Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

スポーツナビ 渡辺史敏 2003/06/26
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.18
松井が表紙を飾った雑誌とは?
表紙全面にバッティングフォーム
「ルース。マントル。マツイ?」

『Sports Illustrated』と言えば、質の高い記事とグラビアで有名な、アメリカを代表するスポーツ誌。その表紙を飾ることは名誉であり、選手のあこがれの一つになっているほどだ。

 なんと松井が、その表紙に堂々の登場となった。と言っても、今回は残念ながら週刊で発行されている本誌ではなく、子供向けの月刊誌『Sports Illustrated For Kids』。現在、発売されている7月号で、バッティング・フォームの松井の写真が「ルース。マントル。マツイ?」というコピーとともに全面で使用されているのだ。

 中では、松井のバッティング・シーン・ポスターがとじ込まれており、その裏面を利用する形で4ページの松井紹介ストーリーが掲載されている。まさにメーンの扱いなのである。

子供向けとはいえ大人にも興味深い高いクオリティー

 さらに子供向けとはいえ、そこは『Sports Illustrated』。「ALL-WORLD」というタイトルのTed Keithによるこのマツイ・ストーリーは、大人にも十分興味深い。

 まず「1999年、この日本人スターはヤンキースのプレーオフを見るため、東京からニューヨークへの長時間のフライトに乗った。『スタジアムには何か特別なものを感じました。雰囲気、ファン、すべてに』」といった風に、松井のMLB挑戦の歴史が語られている。さらに、4月には打点でリーグトップだったものの、本来の調子ではないことも紹介し、その上で日本とMLBの松井への投球内容の違いについて、
「日本では、ストライク・ゾーンの外側へのボールが多くて、ボール球を振らせようとします。ここでは、もっと積極的でストライク・ゾーンの中で振らせようとする」
  という松井自身のコメントを掲載し、その原因を解説しているのだ。

 そして松井への期待の大きさとその期待にこたえ、松井がベーブ・ルースやミッキー・マントルといった、ヤンキースの伝説的な打者の一員となる可能性を十分に持った選手だと伝えている。

 確かに今回は子供向けの雑誌ではあったが、このように高いクオリティーで紹介してもらえば、松井が全米レベルでの人気を獲得する日も、そう遠い日ではないかもしれない。

「マツイが好きなもの一覧」
ゴルフ、ラグビー、大相撲、ガンダム……

 ところでやはり子供向けらしい(?)企画なのが、「マツイの好きなもの一覧」。やるスポーツではゴルフが、見るスポーツではラグビーと相撲が挙げられている。さらに子供のころのあこがれは、元阪神の掛布選手で、一番会いたいヒーローはベーブ・ルースだとか。

 へぇ、と思ったのは好きな映画が「ナチュラル」で、好きな漫画・アニメのキャラクターがガンダムだったところ。野球映画の佳作が好きなのは納得。でも松井が「ガンダム」を見ていたとはある意味、予想外だった。さらにその“ガンダム”という誌面の表記だが、特に説明が加えられていない。アメリカのTVで放送されており、アメリカの子供たちにも浸透している、ということなのだろう。その点でもちょっとした驚きであった。

 次はぜひとも大人向け本誌の表紙を飾って欲しいものだ。
スポーツナビ 梅田香子 2003/06/25
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.17
松井と打撃論を交わす史上最強のスイッチヒッター
恨みつらみを引きずらないヤ軍オーナー

 ヤンキースのオーナーについてはいろいろ書いてきた。彼のあまり数多いとは言えない美点の一つに、恨みつらみを後々まで引きずらないことが挙げられるのではないだろうか。

「夜な夜なパーティーで遊んでばかりいる」
 と非難したデリック・ジーターと一緒に、それをネタに、ビールのCMで共演しているジョージ・スタインブレナーの方こそパーティーで美女たちとうれしそうにダンスしていた。2人のコミカルな演技は、確かに商品イメージをアップさせているし、話題性も抜群だ。

 クビにした監督を再び呼び戻したり、CMで共演したり、「厚顔無恥」、「変わり身が激しい」と批判するのは簡単だ。

 でも、現役を引退して評論家に転身してからも、「アイツだけは許せない」と自分の後に打たれた味方ピッチャーのことを批判したり、何年たってもネガティブな感情を引きずり続けていると、いざ監督になってから損する部分が大きい。ネガティブな感情が、ネガティブな言動につながり、結局は信頼を失って自分の首を自分で絞めることにつながるようだ。

