MATSUI55.TV
2010/04/30
僕の赤いユニフォーム
はい、皆さん、こんにちは。松井秀喜です。
シーズンも始まってですね、少し経ちましたが、エンゼルスのスタート、
だいぶ皆さんもですね、僕の赤いユニフォームにも慣れてきたんじゃないかなと思っております。
今年はですね、昨年できなかった左ひざを痛めてから全くできなかった守備をですね、
久しぶりにできるようになりました。
今ようやく数試合守っていますが、今のところ順調に膝も問題なくできていると思います。
今年はですね、また守備につく松井秀喜をたくさん皆さんにお見せできたらいいなと思っております。
もちろん、皆さんの本当の楽しみはバッティングだと思いますので、
これからもガンガン打てるように頑張っていきたいと思います。
応援して下さい!
毎日新聞
2010/04/27
チームプレーに徹し…松井秀喜1000安打
大リーグ・エンゼルスの松井秀喜は26日、インディアンス戦に4番・指名打者で出場、第3打席の五回に右前打を放ち、大リーグ通算1000安打を達成した。大台の到達は五回の第3打席だった。カウント2-2からの5球目。状態の良さを表すように緩いチェンジアップにも、しっかりと踏ん張って右翼前にはじき返した。両ひざのけがに泣かされ、再起をかけた8年目にふさわしい当たりだった。
すっかり人気が定着してきた新4番の節目に観客が沸いた。本人は「ちゃんとやりましたよ」と言ったが、声援に応えてヘルメットを掲げた高さも時間も控えめ。「正直、特別な感想はない」と話したように個人記録に関心を持たないらしい。試合後にソーシア監督から日本での通算安打数を聞かれても、覚えていなかったという。
むしろ「どんな時でもチームの勝利が一番」という松井秀らしさを見せたのは、日米通算1500打点にあと「2」と迫った1回の左犠飛だ。1点を先制した後の無死二、三塁で相手投手は初顔合わせのハフ。追い込まれたら見覚えのない軌道の球が来るかもしれない。「三振はしたくない状況」と考えた松井秀は、打者が有利なカウント2ボール1ストライクから外角の少し難しい変化球にあえて手を出した。
もし記録を意識して安打を狙うなら待ってもよかった。それでも外野フライでもいいとばかりに振った一打をソーシア監督は「状況に応じた打撃」と称賛した。そんなチームプレーに徹する35歳が積み上げてきた記録だったからこそ、周囲が大いに喜んだのだろう。本人もその反応を「意外だった」と話した。
NHKスポーツオンライン 堀江慎吾
2010/04/27
松井秀喜とデレック・ジーター
4月13日。2010年シーズンがスタートしてから1週間。
遠征からシーズンをスタートしたニューヨーク・ヤンキースは、本拠地ヤンキースタジアムで、今シーズン最初の試合をむかえた。
試合前には、昨年のワールドシリーズ優勝を祝うリング(指輪)授与式が行われる記念すべき日にヤンキースの相手をつとめるのは、ロサンゼルス・エンジェルス。
そのエンジェルスの一員として“去年までメンバーだったヤンキースと戦うためにやってきた”松井秀喜の会見が設けられた。
多くの日米報道陣から様々な質問が飛び交う中で、盟友でヤンキースのキャプテン、デレック・ジーターのことについて聞かれた松井の答えに耳がとまった。
「ジーターは、僕の最も尊敬するプレーヤーですし、また素晴しいチームメートだったし、友人です。ワールドシリーズ以来だと思いますけど、久しぶりに会って話をしたいと思います」
松井がジーターを良く思っていることは知っていたが、「最も尊敬をするプレーヤー」という言葉を聞くのは初めてだったからだ。
実はジーターも、松井のことを“特別な選手”として見ていた。
シーズン前のスプリングトレーニングでは、こんなことを言っていた。
「(松井は)自分のこれまでの野球人生の中でも特別気に入っている選手の一人だよ。いつもチームを第一に考えていた。自分のことについて話をするようなことをしなかったし、言い訳をするところも見たことがなかった。本当のプロフェショナルだと思ったよ」
「松井のいつも自分よりもチーム、という考え方を尊敬していたよ。自分も同じような考えを持っていたし、それをわかってくれていたのだと思う。松井と僕の関係は、お互いを尊敬する気持ちの上に成り立っていると思うよ」
お互いを“トシヨリ(年寄り)”とからかいあう松井とジーター。
ともに1974年6月に生まれの35歳。
2人とも、幼い頃から好きな野球をずっとやり続け、高校卒業後、プロ野球選手の道を選んだ。
そして、松井が2003年に渡米してから7年間チームメートとして過ごした。
その日々の中で見えたお互いの野球に対する考え、野球へ取り組む姿勢、さらには人間として大切に思うところに、一致するものがあり、また自分にはない新たな一面を知り、心打たれるものがあったのだろう。
だからこそ、お互いを尊敬し合う関係があるのだと思う。
そんな2人も、今年は同じベンチで喜び、悔しがり、手をたたき合うことはない。
複雑な気持ちもあるだろう。
グラウンドでは、ワールドシリーズ優勝リングの授与式が始まった。
ヤンキースの選手とスタッフ、ひとりひとりにリングが手渡された。
ヤンキースの全員が受けとった後、一瞬の間をおいて、スタジアムMCが「ワールドシリーズMVP、ヒデキ・マツイ!」とアナウンス。
すると、エンジェルスベンチから、赤とグレーのユニフォームを身にまとった松井が飛び出した。
同時に、球場に集まった49000人から、この日一番の大歓声。
「MVP!マツイ!MVP!マツイ!」・・・。
スタンディングオベーションは、いつまでも鳴り止まなかった。
ヤンキースのすべての選手が満面の笑みで松井に駆け寄ってきた。
予期していなかった事態に一瞬戸惑った様子を見せた松井。
・・・が、すぐに我を取り戻し、A・ロッド、リベラ、ポサーダ、カノー、サバシア・・・
昨年までともに戦い、優勝を勝ちとった“かつての仲間たち”と松井は久々の再会に抱擁、握手を交わした。
そして、最後に松井のもとに来たのが、ジーターだった。
松井の笑顔が、ほんの少し引き締まったように感じられた。
一言二言、言葉が交わし、互いが互いの肩を2、3度たたくと、それぞれのダグアウトに戻っていった。
その間、わずか5、6秒。
久しぶりの再会にしては短いのではとも思ったが、わかり合った2人が健闘をたたえ合うには、充分すぎる時間だったのかもしれない。
MATSUI55.TV
2010/04/23
ニューヨークに帰ってきて
はい、皆さん、こんにちは。松井秀喜です。
今ですね、ヤンキースタジアムのビジター側ロッカーにいます。
今ニューヨークに帰ってきてですね、ヤンキースとの試合をやっているところですが、
初戦のね、前には昨年のワールドチャンピオンのリングセレモニーもあってですね、
ヤンキースファンのね、皆様にすごく歓迎して頂いて、忘れられない一瞬になりました!
