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Columnコラム

NHKスポーツオンライン 長谷川滋利 2010/11/25
エンジェルス・ゴルフトーナメントとエンジェルス時代の思い出
11月10日、毎年恒例のエンジェルス・ゴルフトーナメントが行われました。
今回のコラムでは、このトーナメントとエンジェルス時代の思い出について、少し書いてみようと思います。

実はここ2ヵ月程、ほとんどゴルフをしていなかったので、行くまでは何か気が重かったのですが、行ってみると一緒に回ったグループもおもしろい人たちだったし、久々に会った元チームメイトとも話に花が咲き、その後のパーティーにも参加して楽しい時 を過ごせました。
午前10時にショットガンスタート(18ホール それぞれから一斉にスタートすること)だったのですが、長い間クラブを握っていなかったので、1時間半前の8時半には会場であるペリカンヒル・ゴルフクラブに着きました。
ペリカンヒルは私の自宅から10分以内のビーチ沿いにある美しい景色のあるゴルフ場です。
ぺブルビーチに負けないようにと作られたコースは、パブリックなのですがかなり豪華に作られています。
数年前にリニューアルされてますます豪華さを増しました。
ただ、金額も昔の日本のゴルフ場なみに高いのですが、ゴルフ好きならば一度はプレーしたいコースでしょう。

さて、「1時間ぐらいはドライビングレンジで練習したいなぁ」と思っていた のですが、会場についてレンジに行く途中で、いきなりジャック・ハウエルに会いました。
ヤクルト・スワローズ、読売ジャイアンツで大活躍した選手なので覚えてらっしゃる方も多いでしょう。
私は97年にエンジェルスで一緒にプレーしました。
とにかく私のメジャー1年目は彼にいろいろと助けてもらいました。
ルーキーがドレスアップするメジャーでの新人歓迎儀式は日本でも報道などで有名になりましたが、私もルーキーの年はやらされました。
しかし、その時に最後までジャック・ハウエルは「シギーは日本のプロ野球で長年やってきたからルーキーじゃない」と言ってくれました。
最終的には自分でやるといってドレスアップ したのですが、その気持ちはとてもうれしかったのを覚えています。

彼と10分ぐらい話していると、今度はスワローズでハウエルと一緒にプレーした「ミミズ男」ことレックス・ハドラーが 登場。
今はやっていませんが、彼はエンジェルスのチームアナウンサーを長年務めました。
この3人が集まれば話す内容は日本プロ野球のこと。
ハウエルはもちろんですが、ハドラーも「野村監督は良かった」という話になりました。
2人とも野村監督のことは好きだったようです。
ただ、ハドラーは「多分、ミミズを食べるような選手は野村監督は嫌いだっただろうが・・・。」と一言付け加えていました。
ハドラーのミミズ男のあだ名の始まりは、人工芝の上をはうミミズを捕まえて、選手みんなに「これを食べるからみんな数万円ずつ払え!?」と言って本当にミミズを食べてしまったとから。
この日もその話を自慢げにしていました。

やっとハドラーから開放されて、練習を始めると今度はゲーリー・ディサシナ(当時のショートストップ)やティム・サーモン(当時のライトフィールダー)がやってきました。
彼らと会うの は5年ぶりぐらいなので、練習そっちのけでまた昔話に花が咲き、そうこうするうちにどんどん元選手が集まり練習どころではなくなってしまいました。
9時半からは現役選手(トーリイ・ハンターも来ていました)と元エンジェルスの選手との記念撮影。
そして10時にはぶっつけ本番のティーアップとなってしまいました。