かつてさんざん衝突したシエラを獲得したトーレ監督

 ジョー・トーレ監督にしても、このへんの気持ちの切り替えはうまい。

 ケガ人続出なので、左バッターを補強することになったが、結局のところ落ちついたのはルーベン・シエラだった。左だけではなく、右でも打てる大リーグ史上最強のスイッチヒッターである。

 ちょっと日本のプロ野球では考えられないケースだ。シエラは前にも1度、1995年7月にダニー・タータブルと交換で、ヤンキースのユニフォームを着ている。当時の監督はバック・ショーウォルターだったが、オフになってトーレ新監督が誕生。シエラは、トーレ監督とさんざん衝突した揚げ句、翌年の7月31日にタイガースのセシル・フィルダーとトレードされてしまったのだ。

 トーレ監督の自伝を読んでも、「ルーベン・シエラは一番扱いにくい選手だった」とばっさり切り捨てている。ダリル・ストロベリーやロジャー・クレメンスなど「ブロンコス動物園」と表された荒くれ男たちをとりまとめてきた指揮官がそう言うのだから、シエラという男は相当にハチャメチャなのかと錯覚してしまいそうだ。

ファンからもマスコミからも愛されている陽気なプエルトリカン

 ところが、まったくそんなタイプではない。ひとことで言うと、陽気で多才なプエルトリカンだ。チームメートからも人望があるし、ファンからもマスコミからも愛されている。

 若いときは守備もなかなかのものだったし、足も速かった。37歳になった今も打棒は衰えず、右打ちの方が「うまい」が、左打ちの方がパワフルだ。昨年はマリナーズでイチローと一緒だったから、せっせと話し掛けて熱心に打撃論を交し合っていた。

イチローや松井からも何かを学ぼうとする貪欲さ

「イチローの英語は今はもうほとんど問題ないからね。いろいろプラスになるヒントをもらったよ。ただし、あの走りながら打つ打法だけは、どうしても僕は習得できそうにないな(苦笑)。イチローにとっては理にかなっている打法だということは理解できたけど」

 松井ともさっそく打撃論を「ああでもない、こうでもない」とやっていた。ベテランとはいえ、年下の選手からも今もなお何かを学び取ろうと貪欲さを失ってはいない。

「イチローもそうだけど、松井もまだまだ発展途上のバッターだよ。松井の場合、あのオーソドックスなダウンスイングでどうメジャーに適応していくのか、ちょっと興味あるな」

野茂に3三振して興味を持った日本球界

 1992年の日米野球で来日したシエラは、野茂英雄から3三振を食らった。それ以来ずっと日本に興味を持ってきたそうで、このオフはエージェントを通して積極的に売りこんでみた。中日ドラゴンズなど数球団が興味を示したが、結局は年齢がネックになって流れてしまった。

「僕はウェートトレーニングも科学的な理論に基づいたものを取り入れている。食事にしても、プロテインにしても、すごく早い段階で、いろいろ研究してきた。だから37歳といっても10年ぐらいは若い肉体を持っている、と医者もトレーナーも太鼓判を押してくれているんだけどね」

 野球だけではなく、バスケットボールをやらせても玄人だし、ジェットスキーや乗馬など多趣味だ。トーレ監督とはそういうグラウンド外の問題ではなく、チームのコンセプトをめぐってもめただけに、深刻かと思われたが、
「まさか。そんな昔のこと、トーレ監督だって気にしていないと思うよ」
 と一笑に付されてしまった。

  確かにトーレ監督の方も、
「あのときはお互い若かったから血気盛んで、それが誤解を呼んでしまっただけだ。今さら大げさに扱うような問題じゃないよ」
 とあっさりしたものだ。

のびのびプレーの秘訣は“あっさり”指揮官

 なんやかんや周囲から言われても、ヤンキースの選手たちが居心地良さそうに、思いのほかのびのびとプレーしているのは、こういうところに秘訣があったのかもしれない。

 シエラは先日、通算2000本安打を達成したばかり。残念ながら23日の試合で右足を痛め、故障者リスト入りしてしまったが、また元気な姿をグラウンドで見せてくれるに違いない。

 なお、ヤンキースはリッキー・ヘンダーソンの再獲得も検討しているそうだ。「ブロンコス動物園」と言うより、「ブロードウェイ・ミュージカルのリバイバル」というニックネームの方がふさわしいかもしれない。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/06/19
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.17
松井がチケット市場に及ぼした影響とは
生観戦に便利なチケットエージェンシー

