スポーツナビ 渡辺史敏
2003/07/31
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.23
あ、松井の活躍が載っていない!?
掲載不可能!? 広大なアメリカならではの理由
29日のエンゼルス戦で久々に猛打賞の大活躍を見せた松井。さて、どんな報道が、と30日朝、自宅に届いた『New York Times』と『USA Today』を見て、筆者が思わず口にしたのは「あ、やっぱり載ってない」という言葉だった。
松井の活躍どころか、エンゼルス戦の結果すら掲載されていなかったからだ。もちろんこれには理由がある。29日からのエンゼルス戦はアウエーのカリフォルニア州アナハイムで開催されている。東部時間のNYとカリフォルニアの時差は3時間。現地の午後7時にプレーボールとなった時、既にNYは午後10時なのだ。3時間のゲームだとすると、終了は午前1時ということになる。
新聞の場合、宅配などに使われるいわゆる早版だと既に締切はすぎており、結果を掲載することは不可能なのだ。特別長い延長戦にならなくても、こういうことは日常的に起こる。やはり広大なアメリカならではといったところだろうか。もちろんテレビのニュースもあるし、インターネットもあるから結果を知ることは可能だが、ちょっと不便ではある。もちろんもっと大変なのはそんな遠方へ遠征している選手たちなのだが。
最終版で掲載された松井の写真と記事
さて、ニューススタンドなどで売られる最終版にはさすがに試合結果が掲載され、松井の活躍が記事と写真で伝えられていた。
松井をキーマンとしてゲームレポートで伝えたのは『Daily News』。「アナハイム大敗の中、松井爆発」(Anthony McCarron文)という見出しをつけ、「マツイは単打、二塁打、と11号本塁打で、あと3塁打1つでサイクル・ヒットを逃した」と紹介。
『New York Post』も松井の豪快なバッティング写真とともにGeorge King記者のゲームレポートで「ヒデキ・マツイは5打数3安打、2打点、11号本塁打」と伝えた。
また『Newsday』は、やはりAnthony Rieber記者によるゲームレポートで「ボストンで13打数2安打だったマツイは先制点となる安打をライトに放った」と松井の復調を示唆した。
松井にも強烈な刺激
戦力充実のための“貪欲な”トレード
と、松井の活躍は最終版でニューヨーカーたちになんとか伝えられたわけだが、この日のスポーツ面で早版から最終版まで各紙でトップ扱いになったのは、ラウル・モンデシーのダイヤモンドバックスへのトレード。最近は低調だったが有名選手であり、移籍を希望する発言もあっただけに、このトレード成立はビック・ニュースとなった。松井ファンには“松井と仲のいい選手”という意味でも大きなトピックになるのでは。もちろんNYではそういう主旨での報道は皆無である。
この日のヤンキースはさらにもう1つトレードを成立(中継ぎ投手ダン・ミゼリをアストロズへトレード)させた。松井自身も驚きのコメントしていたが、ヤンキースの戦力充実のための動きの激しさはまったく“貪欲”という言葉につきる。モンデシーが去ることで松井はさらに強烈な刺激を受けたことだろう。
スポーツナビ 梅田香子
2003/07/25
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.21
松井獲得で株を上げたキャッシュマンGM
オールスター後は移籍市場が大にぎわい
オールスターゲームが終わると、各球団のゼネラル・マネージャー(GM)たちがにわかにクローズアップされてくる。試合前の打撃練習中、グラウンドやダグアウトの隅でポロシャツ姿の男性が地元記者に囲まれていたら、それはまずGMと思って間違いない。
7月末日がMLBで取り決めたトレード期限日。その年のプレーオフに出場する選手は、7月中にその球団のユニフォームを着なければならない。だから、どのGMも顔つきがそれまでと変わってくる。いかにしてライバルを出し抜き、お目当ての選手を引き抜いてくるか。
しかし、ただヘッドハントすればいいというものではなく、できるだけ戦力ダウンしないように、かつ出費(トレードマネー)を少なめに抑えることでGMの真価が問われるから、さまざまな駆け引きと情報戦が展開される。FA戦線と違ってエージェントたちが口を挟む余地はないのだが、スター選手ともなれば特定の球団にはトレードできない「ノン・トレード条項」が契約に組み込まれているから、彼らとのネゴシエーション(交渉)は不可欠なのだ。
