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Columnコラム

ブログ報知 もうひとつのMLBスクラップ メジャー担当・楢崎記者のブログ 2010/03/18
名将は遅れてやってきた。
3月15日。エンゼルスとドジャースの
オープン戦。名将は遅れてやってきました。

ドジャース・トーレ監督と松井選手の対面の
瞬間を見ようと、指揮官の到着を待っていたのですが、
試合開始前に現れず。前日まで台湾遠征に行っていた
影響で来られなかったのかな・・と思いましたが、
キャンプ地・グレンデールでの紅白戦の視察などで
到着が遅れるということでしたので、記者席から
監督の登場を待っていました。

すると開始30分もしない頃、
右翼線付近のフェンスが開き、ゆっくりと
名将は入ってきました。

場内はトーレ監督の登場で騒然。
試合中にもかかわらず、拍手と歓声で
出迎えられました。

エンゼルスのファンやアリゾナの野球ファンの
監督に対する人気の高さがうかがえました。


松井選手が打席に入ると、
「マツ!」と声をかけ、帽子をとってあいさつ。

絵になります。

松井選手もヘルメットをとって、あいさつ。

この日、2人は対面しませんでしたが、
言葉はいりませんでした。
(まぁ、レストランで会っていたらしいですが)

松井選手とトーレ監督は
ここにも(http://weblog.hochi.co.jp/narasaki/2009/11/post-cae3.html)

書きましたが、
師弟関係にあります。
「ここまでやってこれたのは監督のおかげと
思っていますし、感謝しています」と
試合後、改めて敬意を表していました。

トーレ監督は松井選手について、
こう語っていました。

「ピンストライプとはえらい違いだけど
ユニホームは似合っていたよ。まだひざは
万全ではないだろうけど、きっと守備につくことも
できる。スピードもないけれど、彼は一生懸命に
プレーする素晴らしい選手。敵にするのは本当に嫌な選手だ」

03年から08年、苦楽をともにしてきた恩師と弟子。
昨年は対戦がなかったため、2010年は
初めて対戦します。
ドジャース対エンゼルスのLAハイウェイシリーズ。
松井選手のまた新たな戦いの歴史、名場面が刻まれるでしょう。

約30分離れたエンゼルスのキャンプ地まで
自分の運転で、しかも大きな車で1人でやってきたトーレ監督。
日本報道陣にも慣れているため、カメラマンの写真撮影などにも
快く応対。非常にフレンドリーな方でした。

そして、颯爽と車に乗り込み、
帰って行きました。
70歳に近い年齢には思えない、
かっこよさがありました。
MATSUI55.TV 2010/03/15
オープン戦真っ只中
は-い、皆さん、こんにちは。松井秀喜です。

今はですね、オープン戦真っ只中という感じですね。
松井秀喜も順調に開幕に向けて調整しているところです。

ここアリゾナはですね、非常に気候が良くてですね、砂漠地帯という感じなんですけど、
体も非常に動きますし、開幕に向けて非常に良い準備が出来ていると思います。

これからですね、シーズンに向けてしっかりした準備をしていって
良いシーズンになるように頑張りたいと思います。

また皆様、是非ですね、今年の新しいエンゼルスの松井秀喜を楽しみにして下さい。
必ず今まで以上のプレーをお見せしたいと思います。頑張ります。
MATSUI55.TV 2010/03/12
今年はエンゼルスで
は-い、皆さん、こんにちは。松井秀喜です。

ご無沙汰しております。
今年からですね、この真っ赤なユニフォーム、そして帽子ですね、身を包んでプレーすることになりました。
これまで同様のですね、皆さんの声援を宜しくお願いします。

今年からニューヨークからロサンゼルスに場所を移して頑張りますので、
今までよりだいぶ近くなりますので、ニューヨークは遠いなと思ってた方も、
ロスなら行けるんじゃないかと思ってくださることを期待しております。