元チームメイトにも逢えて、すごく良かったと思います。
貰ったリングの方はですね、これからちょっとは自分の元に置いてですね、
近い将来、石川のベースボールミュージアムの方に送りたいと思いますので、
もし興味のある方はそちらまで足を運んで頂いて、チャンピオンリングをご覧になって下さい。
それでは、また!
MATSUI55.TV
2010/04/19
良いスタートが切れて
はい、皆さん、こんにちは。松井秀喜です。
いよいよ2010年シーズンも開幕しましてですね、
僕も今年はエンゼルスに移籍してですね、新しいスタートを切れました!
開幕して・・・開幕戦でね、非常に良いバッティングができて、ホームランも出まして、
とりあえず良いスタートが切れて良かったなと思っております。
シーズンは6ヶ月あります。
もちろん、そこで勝てば、その先また1ヶ月プレーオフになりますけど、
まだまだ長いシーズン、一日一日ですね、良いプレーをしていきながら、
皆さんに喜んで頂けるように頑張っていきたいと思います!
そろそろ皆さんにも”赤”が慣れてきた頃と思いますので、
今年は新しい松井秀喜を是非楽しみにしながら応援して下さい!
よろしくお願いします!
今年はエンゼルスでワールドチャンピオン目指して頑張りますので、応援よろしくお願いします。
スポーツナビ 杉浦大介
2010/04/14
松井秀がニューヨークに凱旋 万雷の拍手の中で手にしたチャンピオンリング
それはまるでハリウッド映画のように――。ほとんど絵に描いたようなヒーローの帰還セレモニーだった。
エンゼルスを迎え撃った今季のホーム開幕戦の試合前、名門・ヤンキースは総力を挙げての盛大な優勝リング贈呈式をフィールド上で開催。ヨギ・ベラ、ホワイティ・フォードといった伝説的OBが招かれた場で、昨季優勝に貢献した名優たちにチャンピオンリングが手渡されていった。
そこで誰よりも目立ったのは、マリアーノ・リベラでもアレックス・ロドリゲスでも、そしてデレック・ジーターでもない。すでにヤンキース選手ではなくなったはずの、松井秀喜だったのだ。
「リングを獲るためにずっとヤンキースで7年間戦い続けたわけだから(贈呈式の間の)一瞬だけは喜びたい」
試合前に用意された会見ではそう語っていた松井だが、一方で「ファンからどんな反応がかえってくるかは想像できない」とも発言。7年という短くない期間をこの街で過ごし、新陳代謝の早い地元民の気質を十分に理解した男ならではの慎重なコメントだった。
盛大なスタンディングオベーション
しかし普段はせっかちで移り気なニューヨーカーも、昨年11月のワールドシリーズで松井が見せた勇姿を忘れたはずがない。オフのエンゼルスへの移籍も、スター選手にありがちな金目当てのものではなかったことを誰もが理解していたはず。野球を良く知る満員のファンが、戻って来た松井にささげたのは、立ち会った誰もがしばらく忘れないほど盛大なスタンディングオベーションだった。
万雷の拍手の中でリング(注/実は元同僚のおちゃめなイタズラで最初に渡された指輪は偽物だったことも後に判明)を受け取ると、さらにその後にとびきりのクライマックスが到来。一、二塁間に整列していた元同僚たちが松井の元に一斉に駆け寄って、次々と熱い抱擁を交わした。
最後に最も心を通わせたジーターとしっかりと抱き合って、「松井帰還劇」はここでようやく完遂したのである。
「非常に感動した。おそらく一生忘れられない瞬間。幸せでした」
まるで小粋なシナリオライターが筋書きを用意したかのようだったリング授与式を振り返り、後に松井はそう語った。エモーショナルなセレモニーを見た直後、記者席で目をぬぐっていた米国人記者は1人や2人ではなかった。去り際にこれほど大きな歓声を浴びせてもらえるプロアスリートなど、この街でもそれほど数多く誕生してきたわけではない。
実績がないものにはそっけないニューヨーク。その一方で、能力があって結果を出す者には、この街の住人は立ち上がって拍手を送ることをいとわない。国籍も、人種も関係ない。力さえ認めれば仲間として認められ、尊敬も得られるのだ。
次の地点に進んだことの証し
2003年に渡米以来、松井にとってもすべてが順風満帆だったわけではなかった。本塁打数は伸びず、批判にさらされた時期もあった。スターぞろいのヤンキースの中で、必ずしも最大級の脚光を浴びてきたわけではなかった。だがそれでも、この日の会見でジーターがささげた言葉は、ニューヨーカーの松井に対する印象を分かり易い形で表現していたと言って良い。
「松井は私にとって最もお気に入りのチームメートの1人。プロフェッショナルという言葉がぴったりで、毎日必ず準備を整えてスタジアムに来てくれた。何があろうと言い訳をするのを聞いたことはない。手首を故障して同僚たちに謝罪するような選手にはこれまで出会ったことがない。ホーム開幕戦の場に彼がいることは適切に思えるし、ファンからオベーションを受け取るに相応しいよ」
主将ジーターが予言した通りの見事な雰囲気のなかで、フランチャイズ史に残るセレモニーは終焉(しゅうえん)――。これでついに、松井にとって「メジャー生活の第1章=ヤンキース時代」が真の意味で終わったとも言えるのかもしれない。
リング授与式の余韻が冷めやらぬ中、すぐに開始された試合で、松井は5打数無安打。昨季まで辛苦をともにしたアンディ・ペティート、マリアーノ・リベラといったベテラン投手たちに完ぺきに抑え込まれた。
