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Columnコラム

スポーツナビ 梅田香子 2003/08/29
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.26
松井と新人王を争う男~エンジェル・マリア・ベロア~
ドミニカ共和国で有名なのはさとうきびと遊撃手?

 8月26日付の『USAトゥデー』紙が伝えたところによると、やはり既に190本のヒットを記録したロッコ・バリデリは新人王の有力候補ではある。が、強力なライバルがいるから安泰ではないという趣旨の記事だった。松井と並んでライバルとして名前が挙がっていたのは、ロイヤルズのエンジェル・マリア・ベロアだった。7月は6本塁打22打点で、月間最優秀新人に選ばれている。

 昔からドミニカ共和国の名産はサトウキビとショートストップと言われるほど、この国はメジャーリーグに優れた遊撃手を送り込んできた。日本だったら電気製品(中国に押されているから、やはり車か?)とピッチャーというところか。

 ベロアも遊撃の守備は良く、打撃もいいからロイヤルズがいきなり開幕8連勝する原動力となった。MVP級のスター選手が不在にもかかわらず、首位戦線に食い込んでいるロイヤルズでは、もはや欠くことのできない主軸の一人だ。

ひざの手術を経て大ブレーク

 反射神経に優れ、肩が強く、フットワークもグラブさばきも申し分がないのに、エラーの数が意外と多かったのは、これまで故障に泣かされ続けてきたためだ。背中痛もあったし、ハムストリング(ももの裏側)や手首の痛みに泣かされたこともある。

 一番重症だったのは右ひざの痛みで、これは守備にもバッティングにも悪影響をもたらし、体重移動がスムーズではないから、スイングが不完全なまま凡打を繰り返すというパターンが目についた。

 もう一つの課題はストライクゾーンを完全に把握していない点で、気持ちばかりがあせるから早打ちが目立ち、マイナーリーグ時代は四球での出塁が極端に少ない。もっとも、これはかつてのサミー・ソーサも典型だったし、野球の経験が浅い新人にはありがちなので、いずれは克服するのだろう。

 ベロア本人は好調ぶりについて、次のように語っている。
「昨年の4月、思い切ってひざの手術に踏み切ったのが良かったと思う。痛みがまったく消えたので、のびのびとプレーできるようになった」

ソーサと似た経歴の持ち主

 ポジションは違うが、やはりソーサと歩んできた道のりが似通っている。
 メジャーと契約したのは1997年で、取引先はアスレチックスだった。2002年にデビルレイズも巻きこんで三角トレードが成立したため、ベロアはロイヤルズに移籍した。誕生日は1月27日なので、この時点ではまだ22歳のはずではあったが、
「あれは間違いだった」
 と自己申告して、昨シーズン途中から24歳になった。

 ショパンの誕生日には2説あるし、王貞治監督も双子の未熟児で生まれたから、出生届の提出が遅れたというエピソードは有名だ。メジャーリーガーたちの誕生日にもこの種のエピソードはつきもので、ソーサにしても4歳若く年を偽っているといううわさが根強く、契約更新のときはかなり取りざたされた。ほかにも、
「ヘンだなあ。リトルリーグにいたときは確かにヤツとオレは同じ年だったのに……」
 というつぶやきをよく耳にする。

 91年に横浜入りしたR・J・レイノルズも、急に31歳とパイレーツ時代のメディアガイドよりも2歳若くなってしまい、2年後に近鉄入りしたときは、また年齢が元通り2歳足されていた。横浜がこの頃、たてつづけにいい外国人選手を獲得していたのは、明らかに現メジャーリーグ解説者の牛島惟光氏が渉外担当だったためだが、
「年齢の件ではレイノルズにだまされたんじゃないんですか?」
 と言ってみたら、
「わあ、なんて人が悪いことを! 単なる本人の勘違いでしょう。レイノルズはそんな男じゃありません」
 というリアクションだった。

年齢を偽るのはハングリー精神の表れ?

 北米では、出産が終わったら24時間後に退院するのが一般的だ。出産届も病院の方で用意されていて、生んだらすぐに命名して必要事項を書き込むから誕生日をごまかしようがない。一方、ドミニカ共和国は自分の足で役所に届けなければいけないから、遅れてしまうということはよくあるそうだ。

 もっともいくらなんでも2年や4年は遅れ過ぎだ。

 ソーサにしてもベロアにしても、大リーグ直営の野球アカデミーに入学するため、トライアウト・キャンプに参加したとき10代半ばだった。確かに人が悪いのかもしれないが、そこではチャンスの窓口を少しでも広げるために、年齢を若く偽るという行為が慢性化しているような気がしてならない。つまり彼らのハングリー精神の表れと言えよう。同じ実力の選手が2人いたら、若い方を選ぶのはスカウティングの一般常識である。

「新人王なんて僕にとってはどうでもいい。チームが勝つことが大切だ」
 とベロアは言う。故障から立ち直り、ようやくマイナー生活とも別れを告げ、今は野球が楽しくってたまらない様子だ。