ロサンゼルスの球場もすごい良い球場ですし、チームも非常に良いチームです。

今年はエンゼルスでワールドチャンピオン目指して頑張りますので、応援よろしくお願いします。
スポーツナビ 出村義和 2010/03/05
松井秀、レフト復帰へ心強い同僚の存在
 オープン戦開幕日の3月4日(現地時間)、松井秀喜の名前はスターティングメンバーにはなかった。真っ青に晴れ上がったアリゾナの3月。待望のシーズンが巡ってきたというのに、彼はまだフィールドには立てない。ひざとの厳しい戦いはもう2年以上も続いている。
 だから、マイク・ソーシア監督は慎重な姿勢を崩さない。
「ヒデキのコンディションは予想以上にいいが、まだ試合に出られる段階ではない。3、4試合は欠場してもらうことになる」
 松井秀と話し合って決めたことだという。昨年のように疲れから腫れ上がり、水を抜かざるを得ないような事態を避けたい。外野手としての復帰どころか、打撃に悪影響を及ぼすことになったら元も子もない。それがエンゼルスでのデビューを遅らせた理由だ。
「目指すのはレギュラーシーズンの開幕戦であって、オープン戦ではない」と、松井秀はメジャー8年目を迎えたベテランらしくどっしりと構えている。もちろん、悲壮感などない。むしろ、周囲には明るいムードが漂っている。

メジャー屈指の人格者ハンター

 そのムードメーカーになっているのが、チームリーダーのトリー・ハンターだ。松井秀の右隣のロッカーの主でもある。
「エンゼルスはファミリー色の強いチーム。彼はもうファミリーの一員になっている。よくジョークも飛ばすし、面白いヤツだよ。近いうちにボビー(アブレイユ)と3人でステーキでも食べに行こうといっている。誰が払うかって? そりゃ、マツイに決まっているだろ、ワッハッハ」という調子なのだ。
 実績主義のメジャーリーグだが、どんなベテランでも移籍1年目というのは、チームでの居場所を見つけにくいもの。これまで、そういう例を数多く見てきた。しかし、エンゼルスにはメジャーでも指折りといわれる人格者のハンターがいる。しかも、松井秀が左翼手として復帰すれば、その隣を守るのだ。いうまでもなく、ハンターは9年連続ゴールド・グラブ賞を受賞している現役メジャー最高の中堅手だ。
「ひざの影響で守備範囲が狭くなっても心配しないでくれ。その分、オレがしっかりカバーするから」と、力強く語る。

チームメートに恵まれる松井秀の運

 これも松井秀の運なのかもしれない。2003年、ヤンキースに移籍してきたときも、チームメートに恵まれた。特に、三塁手のロビン・ベンチュラは何くれとなく面倒をみていた。ハンターとは違うタイプの選手だったが、温かい気持ちの持ち主であることは長年の取材を通じて感じていた。
「ベンチュラは本当にいい人ですね」と、当時の松井秀は何度も言っていたものだ。
 ハンターはまさにベンチュラ的存在になりつつある。
「マツイがヤンキースに入ったときからずっと注目してきた。プレッシャーのかかる場面で随分痛い目に遭ってきた。そういう選手と同じチームでやれることになったのはとてもうれしいよ。毎年100打点を期待できるブラディミール・ゲレーロがFAで去ってしまったが、マツイが間違いなくやってくれる。チームメートとして彼のために力になれることがあれば、何でもするつもりだ」
 エンゼルスはゲレーロのほかにも1番打者のショーン・フィギンズがマリナーズ、エースのジョン・ラッキーがレッドソックスに移籍し、昨年までに比べると戦力ダウンは否めない。必然的に松井秀に対する期待は高まる。
 しばらくは忍耐力を求められる局面が続きそうだが、チームメートの心強いサポートを得て、左翼手としてよみがえる日が遠からずやってくるに違いない。
NHKスポーツオンライン 2010/03/01
エンジェルス松井秀喜選手 ゼロからのスタート
昨年のアメリカンリーグ・チャンピオンシップシリーズ。
ヤンキースは、地元ヤンキースタジアムで行われた第6戦に、5対2で勝利、エンジェルスを退け、6年ぶりとなるワールドシリーズに駒を進めた…。