「最初は違和感があったが、打席に立ったら打ってやろうという気持ちになった」
試合後にそう振り返ったが、明日以降はその違和感もさらに薄れるはず。
終わりは始まりでしかなく、今後、ヤンキースと松井はそれぞれの道を歩んで行くことになる。これから先はエンゼルスの4番打者・松井として、苦しいスタートを切ったチームを押し上げなければならない。そしてもしも彼の第2章にヤンキースが絡むとすれば……それは秋のプレーオフで古巣と直接対戦することになったときだろう。
そんな夢の対決が実現できるかどうかは、「up to you.(自分次第)」。ニューヨークを離れても、「すべては自分次第」。
明日以降はオベーションの総量は減るかもしれない。殊勲打でも打てば、ブーイングにさらされるかもしれない。しかしそれは、また新しい戦いが始まったことの証し。松井がニューヨークという通過点を突破し、次の地点に進んだことの証しでもあるに違いないのだ。
SPORTS COMMUNICATIONS 杉浦大介「NY摩天楼通信」
2010/04/13
松井秀喜とエンジェルスの今後
開幕2週目の4月13日――。ヤンキースタジアムで展開された「松井秀喜の帰還劇」はあまりにもドラマチックだった。
エンジェルスのユニフォームを着て試合前のセレモニーに参加した松井が優勝リングを受け取ると、満員の観衆から盛大なスタンディングオベーション。さらにチームメートが駆け寄って、次々と熱い抱擁まで交わした。
「非常に感動した。おそらく一生忘れられない瞬間。幸せでした」
試合後の会見で松井はそう語ったが、「一生忘れられない」のは現場でその光景を見届けたものにとっても同じ。この日のセレモニーはフランチャイズ史に残る名シーンとして、今後もニューヨークで語り継がれていくだろう。
これで松井の「ニューヨーク物語」は真の意味で終焉。ハリウッド映画ならエンドロールが流れてくるのだろうが、しかし現実はまだ続いていく。
そして感動の光景から離れ、ふと我に帰ると、松井の新天地エンジェルスが開幕ダッシュに失敗したという事実にもすぐに気付かされる。4月15日の時点で3勝7敗。もちろんまだ「危機」などと呼ぶのは早過ぎるが、過去3年連続地区優勝を遂げてきた常勝チームにとって幸先の良いスタートとは当然言えない。
エンジェルスを追いかけている記者に訊くと、不振の要因として「投手陣が崩壊気味」「新三塁手のブランドン・ウッドが打線にブレーキをかけてしまっている」といった要素を挙げてくれた。先発の一角であるアービン・サンタナ(防御率6.94)、ジョー・サウンダース(同7.36)、そしてウッド(30打数3安打)の成績を一瞥すれば、それらの見方が正しいことは明白。そして、それはそのまま開幕前から懸念されていた部分ではあった。
昨季までエース格だったジョン・ラッキーがレッドソックス、4番打者のウラディミール・ゲレーロがレンジャーズ、さらに正三塁手だったチョーンス・フィギンスもマリナーズに移籍。キープレイヤーが3人もいなくなり、「やや戦力ダウン」というのが大方の見方だったのだ。
それでも現時点でエンジェルスが激しい危機感を感じているかと言えば、そうでも無いようではある。「(開幕ダッシュ失敗は)残念だ。ただ30~40試合こなした頃にまた訊きに来てくれよ。そこでもしもウチが2勝28敗とかだったら、僕も慌てているかもしれないけどね」
13日の試合後にはトリイ・ハンターがそうコメント。そんなチームリーダーの態度が示すように、依然として楽観的な空気がチームを包んでいる。
これまで結果が出ていないとはいえ、ジャレッド・ウィーバー、ジョエル・ピネイロ、スコット・カズミアら俊才が揃った先発陣の層は厚い。スコット・シールズの復帰、フェルナンド・ロドニーの加入でブルペンもパワーアップした。
エンジェルスが投手陣を中心に依然として好バランスのロースターを誇っていることに変わりはなく、今後少しずつ浮上してくると見るのが妥当なのだろう。
「そもそもアリーグ西地区のレベルは決して高いとは言えない。エンジェルスがややレベルダウンしたのは確かだろうけど、それでもシーズン88勝くらいはできると思う。フィギンスの離脱は痛いが、ゲレーロの代わりに松井が加わったことはむしろアップグレード。おそらくレンジャーズとエンジェルスの優勝争いになって、やはり経験に勝るエンジェルスが抜け出すんじゃないかな」
「スポーツイラストレイテッド」誌のジョー・レミア記者もそう語っている。
レミアが言及した通り、エンジェルスが逆襲を目論むなら、打線の核としての松井の役割は今後もかなり重要なものになりそうである。
今季のエンジェルスの最初の2勝は、ともに松井が貴重な打点を挙げて得たもの。ヤンキース時代にたまに4番を務めた際には、単に「4番目の打者」という位置づけだった感もあった。しかしエンジェルスでは実際に「クリーンアップ(走者を還す)」の仕事が期待されている。
核弾頭としてエンジェルス野球の象徴的な存在だったフィギンスの不在は大きく、今季のエンジェルスが得点力に悩む姿を想像することは、実はそれほど難しくはない。ウッド、エリック・アイバーらの成長、ケンドリー・モラレス、ハンターの奮起など鍵となる要素は多いが、松井の貢献はもちろん不可欠な要素の1つ。レミアが「DHがゲレーロから松井に代わったのはアップグレード」と述べていた通り、エンジェルスの周囲の人々は松井の活躍を確定事項のように捉えている風にすら感じられた。
