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Columnコラム

スポーツナビ 梅田香子 2003/09/26
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.30
“帝国の守護神”リベラを支える武器
マリナーズのワールドシリーズ進出に立ちはだかった男

 敵地シカゴのU.S.セルラー・フィールドで地区優勝を決めた瞬間、やっぱりヤンキースのマウンドにいたのはこの男だった。マリアーノ・リベラ。ポストシーズンにはめっぽう強く、帝国の誇る守護神としてマリナーズのワールドシリーズ進出に立ちはだかった存在なので、もうすっかり日本の野球ファンにもおなじみの名前だ。今度は敵役ではなく、松井秀喜の頼もしいチームメートとして秋の決戦に臨む。

 2月にフリー打撃でリベラと対決した松井にはいきなり、初球でウィニングショットのカットファーストボール。バットは大きく弧を描き、すかさずロビン・ベンチュラが、
「あんなすごい球を投げるのは彼だけだから、安心しろ」
 と松井に声を掛ける場面があった。

 とはいえ、リベラは昨年だけで3度も故障者リスト入り。ヤンキース首脳陣をはらはらさせっぱなしだった。

 今年の春も開幕直前のタイガース戦で、最後のバッターを併殺打に打ち取った際、右内転筋を痛めて戦線離脱。7月30日のレッドソックス戦でも右肩に違和感を覚え、しばらくマウンドから遠ざかっている。

大事な試合の終盤には必ずマウンドに姿を見せる

 そもそもヤンキースが19歳だったパナマ出身のリベラと契約したのは1990年。父親が漁師だったからそれを手伝い、足腰が鍛えられたという。なんとなく、西鉄ライオンズの稲尾投手を思い起こさせるエピソードだ。

 マイナーでもケガには悩まされたが、95年5月16日にメジャー昇格を果たし、すぐに先発のチャンスを与えられた。そして、5月28日のアスレチックス戦で初勝利を挙げている。一見とんとん拍子に見えるが、当時のリベラはまだスタミナが欠けていた。

 6月にはいったん3Aに戻され、7月から再びメジャー復帰。7月4日のカブス戦で8回無失点11奪三振の快投を見せた。96年は主にセットアップ。97年には抑えのジョン・ウェッテランドを放出して、リベラがクローザーに抜てきされ、いきなり43セーブを挙げた。それ以後、ヤンキース・ファンは大事な試合の終盤には必ずマウンドにリベラの姿を見ることになる。2001年にはマリナーズの佐々木主浩と壮絶なセーブ王争いをみせ、自己最多の50セーブで競り勝った。

守護神に次々と襲い掛かる災難

 もっとも、すべてが順調にきたわけではない。

 肩痛には何度も悩まされたし、2002年にはいとこのルーベン・リベラの盗難が発覚。デリック・ジーターらのグラブを盗み、メモラビアに売却していたもので、ヤンキースは即座に解雇してしまった。

 とはいえ、犯罪には妙に甘いところがある国なので、ルーベンはその後も大リーグのあちらこちらでユニフォームを着続けている。

 もっともこれは大リーガーだから甘いのではない。罪を犯したら罰するべきだけれど、仕事まで永遠に取り上げてしまうと、よけいに犯罪を生むという社会現象につながるから良くない、という考えが一般的だからだ。実際、刑務所はあふれているから、平日は普通に働いて週末だけ服役するという軽犯罪者も少なくないのだ。

「どうしてこんなことをしたのか、信じられない」
 と当時はリベラも大きなショックを受けていたが、
「とても反省していて、絶対にもうやらないと言っている」
 と今ではルーベンのことを大きな心で許し、ルーベンがジーターと和解する橋渡しも務めた。

自分の投球に自信を持つことが成功の秘けつ

 専門家によるメンタル・トレーニングを受けた経験はないそうだが、リベラの発想や哲学を聞いていると、ともかく強靭(きょうじん)で安定している。
「自分のピッチングに自信を持ち、また自信を持つように努力し続ければ、クローザーとして成功したようなものだからね」

 01年のワールドシリーズには4年連続進出したものの、ダイヤモンドバックスとの激戦の末、最終戦でサヨナラ打を打たれた記憶が今もなお鮮明だ。あれがリベラにとって初のポストシーズンでの1敗だった。もちろん悔しかったが、
「今ではあれで良かったんだ」
 と気持ちを切り替えている。