歓喜にわくヤンキースのクラブハウス内で行われたシャンパンかけ、盛大に騒ぐだけ騒ぎ、新たに開けるシャンパンもなくなり、お祝いもお開き、という頃。
反対側にあるエンジェルスのクラブハウス、ひっそりとしたその部屋からあるエンジェルスの選手がひとり、帰りのチームバスへと向かった。

トリー・ハンター選手。
かっちりとしたスーツに身を包み、ゆっくりとややうつむき加減で出て来たハンター選手。
悔しさを隠そうとせず、「せっかくここまできたのに、ワールドシリーズに行けないなんて…」
そんな悔しい想いのなか、「君たち(日本のメディア)はこの先も行くんだろ?そういえばマツイは契約最終年ってきいているけど、日本に帰っちゃうのかい?まあそんなわけないか…。彼にGood Luck!(グッド・ラック!)と伝えておいてくれよ」
最後はにっこりと笑って、長い通路の先に消えて行った。

その先の松井選手の活躍についてはあらためてここで触れる必要はないだろう。

現地時間2月23日、アリゾナ州テンピ。
エンジェルスの松井秀喜選手の2010年が始まった。

2007年、2008年と相次いで右、左のひざにメスを入れ、その翌年のキャンプでは思うように調整ができなかったが、今年はちがう。
2008年に手術した左のひざはまだ万全とはいえず、練習メニューも負担の大きいランニング系のものはまだできない。
それでも昨年はほとんどできなかった守備練習をキャンプ初日から精力的にこなした。
新しい色のグラブをはめ、アリゾナの雲一つない青空にきれいに映える緑の芝の上で白球を追う、その表情は昨年のキャンプ時よりもはるかに明るい。
そしてその明るい表情の横には、先のハンター選手がいる。
言うまでもなく、今年この2人はチームメイトとなった。
同じ外野手ということで、練習がいっしょになる事が多いということもあり、グラウンドでよくこの2人が話す姿を見ることができる。
そしてそういった場合、必ずといっていいほど松井選手は明るく笑っている。

あの時のヤンキースタジアムでの会話を覚えていてくれたハンター選手。
「あの時はまさか、今年マツイとチームメートになるなんて夢にも思わなかったよ」

この上なく陽気で、熱い。
メディアに対してもとても親切でサービス精神旺盛、もちろんファンもとても大事にする、誰からも愛されるキャラクター、根っからのチームリーダーと言っていい。

「すばらしい、頼りがいのある選手が入って来てくれた。ただナンバーワンはいつだって俺だけどね」
話せば話すほど、そのユーモアのセンスとナイスな人柄を感じさせる。

またこのチームには、2006年から08年まで、ヤンキースで松井選手とチームメートだったアブレイユ選手もいる。
ジーター選手(ヤンキース)、松井選手とは同い年の35歳、ヤンキース時代はこの3人のうち誰が一番先に結婚するかでカケをしたこともあるという。
2008年に松井選手が先を越し、ジーター選手も今年のオフには結婚という報道が出ていると水を向けると、
「何だって、ジー(ジーター選手)もかい!まあ僕はあせらずにゆっくりいくさ」
ハンター選手とはちがい、あまり感情を表に出すことはないが、静かに内で闘志を燃やすタイプ、ただこちらも負けず劣らずのナイスガイだ。

そしてこのチームを指揮するマイク・ソーシア監督。
細かい緻密な采配で知られるため、神経質な監督かと思われる向きもあるが、本人はいたって陽気な方である。
キャンプでの練習中も笑顔で選手とのコミュニケーションを欠かさず、また練習自体にも積極的に参加している姿をみかける。
元キャッチャーらしい大きな身体の持ち主、その身体で選手に混じってベースランニングをしたりしている。
1塁から2塁をまわり3塁へ滑り込み…しかし、ベースに足が届かない…周りの選手は大笑いだ。