 松井の登場で今シーズン、ヤンキー・スタジアムには日本人ファンの数が激増している。やはり伝統に満ちたスタジアムで一度は生観戦、とはファンならだれでも思うことだろう。

 気になるチケットだが、MLB公式ウェブページMLB.com(http://mlb.mlb.com)で直接購入することもできるが、売り切れの人気カードの場合や、ぜひ良い席で、というときに便利な存在がチケット・エージェンシーだ。

 チケット・エージェンシーは違法なダフ屋とは違い、公的なライセンスを受けて人気チケットを売買する企業。人気カードはプレミア価格になるものの、欲しいチケットを独自の市場から探してくれる。

 今回、ニューヨーク・マンハッタンからハドソン川を挟んだフォートリーに本拠を構えるチケット・エージェンシー、『Manhattan Entertainment』(http://www.manhattanent-usa.com/)で日本語対応を担当されている中原氏に今シーズンの様子を聞いてみた。

 まずヤンキース戦の人気だが、
「去年と比べるとまったく違いますね。やはり松井さんの影響は大きいです」
 とのこと。開幕後の打撃不振がチケット人気にも陰を落としたのでは、と問うと
「成績が下がったことの影響はほとんどなかったんです。思ったほど落ち込まなかった」
 のだという。同氏の考えられるように、
「今はスランプだけど必ずやってくれる、というファンの期待の表れではないでしょうか」
 ということなのだろう。日本人ファンの期待度は依然高いようだ。

 しかし、以前お伝えしたように、ゴールデン・ウィーク(GW)のマリナーズ戦ではチケットが大幅に余ったといううわさがあった。その点について聞くと、
「あの頃は確かに戦争とSARSの影響が大きかったです。3月ぐらいまではチケットの動きも良く、自社で確保していた分はほとんどさばけたのですが、その後、実際うちにも日本の旅行代理店からチケットが余っているから売ってくれないかという話が2、3件ありました」
 のだという。やはりちょっとした狂想曲がGWには奏でられたようである。

さまざまな要素で引き起こされるチケット市場の価格変動
チケットエージェンシーにとって今年は波乱の年

 チケット市場はさまざまな要素によって価格変動が引き起こされる。そういった意味で、今シーズンはチケット・エージェンシーにとっても波乱の年と言えそうだ。
「やはり戦争などが起こるとチケットの動きが鈍くなり、全体的なマーケット・プライスが下がりました。ただ最近は情勢が落ち着いてきていることもあり、価格は戻りつつあります」

 日本のファンは、既に夏休み時期の観戦スケジュールを立てている頃だろう。そこで夏休み時期の状況についても聞いてみた。
「8月8~10日のマリナーズ3連戦が圧倒的な人気で、毎日売れている状況です。あとはレッドソックス戦などが人気ですね。席にこだわらなければ急ぐ必要はないのですが、1階内野席前方のフィールド・チャンプという席などは数も限られていますので、そういったいい席を希望される方は早めに動かれた方がいいと思います」

 逆にお勧めのカードは、
「7月17~24日のインディアンズ、ブルージェイズ、オリオールズの8連戦、8月18~20日のロイヤルズ戦、22~24日のオリオールズ戦などは、リーズナブルでいい席が確保できると思います」
 とのこと。

 同社のウェブページを見ていて気になったのは、インターネットなのに質問、受付はまず電話で、というメッセージが記載されていること。これは、
「チケットは市場を動くもので、特にヤンキース戦のチケットは動きが早いんです。もちろんメールでもご注文、質問をお受けしているのですが、1つの質問に回答するとまた次の質問が来て、と数日に渡ってやりとりしていると、確保できるチケットの状況が変わってしまう場合もあるんです」
 というチケット市場ならではの事情があるのだという。

お得なチケットも手に入る!?
うまく活用して貴重な生観戦を

 さらにチケットを確保するのに重要なのが枚数らしい。2枚だとこの位置でこの値段だけど、4枚だとここになって1枚の値段が高くなったり、といった具合で本当に細かい価格設定がされ、なおかつ状況によって変動する世界なのだ。逆に言えば、状況をうまく判断できれば、かなりお得なチケットを手に入れることも可能なのである。

 ちなみにアメリカへの電話ということで、しり込みする人も多いだろうが、
「『ナカハラ、プリーズ』と言っていただければ私につながります」
 とのこと。さらにメールの場合は、
「ウェブにおおまかな席種、基準価格を掲載していますので希望の場所、予算、日付、枚数を記入していただくとスムーズにいくと思います。ほぼその日のうちに返答はしています」
 ということだった。