だとすればなおさら、もしもシーズン中に松井が故障で長期離脱でもするか、あるいは極端な不振にでも陥ったりすれば、層が厚いとは言えない打線への影響は大きい。それこそ、楽観論など吹き飛ぶ事態になりかねないだろう。
いずれにしても、ニューヨークを離れた松井が、やや下降線の強豪チームで再出発するというシナリオはある意味で非常に面白い。
ヤンキース、レッドソックスなど東の列強と比べると小粒なエンジェルス打線を支えるべく、これまでのような繋ぎ役ではなく、今季はときに豪快な「真の主砲」としての働きが期待されることになる。そして煮え切らないスタートを切ったエンジェルスを牽引し、実際に上位に押し上げることができれば、松井の注目度と評判もさらに上昇するはずだ。
「僕はもうエンジェルスの一員ですから」
ヤンキースとのシリーズ中も盛んにそう強調していた松井の「メジャー生活・第2章」に注目が集まる。
「ニューヨーク物語」が終わっても、野球選手としてのキャリアは終わらない。それどころか、渡米8年目にして、メジャーリーガーとしての松井の評価がさらに上がる可能性だって決してゼロではないのだ。
NHKスポーツオンライン 高橋洋一郎
2010/04/13
頼むぞ、マツイ
メジャーリーグ、2010年のシーズンが開幕した。
メジャーに渡って8年目、新天地エンジェルスで赤いユニフォームをまとった松井秀喜選手にとっても、「大好きな野球」ができるシーズンが、また始まった。
キャンプでの順調な調整を経て、その好調さを維持したままシーズンに入った松井選手。
現地4月11日の試合終了時点での成績は、27打数10安打、打率.370、ホームラン2本、打点5、なかなかの滑り出しだ。
「ようこそ、マツイ」開幕戦前の選手紹介セレモニーでは、誰よりも大きな歓声を浴びていた。
昨年のワールドシリーズでの大活躍をここエンジェルスでも期待するファンの前でのデビュー戦では、勝ち越しのタイムリーヒットにホームラン、いきなりチームの勝利に貢献した。
まだ見慣れるには時間のかかりそうな赤いユニフォーム、「このような日がこれからたくさんあれば、ファンの方たちも(このユニフォームが似合うと)思ってくれると思う」
そして第4戦には、時間の問題と思われていた守備への復帰を果たす。9回までフル出場。
この日も打球こそほとんど飛んではこなかったものの、毎回レフトの守備へと向かう松井選手が、これまでになく生き生きと見えたのは気のせいだろうか。
その試合後、クラブハウスでは、昨年まで何度も何度も見続けた、両ヒザに大きな氷のうをあてアイシングする松井選手の姿が見受けられたが、その姿に昨年までの、あの痛々しさは感じられない。
「守備をすることがヒデキの打席でのパフォーマンスに悪い影響を与えてはいけない。彼のバットを犠牲にしてまで守備につかせることはない。チームが求める一番のこと、それは彼が毎日クリーンアップを打ってくれる事なんだ」
松井選手の主な役割は、あくまでも指名打者(DH)であって、外野手ではない。
その指名打者としてのパフォーマンスに影響のない範囲内での守備がある、ソーシア監督の松井選手の守備起用に関する考えは明快だ。
それを松井選手本人もよくわかっている。
それでも守る機会をもらえるのであれば……ゆえに彼は今、赤いユニフォームを着ているのだ。
その守備についた次の日の試合にはいきなり第一打席で左中間への大ホームラン。
バットの真しんでとらえた打球は夜空に大きな弧を描き、エンジェルスタジアムの名物、センターの岩山をかたどったオブジェを超えていった完璧な当たりだった。
「スイングもよかったし、芯に当たったし、良い角度で上がった、ただそれだけ」
自ら求めるバッティングに近い、納得のいくあたりにも本人は相変わらずそっけない。
それよりも守備をすることでひざへの悪影響がないことの方が、うれしいのだろう。
そしてチーム4連敗で迎えた第6戦。
シーズン序盤とはいえ、チームを覆い始めた何となくピリピリとしたいやな空気を早く吹き払いたい大事な試合では、連敗を止めるサヨナラタイムリーを放つ。
ここまでバットで結果を出せば、この時点で守備につく機会を否定されることはないだろう。
しかしここまで結果を出しているがゆえに、それを少しでも危険にさらすことになる守備にはつかせたくない、つかせられない、という考えも否定はできない。
そのように考えたチームと、エンジェルスは現地4月13日から3連戦を戦う。
ロサンゼルス・エンジェルス対ニューヨーク・ヤンキース。
さてさて、ここで松井選手がヤンキースタジアムのレフトの芝を踏むことはあるのだろうか。
残念ながらチームは開幕から1週間で、2勝5敗、やや精彩を欠いたスタートとなっている。
しかしその間、松井選手にとっては意味のある「エンジェルスで初」がいくつもあった。
初ヒット、初ホームラン、初打点、初守備、初サヨナラ打…。
この1週間で、エンジェルスファンにとって、その赤いユニフォームは当たり前のものとなり、彼らの松井選手を見る目もかわった。
松井選手に「ようこそ」と言うファンはもういない。
「頼むぞ、マツイ」開幕から1週間で、松井選手はそのような存在になってしまったようだ。
日本経済新聞 メジャーリポート 杉浦大介
2010/04/12
松井秀、開幕戦本塁打は「吉兆」か?