松井を獲得したことですっかり株を上げたブライアン・キャッシュマンは、7月3日に36歳になったばかり。
「(誕生日のことは)家族は一応ちゃんと覚えてくれていたけれど、ホームパーティーどころではありません。毎年のことですけど。子どもの頃からいつも独立記念日(7月4日)と一緒くたにされ、花火でドドーンと祝ってもらっていたから、もう慣れましたよ」
監督とGMとの関係が長丁場を勝ち抜く秘けつ
ニューヨーク州ロックビルセンターに生まれ、18歳のときインターンとしてヤンキースで働き始め、それ以来ヤンキース一筋。といっても主な働き場所はヤンキース傘下のマイナーリーグだった。ワシントンのカトリック大を卒業した89年に正職員となり、92年には早くもGM補佐に抜てきされて、98年からはGMに就任。平凡すぎる経歴はサラリーマンとしてはまっとうだが、GMとしてはかなり異色と言っていい。
というのも、GMというのは27年にクリーブランド・インディアンズが、元ア・リーグ審判のウィリアム・エバンスを起用したのが最初と言われ、意外と生え抜きが少ない。監督同様、野球とのかかわりがディープなベテランばかりなのだ。カトリック大の野球部はディビジョンⅢだから高いレベルにあったとはいえ、キャッシュマンはプロのスカウトが目に留めるような選手ではなかった。
もともと、なぜ「ゼネラル・マネージャー」と呼ぶかといえば、グラウンドを預かる監督が「フィールド・マネージャー」だから、これに対してグラウンド以外の決定権を任せているのが「ゼネラル・マネージャー」というわけだ。この両名の呼吸が合わなければチームは強くならないし、かといってベタベタと仲良しこよしでもまずい。GMと監督の個性がそのままチーム編成に反映されるから、ときには激しい意見の衝突があるぐらいでなければ、ワールドシリーズも入れれば200試合近い長丁場を勝ち抜く集団は生まれないようだ。
メジャーリーグ史上2番目の若さで就任
GM職に就いたときキャッシュマンは30歳だったから、メジャーリーグ史上でも2番目の若さだった。ちなみにその時点での最年少は、93年にパドレスのGMに就任したラインディ・スミスで、当時29歳。後にタイガースのGMとして木田優夫をスカウトするために来日している行動派だ。
キャッシュマンの前任のボブ・ワトソンはかつての強打者で、ヤンキースとしては初の黒人GMだったが、ディビジョン・シリーズでインディアンズに敗れてしまい、例によってオーナーのスタインブレナーが怒りを爆発させた。すったもんだで年が明け、春季キャンプを月末に控えた2月3日、キャッシュマンGMが誕生したのである。
実はキャッシュマンの父親のジョンは、スタインブレナーと競馬ビジネスの方で、35年も一緒に働き続けたという、確かな実績があった。親のコネといってしまえばそれまでだが、あのスタインブレナーと30年も続いた人間はそうはいるものではない。つまりブライアンは幼少のときから父を通して、スタインブレナーの言動を見聞きし、どうやったらうまく付き合っていけるのかという処世術を身に付けていた。これはヤンキースのGMとして非常にプラスに働いたことは、だれしも認めるところだろう。
GM同士の競い合いにも注目
GMになってすぐ3月4日には、キャッシュマンは中国系アメリカ人のキム・アングをGM補佐として抜てき。前例がなくはないが、女性で、しかも東洋人、しかも31歳の若さとあって、非常に驚かれた。
キムは90年にシカゴ大を卒業した後、ホワイトソックスの広報部にいたから、筆者は何かと話しをする機会があった。肩に力の入ったバリバリのキャリア・ウーマンという感じではなく、童顔だが聡明(そうめい)で、オフィスワークもきちんとこなしていた。実際、彼女の情報収集力がグレナレン・ヒルをはじめ、幾つかのトレードに結びついたとキャッシュマンはコメントしている。
さて、レッドソックスでは昨年、アスレチックスのビリー・ビーンズGMに5年で年俸250万ドルを提示して断わられ、史上最年少の28歳、テオ・エプステインをGMに就任させた。ニューヨーク生まれだが、ボストンのフェンウェイ・パークの近所で育ったエプスタインは、いったん中日ドラゴンズと契約したケビン・ミラーを獲得するなど、若さに任せていささか強引に突っ走っている。ヤンキースとは何かと張り合っているライバル球団だけに、GM同士の競い合いも注目に値するはずだ。
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/07/24
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.22
ファンタジー・ベースボールでの松井評価は?