 もしヤンキースが勝っていたら、翌日にニューヨークで優勝パレードを行う予定になっていた。その次の日にチームメートのエンリケ・ウィルソンは母国のドミニカ共和国に帰国する飛行機を予約してあったのだが、負けてしまったから1日繰り上げたのだ。そして、不幸なことに最初に予約してあった便は墜落事故に遭い、たくさんのドミニカ人が犠牲となった。
「事故に遭われた人には気の毒な気持ちでいっぱいだ。めい福を祈りたい。でも、負けたことで一人のチームメートの命が救われたのかと思うと、とても運命的なものを感じたんだ。あれは神様が僕にもっと頑張りなさい、というモチベーションを授けてくれたのだと思う」

 リベラを打ち崩さなければ、ヤンキース王国を打ち負かすことはできない。しかし、カットファーストボールの威力もさることながら、簡単に崩せるようなスピリットの持ち主ではないのだ。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/09/25
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.31
ヤンキース地区6連覇! 松井の扱いは?
6年連続快挙もまだある3つの使命

 23日のホワイトソックス戦で地区優勝を決めたヤンキース。翌24日の地元タブロイド紙はいずれも裏1面で6年連続の快挙を伝えている。

 『New York Post』の見出しは「いまだNo.1」と、6年も力を保ち続けていることを賞賛したもの。残る『Daily NewsとNewsday』の2紙はいずれも「全力を出した」と、シーズンを通じてだけでなく、この日ホワイトソックスを7対0で完ぺきにたたきのめして優勝を決めたことを伝える見出しをつけたのが印象的だった。

 ちょっと残念だったのは、各紙の報じたこのシャンパン・ファイトの写真に松井が写っていないこと。スパイクをサンダルに履き替えていて、始まる瞬間に参加できなかったのがこんなところで響いたようだ。

 また、セレブレーションの様子を伝える記事でも、松井のことはAP通信が配信した記事中に「松井はシェイビングクリーム・ファイトを行った」と出てくるぐらい。今シーズンのチーム貢献度からすると、もう少し扱ってくれても、と思ったのは事実だ。

 とはいうものの、当のシャンパン・ファイト自体が10分ほどしかなく、チームも地元マスコミにも“これは地区優勝にすぎない”、という意識が強くあるのも事実である。実際、セレブレーション後、チーム・キャプテンであるデレク・ジーターが「われわれにはもう3つある。これは最終章じゃない」とコメントしたことがレポート記事のメーンに使われていたりするほどだ。そう、彼らにはディビジョン・シリーズ、リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ、そしてワールド・シリーズの3つのラウンドを制することが使命なのである。

老舗雑誌が認めた松井の新人王資格

 さて、松井の新人王資格問題が全米レベルで話題になっていることは既に何回かお伝えしているが、今週一つうれしい出来事があった。老舗(しにせ)スポーツ総合誌『Sports Illustrated』が同誌独自のア・リーグ新人王に松井を選出したのだ。

 選出理由は「エンゼルスのフランキー・ロドリゲスやロイヤルズのマイク・マクドゥガルがいる混迷した分野でも、105打点、素晴らしい守備、しっかりした基礎によってマツイ・ヒデキの資格は明白だ」とコメントされている。

 アメリカ・スポーツ界で一目を置かれる雑誌が、松井の受賞資格をしっかりと認定したのだ。もちろんこれは一雑誌による企画であって、リーグの正式な賞とは関係がない。しかし、松井を議論の対象になっている松井を支持する人が多いことも事実なのだ。

 ちなみにマリナーズの佐々木には「MRP・サムソナイト苦悶(くもん)賞」が贈られている。もちろんあのケガのためだ。ちなみMRPとは最もばかばかしいパーフォマンスという意味。

 来週でいよいよレギュラーシーズンも終了となる。新章へと突入するヤンキースと松井は、どんなラウンドを見せてくれるだろう。
スポーツナビ 梅田香子 2003/09/22
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.29
お騒がせサウスポーは陽気なカリフォルニア男
ミラーが中日に入団したら虎の優勝はなかった!?