 8月11日、ヤンキースとの直接対決で松井は15号ホームランを放ち、ベロアと並んだ。松井とベロア、ヤンキースとロイヤルズ。軍配はどちらに上がるのだろうか?
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/08/28
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.27
NYメディアでも話題となった松井の連続試合出場
連続試合出場への配慮に批判はなし

 26日のホワイトソックス戦で4月20日以来となるスタメン落ちとなった松井。もちろん、これはトーレ監督が最近の打撃不振が疲れによるものだと判断したためだ。

 突然先発から外されたように感じるかもしれないが、現場ではこの“休養”について数日前から検討されていた。例えば、26日付の『New York Post』はGeorge King記者によるリポートの中で、結局は先発出場したものの、25日のオリオールズ戦で既に松井が先発から外される可能性があったことを伝えていた。

 ちなみに同日の松井に関するトピックというと、日本ではリトルリーグのワールドシリーズで優勝した武蔵府中が松井を訪問したことが大きく取り上げられたようだが、意外にもNYの地元メディアでは、単に松井と会ったと簡単に報道されたぐらいだった。

 そして26日、松井は予想通り先発を外され、各地元タブロイド紙は27日付のスポーツ面でそのことを紹介することとなった。いずれも松井の連続出場記録と、その継続のために9回に出場した采配を伝えたもの。

 『Daily News』はAnthony McCapron記者によるチームリポートで「継続:ヒデキ・マツイ」という記事を掲載。「トーレは21打数3安打のスランプにはまったマツイは疲れていると考えている。しかし、この外野手は連続記録を止めることは考えていなかった」とし、松井が日本で1993年8月22日以来1250試合連続出場を記録、ヤンキースに入っても同日現在、130試合連続出場を続けていることを記している。

 少なくとも現在、こうした連続出場への配慮に関して、どのメディアも批判的には報道していない。ぜひこの休養で調子を取り戻してもらいたいものだ。

“はなわ”の松井のものまねの由来は?

 さて前回、タブロイド紙『Newsday』が松井の意外に地味な私生活を伝える記事を紹介したが、『New York Post』も22日付の紙面で「モンスター・シーズン」と題した似た内容の記事を掲載した。こちらは前出のGeorge King記者がオフだった21日に松井にインタビューしたもの。

「まだプレーオフについては意識していない」といったコメントもあるが、やはりメーンは松井の気さくさで、スターとしては意外なほど“普通”な性格の紹介が主な内容となっている。

 このインタビューは、記者や松井の友人たちとランチをとりながらされたもの。記事では、その取材場所となった松井行きつけのレストラン“日本”のオーナーが、
「彼はとてもフレンドリーで自然。目立ちたがり屋ではない。最高のお客様の一人です。料理人も皆、彼のことが好きです。試合前に彼が来店したときには、消化のいいものを出せるようメニューを工夫しています」
 とコメントしている。松井の日常生活の一端が垣間見られてけっこうおもしろい。

 この記事で唯一「???」と思ったのが写真。せっかくのインタビューなのにあまり表情、ポーズがいいとは言えないのだ。ただ、「佐賀県」で有名になったはなわの松井のものまね、ってこのしぐさから来てたんだ、と今更気づいたりしたのだが……。
スポーツナビ 梅田香子 2003/08/22
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.25
チームメートと家族を大切にする男、ペティット
メジャーのスカウトより教会のイベントが優先?

 以前もここで書いたが、デビッド・ウェルズの暴露本に、伊良部がヤンキース入りしたとき、生え抜きの左腕投手アンディ・ペティットらがショックを受けてしまった、というくだりがある。どう感じるかは、人それぞれなのだろうが、筆者の感想は「ペティットも生身の人間だった……」という安どに似た思いだった。

 というのも、ペティットという男は、まさに宣教師か日曜学校の先生になるため生まれてきたようなタイプの人間だからだ。自分のことよりも、いつも家族や友人のことを優先し、弱い立場に置かれた人間にやさしく、勝利投手になるとチームメートへの感謝の気持ちをまっ先に口にする。

 敬虔なクリスチャンで、妻のローラとも教会で知り合った。
「シーズン中は遠征もあるし、ナイトゲームもあるから、なかなか時間がとれない。でも、オフは必ず子どもたちが寝るとき、まくら元で聖書を読んであげることにしている」

 高校のときは、大リーグのスカウトたちが見に来るという大事な試合で、
「教会のイベントがあるから試合は休みます」
 と言い出し、関係者を仰天させた経歴の持ち主でもある。

「松井に助けられたのは、数え切れない」

 14日のオリオールズ戦で7回、松井がレフトのフェンスに激突した時、ヤンキースのベンチはほとんど全員が身を乗り出していたが、先発投手だったペティットだけが、おもわず頭を抱え込んでしまった。転倒して立ち上がった松井のグラブにボールが収まっていたのを確認すると、今度は飛び上がって大喜び。試合後、報道陣に囲まれたペティットは、やはり最初に感謝の言葉を口にした。