新天地、エンゼルスでのデビューは鮮烈だった。5日のツインズとの開幕戦で、松井秀喜はいきなりビッグアーチと決勝打。ヤンキース時代と変わらない見事な活躍は、日本のみならず米国内のファンにも強烈な印象を与えたことは間違いない。幸先のよい開幕戦本塁打は、松井秀の今シーズンの活躍を占う上で「吉兆」となるのか。
「今日みたいな活躍ができれば」
「良い開幕戦になった。今日みたいな日がたくさんあれば(エンゼルスの赤いユニホームが)似合ってきたとファンに思ってもらえる」。5日の試合後のそんな言葉からも、松井秀の安堵(あんど)が伝わってくる。
7年間過ごした東海岸のニューヨークを離れ、西海岸のアナハイムへ。慣れない環境、立場、ユニホームでも、いきなり実力を証明した。過去5年間で4度も地区優勝している常勝軍団・エンゼルスを、初戦から勝利に導く働きができたことの意味は大きい。
地元メディアも大々的に伝え、「ロサンゼルス・タイムズ」紙は「エンゼルスはホームランでシーズンをスタートさせた」と写真入りで松井秀の活躍を紹介。さらに米スポーツサイト「ESPN.COM」も、「マツイはバットで一発回答」という見出しで取り上げた。
開幕戦本塁打はメジャー4本目
実は松井秀はこれまでも開幕戦に極めて強い。今年を含めて過去8度のメジャーでの開幕戦で4本塁打も放っている。昨年の4月7日、メジャー7年目で初めて「開幕4番」に座った松井秀は七回に2ラン、恩師である長嶋茂雄氏を超える日米通算445号を放ったのは記憶に新しいところ。
このほか05年のレッドソックスとの開幕戦では、アーチを放っただけでなく、相手打者の本塁打性の打球を左翼フェンス際で好捕。その日の先発だった気難しいランディ・ジョンソンに「サイコー!」と言わせてみせた。06年のアスレチックスとの開幕戦でも3ランを含む4安打と爆発、チームを勝利に導いている。
ビッグゲームに強い
また、開幕弾としてはカウントはされないが、メジャー1年目の03年、ヤンキースタジアムでのホームオープニングゲームで放った満塁弾のインパクトは強烈だった。これも開幕戦ではないが、手首骨折の重傷を負った06年、9月に迎えた約4カ月ぶりの復帰戦でも4打数4安打。試合後に当時のジョー・トーリ監督が「ヒデキは“開幕戦”に強いからな。これだけやる力はあるし、打席でのアプローチも良かった」と笑顔で語ったことも懐かしい。
注目を集める開幕戦や節目の試合での活躍によって、多くの人々の脳裏に「松井秀はビッグゲームに強い」というイメージが植え付けられているのではないか。
昨年はワールドシリーズMVP
さて、開幕戦本塁打を放った年は、結局どんなシーズンだったのだろうか。昨年は142試合に出場し、打率2割7分4厘、28本塁打、90打点。何よりフィーリーズとのワールドシリーズで13打数8安打、3本塁打、8打点と打ちまくり、日本人初のシリーズ最優秀選手(MVP)に輝いた。メジャー7年目で悲願だった「世界一」の目標をなし遂げ、本人にとっても「最高のシーズンだった」ことは想像に難くない。
05年は4月初旬から5月下旬まで202打席も本塁打なしという不調に苦しんだが、終わってみればメジャーで自己最高の打率3割5厘、116打点をマーク(本塁打は23本)。この年の打率はイチロー(3割3厘)を上回った。06年は5月11日に守備で左手首を骨折、日本時代からの連続試合出場が「1768」で途切れてしまい、良いシーズンだったとはいえないかもしれない。だが、復帰してからは打率4割以上と好調で、結局、シーズン51試合の出場ながら打率3割2厘の成績を残した。
こう見てみると、ケガさえしなければ、開幕戦のアーチはシーズンの好成績に結びついていると言えなくはない。(もちろん、今シーズンはどうなるか分からないが……)
13日から古巣ヤンキースと対戦
節目、節目のビッグゲームで鮮烈な印象を残している松井秀に、この時期としては考えうる限り最高のビッグゲームが待っている。エンゼルスは13日から東海岸に遠征。いきなりニューヨークで、松井の古巣であるヤンキースと3連戦を行うのだ。
ヤンキースにとってホーム開幕戦にあたるこのカード。その第1戦前に、名門球団は総力を挙げての一大セレモニーを開催する予定。まずブロードウェイの大スター、ミュージカル女優のクリスティン・チェノウェスがアメリカ国歌を斉唱。始球式は06年シーズンでヤンキースを退団した人気者バーニー・ウィリアムスが務める。そしてメーンイベントとして、ヨギ・ベラ、ホワイティ・フォードといった往年の大スターが招かれ、昨季の優勝メンバーにチャンピオンリングが贈呈される。その華やかな式典に、アウェーチームの中から唯一、松井秀も参加する。
「マツイはヤンキースのホーム開幕戦ではブーイングされるのを覚悟している」
キャンプ時には、そんな概要の記事が「ニューヨーク・タイムズ」紙上に掲載されていた。確かにスター選手が移籍した場合、古巣のファンから辛らつな態度を取られるのが米国スポーツの常ではある。だが「金につられての移籍」というイメージは薄い松井秀の場合、事情が少々異なるのではないか。
ブーイングはないのでは?