 先日、カージナルスの田口壮選手と、阪神の優勝やらもろもろの雑談をしていて、レッドソックスのケビン・ミラーに話題が及んだ。いったんは中日ドラゴンズと入団契約をしておきながらキャンプイン直前にドタキャンしたのは、既報された通り。筆者はその直前にミラー夫妻を自宅でインタビューしていた。

 また、中日サイドの担当者も元新聞社のデスクで恩のある人だったから、どこかと密約みたいなものがあるのでは……と疑ったし、ミラー本人とも電話で話した。ところが、どうやら本当に一晩で180度、気持ちが変わってしまったらしい。田口の代理人でもあるアラン・ニーロは、この交渉とはかかわっていなかったが、中日とは何かと縁があったから調査に協力してくれた。結論として「単なる心変わり」以外の何ものでもなく、ニーロ自身このたぐいの「ワガママ」はもう何度も経験済みのようだった。

 そんな話をしたら、
「ああ、あれね。あれはドラゴンズの担当者が悪いとか、そういうことじゃなく、単に気が変わってしまったんでしょ。こっちの人ってそういうところがありますよね」

 田口がぼそっとそういう感想を漏らしたあたり、アメリカの流儀に慣れたというか、心の厚みを感じさせた。確かに日本と比べたらメジャー年俸といい、施設といい、ゴージャスこの上もないが、体も精神も相当にタフでなければここでは生き残れないのだから決して“楽園”とは言えないだろう。田口自身もあれやこれやの体験を生かし、指導者になったら成功するのではないだろうか。

 ミラーは、前中日・星野監督(現阪神監督)もそれはそれはホレこみ、前々から目を付けていたバッターで、性格も技術も日本向きだった。もしあのまま中日に入団していたら、阪神の優勝も……。否、「たら」「れば」はきりないから、このへんでやめておこう。

松井とともに日本一を経験したメイ

 さて、なぜ急にミラーを思い出したかといえば、先日ロイヤルズのダリル・メイとゆっくり話しをする機会に恵まれたからだ。

 ほんの2年前、松井とはチームメートだったわけで、日本シリーズ優勝メンバーでもある。そうかと思えば、阪神に移籍してからは松井にデッドボールをぶつけたり、「これ以上、野村監督(前監督)のもとではプレーしたくない」という声明文を配ったり、何かとお騒せなサウスポーではあった。

 もっとも本人はいたって陽気なカルフォルニア男。万事にイージー・ゴーイングで屈託がなく、底抜けにフレンドリーだ。ただし、行動が行き当たりばったりなところがあるのは事実で、打ち込まれると、試合の途中であろうとカーッとしてさっさと帰宅してしまう癖は日本でもアメリカでも同じだ。

「日本での経験は僕にとってプラスばかりさ。いい思い出だ。いつかまた日本でプレーしてみたいな。野村監督とは合わなかったけれど、タイガースの選手たちはナイス・ガイばかりで、楽しかった。え、阪神が優勝したの? それは良かった。監督はホシノさんだろ。あの人は好きだったよ」

 なにしろ来日する前はメジャーで通算2勝。エンゼルスでは長谷川滋利投手とチームメートだったから、
「日本の野球のことはシゲから勉強したんだ。ストライクゾーンとか審判の癖とか練習の仕組みとか、準備は怠りなかったんだけどね。でも、あんなに英語を理解できない人ばかりとは正直いって驚いた。ちゃんと通訳も付けてくれたんだけど、ボスと1対1でコミニュケートすることができないのはつらかった。誤解が誤解を呼んだんだと思うよ」

絶えず衝突があった野村阪神時代

 メイは1998年3月下旬、エンゼルスで開幕ロスターから漏れると日本行きを決意した。4月15日から阪神と合流し、4勝9敗ながら防御率3.47という成績を残した。

 ところが2年目からタイガースに野村監督が就任すると衝突が絶えず、オールスター休みに婚約者(その後結婚)のヘザー夫人とグアムへバカンスに行き、歯痛に襲われて帰国が予定よりも遅れた。

 当てにしている首脳陣やファンにしてみたら、怒って当然のような気がするのだけれど……。その前からメジャーの常識である「先発は100球まで投げたら降板」を通訳を通して申し出てたら、「それは困る」という監督のコメントが新聞に載って、メイが激怒したり、あつれきが続いていたのである。