「松井に助けられたのは、これが初めてじゃない。もう数え切れないよ。ホームオープナー(ホーム開幕戦)の時だって、ホームランを打っただけじゃなく、守備で僕を助けてくれたんだもの。もうなんて感謝していいか、分からないほどだ」

ワールドシリーズでは歴史に残る投手戦

 ルイジアナ州の生まれだが、テキサス州ヒューストンで育った。テキサスの英雄といえばノーラン・ライアンであり、ロジャー・クレメンスであり、豪速球ピッチャーが数多く生まれている。
 また、テキサス州は全米で一番大学野球が盛んな土地と言われ、ペティットは1990年にドラフト会議でヤンキースから22順目で指名されているのだが、いったんは大学進学を選んだ。が、翌年の5月に結局ヤンキースと入団契約を交わし、マイナーリーグに送りこまれた。ルーキーリーグから順調に3Aまで昇格し、95年4月29日に初のメジャー昇格を果たした。

 中継ぎで5試合に登板した後、5月半ばにマリアーノ・リベラと入れ代わりで3Aへ。しかし、すぐにまた声が掛かって、今度は先発でチャンスが与えられ、結局、その年は26試合に先発して12勝9敗、防御率4.17という好成績。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では3位だった。

 2年目は21勝を挙げ、ワールドシリーズ優勝にも貢献。第1戦では、ブレーブス打線に7失点という出来だったが、第5戦ではジョン・スモルツと球史に残る投手戦を展開し、救援を仰いで1対0で競り勝っている。また、サイヤング賞でも、パット・ヘンドゲンに継ぐ2位につけた。
 97年がまだすごくて、開幕から8連勝。さらに7月5日からは23イニングス連続無失点という記録を打ち立てた。

「子どもたちの学校でコーチになるのが夢」

 3人の子宝に恵まれたが、次男のジャレットはへその尾が首に巻きつき、窒息に近い状態で生まれてきたため、はらはらさせられた。

「あの時は、全く生きた心地がせず、神に祈るしか僕にできることはなかった。幸い今はもう元気だよ。メジャーリーグを引退したら、子どもたちの学校で野球かバスケットボールのコーチをやるのが僕の夢なんだ」

 ペティットにとって野球よりも何よりも大切なもの、それは家族だ。その一方で「チームメートたちも家族と同じ」と言い切る。
 98年はプレーオフの最中、父親のトム・ピティットが心臓病で倒れ、バイパスの手術を受けるアクシデントがあった。ワールドシリーズでは「DAD」と帽子に書き込み、厳しい表情で淡々と投げ続け、再びワールドシリーズ優勝に貢献した。

「こっちの選手って、『父の日』をすごく大事にしていますよね。いいことだと思います」
 という野茂の言葉が、ふと思い出された。とはいうものの、野茂も特に何もやらないそうだ。もちろんペティットは「ハッピー・ファーザーズ・デー」の電話とプレゼントは毎年欠かさない。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/08/21
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.26
松井はなぜMLBで成功した?
2つの“微調整”で成功した松井
続くのは……カズオ、それともイグチ?

 いよいよヤンキースにマジックも点灯し、松井のさらなる活躍が期待されるところだ。
 今週は2つ、松井に関して興味深い記事が掲載されていたので紹介しよう。

 一つは14日に発売されたスポーツ総合誌『Sporting News』が掲載した“ウェル・アジャステッド”(Ken Davidoff文)という3ページにわたるリポート。アジャスト、調整という言葉どおり、松井がメジャーリーグに来てツー・シーマーと呼ばれる微妙に変化する速球をほとんどの投手が使っていることに戸惑い、それに対応したことと、日本にいた当時のホームラン・バッターというイメージから変化した、という2つの“微調整”がされたことを伝える内容だ。

 一時スランプに陥ったときの、
「あの時はちょっといら立ちました。『なぜうまくいかないんだ。なぜうまくいかないんだ』って」
 という松井のコメントなどは、その心情がよく伝わってくる。

 また、同記事には“次はだれ?”というタイトルで、来季MLB入りの可能性がある有力日本人選手を紹介している。“カズオ・マツイ”、“タダヒト・イグチ”、“アキノリ・オーツカ”が筆頭となっているが、“ヒデキ・イラブ”も有力選手に……。

スターのわりに控えめな私生活

 2つ目の記事は、地元タブロイド紙『Newsday』が18日に掲載した、APの“ビッグ・サラリーにもかかわらず控えめなヤンキース・マツイの私生活”(トシ・マエダ文)というリポート。やはりタイトルどおり、松井がスター選手としては控えめなアメリカ生活を送っているを伝えるのがメインの内容だ。

