の3回に「こりゃ、松井どころじゃなくなったな」と思わされる事態が起こってしまった。そう、ヤンキースのスター遊撃手、デレク・ジーターが3塁への走塁時に、カバーに入ったブルージェイズの捕手ケン・ハッカビーと激突、左肩を脱臼(だっきゅう)し退場したのだ。
案の定、翌日の地元日刊紙はこのアクシデントを大々的に報じた。タブロイド紙の『New York Post』などはイラク戦争に関する見出しよりもこの件を優先し、裏表両方の1面でジーターの写真をトップで掲載したほどだ。
対して松井のMLBデビューは、というと単独の記事にした日刊紙はなく、いずれも初打席初安打初打点を記録したことをレポート記事の中で伝え、よくてその打撃写真を掲載した程度にとどまった。
日本での扱われ方からすると鳴り物入りで入団した”ゴジラ”の登場なのにそれはないのでは、と思うかもしれない。しかし、MLBを代表する選手で、ヤンキースの攻守の要であるジーターがよりにもよって開幕戦で長期戦線離脱か、というケガに見舞われたのだから、これも致し方ないのである。
実際、事前には地元メディアは松井のデビューをかなり大きく報道していた。『New York Post』など31日付で組んだ開幕特集で、1ページを割き、「ゴジラ物語」という松井の人となりを紹介する記事をわざわざ組んだほどだ。今回は正直、ジーターにとってもヤンキースにとっても、そして松井にとってもちょっとアンラッキーだった、と言うべきかもしれない。
「マツイをヤジろう」がニューヨークでも聞かれてしまう?
このコラムは現地時間2日の第3戦のゲーム前に書いているのだが、最初の2試合での松井のプレー、特に打撃は大きな記事にするほどのインパクトを与えられなかったのも事実である。
2試合で放った2つの安打はいずれも単打で、本来期待されている長打ではなかった。現在はデビューしたばかりということで、まだ地元メディアの見る目も温かいが、今後ジーターの欠場による影響などでチームの攻撃が低下してきたりすると、松井に非難の矛先が向けられてしまうことにもなりかねない。
それこそ、トロントの新聞が掲載した「マツイをヤジろう」というフレーズがニューヨークで聞かれることになってしまう可能性すらあるのだ。
ちなみに全国レベルのメディアにおける、開幕時の松井に絡んだ報道で一番目に付いたのはこの「マツイをヤジろう」だった。それだけ注目されているとも言えるが、記事はむしろ広告のモラルを問題にしたもので、記事も松井本人ではなく、チーム首脳陣などのコメントが目立っていた。そういった点からも、まだ松井のMLB挑戦は始まったばかりなのだな、と改めて認識した。
スポーツナビ 梅田香子
2003/04/02
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.5
日本を知る練習の虫、アルフォンゾ・ソリアーノ
松井のデビュー戦となった3月31日(日本時間4月1日)のブルージェイズとの開幕戦。その6回表に、だめ押しとなる満塁本塁打を放ったのが、ドミニカ共和国出身のアルフォンゾ・ソリアーノだ。昨年ブレイクし、209安打、128得点のほか、史上4人目の40本塁打40盗塁まで、本塁打あと1本と迫った。今回は日本でのプレー経験もある、このソリアーノを紹介しよう。
きまじめなソリアーノはマリファナ嫌い
かれこれ13年前の春、メジャーリーグは労使交渉がこじれ、ロックアウト(ストライキ)中だった。筆者はその頃、松井フィーバーですっかりおなじみになったタンパ市のヤンキースタジアムの練習施設から、少し離れた私立大学の寮に潜り込み、時々球場に行ってはマイナーリーガーたちの練習やロックアウトの様子を取材したり、ESL(語学学校)で英語を習ったりする日々を送っていた。
今はどうか知らないが、フロリダは南米ルートから麻薬が簡単に密輸入されていて、10代の日本人留学生たちの多くはマリファナ愛好家だった。
「(マリファナは)マイアミに行くと安く買える」
というセリフをよく耳にしたものだ。マリファナは金をだせば簡単に手に入るけれど、たばこや酒類は身分証明(ID)を提示しなければ購入できない。マイアミ出身のウォーレン・クロマティ氏(元巨人)の自伝『さらばサムライ野球』(講談社刊)には、次のようなくだりがある。
「いろんなやつがマリファナをやっていた。マイナーリーグ時代は全員がやっていたと思う。俺だってやっていた。試合が終わって夜になると、集まってマリファナを吸う。金がないから、ほかに楽しみがないのだ」