 そして8月には途中帰国。2000年にはなんと巨人のユニフォームを着てしまった。

「巨人の鹿取投手コーチはアメリカでもコーチ経験があったから英語も話せたし、指導法はすごく良かった。低めをキープすることの大切さを何度も僕に説き、辛抱強くバッターのタイミングを外すコツを教えてくれた。日本のバッターはみんな変化球を当てるのがうまいし、スイングがコンパクトだからミートがうまい。結果としてゴロを打たせて取るだけはなく、奪った三振の数も増えたんだ。それが今の僕にはすごく助かっているよ」

投手陣のリーダー格としてロイヤルズを支える

 ロイヤルズはメジャーでは少し珍しく、中4日ではなく、5日で先発ローテーションを組んでいた。開幕当初はなかなか勝ち星に恵まれず、今季初勝利は6月27日のカージナルス戦。だが、夏場からは投手陣のリーダー格となってロイヤルズを支え、7月19日のマリナーズ戦では絶好調のイチローを4安打無得点に封じ込んでいる。

 8月12日の松井との初対決ではいきなりブラッシュボールをお見舞いするなど、メイらしいといえばメイらしいあいさつだった。もっとも2打席目にセンター前ヒットを打たれている。
「新しい球場と新しいチームに慣れるのには時間がかかる。野球は同じでも、環境が今までとはまったく違うのだから、何かと苦労が付きまとうんだ。とくに言葉の壁というのは大変だよ。僕にはそれがよく分かるけど、松井の適応能力はすごいスピードだ」
 と松井のことは絶賛していた。

 試合の前に通訳を通して松井と話をしたそうで、
「僕たちの間に立ちはだかる壁は、いつも“通訳”なんだ」
 と軽いジョークを付け足すのを忘れなかった。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/09/18
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.30
来年のMLB新人王は松井稼頭央!?
日本人のおかげでMLBの新人王資格が変更?

「日本でプロ野球経験の長い松井は新人王に値するか、否か」という論争は先週お伝えしたデビルレイズのルー・ピネラ監督の否定コメント以来、ヒートアップを見せた。

 ヤンキースのジョー・トーレ監督が「(松井は)マイナーリーグからの選手と違い、佐々木やイチローのように経験は確かに豊富」とした上で、「大リーグで1年目の選手は新人とルールに定められている」と松井には新人王の資格があるという“対抗”コメントを出している。

 この論争は地元メディアだけでなく、週刊誌の『Sports Weekly』も巻末記事で話題のトピックとして取り上げた。ただ抽象的な資格の有るなしではなく、タイトルが「新人王適用規則は変えられるべきか?」(Penny Brown文)となっているように、問題の本質は大リーグの新人王規則に年齢や経験の制限がないことを指摘したもの。つまり現行では松井は”新人”と認めている。

 その上で同紙は、大リーグに入る前に日本やメキシコなどのプロ・リーグで野手なら750試合、投手なら150試合の出場経験がある選手は同賞の受賞資格がなくなるようにしては、と提案している。面白いのは、もし規則が改正されなければ来年の新人王有力選手は”リトル・マツイ”こと松井稼頭央になるだろう、としていることだ。「彼は日本のプロ野球で既に8年の経験があり、昨年、3割30本塁打30盗塁を達成した8人目の選手になった。これが公平?」と同記事は締められている。リトル・マツイは既にここまで知られているのである。

松井がど派手な衣装! 新人に対する恒例行事

 さらに面白かったのは、巻頭の短信欄に掲載された14日の移動時に松井がひょう柄のど派手な衣装を着せられたことを伝えた記事。これが新人に対して行われる行事であることを紹介し、議論の対象である松井がチームメートから新人として扱われていると指摘したのだ。

 とりあえず現行規則では認めるべきということになるだろう。賞の行方がますます注目されることになってきた。

松井は「ボンバーズ最高のクラッチ・ヒッター」

 さて、賞レースとともに気になるのがプレーオフだ。ヤンキース自体に関しては、落ちることがないだろう、という安心感か地元では切迫したような報道はほとんどない。一方、プレーオフ展望もまだ少し早いのか、多くは見られない。そんな中、17日発売の隔週刊総合誌『ESPN Magazine』がプレーオフ注目選手などを集めた記事を組んだ。

 その中で松井は「逸品選手ランキング」で4位にランクインした。「ボンバーズで最高のクラッチ・ヒッター」という評価を得ているのだが、松井が目立たぬ逸品なの? という気がしないでもなかった。ちなみに1位はアスレチックスの捕手ラモン・ヘルナンデスだった。