 松井が日本にいる時から、チームメートとより、エージェントや記者たちとよく食事に行くことを伝えるくだりなどは、今や日本のファンには常識かもしれない。ただ、「通りでたくさんのファンに出くわすことはないですね。日中でも普通に歩くことができます」というコメントとともに、「彼は日本でトーキョーを拠点とするヨミウリ・ジャイアンツのほとんどすべての人が知るスーパースターとして、プライバシーをエンジョイしている」という部分は、マスコミ攻勢に動じないと言われる松井もつらい部分が多かったのだろうな、と思わざるを得ない。

 その点でも彼はヤンキースに移籍して正解だったのだろう。

アメリカでも阪神やカーネルおじさんが話題に

 最後にもう一つ、松井に絡んだものではないが、非常に面白い記事を見つけた。『USA Today』紙が発行している週刊スポーツ誌『Sports Weekly』に連載されている“リーディング・オフ”というコラムだ。執筆者のPaul Whiteは日本のスポーツ誌にも連載を持つ有名コラムニストで、前週から日本のプロ野球を紹介している。

 20日発売号で取り上げられている話題は、阪神フィーバー。伊良部をはじめとした選手たちの活躍はもちろんのこと、ファンの熱狂ぶりについて、各選手の応援歌を歌うこと、ジェット風船、さらには85年の優勝と、その時ドートンボリ・リバー(道頓堀)へのダイビングなどが大きな騒ぎになったことなどを詳細に伝えているのだ。ちなみにこの回のタイトルは「カーネルの呪いは深く行われる」。もちろん例の“カーネルおじさんの呪い”のことだ。
スポーツナビ 梅田香子 2003/08/15
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.24
松井と新人王を争うバルデリ
イチローの元指揮官が「松井は新人ではない」

 灰色の受験生だった時分、一番の思い出といえば、予備校で今をときめく星野仙一の講演があったことだ。引退してNHKの解説者になったばかりで、まだまだ若々しく、熱かった。巨人のスカウトからドラフトで指名すると聞かされていたエピソードはすっかり有名になってしまったが、「好きでもない女にフラれたみたい」(本人談)で、モテモテ男としては非常にくやしかったらしい。生まれ育った岡山県倉敷では中日の試合はほとんどテレビ放映されていなかったから、子供の頃は阪神ファンだった。ドラフトの後に巨人から「中日は断わって来年のドラフトを待たないか」と言われ、余計、頭にきて中日入り。巨人戦では燃えに燃えまくった。

 そういえば、松井もドラフト前は阪神を希望していたはずだ。なぜ急にそんなことを思い出したかというと、8月5日付の『セントピーターズ・タイムズ』紙でルー・ピネラ監督が、
「今年のルーキー・オブ・ザ・イヤーはロッコ・バルデリで決まりだ。松井はルーキーではない」
 とぶちあげていたからだ。

 ピネラ監督といえば、去年まではマリナーズの監督。佐々木もイチローも彼の指揮下にいて、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。

 そういえば、彼のコメントを振り返ってみると、同賞に選ばれるようにそれなりにプッシュはしていたけれど、佐々木やイチローのことを「ルーキーだ」とは言及していなかった。むしろ日本でのキャリアを尊重して彼らなりの調整方法を認めていたと記憶している。確か、いい意味で「ルーキーじゃない」という言葉を口にしていたはずだ。

『セントピーターズ・タイムズ』の記者もその辺の矛盾を口にしたらしく、ピネラ監督は笑いながらこう付け加えている。
「イチローは僕のためにプレーしていたとき、彼はルーキーだったのさ」
 いかにもピネラらしいユーモアと強引さにあふれたコメントである。

マスコミにリッピサービスを怠らない星野監督とピネラ監督

 それで懐かしく思い出したのだ。何がなんでも巨人に勝たなくては気がすまない星野投手は、キャッチャーの中尾孝義がデビューした年、原辰徳に新人王を取らせたくなくて、
「中尾は10年に一人のキャッチャーだ」
 とせっせとマスコミにリップサービスを怠らなかった。

 当時はJリーグもなく、スポーツ新聞の一面といえば必ずといっていいほど、巨人がトップだったから全国的な知名度という点で中日はかなり不利だったのである。結局、この時は、原が新人王に輝くのだが、負けず嫌いの星野は選手生活最後の1982年、この時もせっせと、
「MVPは中尾だ」
 と売りこんだものだ。無事にMVPに選ばれると中尾は真っ先にお礼を言いに来たそうだ。

ヤンキースとデビルレイズの違い

 ピネラ監督は自ら望んで自宅から近いタンパベイの監督になったとはいえ、ヤンキースOBだ。1998年の創設以来、連続最下位に低迷するデビルレイズとヤンキースとでは注目度は雲泥の差がある。単に目立っているだけではない。ビリよりも優勝争いしているチームでレギュラーをつかむことのほうが大変だと考えるのは自然な流れだ。

 そういう環境という点で、バルデリが松井よりハンデがあるのは事実だから、意識してピネラなりに売り込んでいるのだろう。だからピネラ監督がバリデリについて語る口調は、佐々木やイチローの時よりも数倍ホットなのだ。デビルレイズに常駐している日本人記者はもちろんいないし、テレビとラジオをあわせても取材記者は10人未満という日のほうが多い。シアトルでも以前は同じようなものだったが、首位戦線の常連になってからは状況が一変してしまった。