これが宿敵レッドソックスへの移籍だったりすれば話は別だろう(そうなった場合に松井がどんな対応を受けるか見てみたい気もしてしまうが)。しかしヤンキースとエンゼルスの間にライバルという認識はない上に、「昨季の栄冠はヤンキースにとって9年ぶりの世界一だった」「優勝を決めた試合での活躍がまだ記憶に新しい」といった要素を加味すれば、松井秀がブーイングで迎えられることはないのではないか。
むしろリング贈呈時には、ニューヨークに初めて降り立って以来、最高の大歓声で迎えられる可能性の方が高いはずだ。
かつての僚友にどう立ち向かうか
さて、そのセレモニー後に行われる試合で、松井秀はいったいどんなプレーを見せてくれるのだろうか?
「ビッグゲームに強い男」の面目躍如とばかりに、かつての僚友のヤンキース投手陣を打ちのめすか? もしも松井がシリーズ第1戦でエンゼルス勝利に貢献する活躍をみせたとしたら、第2戦目以降はヤンキースファンからどんな対応を受けるのか?
エンゼルスのメンバーとして迎えるヤンキースのホーム開幕戦。ヤンキースの仲間たちと勝ち取ったチャンピオンリングを受け取り、その後、新天地の4番打者として古巣に立ち向かう。運命のイタズラとしか思えないこの対戦への興味は尽きない。松井秀のヤンキースでのメジャーキャリア第1章は、このときに真の意味で終止符が打たれるという見方もできるかもしれない。
NHKスポーツオンライン 長谷川滋利
2010/04/12
松井秀喜メジャー開幕戦でいきなり活躍
2010年のメジャーリーグが開幕した。
私の地元アナハイムでのエンジェルスの開幕戦に行ってきたが、オープン二ングセレモニーは私が在籍した6年間とほぼ同じ流れで進められていた。
選手紹介も例年のようにシンプルなもので、国歌斉唱直後に、軍用機が球場の真上を通るセレモニーもほぼ同じ。
私にはその変わりのなさが懐かしく思われた。
そこに、今年からエンジェルスのメンバーに加わり、それらを真新しく感じているだろう松井秀喜選手の姿があった。
スプリングトレーニングでの試合で、イチロー選手が冗談で「その赤似合ってないよ」と言っていたのを私も否定はしない。
お世辞にも、ピンストライプほど似合っているとは言えない。
しかし、地元ファンはユニフォームが似合っているか似合ってないかなどお構いなしだった。
第1打席、松井選手がバッターボックスに立つと、それまでの3人のバッター(エンジェルスでのチームリーダー的存在のハンター選手もその中に含まれている)よりも大きい歓声が響いた。
昨年、ヤンキースでワールドシリーズMVPを松井選手が獲得したことと、今年エンジェルスの4番を常時打ってもらうことへの期待の歓声だったのだろう。
1打席目、2打席目の凡退の後、3打席目でタイムリーヒットをライト前へ放つと、球場は割れんばかりの大歓声。
8回の4打席目に、今度は、今年のホームランの量産を期待させる一発をライトスタンドへ放り込んだ。
開幕1試合目にしてエンジェルスの4番は松井秀喜だということをアピールした。
普段はのんびりタイプで、シーズン前半は調子の上がらないスロースターターだが、今年は新チームでのプレーということと、単年契約ということが重なって1年を通して緊張感を持ったシーズンになるだろう。
球が飛ぶ球場ということも味方して、彼のキャリアナンバーワンの成績を残すような気がしているのは私だけではないはずだ。
そうなれば、ピンストライプの松井秀喜ではなく、赤の似合う松井秀喜とファンからもイチローからも呼ばれるようになるだろう。
スポーツナビ 山脇明子
2010/04/07
松井秀グッズでギネス記録を樹立 高橋尚子さんが始球式に登場
ギネス記録を樹立
エンゼルス対ツインズ戦の4回が終わると、球場のスクリーンに、“Guinness World Record Attempt!! (ギネスの世界記録に挑戦)”の文字が光った。するとエンゼルス・スタジアム(約4万5000人収容)のスタンドは、たちまち真っ赤に染まった。
この日は入場者全員に今季からエンゼルスに加わった松井秀喜のグッズ、赤地に“MATSUI55”やエンゼルスのロゴが入った防寒用のブランケットが配られた。それを4回が終わってから5回表の終わりまで観客全員に着てもらい、史上最多人数で同じブランケットを着用するというギネス記録に挑もうという企画が立てられていたのだ。
現在の世界記録は米プロバスケットボール、NBAのクリーブランド・キャバリアーズが先月達成したばかりの1万7758人。アリーナと球場の観客動員数の違いや、この日のチケット売り上げが試合前の時点でほぼ完売だった(結局完売となった)ことから、記録が破られるのは確実だった。
このブランケットは、前から手を通すことができるデザインのため、身につけると体の前部すべてが覆われる。観客全員が身につけると、スタンドは見事に真っ赤になるというわけだ。一部に着用していない人もいたが、それも他の人たちが身につけた赤に埋まってしまうほどで、スタンドで目立つのは売り子が着ている黄色のシャツだけだ。さらにスタンドからウェーブまで起こり、球場内はまるでプレーオフ時のような盛り上がりを見せた。
5回表を終えると“Guinness World Record. Thank you Fans!!(ギネスの世界記録。ファンの皆さんありがとう)”の文字がスクリーンに映し出され、スタンドからは大きな拍手が起こった。それとともにギネスの認定委員が認定書を抱えている姿も映し出された。