 レギュラー・シーズンも残り2週間弱。松井の新人記録とプレーオフの行方もいよいよクライマックスを迎える。
スポーツナビ 梅田香子 2003/09/12
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.28
“魔球”を操る男~マイク・ムシーナ~
蝶のようにふわふわと飛んでいき思わぬ変化をする“ナックル”

 ナックルボーラー。文字どおりナックルボールを投げるピッチャーをこう呼ぶ。筆者は妙にはまってしまった時期があって、今でも「Knuckle Ball」という単語を耳にすると、無性に心がときめく。自分でもボールとグラブを手にして練習してみたし、ナックルを投げるピッチャーからは一通り話を聞いたものだ。

 握り方は3本指と2本指と二通りあって、ぴんとボールに立てた指で押し出してやると、ほとんど回転が与えられず、蝶のようにふわふわと飛んでいき、打者の手元で思わぬムーブメントを見せる。キャッチャー泣かせの球で、名捕手カールトン・フィスクはホワイトソックス時代、「打撃に影響するから」とナックルボーラーと組むのをイヤがった。いつも控えの日系人ダン・ワカマツにポジションを譲ったので、ワカマツは「ナックルボール・キャッチャー」と呼ばれたものだ。

「自分で開発した」ナックルカーブを操るムシーナ

 ナックルボーラーには二通りあって、ハフのように投球の大部分がナックルになってしまうタイプ。それから、もう1つがマイク・ムシーナのように他の変化球とナックルを混ぜるタイプだ。

 ムシーナと言えば、いつも腰を曲げて、ヨッコラショという感じでセットポジションに入る。150キロ台のストレートにスライダーやカーブや2シーム……そこへナックルボール、さらにナックルカーブも混ぜてくるのだから、まさに7色の変化球といっていい。

 ナックルカーブというのは、ナックルの握りからカーブを投げるもので、まさにカーブとナックルが混じった感じ。「ディクソンズ・ベースボール・ディクショナリー」(HARCOURT BRACE刊)の表現を借りれば、スロットマシーンにコインを入れたときのように捕手のミットに飛び込んでくる球、それがナックルカーブだ。これも諸説が飛び交っているが、ムーシナはオリオールズ時代に「自分が発明し、開発したもの」と自負している。

頭脳明晰! 投げても毎年のようにサイ・ヤング賞候補

 ムシーナはフィラデルフィア州モントビル高校まではアメフトでも将来有望とされていて、名門ペンシルベニア州立大から誘われたこともある。頭も良くて、名門スタンフォード大学では3年半で経済学の学位を取得してしまった。

 1990年にオリオールズに入団して、メジャーでのデビュー戦は1991年8月4日のホワイトソックス戦だったから、よく覚えている。このときは7回2/3を投げて新人離れした安定感をみせたが、フランク・トーマスにソロ本塁打を打たれて0対1で敗れてしまった。

 翌年からはロジャー・クレメンスやペドロ・マルチネスと同格のピッチャーとして、毎年のようにサイ・ヤング賞候補にあげられるようになり、2001年からヤンキースに移籍。この年の9月、フェンウェイパークでレッドソックスのデビッド・コーンと投げ合い、あと1ストライクで完全試合という球史に残る名勝負をみせた。ムシーナはこれ以外にも2度、大記録を目前にして夢敗れている。なんという運命の皮肉か、その翌日に21歳のバド・スミスがノーヒットノーランを達成してしまった。

34歳のムシーナもナックルを武器にあと10年は投げられる

 少しナックルボールの歴史を振り返っておくと、メジャーでは1908年に、後に「ブラックソックス事件」で永久追放されたホワイトソックスのエディ・シコットが投げたのが第1号という説が一般的だ。

 1970年代に兄弟で合計539勝をあげたフィル&ジョー・ニークロ兄弟も有名で、ハフ、トム・キャンディオッティ、ティム・ウェイクフィールド、そしてムシーナらがこれに続く。フィル・ニークロは女子プロ野球のシルバーブレッツの監督時代、「子供を産んだら、その子にまずナックルボールを教えるといい」とよく話していた。なぜかというと、理由は2つ。ナックルを投げるときの投球フォームは無理がなく、腕や肩や足腰にかける負担が少ないから子供に向いている。それから、ナックルという球は長く投げ込めば投げ込むだけ、変幻自在な威力を増すから、「小さいからナックルをひたすら投げ続けたら、きっとその子はメジャーリーガーになれる」というのがニークロの持論だったのである。