赤いユニフォームにはまだ目新しさを感じてしまうものの、新しいチームで、新しい仲間と練習する松井選手に戸惑いは見られない。
ハンター選手やアブレイユ選手と笑いながら話す表情には、昨年のこの時期にはなかった明るさが感じられる。
キャンプ初日の練習後、新しいチームの感想を聞かれた松井選手。
「家庭的な雰囲気、みな家族みたいな感じを受けました」
『ゼロからのスタート』。
2010年、エンジェルスの松井秀喜選手はこの新しい仲間たちとワールドチャンピオンを目指す。
ブログ報知 もうひとつのMLBスクラップ メジャー担当・楢崎記者のブログ 2010/03/01
外野手・松井秀喜の生みの親
エンゼルス・キャンプも6日目を
迎えました。

今日はあいにくの雨。
松井選手も室内練習場で軽めの練習
となりました。

移籍後の初のキャンプとあって、
解説者のプロ野球OBの方々が、
球場を訪れています。テレビの仕事の
関係で、元ヤクルト監督の古田敦也氏、
元ロッテ投手の小宮山悟氏ら、
顔ぶれも豪華。

そんな中、松井選手の外野守備を
当時の記憶とともに見つめている
人がいました。

元巨人のヘッド・コーチの
須藤豊氏です。


松井選手が巨人1年目の時、
ヘッドコーチを務められた方。

その頃から、アリゾナへは
斎藤雅樹投手、緒方耕一外野手、
井上真二外野手らを連れ、
トレーニングしに来ていました。
当地を気に入り、今はアリゾナに
住まいがあります。


以前、松井選手に17年前、初めての
宮崎キャンプについて聞いたことが
ありました。

「いきなり須藤さんに
『外野に行け』って言われて」

93年、入団1年目の春季キャンプ。
星稜高(石川)で三塁手だったため、
内野手用のグラブを用意して臨みましたが、
突然の外野コンバート指令を受けました。
経験のない外野ノックではフライも捕球できなかったと言います。
「あの時は何が何だかわからないまま、終わっていきましたね」と
苦笑いを浮かべていました。

須藤さんは外野手・松井秀喜の生みの親なのです。
当時のキャンプでコンバートを長嶋監督に進言。

練習では松井選手を
ブルペンに連れ込み、外野手の送球のフォームを
指導したそうです。

今のキャッチボールの姿をみて、
「体は大きくなったけど、
人間、”クセ”は、直らないものだね」
と元コーチの目を光らせていました。

また、ずいぶん松井選手の
遅刻グセにも悩まされたようで、
「アイツは集合時間にいなくてねぇ。
ただでさえ目立つのに。いなかったら
もっと目立つ。よく叱ったものだよ」
と遠くを見つめていました。

あれから15年以上たっても
その2つの”クセ”は変わっていません。
そんな松井選手を見て、うれしそうでした。


グラウンドレベルにおりて、松井選手の打撃練習も
じっくり見た須藤さん。
「表情がアリゾナの空のように
明るかったから安心した。
やっぱり、青い空、緑の芝生にくると
燃えるよね。」とキャンプ訪問に感無量の様子でした。


そして
「これでウーロン割飲めたら、最高やね」
と話し、ご気分良く、訪問を終えられました。


須藤さんには
松井選手を外野にさせたのは自分だという自負と、

巨人時代、人工芝でずっとプレーをさせてしまったことで
ひざを悪くさせてしまった・・・という申し訳ない思いもどこかにあるようです。

そんな教え子が、また外野守備に就こうと奮闘している。

他の誰もが、持っていない「特別な思い」を胸に秘め、
松井選手の姿を追っていたのでしょう。

松井選手が外野復帰した時、
須藤さんの心のつかえも少しはとれるのでは
ないでしょうか。