 メジャーリーグではあまり聞かないが、NBAではシカゴ・ブルズがエルトン・ブランドを売りこむために、投票権を持つ新聞記者にプロモーション・キッドを提供したものだ。洗濯せっけんをパロディにした特製の箱に、過去の新聞記事のコピーやビデオを詰め込んだユーモアあふれるパッケージだった。いわゆるワイロとは違い、大統領候補たちは選挙のときにPR会社を雇うのと同じコンセプトからきたものだと思う。

ストライクゾーンを理解していなかったバルデリ

 阪神を例にとるまでもなく、マスコミをいかにして手玉にとるかは、指揮官としての力量を測る上で、重要なバロメーターである。バルデリは名前から察しがつくとおり、イタリア系アメリカ人、21歳。190センチの長身を生かし、ロードアイランド州ではバスケットボールとバレーボールの選手として知られていた。兼業プレーヤーは珍しくないが、バルデリの場合は、かなりの比重がバスケットボールにいっていて、プロ入りするまで野球選手としてはまだ未完成だった。マイナーでの1年目はほとんど四球がない。ストライク・ゾーンが理解できていないから全部の球を振りにいってしまったのである。

 昨年、マイナーリーグの最優秀選手に選ばれているのだが、柔らかい手首と上体を生かし、「流し打ち」を覚えたのは大きかった。それまではともかく来た球を思い切り打って、「ひっぱる」しか頭になかったのだ。日本だったら中学生でも「流し打ち」はマスターしていると思うのだが……。

 それだけ魅力的な素材と言えて、4月は40本のヒットを放ち、これはルーキーとしてはメジャーリーグ初。足が速いから外野の守備範囲が広く、鉄砲肩というほどではないが、コントロールがいいから野手としても合格点だ。労使協定で決められた最低保障年俸の30万ドルで今季はプレーしている。

松井とバルデリが頭ひとつ抜けた新人王レース

 「松井はすごいよね。成熟したバッターだと思う。勝負強いし、何でもできるんだもの」
 というのがバルデリの松井評である。

 ちなみに松井のほうはバリデリについて、
「まだよくは知りませんが、ちょっと見ただけで力強さも、うまさもスピードもある。守備範囲も広くて肩も強いですね」

 クリーブランドのジョディ・ゲルトやカンサスシティのアンジェル・ベロアも有力だったが、バリデリと松井が他の候補よりも頭ひとつ分リードしている感じだ。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/08/14
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.25
MLBベスト3に松井の名前は?
格別に“フォーカス”されなかった3度目の日本人対決

 8日、9日、10日とヤンキー・スタジアムで行われたヤンキースとマリナーズの3連戦。夏休み期間中ということもあって、スタジアムのみならずマンハッタンの街中でも普段より日本人の姿が目立っていた。

 イチローと松井の対決だが、既に3回目ということもあってか、今回は4月の初対決時のように大々的に扱った地元紙は皆無だった。連戦中の報道でも、『New York Post』が11日付のゲームレポート中で「イチローが打席でも、守備でも松井を上回った」と評した程度。『New York Times』が25インニング無失点を記録した“敵”長谷川の写真を大きく載せたりはしたが、格別“日本人対決”がフォーカスされるようなことはなかった。NYがそういった報道で沸き返っていることを期待して来られたファンの方々にはちょっと残念だったかもしれない。

 また、2度目の“あと1本でサイクルヒット”だった11日のロイヤルズ戦での打撃爆発についても、試合自体が9対12という乱打戦で、しかも負けたために取り上げられることがなかった。これも松井とファンにとってはちょっとアンラッキーだったかも。

イチローがMLBを代表する選手であることを実感

 さて、先週、『USA TODAY』が賞レースを予測する記事を掲載し、松井を2位としたことを取り上げたが、今回は老舗ベースボール専門誌の『Baseball America』が最新号で組んだ“Best Tools”という記事を紹介したい。

 この特集は『USA TODAY』とは違い、“ベスト・ヒッター”、“ベスト・パワー”、“ベスト・カーブボール”といった風に同誌独自のカテゴリー分けで、各リーグのベスト3選手をランキングしたもの。

 ア・リーグではイチローがベスト・ヒッター、ベスト・バンター、ベスト・ベースランナー、最速ベースランナー、守備部門ベスト外野手、べスト強肩外野手、最もエキサイティングな選手、の実に7部門でトップに輝いた。これを見るとイチローが本当にMLBを代表する選手であることがあらためて実感される。

現状では厳しい松井の評価

 では、松井はというと、残念なことに1部門もランクインしていない。新人という部門はなく、ベスト3ではちょっと無理か。というか、イチロー以外、日本人はだれもランクインしていなかったりする。かなり残念であるが、それが現状ということだろう。