NYだけでなく全米に松井の名を浸透させたサヨナラ・ホームラン
オールスター明け初戦のインディアンズ戦で松井が放った劇的なサヨナラ・ホームランはNYのファン、メディアに強烈な印象を与えることとなった。
日本でも報道された通り、翌日の地元タブロイド紙はいずれも裏1面でこのホームランを伝えている。『New York Post』が“GOZILLA THRILLA”、『Daily News』が“'ZILLA THRILLA”といずれもゴジラとズリリングなエンデングにかけた見出しを付けたのも面白かったが、両紙に加え『Newsday』紙を加えた3紙全部が、日本ではサヨナラ・ホームランと呼ばれている、ことを伝えていたのも興味深かった。
いずれにせよ、この試合でNYのファンやメディアが松井を重要な場面で打てる“クラッチ・ヒッター”であることを再認識したのは間違いない。さらにこのサヨナラ・ホームランはスポーツ専門TVチャンネルのESPNなども大きく伝えており、その名は徐々にではあるが全米に浸透しつつある。
アメリカでは情報誌も出回るファンタジー・ベースボール
このように松井の印象の広がりを感じる中で、なかなか期待通り評価が上がらない分野がある。スポーツナビでもプロ野球版が行われているファンタジー・ベースボールだ。
以前にも紹介したが、アメリカでは有料の商業ベースからファンが仲間同士で運営するものまで、それこそ無数のファンタジー・ベースボールが行われている。特に大手のものとなると、優勝者には高額の賞金が出るものも多数あり、そのためリーグだけでなく、参加者のための情報サービスも数多く存在している。
特にインターネットでは、ファンタジー・ベースボールの専門家が今のお勧め選手や調子が下り坂の選手をピックアップして紹介する連載コラムや、成績分析などの各種サービスが有料、無料で多彩に行われている。例えば全国紙の『USA TODAY』や前述のESPNなどはそのウェブサイトでかなり充実したファンタジー・ベースボール専門コーナーを持っているほどだ。
ファンタジー・ベースボールの評価上昇が松井の次のステップ?
さて肝心の松井なのだが、注意して見ているものの、ここのところ専門家たちのお勧め選手(HOTなどと呼ばれる)には上がってこない。あれだけ印象深いプレーをしているのに、と思うのだが、実際成績分析を見てみると、その訳が分かった。
『USA TODAY』のウェブサイトには、この7日間、14日間、21日間、28日間の個人成績が表示されるようになっている。その時々に調子のいい選手を登録することがファンタジー・ベースボールでは最重要だから、このデータはとても意味を持つ。松井なのだが、7月22日終了時点で、過去28日間の成績では打率が3割4分1厘でア・リーグ9位、打点が19で5位、安打数が31で7位とトップ10に顔を出すものの、それ以前の日数のデータではトップ10に入った項目はない。
つまりオールスター前後の強い印象にもかかわらず、松井の現在の調子はいまひとつ、というシビアな判断がなされるのである。
ESPNは得点、ホームラン、打点などを独自に指標化し、ファンタジー・ベースボール用選手ランキングを付けているが、ここでも松井はMLB全体の外野手部門で、シーズン全体で40位、過去30日間で24位、過去7日間で45位となっている。
これではゲームの成績を優先する参加者、専門家の評価が上がらないのも仕方ない。“調子”を厳しく見極めることが必要なファンタジー・ベースボール。この分野で高い評価の出る活躍を続けることが、松井の次のステップなのかもしれない。
ちなみに筆者もスポーツナビのファンタジー・ベースボールでは、この見極めでとことん苦労している。海外在住を言い訳にしているが、いや、ほんとに難しい。でもそれが楽しいのだが……。
スポーツナビ 梅田香子
2003/07/18
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.20
松井のMLB球宴裏話
ウィリアムズは野球もすごいがギターもすごい
オールスターゲームは無事に終了。今回は少し趣向を変えて、現場ならではのリアリティーを伝えるために、取材裏話でつづりたい。
舞台になったシカゴの名物は、カブスとブルースとピザと言われている。日本食を好む松井はピザにはさほど関心を見せなかったが、着いたその日は成り行き上、ブルース・クラブに足を運ぶことになった。
と言うのも、選手たちの宿泊先として用意されたのは、「ハウス・オブ・ブルース・ホテル」。もともと映画「ブルース・ブラザース」の主演男優ダン・アクロイドが、豪華施設のブルースクラブとして「ハウス・オブ・ブルース」をチェーン店化。全米の各地で成功を収めた余勢を買って、ホテルをドッキングさせてしまったという代物なのだ。