確かに常習とまではいかなくても、マリファナを一度も手にしたことがないアメリカ人は稀(まれ)かもしれない。日本人にとってのたばこと感覚が近いのだ。もっとも、マリファナや麻薬にどっぷりとつかった生活を送りながら、健康と幸福を手中にした人物にいまだかつて会ったことがないのだけれど……。
前置きが長くなったが、ドミニカ共和国出身のアルフォンゾ・ソリアーノは「おとなしい」と言っていいほど、生真面目(きまじめ)だ。ソリアーノは言った。
「よく遊んでくれた近所のお兄ちゃんが、ある朝ベッドの中で冷たくなっていて、母親は発狂せんばかりに泣いていたよ。マリファナだったら人体にさほど害を及ぼさないなんてウソだと思う」
日本語も話すソリアーノ 松井のホームランに「入った!」
ソリアーノは無愛想というわけではなく、性格はむしろ陽気な方で、チーム内に友人も多い。日本語もかなり覚えていて、「入った」という言葉をチームメートにも教え、打撃練習で松井がさく越えを打つたびに、
「入った!」
と声を合わせていた。
ニューヨークの記者たちにソリアーノのことを言わせると、
「あまり面白いエピソードを聞かせてくれないし、マスコミを避けているようなところがある」
「てっきり英語が苦手なのかと思ったら、いったんしゃべりだすと、かなりうまいので驚いた」
「日本の野球についての印象を聞いても、ヤンキースの101周年について聞いても、松井について聞いても、いつも同じ回答しか返ってこないんだ」
マリナーズのワールドシリーズ進出を阻んだ男
ソリアーノが広島東洋カープが経営する野球アカデミーで、頭角を現したのは1995年。あまりにもやせ細っていたため、大リーグのスカウトから声が掛からなかったそうだ。
日本には3年の滞在で、1軍でのヒットはたったの2本だけ。代理人と球団とのパワーゲームに巻き込まれ、年俸調停委員会を経て、任意引退選手として日本球界から去っていった。
さっそくインディアンズが160万ドル(約1億9000万円)を提示したのに対し、ヤンキースは310万ドル(約3億6000万円)。迷わずヤンキースを選んだソリアーノは、マイナーリーグに送りこまれ、わずか5カ月でメジャーにスピード昇格を果たすと、送球難に苦しむチャック・ノブロック(現ロイヤルズ)に代わって、レギュラーの座を手中にした。
また、その年のポストシーズン(プレーオフ)ではマリナーズとぶつかり、守護神の佐々木からドラマチックなサヨナラ本塁打を放ったのは鮮烈だった。
野球好きには日本もニューヨークも同じ?
さて、地元マスコミはソリアーノから手をかえ品をかえ、日本野球の辛口批判を引き出そうとするが、ソリアーノの回答はいつも同じだ。
「日本も北米も野球は野球、あまり違いはないよ。ただ、日本では野球をすることがまるでWORK(仕事)なのに対し、アメリカではPLAY(遊び)だった」
まさに言いえて妙というものだろう。もう1度だけ13年前のフロリダにタイムスリップさせてほしい。
ある日、大学構内でサッカーボールを蹴っている若者が筆者の目にとまった。というのも、彼は広島カープのロゴ入りTシャツを着ていたのである。今ほどインターネットや衛星放送が普及されている時代ではなかったから、フロリダの片田舎では日本の文字を目にするだけで新鮮な思いがした。
「広島カープを知っているの?」
「もちろん。僕の父はドミニカでカープが経営している野球アカデミーで校長先生を務めているんだ」
よくよく話しを聞いてみると、この青年の父親はシーザー・ジェロニモ。ゴールデン・グラブ賞にも選ばれるなど、70年代に活躍した大リーガーである。その息子が筆者にこう言ったのだ。
「ダディはいつも日本人は練習ばかりして、バカみたいだと言っているよ」
ソリアーノを見ていると、むしょうにその言葉が思い出される。彼は日本人ではないのに、練習の虫なのだ。バッティングはもちろん守備練習も熱心だし、ウエートトレーニングは「マニア」と言っていい。ヤンキースのトレーナーに言わせると、新しいトレーニング機械が入ると、真っ先にソリアーノが試したがるそうだ。
その話をソリアーノ本人に確認したところ、にやりと白い歯を見せた。
「僕は野球が好きなんだ。練習も、試合もだよ。それはドミニカでも日本でもニューヨークでも同じだよ」
アルフォンゾ・ソリアーノ/Alfonso Soriano 1978年1月7日生まれ。ドミニカ共和国出身。俊足に加え、長打力も併せ持つ好打者。94年に広島と契約するも、1軍ではわずか9試合の出場にとどまり、97年限りで退団。98年にヤンキースと契約。99年にメジャー昇格を果たすと、2塁の定位置を奪う。昨年は史上4人目となる40本塁打40盗塁まであとわずかに迫るなど、大ブレークした。