 エンターテインメントの国、アメリカらしいチケット・エージェンシー。同社以外にも日本語対応をしているところは数社ある。うまく活用して“聖地”で、貴重な生観戦というのも悪くはない。
スポーツナビ 梅田香子 2003/06/18
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.16
300勝の祝福の影に…
光と影が交錯するメジャーリーグ

 北米は日差しがきついせいか、小学生でもプールの季節になると、サングラスが必需品だ。日影と日なたの境界線もなんだか日本よりくっきりとしているようだ。まさに光と影以外の何物でもない。

  記念の300勝を挙げて祝福されるピッチャーもいれば、その影でロッカールームを片付けられてしまうピッチャーだって掃いて捨てるほどいるのだ。

 かつてデーブ・ウィンフィールドはシーズン中は3割4分の高打率で打ちまくったが、ワールドシリーズでは不振を極めたため、オーナーのジョージ・スタインブレナーから、
「あれでは“ミスター・メイ(5月男)”だ」
 と批判されたことは以前にも書いた。もちろん“ミスター・オクトーバー(10月)”の異名をとったレジー・ジャクソンに引っ掛けたのだが、もしウィンフィールドが“ミスター・メイ”ならいったい松井はどうなるのか。もっとも“ミスター・ジューン(6月)”にはなれそうなほど調子は上向きなので、このまま“ミスター・ジュライ(7月)”、“ミスター・オーガスト(8月)”と突っ走ってほしい。

なんとしても勝ちたかった試合
ウッドとのパワーピッチャー対決

 6月13日、本拠地ヤンキースタジアムで、ロジャー・クレメンスがついに通算300勝を達成。松井は同点で迎えた2回に6号ソロを放つなど、4打数2安打の活躍でこれをサポートした。

 クレメンスは5月21日のレッドソックス戦で、299勝目を挙げて以来、4人の息子たちに早めの夏休みを取らせ、デビー夫人や妹のジャネット、義理の母と弟、友人たちなど約40人を引き連れて、中西部の遠征に出発。全米の注目を集めながら、3度の挑戦はいずれも勝利に結びつかなかった。

 特に6月7日のカブス戦は誇り高き男だけに、なんとしても勝ちたい試合だった。同じテキサス出身のパワーピッチャー、ケリー・ウッドとの投げ合いだったから、否がおうにもムードは高まっていた。

 松井はこの時も、0対0の均衡を破るホームランを放っている。

阿修羅の大エースに萎縮
たった1球で奈落の底へ

 しかし、「ロジャーの記録を早く達成させたい」という首脳陣の焦りが裏目に出た。7回裏、サミー・ソーサのレフト前ヒットなどで1死1、2塁の場面になると、ジョー・トーレ監督はマウンドに走った。主審の判定に不満を抱き、クレメンスはやや平常心を失っていた。とはいえ、投球数はまだ84球だったから、クレメンスは明らかに続投を望み、トーレ監督に向かってシャウトした。

「今までもっと悪い状態で投げたことがある。オレを信じろ!」

 1対0のまま、リリーフのマウンドに立ったホワン・アセベドは萎縮していて、投球練習のときからコントロールを乱していた。相手バッターにではない味方の大エースが阿修羅のような形相でベンチからグラウンドをにらみ付けているのである。

 そして、たったの1球で奈落(ならく)の底へ。次打者のエリック・キャロスに初球をレフトスタンドに運ばれてしまい、この瞬間クレメンスの300勝が消えた。

悪夢のアセベドは放心状態
かつては吉井と先発の座を争う

 クレメンスはみるみると阿修羅の顔つきになって、主審に向かって何やらわめいてから奥に消えてしまった。アセベドはアセベドでベンチに座ったまま、頭を抱え込んでしまい、試合終了後もロッカーの前でイスに座ったまま放心状態。翌日になってから次のように話した。

「悪夢のようだった。クレメンスにはともかく謝ったんだけど……」

 アセベドはメキシコの出身だ。1997年のシーズンは、メッツのユニフォームを着ていて、柏田貴史(現巨人)とは年齢も近かったから外国人同士、かなり気が合っている様子だった。