そこでチームメイトのバーニー・ウィリアムスがギターの腕前を披露するとあって、松井はさっそく足を運び、生バンドの演奏を楽しんだ。
「野球選手としてもすごい人ですけど、ミュージシャンとしても素晴らしかったです」
その後は韓国タウンまで足を運び、5月の遠征の時と同じ焼き肉屋で舌鼓を打った。翌14日はホームラン競争に先だって、ホテルで共同記者会見。これは日本とはスタイルが違って、ホテルの広いホールを貸し切り、選手たちはそれぞれ距離をおいて腰を掛け、入れ代わり立ち代わり訪れる取材記者たちに囲まれるという仕組みになっている。
会見で見せた松井の気配りと生真面目さ
野茂やイチローが初めて選ばれた時は、恐ろしい数の日本人記者が取り囲む図式になり、そういう写真が必ずアメリカの新聞に載ったものだ。しかし、今年の場合はそれがなかった。なにしろ3人も日本人が出場したのである。しかもMLB機構は1社あたり1人しか取材証を発行しなかったため、身体が幾つあっても足りない。だから、アメリカ人記者を見習ってメモ代わりに小さなテープレコーダーを用意し、自分の聞きたい質問だけ聞いたら後はテープレコーダーを選手の目の前に置きっぱなしにして、次の選手に移動する方法を取るしかなかったので、黒山の人だかりにはならなかったのだ。
松井の前に置かれたテーブルにも当然ずらり並んだ。そして、驚いたことに、彼は遠い場所に置かれたテープレコーダーを自分の近くに並べ返すという気配りをみせた。
筆者はアメリカでもう100回以上こういう場面に立ち会っているけれど、これをやったのは過去に1人しかいなかった。ユタ・ジャズのジョン・ストックトンである。確か、NBAファイナル期間中のことで、同業の宮地陽子と
「驚いたねえ!」
「ストックトンらしいと言えば、ストックトンらしいけど……」
とびっり仰天したものだ。
あの生真面目なストックトンと同じ動作を松井はサラっとやってのけた。もしかすると、松井の方が生真面目さではストックトンの上をいくのかもしれない。ただ一人、背広とネクタイで登場したのである。最初に野球以外の話題をふるのは私のポリシーから反するのだが、
「それはつまり、フォーマルでありたいという意思の現れなのですか?」
と聞かずにはいられなかった。松井は少し困ったようにほほ笑んで、
「いえ、あの、そういうものかと思って着て来たんですけど、違ったみたいですね。来年からは僕もああいう服装で来ることにします」
米国記者もがっかり…松井とイチローの不仲説のうそ
実は一部のニューヨーク・マスコミが松井とイチローの不仲説を記事にしたがっていて、日本のメディアを取材したり、当人たちにもしきりに誘導の質問をぶつけていたのだけれど、イチローはもちろん松井はまったく引っ掛からない。U.S.セルラーパークに場所を移してから、松井はイチローと外野で30分近く話し込み、それを見た彼らのがっかりとした表情といったらなかった。
実はMLB機構の段取りが悪く、ここを本拠地にしているホワイトソックスの広報部と何度も衝突していた。今年からは出番が終わっても試合の途中に帰ったりはしない、という申し合わせがあったにもかかわらず、バリー・ボンズはさっさと帰宅してしまった。
せっかくこの日のために新設した大学の講義室を思わせる記者会見室はほとんど使用されず、日本人大リーガーの3人はイベントや試合を終えた後、いったん球場の外に出て(雨が降らなくて良かった!)、ずらりと並んだテレビカメラの前でインタビューに応じるはめになった。
ジョーク連発! 興奮と喜びを伝えたかった3人
それでも3人ともイヤな顔をするどころか、とても協力的で、ジョークを連発していた。
「試合が面白くなったのはズバリ、長谷川さんのおかげです」(イチロー)
「(逆転してくれて)最高にうれしかった。これで“逆転できるって僕には最初から分かっていたのさ”ってシアトルのみんなに言えるもの」(長谷川)
「いやー、いい当たりでしたね。(自分の詰まったヒットのこと)手が痛かったです」(松井)
たぶん彼らは急にマスコミを好きになったわけではないだろう。日本とは一味も二味も違うオールスターを心から楽しんだことで、一回りも二回りも人間の器を大きくし、興奮と喜びをメディアを通してファンに伝えたかったように感じられた。
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/07/17
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.21
松井の前半戦は堂々A評価
NYでは“球宴”より地元チームの大型トーレドが一大事!?