 残念ながらムシーナもハフもキャンデオッティも幼い頃から投げていたわけではなく、ウェイクフィールドにしてもマイナー時代は野手だったそうだから、ニークロの主張が正しいのかどうか、今はまだ証明はできない。筆者に男の子がいたら絶対に試してみたのだが……。

 確かなのはナックルボーラーは長寿で、長持ちするということ。34歳のムシーナもあと10年ぐらいは投げられるに違いない。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/09/11
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.29
ファンも支持する松井の新人王
松井は3安打を、ファンは大人気の人形をゲット!

 8日のブルージェイズ戦では3安打3打点を挙げ、ついに復活ののろしを上げた松井。地元メディアもタブロイド紙『Newday』の「立ち直る」や『Daily News』の「ジアンビ、マツイ、スイングを始める」といった見出しで、松井の活躍を紹介する記事を一斉に掲載した。

 日本でも報じられ、ニューヨークでも「マツイは3安打を得て、ファンはボブルヘッドを得た」(Newsday)といった見出しが組まれたように、このゲームは松井のボブルヘッド人形が入場したファンに配られた“マツイ・デー”だった。

 面白かったのが、「(人形が)実際よりも良く見えたからうれしいです」という松井のコメントを、「松井がジョークを言った」と掲載しているところ。松井のこんな謙そんから出る冗談が、辛口で知られるヤンキースの番記者たちにも好まれていることがよく分かる。

 もともとこのボブルヘッド人形は7月22日の試合で配られる予定だったのだが、雨で中止となったため、追加されたこの日に配布されることなった。が、急きょ決まった平日のデーゲーム。不入りが予想されたため、チームは最初は先着1万人の14歳以下の子どもに人形を配布しようとしていたのを、この日に限り全観客に対象者を広げていた。しかし、実際の入場者数はたったの8848人。そう、本来なら大人気のボブルヘッド人形が、余ってしまうという事態になったのである。松井復活劇の裏で、現地に行けなかったファンにとっては、とても悔しい珍事でもあった。

マリナーズ前監督「松井は新人ではない」

 さて、松井の復活で再び注目され始めたのが新人王問題だ。10日の『Daily News』は「日本のその人、松井――母国で大人気の“新人”――」(Julian Garcia文)という記事を掲載した。その中では、松井が日本で十分すぎる実績があり、人気もものすごい、過去にはイチローが新人王を獲得している、というこれまでにも何度か紹介された内容が書かれている。

 見慣れた内容ではあるのだが、今回興味深かったのは、新人王レースで松井の強力なライバルとなっているロッコ・バルデリの所属するデビルレイズのルー・ピネラ監督のコメント。

「正直になろう。これらの日本人選手がここに来た時、彼らは何年もの経験を積んだプロフェショナルなんだ」
 と語り、日本プロ野球のベテランに新人王の資格を与えることに反対する立場を明らかにしているのだ。

 ピネラといえば、言わずと知れた前マリナーズ監督。これが彼の本音だったのか、とちょっと驚きである。もちろん、自分のチームのバルデリに賞を取らせるための支援策ということもあるだろうが。

 と同時に、注目したいのは同紙のウェブサイトで「マツイにALルーキー・オブ・ザ・イヤーを与えるべきか?」という読者投票が行われている点。現地10日夕方時点では、Yesが53%、Noが47%という状況だった。なかなか均衡しているものの、松井を支持する声もファンの間には大きいようだ。さて、賞の行方はどうなるだろうか。
スポーツナビ 梅田香子 2003/09/06
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.27
ケガから復帰した松井のライバル・マクドゥガル
スター選手のいないロイヤルズで活躍が際立つマクドゥガル

 北米の各地で今、野球が熱い。それだけ首位攻防が白熱してきているからだ。

 雨が降っていても、なかなか中止にしようとしないのは日程が詰まってきているせいもあるし、ファンがをそれを強く望んでいるせいでもある。9月1日にリグレーフィールドで行われたカブス対カージナルスは、試合開始が4時間も遅れたが、3万人を超えるファンが雨の中、試合を待ち続けた。