 翌98年の春季キャンプでは、メジャー1年目の吉井理人(現オリックス)とアセベドは、先発5番手のスポットをめぐって、オープン戦で壮絶な争いを見せた。ずっと後になって吉井は、
「え? オレ、30過ぎているのに、こんなにたくさんの若いピッチャーと争わなければならないの! とショックを受けた。最初はなかなか調子が上がらなかったから、もう必死で頑張ったんや」
 と振り返っている。あの時、メッツが開幕ロスターを予定していた投手の枠は12人。候補に挙がっていた13人のピッチャーのうち、吉井1人だけがマイナー落ちしたらFAになる契約を結んでいなかった。だから、だれかを蹴落とし勝ち残らなければ、メッツのユニフォームを着続ける保証はなかったのだ。

 最終的に軍配は吉井に上がり、アセベドは開幕直前にカージナルスにトレードで放出された。そこではセットアップ、あるいはクローザーとして貢献。マーク・マグワイアとソーサの歴史に残るホームラン王争いを目の当たりにしているから、“バッターズ・フィールド”(打者有利)と言われるリグレーフィールドの恐さを、この日、初めてこのマウンドに立ったクレメンスよりも、はるかに体感していた。

片付けられた松井の隣のロッカールーム

 とはいうものの、あの頃のアセベドと今とでは、まるで別人のようだ。2000年に肩の筋を痛める前までは、典型的なパワーピッチャーだった。4シームズとカッター(カットファーストボール)が武器で、手元でボールが浮かび上がるためなのか、打者がフライに倒れる回数が多かった。見た目も違う。体重も今のように100キロは超えていなかったのだ。

 昨年はタイガースで自己最多の28セーブを挙げて、FAでヤンキースとマイナー契約。マリアーノ・リベラとクリス・ハモンズの穴を埋める形で、メジャーに生き残り、松井の隣のロッカーが用意された。が、それも今はもうアセベドのものではない。キャロスにホームランを打たれた3日後、解雇を通達されてしまったからだ。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/06/13
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.16
松井の復活告げるNY報道
松井の“ナイス・スイング”生んだ打順変更

 5日のレッズ戦で打順を7番に下げられて以来、11日までに3度の猛打賞を記録するなど、復活の兆しを見せている松井。もちろんニューヨーク(NY)の地元メディアも、この復調に敏感に反応している。

 まずこのレッズ戦を一番大きく扱ったのがタブロイド紙の『Daily News』。裏1面で、「スイング・シフト」という大見出し、「松井、ヤンキーのバットがレッズに穴を開けて起床」なる中見出しで、松井のバッティング写真を掲載した。「スイング・シフト」のシフトとは、打順を変えたことで、“ナイス・スイングを生んだ打順変更”といった感じだろうか。

 中見出しの“ヤンキー”はヤンキースの選手という意味。チームの選手を指すとき、普通は単数形で呼ばれる。ちなみに以前、日本のTVで有名芸能人が松井へのインタビューの際、「ヤンキース・スタジアム」を連発していたが、もちろん正しくは「ヤンキー・スタジアム」だ。

 同紙はまた、スポーツ・セクションのゲーム・リポートでも、「松井が動けば、ヤンキースも動く」(Anthony McCarron記者)という見出しを掲載。松井を基本にして、ヤンキース打線が爆発、大量得点で連敗脱出、というゲーム内容を伝えた。

 この記事の前文では、「昨夜ヤンキースが10-2で勝った後、マツイ・ヒデキのロッカーの上にあるネームプレートには“オー”と黒いマジックで書かれた白い紙が張ってあった」という書き出しがあった。“オー”とは現ダイエーの王監督のこと。恐らくチームメートか球団関係者の仕業なのだろうが、一夜の復活にここまで松井をフォーカスする同紙にちょっとビックリするとともに、王監督の知名度高さにも正直驚かされた。

“マッツ”は果たして定着するのか!?

 もちろん、既に本調子だと信じているメディアばかりではない。そのことが分かるのは、4度目の猛打賞となった10日のアストロズ戦を伝える11日付の『New York Post』だ。

 やはり裏1面には松井のバッティング写真を使っているのだが、中見出しの「ヒデキ、ボンバーズ、アストロズ戦で軌道に戻る」はいいとして、大見出しが「マッツ、もっとそれを」なのだ。

 “もっと昨日のような活躍を”ということは、これまではできなかった、という意識の表れであり、それが大見出しになるのだから、ファンの共通意識であるということだろう。ただ“軌道に戻る”と書いてあることは、6月に入っての活躍を、松井本来の姿ととらえており、必ずしも悪いことではないと思う。

 それと“マッツ”(MATS)というニックネームは珍しいが、今後同紙がこれを定着させる気があるのかどうかも、ちょっと気になるところではある。個人的には違和感があるが……。