松井、イチロー、長谷川と史上初の3名の日本人選手が出場し、現地15日に開催された今年のMLBオールスター。日本では松井の初打席初安打が大々的に報道されたようだ。
アメリカではどうかと言うと、全米中継を行った『FOX』以外にも、スポーツ専門チャンネルの『ESPN』が現地にキャスター陣を送り、特別体制でニュース番組を制作・放送するなどテレビはやはり“球宴”らしさが随所に漂っていた。
翌日、16日付の新聞も全国紙の『USA Today』や『New York Times』などは「A.L(アメリカン・リーグ)が勝利とホーム・フィールド・アドバンテージを強奪」(『New York Times』Jack Curry文)といった見出しをつけた。もちろんア・リーグが、今年から採用された新ルールによって、ワールド・シリーズの優先的な本拠地開催権を得たことをメインに伝えている。もちろんそのほかのエピソードを紹介する記事も豊富だ。
が、それ以上にある種のMLBらしさを感じたのが、NY地区の各タブロイド紙だった。それぞれ裏1面にMLB関連の見出しを持ってきているのだが、そのメインの内容はオールスターではなく、メッツとヤンキースが現メッツのクローザー、アーモンド・ベニテスのトレードで合意に至りそうだ、ということを報じたものなのである。球宴よりも地元チーム間での大型トレード話の方が一大事、なのだ。
「マツイはいい野手でここ数年でベストの左翼手」
そういった騒動の陰でちょっと残念だったのは、全国紙はもちろん地元紙でも松井に関する記事がほとんどなかったこと。初安打程度では、ということなのだろうか。日本人選手がオールスターに出ることも今や珍しいことではない、ということかも。
ただ『NewsDay』はweb版だけだったが、「オールスターが日本の野球熱に油を注いだ」(Yuri Kageyama文)というAPの記者によるレポートを掲載した。日本でのTシャツから松井の顔がペイントされた旅客機まで松井ブームを紹介しつつ、オールスターで熱狂するさまを伝えている。
「水曜、オフィスを出て、オールスターを見るためにカフェに行く人々が見られ、通勤者たちはゲームの要所をつかむために電車から降りた」
という表現は、そんな人ばかりではない、と分かっていても確かに結構見られた風景なのかも、などと日本のブームを想像した。
と、そんな中、誇らしく感じたのが『Daily News』が16日付で掲載した「ヤンキース半期レポート・カード」(Sam Borden文)。前半を終えた時点での選手、監督、GMをABCで評価したものだが、松井は、ソリアーノと並び堂々のA評価となっている。A評価は6人だけで、ホセ・コントレラスなどはF評価を受けた。さらに評価レポートも
「基本的にいい野手であるマツイは打席で我慢強く、いい投手にどう対処したらいいかを知っている。ここ数年でベストの左翼手」
という内容。最初の不振があっただけにこういう評価を受けるようになるのは本当にうれしいものだ。
ぜひこのまま後半戦も突っ走ってもらいたいものである。
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/07/10
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.20
老舗雑誌に『松井特集』で知名度アップ!?
松井出場は議論を生む状態ではない!?
現地6日の発表で、松井が、15日に開催されるMLBオーススター戦へ出場することが確定した。堂々の出場だが、その後、「今年の試合はオールスターではない」、「球宴先発出場に値する? 松井選出で米記者論戦」といった報道がアメリカでなされた、と日本でも報じられた。
4、5月の不振によって松井の球宴出場に対しアメリカで不満が渦巻き、これらの報道を発端に議論が沸騰している、かというとそうでもない。確かに松井の得票数が途中でジャンプアップしたことで、日本からの投票、特にインターネット票が松井に集中したことへの指摘が、さまざまなメディアでされたのは事実だが、議論を生むほどの状態にはなっていないのだ。
先の報道にも考慮すべき点が多い。まず「今年の試合はオールスターではない」というのは7日付の全国紙『USA Today』が載せた見出しで、同日の『New York Times』も同様の主旨の記事を載せている。が、これはサミー・ソーサやペドロ・マルチネスなど実力選手や有望新人選手が落選したことに疑問を投げ掛けたもの。さらに(議論の)原因は今年から採用された監督、選手などによる“互選”投票の影響が出たものという指摘であり、そもそも松井どうこうというものではない。