 ちなみに専門誌らしく、このランキングはメジャーだけでなく、3AからAまで行われている。ここでもアジア系の選手の名前がパラパラと出てくるのだが、日本人の名前はなかった。未来のメジャー選手たちの活躍にも期待したいところだ。

 長かったシーズンも残り約1カ月半となった。松井は専門家たちの評価を一変させるような活躍をしてくれるだろうか。
スポーツナビ 梅田香子 2003/08/08
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.23
トレードは野球を面白くする!
日本でもおなじみ…7月31日のドタバタ劇

 日本のファンにも、もはや7月31日のドッタンバッタン駆け込みトレード騒動は、すっかりおなじみになったのではないだろうか。何しろ北米では東と西とで時差が3時間あるため、ニューヨーク方面では夜中の12時を回っていても、ロサンゼルス方面ではまだ夜9時なのだからゼネラル・マネージャー(GM)も選手もまったく気が抜けなかった。8月以降もトレードは行われるが、この日までに取引をまとめなければ、新しいチームの一員としてポストシーズン(プレーオフ)に出場することができない。

 米記者たちも朝刊に間に合うかどうか、ハラハラしっぱなしなので、普段とは顔つきがまったく変わってしまい、記者席はいつもとは違う空気が立ち込めていた。今は携帯電話が普及しているからそうでもないが、ほんの数年前まで電話線の取り合いだった。

 もっとも今は西海岸時間の午後1時がデッドラインになったので、前ほどはドラマチックではなくなった。早い時間のデーゲームならともかく、アスレチックス時代のホゼ・カンセコのように、試合の途中、ベンチに呼び出されて電撃トレードを通告される光景などは当分は見られそうにない。

リーダー格のベンチュラを出したのは吉か? 凶か?

 さて、ヤンキースがロビン・ベンチュラを放出して、レッズからアーロン・ブーンを獲得したのは既報されているとおり。ベンチュラといえば投げるのは右だが、貴重な左バッター。広角打法でしかもパワーがある。守備もややポカミスが多いが、堅実なオールラウンド・プレーヤーだ。陽気なカルフォルニア男で、松井にもよく話し掛けていたし、マスクも甘いからファンの人気も抜群だった。

 いかに打撃不振が続いていたとはいえ、チームのリーダー格だったベンチュラを切ってしまって凶とでるか、吉とでるのか。まだ35歳なのだから、老け込むような年齢ではない。

 というのも、いくら野手に故障者続出とはいえ、ヤンキースの補強のポイントはやはり3塁手よりもピッチャーだ。ベテランが多いだけに、後半戦のスタミナが心配される。先発もブルペンも生きのいい若手を加えて、平均年齢を下げたいところだ。

 ところが、フタを開けてみればヤンキースは若手ピッチャーとして、ホゼ・コントレラスについで首脳陣から期待されていたブランドン・クローセンとチャーリー・マニングをレッズに放出。見返りにマリナーズはアーロン・ブーンと中継ぎのゲーブ・ホワイトを得た。

MLBで一番注目を集めるブーン一家

 ブーンと言えば、今年メジャーリーグで一番注目を集めているファミリーと言っていい。一番有名なのはマリナーズの2塁手ブレット・ブーンかもしれないが、アーロンはその弟で、この7月のオールスターゲームには兄弟で出場。父親のボブは過去4度、祖父のレイは2度出場していて、歴史の長い大リーグでも4人の選手をオールスターに送りこんだ家族はこれが初めて。

 ボブはレッズの監督だったから息子より早く出場の通知を知らされ、感動のあまり泣き出してしまったほどだ。アーロンはオールスター前日の記者会見でしみじみと語った。
「父が泣くのを見たのはこれで2度目。1回目はダリル・カイルが亡くなったときだ」

 カージナルスの投手ダリル・カイルがシカゴ遠征の際、いつまでたっても球場に現れず、GMが宿泊先のホテルに電話して部屋のドアを開けてもらったところ、ベッドに横たわったまま冷たくなっていたのは、昨年の6月だった。くしくもオールスターの記者会見が開かれたのと同じホテルでの出来事だったのである。

 とはいえ、7月28日にはレッズがブーン監督を更迭。GMら首脳陣も同日に解雇され、有力な選手を次々と放出しはじめた。あまりに露骨なリストラだったため、
「チームを売るのはやめろ!」
 などと書かれたプラカードが観客スタンドに登場したほどだ。

 アーロン本人も、
「父が監督をやめさせられたからじゃない。まだシーズンは半分残っているのに今季を捨ててしまったようなフロントのやり方に僕はついていけないだけだ」
 と不満を口にするようになり、トレード先は兄のいるマリナーズを希望していた。

 マリナーズの方もジェフ・シリーロ、マーク・マクレモア両3塁手が打撃不振にあえいでいたため、アーロンの加入は願ったりかなったり、まさに相思相愛と言えた。ところが、ここでヤンキースの横恋慕が入ったのだ。