 “復活劇”でメディアをにぎわすようになった松井だが、この6月の活躍も、各新聞が一斉に1面、裏1面で松井を扱った日はまだない。朝紙面を見たら、どれでもまず松井の姿が飛び込んでくる、そんな日がすぐ来ることを信じている。
スポーツナビ 梅田香子 2003/06/11
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.15
ソーサ、コルクバット事件の余波は
どこへ行っても話題の中心
「サミー、サミー、サミー…」

 サミー、サミー、サミー……。この1週間で何度この名前を耳にしたことだろう。

 野球場や記者席で話題に上がるのは慣れているけれど、スーパーマーケットで順番待ちをしていても、ガソリンスタンドにいても、スケートリンクにいても、どこでもだれかが「サミー・ソーサが……」「コルクバットが……」「自分が思うに……」とかなり興奮した口調で論じ合っているのだ。普段はあまり野球に興味がなさそうな子どもの友達のお母さんが、
「本当のところ、どうなのかしら? 打撃練習のときのバットを間違えて使ってしまうなんて、そんなことはあるの? 子どもに聞かれて返事に困ってしまったわ」
 と無関心ではいられない様子だった。

 筆者自身、コルクバット騒動の現場に居合わせたのはこれが2度目。97年、スコアノートを見ると、あの時も今回と同じティム・マクルランド審判だった。インディアンズに在籍していたアルバート・ベルのバットからコルクが発見され、とりあえず証拠物件として没収された。ところが、それだけでは終わらず、試合中に何ものかが審判の控え室に忍び込み、普通のバットとすり替えたのだ。

 審判が記者会見に応じる習慣はないのだが、この時だけはミステリー小説まがいの珍事件とあって警察が呼ばれ、控え室が報道陣に公開された。天井のはめ板が1枚ずれたままで、中をのぞくとホコリが所々ぬぐわれ、何者かが侵入した形跡がわざとらしいほど残されていた。

シカゴ発全米の善玉ヒーローが与えたショック…

 もちろん当時も、シカゴの野球ファンはアルバート・ベルに対し、かばいだてをするわけはなく、ごうごうたる非難を浴びせた。幸か不幸かベルは悪玉のヒーローだった。なのに、今回はわれらがサミー・ソーサである。ベルと違って善玉のヒーローだったから、状況はなお悪い。大げさではなく、マイケル・ジョーダンを失った後、シカゴが全米に誇るロール・モデル(子どもたちの手本)だっただけに、人々に与えたショックは大きかった。

 アメリカの面白いところは、ニューヨーク・ジャイアンツのサイン盗みといい、ずっと後になると当事者のうちのだれかが真相を告白するのである。このアルバート・ベル騒動も、5年後に当時チームメートだったグリムズリー投手が、
「ロッカールームの天井づたいに審判室に忍び込んで、普通のバットにすり替えた」
 とNYタイムズ紙に告白して、関係者はあきれ果てたものだ。ソーサのコルクバット騒動も何年かしたら、だれかが真相を暴露するのだろうか? いくら残りのバットも検査したとはいえ、ロッカールームはいわば密室みたいなものだ。しかも、カブスのロッカーといえば、古くて狭いせいもあって、大リーグで一番散らかっている。チームメートを味方に巻き込んでしまったら、ベルのときよりも証拠隠滅などたやすい。

場所、状況、天候に応じてバットを変える「バットマニア」

 ただし、私見を言わせてもらうと、ソーサはほんのでき心でコルクバットを手に入れてみたのではないだろうか。ともかく「バット・マニア」と呼んでいいほどバットをよく変える打者で、場所や状況や天候に応じてくるくると使い分けていた。

 重さは32オンス(約907グラム)、長さは34.5インチ(約87.6センチ)、グリップの直径は1・1/16インチ(約2.7センチ)の手作りバットを好み、98年の66本塁打もそれだった。このバットを作ったのは「フーザー・バット」というインディアナの会社だ。40人のメジャーリーガーと契約して、10人の社員が年間5万本のバットを生産している。21打数ノーヒットというスランプが続いたとき、チームメートのグレナレン・ヒルやランス・ジョンソンから薦められて、ソーサもここのバットを使い始めた。

 クーパースタウンの野球殿堂博物館に収められた記念のバットだけではなく、地元シカゴではソーサのバットを所有するスポーツバー経営者やメモラビア(収集家)たちが、テレビ局や新聞社の要望でレントゲン検査を受けた。なのに今日現在、コルクバットは1本も発見されていないのである。