また、「球宴先発出場に値する? 松井選出で米記者論戦」というのはアメリカのスポーツ専門チャンネル、『ESPN』がその公式ウェブページのオールスター・コーナーに掲載した記事を紹介したものだが、そもそも同局の記者2名にそれぞれ、「出場に値する」、「値しない」という立場に立たせて記事を書かせたもの。先に議論があるというより、議論を作った、いわゆるディベートなのである。確かに、日本からの投票に対して、不満があることの指摘は大切だが、だからと言って、アメリカでは不満が渦巻いているらしい、と取ってしまうと行きすぎであろう。
選出記事よりクレメンス、ウエルズの落選
むしろ今回の選出自体が、日本人が思うほどの話題になっていない、というのが実情だ。選出については、日本ではもちろんトップ扱いだったと思う。が、地元NYではもちろん松井、ソリアーノ、ポサダの3人が選ばれたことが報じられたものの、地元タブロイド紙はいずれも当日対戦した宿敵レッドソックス戦の結果を優先し、その扱いは小さかった。しかも、その選出記事についても先の記事のように、ベテラン勢の落選、特にヤンキースのロジャー・クレメンス、デビッド・ウェルズが落ちたことに対する疑問に多くの文字数を費やしていた。まずチームの成績であり、選手に関しても勝敗に直結した人が優先なのだ。
球宴前の注目度の高い時期に堂々の7ページ
何でも松井から、というのはやはり日本ならではと言ったところか……。
と考えていたら、老舗(しにせ)スポーツ総合誌『Sports Illustrated』が9日発売号で、「Media Monster」(Charles P. Pierce文)という7ページにおよぶ記事を掲載した。常に日本のメディアに囲まれる松井の日常と、アメリカ人にとってはかなり特異な報道ぶりが紹介されているほか、日本には江戸時代からエンターテインメント要素が強い「かわら版」があり、今の日本にもそういった報道が残っていると解説している。
「日本ではヤンキースに起こったことのすべてが(いやメジャーリーグのすべてが)、“どうマツイに影響するか”という文脈で報道される」という表現にはかなりドキリとさせられた。
実はこの掲載号は同誌の50周年記念号。オールスターの前という時期に加え、注目度が高い同号に、これだけの記事が載ったことで、少なくとも松井の全米知名度が上がったことは間違いないだろう。
スポーツナビ 梅田香子
2003/07/09
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.19
松井vsP・マルティネス、好勝負の幕開け
異様に盛り上がった松井とペドロの初対決!
イチローはメジャー1年目のシーズンを終えた後、対戦したうちで最も印象に残ったピッチャーとして、ペドロ・マルティネスの名前を挙げている。今シーズン、マルティネスは右肩痛で一時戦列を離れていたため、松井とは7月7日が初めての対決。レッドソックスは、ただでさえヤンキースに対して伝統的に強いライバル意識を持っているので、両者の対決は異様に盛り上がった。
さて、南米諸島も同じようなものらしいが、北米でも学校の夏休みがともかく長い。ゆうに3カ月ある。これは土地を開拓して農耕を営む上で、子どもが貴重な戦力だった時代の名残だと聞く。もっとも今は農業にしても機械が導入されているから、チビっ子たちの出る幕はなく、親は子どもの非行防止を兼ねて、スポーツにそのエネルギーを注ぎこむ傾向が強い。知人宅の8歳男子は野球、サッカー、アイスホッケー、Tボール、アメフト、スピードスケート、フィギュアスケート、バスケットボールで試合に出ているから、ユニフォームの管理だけでも一苦労だとか。
「へえ。日本て夏休みが1カ月ちょっと? ずいぶんと短いんだね。」
ペドロ・マルチネスは細い目を丸く大きく開いた。
「ひょっとして日本の学校って冷房が付いているの?」
と聞かれ、ちょっと返事に詰まった。
「さあ? 少なくとも私が学生のときは冷房はありませんでしたよ。ドミニカ共和国はどうですか?」
「あるわけないよ。僕はメジャーリーグ入りしてから、冷房というものを知ったんだもの。すごく便利だよねえ、これは」
「後悔してほしくない…」メジャーを断念した父親の思い
ペドロの両親はドミニカに2エーカー(約8000平方メートル)ほどの土地を持っていて、サトウキビを栽培していた。それでも子どもの数が多かったから生活は苦しく、父親のパウリーノは地元の小学校でジャニター(ちょっとした故障を直すエンジニア)も兼業していたほどだ。