ギネスでは、正確な数字を出すために、単に観客動員数を記録人数にするのではなく、ビデオや写真でブランケットを身につけていない人をチェックしてから公式人数を発表する。そのため、すぐに数字は出されなかったが、一目瞭然であった新記録だけ先に認められる形となった。
スタジアムに訪れた松井ファン
このギネス達成の対象となったエンゼルスの新戦力、松井。開幕2日目を迎えるこの日も、多くのファンが彼の応援にやってきた。
球場の開門1時間以上も前から同スタジアムの正面玄関の前でエンゼルスのキャラクターであるラリー・モンキーが乗ったリモートコントロールカーを操縦していたのは今畠タックさん(65)。「エンゼルスの野球を見に来た人たちが喜んでくれる」と嬉しそうだ。よく見ると、リモートコントロールカーに設置された旗には“Go Go!! Red Godzilla”と“55”の文字が書かれている。
今畠さんはエンゼルスファンになって40年。シーズンチケットを保持してもう15年目になる。「でも、今年は松井が入ったので、いつもと違ってエキサイティング。楽しいよ」と話す。長年のファンとあって、チーム事情にも詳しい。
「エンゼルスは人柄を重要視して選手をとるチーム。マイク・ソーシア監督がそういう人物なんだ。チームの和を大事にする選手が集まっている。だから、ウラジミール・ゲレーロ(現レンジャーズ)が抜けた時、松井が入るんじゃないかと思っていた。彼には今年活躍してもらって、1年と言わず、2年も3年もここにいて欲しい」
開門を待つ列に並び、エンゼルスのベンチ側で試合を見守った砺波(となみ)重夫さん(67)、正子さん(65)夫妻は、静岡から観戦にやって来た。松井が巨人に所属していた時からの大ファン。今年金婚式を迎えたお祝いとして、二人の息子から航空券とこの日チケットをプレゼントされ、孫二人を引き連れやってきたという。
「開幕戦のチケットが売り切れで手に入らなかったのが残念」と松井が大活躍した試合を逃したのを悔やむ正子さんだったが、この日松井グッズによるギネス記録の一員となれたことで「それが救い」と笑った。
松井と入れ代わる形で退団したゲレーロのエンゼルスのジャージーを着て観戦していたのは、ルシアノ・ガチエレスさん(33)と妻のサンドラさん(28)。この日、松井グッズが配られると聞いて約110キロ離れたサザンオークス市から駆けつけた。「ゲレーロがいなくなったのは寂しいけれど、松井はいい選手。ゲレーロの穴を十分に埋めてくれると思う」とルシアノさん。「もし松井が活躍したら、ゲレーロのジャージーをやめて、松井のジャージーで応援に来るよ」と話した。
“Qちゃん”の始球式
この日は、ギネス挑戦のほかに、もう一つのイベントがあった。シドニー五輪、女子マラソンの金メダリスト、高橋尚子さんが始球式を行ったのだ。自らのニックネーム“Qちゃん”にちなんで「背番号9」のジャージーでマウンドに立った高橋さんは「日本から多くの皆さんの声援や応援を頂いてきたので、それを松井選手に届けるような気持ちで投げた」と、捕手役の松井を目掛けて投球。見事にノーバウンドで松井のグラブにボールを投げ込み「さすがアスリート」と松井に称賛させた。
始球式のボールにサインをしてもらったと見せてくれた高橋さんだが、実は松井のサインをもらうのは今回が2度目。最初にもらったサインはTシャツだったというが、
「普通は取っておくんでしょうけど、『それを着て頑張るぞ!』という思いですごく頑張った思い出があるんですが、そのTシャツもガーゼのようになってしまった。今度こそ大切に保管します」
と声を弾ませた。
松井イベントで盛り上がった一日だったが、試合は、エンゼルスが3−5で敗戦。松井もチャンスで回った打席を生かすことができず、3打数無安打に終わった。
「明日また頑張る」
この日の主役・松井は次の試合での活躍を誓った。
産経新聞
2010/04/06
松井秀、強さの源は動じないこと
真っ赤に染まるエンゼルスタジアムを大歓声で包んだ。同点の五回2死一、二塁。第3打席の松井秀が今季初安打の右前適時打で勝ち越し点を呼び込む。新天地のファンに、あいさつ代わりに勝負強さを見せつけた。
開幕はいつもの儀式で始まった。フィールド一面に広げられた巨大な米国旗。球場の頭上を軍用機が轟音(ごうおん)とともに通り抜ける。松井はチームメートとともに見つめ、集中力を高めていた。
新天地で迎えるメジャー8年目も、ア・リーグ西地区3連覇中の強豪で4番を担う重責も、松井には大きな重圧にはならない。昨季のワールドシリーズで、どんな場面に対しても動じない精神力を確立できていたという。証言者は父、昌雄さんだ。
6打点の大活躍でヤンキースを勝利に導き、MVPを確実にした第6戦。家族で一塁ベース後方の内野スタンドから観戦していた昌雄さんは「打席に入るまでの彼のしぐさに、これまでにない余裕を感じた」と振り返る。余裕のよりどころとは-。昌雄さんは「緊張感が高まったとき、いい格好をしようとするのではなく、チームのために与えられた仕事をすることに集中していた。自らの欲がないから気持ちが楽になったのではないか」と推測する。
松井は、この日も自らの役割をこなすため、いつも通りに体を動かして試合に臨んだ。「気持ちの自然な高ぶりはあるが、ふだん通りにプレーできると思う」。平常心。これこそが、松井のすごさである。(田中充)
Number Web MLB東奔西走
2010/04/04
LA地元記者による松井秀喜の評価。ノモ、イシイ、サイトウとどう違う?