カブスの歴史的1勝でシカゴの街は大騒ぎ

 もちろん試合で使用したのは事実だから、出場停止処分を受けることになるだろう。それがなくても、前回のコラムに書いたようにカブスは65年ぶりにヤンキースと対決するとあって、ア・リーグからもナ・リーグからも広報部長が訪れ、異常人気でハイテンションな状態にあった。

 まるでオールスターゲームのような喧騒の中、第2戦でロジャー・クレメンスとケリー・ウッドが投げ合い、松井は先制ホームランを放った。さらに脳震とうを起こして救急車で運ばれたヒーソープ・チョイの代役、エリック・キャロスが鮮やかな逆転3ラン。

 カブスが歴史的な1勝を挙げたとあって、リグレー・フィールドの周辺では試合終了後も「飲めや歌えや」の大騒ぎが続き、フランク・シナトラの「ニューヨーク ニューヨーク」の合唱がいつまでもこだましていた。

 松井のホームランについて感想を求められたソーサは思わず、
「ああ、あれはよかった。いいホームランだった。松井が打ってくれて、僕もうれしかったよ」
  と相手チームとは思えない言葉を口にした。いろいろな意味でほっとしたのだろう。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/06/06
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.15
トレカの値段と連動する松井の評価
“松井バッシング”は“ボス”が発言撤回

 先週、詳報をお伝えしたNYメディアによる“松井バッシング”のその後だが、直後に騒ぎの元となる発言をした当のジョージ・スタインブレナー・オーナーが松井に対しての発言を事実上撤回。さらに松井自身報道のあった28日のレッドソックス戦でサヨナラ押し出しにつながるものを含め、2本の2塁打を打ったこともあって、とりあえず収束している。

 さらに松井のみならず、監督をはじめとしたチーム全体に及ぶ“ボス”スタインブレナーの現場介入発言自体に対しては、ドン・ジマー・ヘッドコーチが「オーナー発言はフェアでない。監督は素晴らしい」と発言。全面衝突か、と地元メディアがまた大騒ぎしたものの、その後、ボスが現場を離れ、普段生活しているフロリダに戻ると、これまた一気に収まってしまった。まったくスタインブレナー・オーナーはヤンキースとNYのメディアにとって台風のような存在である。

 が、前回の最後で触れたように今回の流れの中で一番実感させられたのが、NYにおける松井の評価が既に大きく変化しているということである。

現場レベルの評価もパワーより技術

「今のマツイはパワーヒッターと見込んで契約した選手ではない」というスタインブレナーの言葉だけではない。『New York Post』が掲載した「パワーのないマツイ:ベストを尽くしています」(5月28日付、Mark Hale文)という記事の見出しが示すように、初期にあった“ゴジラのニックネームを持つ、パワーヒッター”という評価は今やないと言っていい。

 実際、試合でも松井自身がこれまで経験したことのない2番という打順でこのところ使われ、トーレ監督がその起用について「ヒットエンドランがこなせるから」と語っている。裏を返せば現場レベルでもバッティングの技術はあるがパワーヒッターではない、という評価が下されていることの表れと言っていいだろう。もちろん“メジャーリーグに慣れていない今は”というエクスキューズ(言い訳)が付いているが、それがそのまま定着してしまう可能性だって高いのだ。

一度は原価割れした松井のトレカ

 そして、こうしたメディアや現場の評価はもちろんファンにも伝播している。そのことがよく分かるのが、やはり以前、ご紹介したネット型トレーディング・カード「etopps」の松井選手カード。5月4日に9ドル50セントというスター選手並みの高価格で8000セット発売された。その後、取引価格は上昇し、13日には12ドル50セントの最高値をつけたが、不調がはっきりしてくると急落。一時は原価割れまでし、現在は原価あたりをうろうろしている。まさに松井の調子そのものといった感じだ。

 たとえ一度は評価を下げても結果さえ出せば、上げることも簡単なのがスポーツの世界。オールスターの投票も続いている。ここらで一発ゴジラらしさを見せてほしい。
スポーツナビ 梅田香子 2003/06/05
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.14
松井との対決を楽しみにするソーサ
松井にとって何もかも初体験となる交流戦
シカゴは信じられない盛り上がりぶり