 優勝争いもさることながら、今年はルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)争いも激戦で、とくにア・リーグでは松井のライバルがめじろ押しである。オールスターゲーム出場の勲章を手に入れたマイク・マクドゥガル(ロイヤルズ)も有力候補のひとりだ。MVP級のスター選手がロイヤルズにはひとりもいないのに、ここまで食い込んできているのは、エンジェル・ベロア(ロイヤルズ)と並んでマクドゥガルが開幕戦から際立った実績を残しているためだ。

 オールスター出場に当たって球団から支払われるボーナスの額は、スポーツ・エージェントたちの腕前に比例しているといっていいだろう。一番、高額だったのはイチローで、10万ドル。もっともイチローの場合は年俸が抑え気味なので、その分こういうオプション契約の金額が奮発されているとも言えるのだ。

 スター選手級だと7万5000ドルが相場で、バリー・ボンズやアレックス・ロドリゲスがこれに当てはまる。一番多いのは5万ドルで、アルバート・プホルスや長谷川滋利がこれ。新人だと報酬0は珍しくなく、松井もマクドゥガルもボーナスはなしだった。意外だったのはアルフォンゾ・ソリアーノで、彼もオールスターは無報酬。それが原因というわけでもないだろうが、昔から世話になっていた団野村氏を切って大物のスコット・ボラスをエージェント契約してしまった。

最速103マイルの速球とえげつないスライダー

 さて、マクドゥガルは開幕のホワイトソックス戦でいきなり100マイルを超える速球を披露し、9回にパーフェクト・リリーフを見せたのでセンセーショナルだった。ちなみに今季これまでに記録した最高速度は103マイル(166キロ)。確かにストレートは速いのなんの。えげつないスライダーも効果的だ。カーブとチェンジアップも持っているのだが、ほとんどストレートとスライダーだけで投球を組み立てている。

 1999年にロイヤルズがドラフト1順目で指名したのだが、2001年には2Aを飛び越えていきなり3Aに昇格。マイナー時代から球はめっぽう速く、三振の山を築いていたが、コントロール難が課題だった。

 9月にメジャーの選手枠が40人に広がると、マイナーリーガーがどっと上に引き上げられる。これを文字通り「セプテンバー・コールアップ」と呼ぶのだが、マクドゥガルもこれで早くもメジャー昇格を果たした。

 ところが、ここで思わぬアクシデントに見舞われてしまう。

記憶に残っていない頭蓋骨骨折のアクシデント

 ところが、ここで思わぬアクシデントに見舞われてしまう。

「その瞬間のことはまるで記憶に残っていないんだ。ただいきなり目の前が真っ暗になって、一体全体、何が起こったのか分からなかった」
 とマクドゥガル自身は回想した。

 2001年10月4日、対クリーブランド戦でベンチに座っていたマクドゥガルは、何がなんだか分からないまま気を失ってしまった。チームメイトのキャロス・ベルトランのバットがすっぽ抜け、マクドゥガルの頭を直撃。頭蓋骨を骨折してしまったのである。

 6週間で骨折は治ったが、神経をやられてしまい、利き腕の指先の感触がなかなか戻らなかった。いつもゴムの手袋をはめているような違和感がつきまとい、マクドゥガルは苦しんだ。

 投手にとって指の感覚は重大この上もない。野茂にしてもそうだが、長谷川も佐々木もメジャーに来た当初はこれに悩まされた。ボールが日本より少し大きいだけではなく、湿気も違うから微妙な感覚にずれを生じ、つるつると滑ってしまうから変化球がうまく投げれなかったりするのだ。だから、ありとあらゆるハンドクリームを片っ端から購入して、指にすりこんでみたり、ピッチャーたちは皆、それぞれ工夫をこらさずにいはいられない。そこがうまくいかないと、野村空生投手にように、
「アメリカにきてから変化球がまったく変化してくれない」
 納得のいかない結果を強いられてしまうのだ。

 マクドゥガルの場合は神経からくるものだったから、深刻だった。
「このまま一生、指先の感覚が戻らなかったら……と思うとゾッとした。でも、不思議と野球をあきらめる気にはなれず、感覚がないならないで、ともかくピッチャーを続けてみようと思った。投手コーチと相談してともかくコントロールを改善するために、リリースポイントを変えて投球フォームを改造することにしたんだ」