その昔、パウリーノは地元ではかなり知られたピッチャーで、地元のウィンターリーグには何度も駆り出された。ドミニカ出身で初のメジャーリーグ監督になったフェリペ・アルーは、現役のとき何度も彼と対戦していて、
「パウリーノはメジャーリーグに来たら、投手として必ず大成していたはずだ。ラモンとペドロを合わせて2で割ったようなパワー・ピッチャーだった」
と太鼓判を押す。ジャイアンツから入団テストの声が掛かったが、パウリーノは旅費を捻出することができなかった。それが彼の人生最大の悔いとなっている。
「旅費がないというのは本当だったけど、今思うと自分にとって言い訳でもあった。あのとき借金してでも入団テストに行くべきだった。私には勇気が足りなかったんだ。子どもたちにはそういう後悔をしてもらいたくない」
中日ナインがあ然とした兄ラモンの速球
パウリーノと妻のレポルディーナの間には2人の娘と4人の息子がいた。
最初に頭角を現したのは長男のラモンだった。1984年のロサンゼルス五輪では、まだ14歳だったのにドミニカ代表チームに選ばれ、ドジャー・スタジアムでの台湾戦で3イニングを無失点に抑えた。その3週間後にはドジャースと契約して、瞬く間にスターダムをのし上がっていったのだ。
中日ドラゴンズが88年、ベロビーチのドジャータウンで合同春季キャンプを行ったとき、オープン戦で最初に登場したのがこのラモンで、球の速さにあ然とさせられたものだ。
次男のネルソンだけが内野手で、ピッツバーグ・パイレーツのキャンプに招待選手として参加したものの、ひざの故障でメジャーへの生き残り競争には勝ち残れなかった。3男がペドロ。4男のジーザスは昨年まで、レッズやメッツ、そしてマイナーリーグで投げていた。
ペドロはラモンと同じ時期、ドジャースのユニフォームを着ていたのだけれど、デシールズを獲得するためエクスポズに放出された。しかし、そこでリリーフ、先発と獅子奮迅の活躍を見せ、今日の地位を築き上げたのだ。ラモンと顔はあまり似ていなかったが、カメラを向けられると少し両手を開く癖とか、ちょっとしたしぐさはうり二つだ。
「松井は投げにくいとは思わない」初対決に軍配
ペドロは顔立ちもやさしいが、物腰も紳士で、話し方も穏やか。なのに、マウンドに立つと人格がひょう変する。内角の厳しいところを突いて、不敵ににやりとほほ笑む。ヤンキース戦でもさっそくソリアーノとジーターがぶつけられていた。
松井の印象については、ペドロいわく、
「5月に見たときと比べて、松井はずいぶんとリラックスして打席に立っているようだ。スイングは鋭いね。角度も個性的なアッパースイングだし。でも、だからといって特に投げにくいとは思わなかったよ」
初対戦はペドロが3打数無安打と抑え込んだが、まずは名刺の交換、腹のさぐりあいといった段階か。2人の対決はまだまだプロローグに差し掛かったばかりだ。
スポーツナビ 渡辺史敏
2003/07/03
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.19
松井の認知度上げた“地下鉄シリーズ”
“地下鉄シリーズ”で再認識された“スター性”
松井はやはりスターだった。先週からのNYメディアのヤンキース報道を見ていると最近、そんなことを再認識させられる。それは単に打撃成績が好調になった、ということではない。むしろメッツとのサブウェイ・シリーズという大舞台で勝利に貢献する活躍をしたという“スター性”こそが注目点になったと言っていいだろう。今年の場合、ヤンキースが6戦全勝、“スイープ”を果たしのだから特に意味が大きかった。
特に6戦の中でも注目度の高かった6月29日の変則ダブルヘッダーでの、7打数6安打1本塁打の活躍は、現在の“ヤンキースの主役”の座を奪うのに十分なものだった。そのことは、翌日付の地元タブロイド紙を見ればよく分かる。いずれも松井の打撃写真を大きく使ったのだが、『Daily News』紙はSam Borden記者によるゲームリポートで「ヤンキース、往復でスイープ」、『Newsday』紙は裏1面で「暴走機関車」という見出しを付けた。
“往復”、“機関車(トレイン)”はもちろん、同日にシェイ、ヤンキーの両スタジアムで開催された“地下鉄シリーズ”をかけたものだ。意外だったのは、『New York Post』紙の裏1面。「一撃と汗」という見出しは、同日の第1戦が7対1と一方的に、第2戦が9対8の接戦だったことを示すもので、少し地味な感を受けた。
いずれにせよ、大事なサブウェイ・シリーズでこれだけの活躍をし、松井がヤンキースの一員として改めて認められたことは間違いないだろう。
オールスター投票結果の2位にもすんなり!?