 いよいよ交流戦が始まった。何もかも松井にとっては初体験になる。

 カブスとの3連戦が6月6日から予定されているため、シカゴに初めて乗りこむ。信じられないようなフィーバーぶりで、内野席は既に2000ドル(約24万円)の高値で取り引きされている。筆者の友人も、夫がたまたまチケットを持っていて、
「家計を助けるために“売れ”と言っているのに、“絶対に行く”と言い張っているのよ」
 とこぼしていた。

 どうして、こんなに盛り上がってしまったのか。

 理由は幾つか重なって、まず何と言ってもロジャー・クレメンスの300勝がかかっていること。クレメンスは1990年のオールスターゲーム以外で、リグレー・フィールドのマウンドを踏んだ経験がない。

 それからもうひとつ、やはり話題の松井をなんとしても生観戦したい。

 カブスの本拠地リグレー・フィールドでは、名物アナウンサーのハリー・ケリー亡き後、地元の名士が日替わりで招待されて、7回に「“Take me out to the ballgame”( 私を野球に連れて行って)」を歌う。今回は70年代に2度オリンピックに出場している地元出身のフィギュア・スケーター、デビッド・サンティーに声が掛かり、
「日本語で“Take me out to the ballgame”を歌って、松井に敬意を示そうと思うんだけど、歌詞を日本語訳してくれないか?」
 などと言い出すありさまだ。

ベーブ・ルースが伝説のホームランが生まれた場所

 シカゴの新聞やテレビではヤンキース対カブス戦が始まる1週間前から次々と特集記事が組まれ、過去のエピソードが生き証人たちによって語られているものが目に付く。

 まずは何と言っても32年のワールドシリーズ、第3戦。打席に立ったベーブ・ルースはストライクを取られるたびに投手を指さし、2ストライクを取られると今度はセンターを指さした。病魔に苦しむ子供のためにホームランを打つと約束したからだという説もあるし、リグレー・フィールドのヤジがひどかったから、ルースが激怒して単にこういうジェスチャーを示したという説もある。

 いずれにせよ、ルースはホームランをたたき込み、伝説はここで生まれたのだ。

 さらに38年のワールドシリーズ。この時、カブスはヤンキースに4連敗を喫した。そして、現在に至るまでカブスはリグレー・フィールドでヤンキースから1勝も挙げていない。また、ワールドシリーズにも出場していない。シカゴの野球ファンにとって、この2点は耐えがたい屈辱なのだ。

ニューヨークへのライバル意識強いシカゴ

 もともとシカゴという土地は、日本でいう大阪だとも、名古屋だとも言われ、ニューヨークへの対抗意識が非常に強い。ニューヨークの方は特別な意識を持っていないようだが、シカゴの方は一方的にライバル意識を燃やしている。ジャズを例にとっても、ニューヨーク・スタイルをほとんどのジャズクラブ経営者が拒絶しているのが現状だ。NBAのカンファレンス・ファイナルで(シカゴ・)ブルズと(ニューヨーク・)ニックスが当たった時、シカゴの地元テレビは「Good vs Evil(善と悪)」の対決という見出しを付けていた。

 今年のカブスは首位を走っていて、勢いが違う。今ならヤンキースから悲願の1勝を挙げられる……というシカゴのマスコミとファンの一致団結した強い「偏愛」が、この異様なフィーバーを呼び起こしているのだろう。恐らくこれもシカゴ特有の一方的な思い入れで、ニューヨーク側にしてみれば単なる交流戦に過ぎないのだろうけれど。

異様なフィーバーの中、水を差すショッキングな事件……

 ところが、直前になって対決に水を差すようなショッキングな事件が起きた。既報されているとおり、3日の対デビルレイズ戦で、サミー・ソーサがコルクバットを使用して退場処分を宣告されてしまったのだ。

 ソーサといえば、98年の日米野球では、松井に打撃指導をしたことでも知られている。当時の松井は前方への体重移動が少なくなっていて、
「もっと後ろの足に体重を残し、体の軸を固定してスイングした方がいい」
 とソーサはアドバイスした。松井はほかにも、
「どういうウェートトレーニングをやっているのですか?」
「僕はホームランより3割を打ちたいんですけど」
「理想のホームランとは何なのでしょう?」
「どうしてライトにも打てるようになったのですか?」
 と質問攻めにして、ソーサは一つひとつ、丁寧に答えたものだった。

  もちろん今でもソーサはその時のことは記憶していて、
「松井はきっとヤンキースで成功する。6月の対決が待ち遠しい」
 と楽しみにしていたのである。

 コルクバット事件に関しては今も調査中なので、この件についての続報は後日、松井のリアクションと共に伝える予定だ。