復帰後、新しい役柄に目覚め「毎日が夢のよう」

 1年経つとようやく指先の感覚が戻ってきた。前とはまったく同じとはいえないが、ともかく速い球もスライダーもまた投げられるようになった。2002年はリハビリをかねていたから、ルーキーリーグから1A、2A、3A、それからメジャーとあらゆるクラスを1年で体験してしまった。

 オフはプエルトリコのウィンターリーグに参加し、そこで先発ではなく、「クローザー」という新しい役柄に目覚めた。同行した元ロイヤルズのガイ・ハンセンも強く首脳陣に推薦してくれて、2003年は開幕からロイヤルズの守護神としてセーブを積み重ねていった。

「去年までのことを考えると、毎日が夢のようでエキサイティングだ」

 松井のことはライバルとして意識しているそうで、
「ともかくトータルな意味で完成された、スキのないバッターだと思う。新人というより、ヤンキースのスタメン外野手なのだから、なんとしても打たせたくないよ。イチローには痛い目に合わされたからね。日本ではかなりレベルの高い野球をやってきたのだと想像がつくよ」
 オールスター明けにイチローには満塁ホームランを打たれている。

 9月の首位攻防にこの新人たちがいかに絡んでくるのか。それがチームに とっての明暗と新人王レースの勝敗を左右することになりそうだ。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/09/04
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.28
スランプなのはマツイだけじゃない!
不振を極めるヤンキースのクリーンアップ・トリオ

 2試合連続先発を外れて連続出場を続けながらも“休養”をとった松井だが、なかなかバッティングの調子が戻ってこない。さすがに地元ニューヨークでもその不振に“スランプ”という言葉がさかんに使われるようになっている。

 だが、現在のヤンキースでは松井だけが不振なわけではない。そのことを3日付の地元タブロイド紙『Daily News』はスポーツ・セクションのトップで取り上げている。Lisa Olson記者による「ヤンキースのラインアップ、中盤が詰まる」というタイトルの記事がそれだ。

 ラインアップの中盤とは3、4、5番のいわゆるクリーンアップ・トリオのこと。そう、不振なのは松井だけではなく、3番ジェーソン・ジアンビー、4番バーニー・ウィリアムズもそうなのだ。

 記事では、チームは最近4ゲーム(現地時間1日まで)で平均6得点を挙げており、ライバルのレッドソックスにも勝ち越すなど、「(不振が)すべて悪いニュースになってはいない」とは前提した上で、ジアンビは過去24打数でノーヒット、打点0、ウィリアムズが過去44打数7安打、0本塁打、3打点、そしてマツイが過去42打数7安打、0本塁打、2打点にとどまっていると指摘した。

 ウィリアムズのけがによる欠場明けの影響など、それぞれに原因が追求されているのだが、松井の場合はやはり「メジャーのより長いスケジュールとつらい旅程が彼を苦しめているのかもしれない」となっている。

 その上で、
「それが問題でないというなら、うそになりますね。でも、ホワイトソックスとの連戦で数日休めたし、気分はいいですよ」
 という松井のコメントを掲載、復活への期待を示した。

 プレーオフに備え、強力打線復活が急務になりつつある。もちろん、松井もそのカギを握っているのだ。

松井グッズは今がお値打ち!

 さて、最近の不振はあるものの、松井の人気は少なくとも地元レベルではすっかり定着してきた。その人気度合いを調べようと、今回は日本でもヤフオクの名で知られるインターネット・ポータル、ヤフーのオークション・コーナーの様子を調べてみた。

 “Matsui”というキーワードで検索したところ、3日現在出品中だったのは69件だった。まずまずといったところか。
 では出品されているモノはというと、実に64件がトレカことトレーディング・カードで、3件が直筆サイン入り写真、2件がボブルヘッド人形。ちょっとバリエーションが少ないが、これは新人だからしかたないところ。

 トレカはルーキー・カードがほとんどで、中にはジャージ入りのレア・カードや1998年のプロ野球カードの出品も。また、同じ松井でも松井稼頭央カードというマツイ違いも1件あった。

 落札価格だが、過去の事例ではサイン入りのホーム・プレートとナンバープレートのセットが280.01ドルだったのが最高金額。次がサイン入りユニフォームで250ドルだから、高騰という状態ではない。松井選手自身には悪いが、不振の今はMLBグッズ・コレクターにとって狙い目かも。