 マリナーズは「それなら……」と、ベンチュラのトレードを申し込んだ。それなりの見返りとしてエースのフレディ・ガルシア投手の放出まで覚悟したと言われている。

アーロン・ブーンのトレードで見えた駆け引き

 ところが、ヤンキースの返事はノー。ベンチュラをナ・リーグのドジャースに出してしまった。もともと3塁手をさほど必要としているチーム事情ではなかったのだ。ヤンキースがマリナーズが強くなるのを恐れた、ととられても仕方があるまい。このたぐいの駆け引きは、勝負ごとにはつきものだ。だからこそ、強いGMのいるチームは強くなる。

 アーロン・ブーンはまだ30歳になったばかりだから伸び盛りだし、ベンチュラはベンチュラでこれをバネにして新天地で頑張るはずだ。
「トレードがどれだけ野球を面白くしているか、日本のファンに理解してもらいたいんですよ」
 ずっと昔、まだ大リーグ入りする前に木田優夫投手が口にした言葉がふと思い出された。
スポーツナビ 渡辺史敏 2003/08/07
『GODZILLA MEDIA WATCHING』 VOL.24
米有力紙「松井は新人王レースで第2位!」
チーム新人最多打点記録の更新を示唆

 最近の松井はマルチ安打がなく、いまひとつの調子といった印象だった。だが、5日のレンジャーズ戦では、1安打に終わったものの、その1本が勝ち越しの13号ホームランとなった。本人が「自分の中ではほぼ完ぺきにとらえられたと思う」という一発で、完全復活へのアピールとなってほしいものだ。

 NYの各紙は、この本塁打をゲームリポートの文中という形ではあるが伝えている。タブロイド紙の『Daily News』の場合、「マツイは13号ホームランを外野席に運び、3対1とヤンキースがリードした」(Peter Botte文)とこの打席を伝えた後、
「乗っているマツイの大リーグ最初シーズンでの打点は80に達した。ちなみにヤンキースの新人最多打点は1962年にトム・トレッシュが記録した93である」
 と、松井がチーム新記録を打ち立てる可能性を示唆した。

 さらに「ここ(アメリカ)のピッチングにも慣れてきたので、ホームランの可能性は多分高まっている」という松井の通訳を通したコメントも掲載されている。さらに「でもそれを狙いにいっているわけではないです」という言葉が添えられているのは、松井の謙虚さを伝えるためだろうか。

プレーオフ出場権とともに関心を集める個人賞の行方

 さて、シーズン後半になるとプレーオフ出場権とともにファンが関心を寄せ始めるトピックのひとつが個人賞の行方だ。

 全国紙の『USA TODAY』は4日、スポーツ・セクションで早くも個人賞レースを予想する記事を掲載した。Mel AntonenとRod Beatonの2人の記者が予想しているのだが、彼らがこの記事で今シーズン「最もホットな議論を生むであろう」としているのが、ア・リーグの新人王で、しかもその中心人物というのが松井であったりする。

「首位のチームにいて、2割9分7厘、12本塁打、78打点(3日時点)は賞に値する。たとえ彼がアメリカに来る前に10年間日本でプレーしていたとしても」
 という表現が示すとおり、“果たして松井は新人なのか”という点が議論を呼ぶだろうというのだ。

 この議論が野茂やイチローのときにも起こったものであることは、ファンならよく知っていることだろう。実際、今回の記事でもイチローが受賞したときのことを紹介している。その上で今回の問題提議とも言えるのがそれに続く個所だ。
「松井(の成績)とともに、議論が戻ってきた。ただ(以前と)様相は違っている。マツイの成績は良いものだが、(ほかに)手ごわい受賞候補が数人いるからだ」

 つまり打率と盗塁でトップの成績を残したイチローは、この“新人議論”を吹っ飛ばすことができたが、現在の松井の成績ではそうもいかないだろう、というのだ。

 その上で同記事は、現在のア・リーグ新人王候補のトップにデビルレイズのロッコ・ボルデリを選び、第2位に松井を選んでいる。ちなみに松井の評価は「パワーはないが、クラッチの面で良い」という勝負強さを賞賛したものだった。

 イチローが初年にアメリカ球界に与えた衝撃は確かにすごいものがあった。しかし、松井も今後の活躍次第で疑問の声を封じることは十分可能だ。堂々の新人王に向け、固め打ちが出ることをぜひ期待したい。
スポーツナビ 梅田香子 2003/08/04
『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.22
松井をヤンキースに導いた男
アメリカでは生涯3人以上の弁護士が必要

 新聞には連日、コービー・ブライアントのスキャンダルが大きく取り上げられていて、「RAPE」という文字が見出しに飛び交っているので、小学生の娘の目に触れないように気を遣う。逮捕されたのは事実ではあるけれど、まだ「容疑者」であって「犯人」と確定したわけではないから、この件については裁判の結果を待ちたい。

 さて、松井とブライアントには一つの共通点がある。それは同じエージェント、アーン・テーラムと契約している点だ。

 松井は大リーグ入りを表明した当初、弁護士の叔父や大リーグ事情に詳しい広岡勲氏が新聞社を退団してバックアップしてくれるという背景もあって、
「代理人は使わない」
 と発言していた。