オープン戦も残りわずかとなり、2010年シーズンの開幕が目前に迫った現在、今年もフロリダでキャンプ取材を続けている。キャンプ開始当初は、記録的寒波がフロリダを襲い各チームともに難しい調整を強いられたが、後半から天気も回復し、まさに“終わりよければすべてよし”といったところではないだろうか。
今回はアストロズの松井稼頭央選手を中心に、レッドソックスの松坂投手、岡島投手以外、フロリダにいるすべての日本人選手を取材させてもらったが、キャンプを通じて感じた印象を素直に言葉に表すと……「閑散」の二文字に尽きるように思う。昨年までとはうって変わり、日本人報道陣の多くがフロリダから姿を消してしまったのだ。
自分が取材に行き一番多く日本人記者が集まったところでも、松井稼頭央選手と岩村選手の日本人対決が実現した時の5人が最高だったように思う。その理由はいうまでもなく、“1人の男”が大量の報道陣を引き連れアリゾナへ大陸横断してしまったからだ。
メジャー8年目で新天地エンゼルスに移籍した松井秀喜選手に対する世の中の関心の高さを、アリゾナから遠く離れたフロリダで痛感させられた次第だ。
松井のフランクな対応に地元マスコミは高評価を。
現地での過熱ぶりは日本の報道を見るまでもなく、米国の報道だけでも十分に窺い知ることができた。昨年はヤンキースに次ぎア・リーグ2位の観客動員を記録したほどの人気を誇るエンゼルスではあるが、地元の取材体制はヤンキースとは比較にならないほど手薄だ。昨今の経済悪化で定期的に出張取材をする報道陣が激減し、昨年は遠征に同行する記者の数はMLB.comを含め3人しかいない状況だった。そんな状況下で、日本人報道陣が大挙して“襲来”したのだから、エンゼルスの地元紙は連日のように驚嘆とともに松井選手と日本人報道陣の様子を報じ続けた。
そんな地元番記者の1人が、「オレンジ・カウンティ・レジスター」紙のビル・プランケット記者だ。彼はドジャース番記者時代、我々とともに野茂投手、石井投手、斎藤投手の取材経験を持つ人物なのだが、ドジャース3投手とは比較にならない報道陣に囲まれながらも無難に応対している松井選手に対し、即座に好印象を抱いたようだ。先日自分の質問に答え、以下のようなメールを返信してくれた。
「マツイを含め、ノモ、イシイ、サイトウと、すべて違った個性を有していたと思う。ノモは取材陣に対しては完全に事務的で、たぶん彼の笑ったところを見たことがないように記憶する。反対にイシイとサイトウは接しやすく、私に対しても冗談を言ったり野球以外のプライベートな話をしてくれた。
マツイは、その中間に位置するように思う。事務的である一方で、メディアに対して非常に友好的だ。私が覚えた日本語でジョークを交わしたこともある。それ以上に我々米国人記者にとって感心させられたのは、あれだけの大勢の日本人報道陣に四六時中追いかけ回されながら、見事に応対していることだ。クラブハウスでも他の選手たちにまったく混乱をもたらしていない」
エンゼルスは松井に本当は何を求めているのか?
さらにプランケット記者は、エンゼルスで松井選手が置かれた立場というものを、丁寧に説明してくれた。
「彼はプロフェッショナルな打者だ。チームが期待しているのも、まさにその点だ。試合を理解し、相手投手がどのように攻めてくるのかを把握し、チームのために状況に合わせてどんな打撃をすべきなのかを熟知している。ヤンキースタジアムほど左打者に有利ではないエンゼルスタジアムでは、もしかすると本塁打数は減ることになるかもしれない。しかし個人的にはマツイが負傷なく1年間過ごせれば、最低でも80打点は記録してくれると信じている。チームが中軸として彼に望んでいることは、それだよ」
今回松井選手が移籍した最大の理由は、再び守備につきたいという本人の希望をエンゼルスが受け入れてくれたからに他ならない。もちろんエンゼルスでも指名打者が中心となるが、頑なに守備につけるヒザではないと主張し続けたヤンキースとは違い、エンゼルスは松井を“守れる指名打者”だと判断したわけだ。それだけに今年は、ヤンキースの松井選手に対する評価が誤りだったことを証明する、雪辱のシーズンという面も兼ねているのだ。
いずれにせよ今シーズンのエンゼルスは、報道陣、ファンともに日本人で沸き返ることになるだろう。“ゴジラ大サーカス、アナハイム公演”がいよいよ幕を開けようとしている。