さて一方、日本で大きな話題となっているのが、オールスター投票。6月30日の中間発表において、外野手部門で前週の7位から、一気にイチローに続く2位へ急浮上したことが明らかになったことだ。
日本での投票結果が反映されたことによってこの急浮上が起こったことは、耳目が一致することだが、掲示板などでは、日本の“組織票”だ、という議論があると聞く。では、NYのメディアではどうかというと、実はほとんど話題にされていない。『Daily News』紙の場合、「マツイ・マニア」という週間MVPの受賞を知らせる短信の中で触れられていたが、他紙も同程度だった。少なくともメディア・レベルで議論をされるような話題とはなっていないのである。むしろ、イチロー、石井に次ぐ月間最優秀新人賞を受賞したことにより、意外にすんなりと認知されてしまう可能性すら高いのだ。
確かに、全米に広がる熱心なファンたちにとっては、議論の種にはなりそうだが、少なくとも6月とサブウェイ・シリーズでの活躍は、地元レベルでの松井の認知度を大きく上げたのは事実である。
スポーツナビ 梅田香子
2003/07/02
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.18
ヤンキース生え抜きの強気な女房
米国在住のプエルトリカンに絶大なる人気
コロンブスが2回目の航海で発見したのは北アメリカ大陸ではなく、マイアミから1600キロに位置しているプエルトリコだった。そのためプエルトリコはスペインの植民地となり、1898年の米西戦争で米国領となり、1952年からはプエルトリコ憲法を制定されて、米国の自由州となった。だから、米国在住のプエルトリコ人には選挙権があるし、議員に出馬する権利を持つ。ニューヨークの「バリオ・スパニッシュ・ハーレム」と言われる地域は一大コミュニティーになっていて、英語を覚えなくても生きていけるほどだ。逆に第2、第3世代も誕生しているから、スペイン語を話せないプエルトリコ人もいる。
当然のことながら彼らの間で、ホルヘ・ポサダの人気は絶大なものだ。ちょうど松井と同じような状況にあると言っても、決して過言ではない。
プエルトリコで生まれ育ち、父親はロッキーズの中南米担当スカウト、叔父はドジャース傘下のマイナーリーグで打撃コーチ。ポサダ本人は野球だけではなく、バスケットボール、バレーボールや陸上競技の短距離走に打ち込み、地元のアルフーン・コミュニティー・カレッジに進んだ。
努力を怠らず守備難を克服
90年、ドラフト24巡目でヤンキースに入団。つまり生え抜きというわけだから、その人気はプエルトリコ・コミニュティーだけにとどまらない。マイナーリーグの1Aコロンバスでは2塁、3塁、外野とさまざまなポジションをこなし、最終的に当時はブレーブスにいた父親のアドバイスに従って、キャッチャーに専念する決意を固めた。器用なだけではなく、パワーも伴なっていたし、フットワークの良さもさることながら、肩がめっぽう強かったためだ。
「僕はスイッチヒッターだし、走るのが好きだったから、最初はキャッチャーと言われても、あまりイメージがわかなかった。今では父に感謝している」
98年のワールドシリーズでポサダは、
「尊敬しているから」
という理由で、チームメートのダリル・ストロベリーの背番号39を付けて出場した。
新人の頃から打撃には定評があり、勝負強かった。が、99年には17個のパスボールを記録してしまうなど、守備やインサイドワークには難点があった。それを持ち前のたゆまぬ努力で、じわじわと克服していったのである。パーソナル・トレーナーを雇い、オフシーズンもウェイトトレーニングは欠かさない。
クレメンスが最高のキャッチャーとして名を挙げる男
やさ男ふうの顔つきをしているが、意志は強い。闘志の固まりと言ってもいい。乱闘になると率先して大暴れする。メジャー昇格した当初はピッチャーがサインに首を振ると、それだけでカッカと怒りをあからさまにしていた。こんなに短気な男がロジャー・クレメンスやデービッド・ウェルズとうまくやっていけるのだろうか……と思いきや、なかなか息が合っている様子だ。
「過去にバッテリーを組んだ中で最高のキャッチャーを挙げるとしたら、絶対にホーヘイ・ポサダだ」
とクレメンスは不敵にほほ笑む。
「気が強いリードをするのが、オレの好みだ。何よりキャッチングがいいから、何度も助けられたよ」
松井より自分自身がライバル!?
レギュラー捕手として定着したのは2000年のシーズンから。それまではジョー・ジラルディと並行して起用されていたのだが、彼がシカゴ・カブスに移籍してしまったためである。この頃からシアトル・マリナーズが力をつけ、ヤンキースとの対決がア・リーグを大いに盛り上げるようになったのだが、ポサダは守護神の佐々木から2本もホームランを打っている。
「佐々木キラー? いや、まさか。攻略するのは非常にタフなピッチャーだからね。たまたま大事な場面で打てたから、ラッキーだったよ」
今年の春、春季キャンプで合流した初日、ポサダの上半身が一回り大きくなっていた。太ったわけではない。筋肉がムキムキと盛り上がっている。
「松井に簡単に5番を渡すつもりはないよ」
とうそぶいていたが、かといってさほど打順に執着している様子はない。
「打順なんて監督が決めればいい。重要なのはヤンキースが勝つことさ。松井は大切なチームメートだし、才能は確かなんだから、一番居心地のいい打順で打ってもらいたいよ」
昨年は右肩の手術、左膝の故障などケガに泣かされてしまったため、ポサダにとってのライバルはまず自分自身なのだ。