 確かにエージェントはいなければいないで何とかなるもので、巨人からメッツ入りした柏田投手は、
「英語は分からなかったから、Iさん(スポーツ新聞の記者)に契約書を翻訳してもらい、サインしてもらいました」
 とさばさばしていた。けれども、柏田も北米での滞在がもっと長引いていたら、そうはいかなかったはずだ。

 確かにエージェントを雇わない主義の大リーガーだって何人かはいる。チッパー・ジョーンズ(ブレーブス)もフランク・トーマス(ホワイトソックス)も以前はそうだった。しかし、彼らだって弁護士には何度も世話になっている。昔から、
「アメリカで生きていくのならば、生涯で3人以上の弁護士の世話になるはずだ」
 とセオリーになっていて、ともかく契約社会なので契約書が非常にぶ厚い。家屋の購入も労働ビザの申請も会社の創設も、弁護士の力を借りなければ、ここではシロウトでは容易に着手できないシステムになっているのだ。松井と彼のブレーンたちの選択は、正しかったと言わざるを得ない。

表ざたにならない日本駐在員たちの逮捕

 実は表ざたにしたがらないだけで、日本人の駐在員社会からも、ちょくちょくと逮捕者は出ている。ビーチでの飲酒は禁止されているのに缶ビールを飲んでしまったり、子供を車に待たせて買物に行って逮捕されたり、はたまた、道端のダフ屋からチケットを買ってしまったり……。これはフロリダが特に厳しくて、手錠をかけて連行されていた。

 実は筆者の夫もブライアントと同じ年齢のとき、10歳年上の元ガールフレンドから訴えられた。90ドルの保釈金を払い、裁判に行ったら30秒足らずで「無罪」の判決が出て、全額返してもらえた。それは弁護士の予想通りだったが、訴えた女性が夫と小さな子供2人を裁判に同伴していたのには「さすがアメリカ人…」と仰天させられたものだ。閑話休題。

松井の代理人は「トラブル処理のエキスパート」

 さて、テーラムは昔も今もカルフォルニアのサンタクララに事務所を構えていて、『USAトゥデー』紙で「トラブル処理のエキスパート」という記事になったことがある。グラウンドの内外で乱暴者だったアルバート・ベルの代理人として奔走したし、1997年12月にNBAのラトエル・スプリーウェルがヘッドコーチの首を絞めあげた事件でも、名をはせた。

 松井がテーラムとエージェント契約を交わす前後、日本のマスコミ関係者から筆者のところへ問い合わせの電話が何本もかかってきた。
「空港でアーン・テーラムを待ち伏せしたいから顔写真を送ってほしい」
 とも頼まれた。テーラムなら何度も取材したことがあるけれど、あいにくエージェントと記念撮影する趣味は持ち合わせていなかったから、
「拙著「スポーツ・エージェント」の81ページに載っています」
 と答えておいた。そのページには、スプリーウェル事件で、テーラムがO・J・シンプソン裁判で有名になったジョニー・コクラン弁護士をすぐに雇ったとき、3人が並んで記者会見を受けている写真がたまたま載っていたのである。これはAP通信が撮影したものだったから、さっそく同じ写真をゲット。けれども、成田空港には待てども待てども、テーラムは姿を現さなかった。

本場エージェントの態度と対応に感動

 所変わって大阪空港ではカージナルスの田口壮が帰国する旨が通達されていたため、大勢が待ち構えていた。そして、なんという偶然か、テーラムはたまたま田口と同じ便に乗り合わせていたのである。もっとも写真と違ってメガネをかけていなかったため、気がつく人は少なかった。ところが、ハイヤーの運転手がテーラムの名前を書いたプラカードを掲げていたため、「お、これは!」となった。

 そこへテーラムが現れたので、各社ともハイヤーを追い、宿泊先のホテルまで押しかけて緊急記者会見。彼の紳士的な態度と誠意あふれる対応に、
「さすが本場のエージェントはポッと出の××や○○と違って、ヤクザなところがない」
 と居合わせた記者は皆、感動したそうだ。

 誠意と言えば、ホテルも今はどこも経営が苦しいせいか、記者会見のために借りた宴会場はしっかりと使用料を要求されたそうだ。写真週刊誌も含めた20数社のマスコミがこれを割り勘にし、ホテル側は全社に1枚ずつ領収書をきちんと発行してくれた。これも閑話休題。

 テーラムの事務所は、マイケル・ジョーダンのエージェント、デビッド・フォークもそうしたように、SFX社に吸収合併され、テーラムは同社のバスケットボール選手部門の責任者という地位にある。あのベッカムも同社のクライアントだ。

 松井をきっかけに日本への進出が本格的になりそうなので、これが日本のプロ野球にとって吉なのか凶なのか、あと2-3年でとりあえずの結果がでるのではないだろうか。