私たちのグループは10番からのスタート。
エンジェルス関係者が各グループのホストを努めることになっていて、私がこのグループのホストとして、オナーとして最初にティーアップしなければなりません。
さっさとティーアップして何も考えずゴルフボールをたたいた結果、会心の当たりとはいえませんが、悪くないドライバーショットでフェアウエイの右側をとらえました。
後ろで見ていたエンジェルスのバッティングコーチ、ミッキー・ハッチャーが「相変わらずゴルフばっかりやっているなぁ」のコメント。
その後、私のグループの後の4人が打ち終わるまで、松井選手のことなどについて話をしました。
ハッチャー・コーチは「本当に松井選手は良いプレーヤーだ」と褒め、その意味は野球に対する姿勢とバッティングセンスと説明を加えました。
守備も一級品だという。
今年守備についた試合でエラーと呼べるエラーはなかったし、彼は守備面でも堅実で毎日でも守らせたかったということでした。
彼に言わせれば、決して今年は悪い年ではなかったという。
チームの都合でどうやら残留はなさそうですが、コーチ陣はみんな残って欲しいそうです。
それもそのはず、松井選手ほど手のかからない選手はそうはいないでしょう。
パーティー中に会ったハンターにも聞いてみましたが、松井選手に対する評価は本当に高かったし、ハンター 自身も松井選手のことが好きだといっていました。

さて、ゴルフの方ですが私が一緒に回ったのは宅配会社の方々。
特にみんながゴルフが上手なわけではありませんでしたが、冗談を言い合いながら大変楽しくラウンドする事ができました。
おそらく今までの中でも一番楽しいトーナメントの一つではなかったかと思います。
チームプレーでは入賞とはいきませんでしたが、私は8番ホールでロンゲスト・ドライブ(ドラコン)賞をもらいました。

今年の夏に日本へ帰って、新しいドライバーを作ってもらいました。
ここ数年ビジネスと息子の野球のコーチが忙しくて、あまりゴルフはしていないのですが、クラブのおかげで距離だけはすごく飛ぶようになりました。
私のヘッドスピードとスイングに合わせてわざわざ作ってもらったとあって、本当に良く飛ぶクラブです。
300ヤードはゆうに飛ぶようになりました。
パワーヒッターがそろうエンジェルスのトーナメントでドラコンを取れたことは引退後スポーツでの1番の自慢じゃないでしょうか?
しかも商品が私の友達であるギャレット・アンダーソンのサイン付きの写真という落ちもつきました。
これはオフィスに飾ってギャレット・アンダーソンが訪れた時に見せたいと思います。

さて、ラウンドが終わるとそのままパーティー会場であるレストランへ直行。
少しの間、一緒にラウンドした人たちと会話を楽しんだ後、懐かしい元チームメイト達と話をしました。
マイク・ソーシャ監督はいつも話しているので挨拶程度で、一緒に投手陣として頑張ったエースのチャック・フィンリーやマーク・ラングストン、ディサシナに、その当時コーチだったホール・オブ・フェーマー(野球殿堂入り)のロッド・カルーらとたくさん話し込みました。
また、同じチームでプレーしたことはないのですが、何度も対戦したことのあるチリ・デービスとはコーチ論で盛りあがりました。
「バッターは生のボールを見ることの大切さを知るべきだ」と話していたので、マリナーズで一緒にプレーしたエドガー・マルチネスがキャンプの始めは打席に入ってもバットを振らずボールを見送る練習をすることを話しました。
エドガーも言っていましたが、「キャンプ中はもっとブルペンに行ってピッチャーの球を見るべき」ということや、そのほかにも参考になる話をたくさん聞かせてもらいました。
いつか彼のような人が日本に臨時コーチでもいいから行ってくれることは私の願いでもあります。

その後、エンジェルスのトニー・リーガンGMともゆっくりと話をしました。
冗談で「松井はどうするの?」と聞くと、さすがに今その話には敏感に反応。
彼とは彼がマイナーリーグコーディネイターのころから冗談を言い合う仲ですが、そこはさすが立派なGMになりました。きっぱりと「それは言えない」と遮られました。
もちろん、彼と話した詳細は口外しないに決まっているし、彼も私を信じているでしょうが、そこはプロとしての姿勢が見ることができました。
これから日本人選手に関しては、必要とあれば彼の手伝いをようという気持ちが起こりました。

懐かし元チームメイトと会ったので、そんなチームメイトとの一番の思い出の話しをしたいと思います。
先発投手としてメジャーに挑戦した私にとって、メジャー移籍2年目のシーズンはブルペン投手としてのスタートとなったために何か物足りなさを感じながらのシーズンとなりました。
しかし、「マイナーには絶対に落ちたくない」というメジャー挑戦時の思いから、自分に与えられた仕事は何でもこなそうと考えていました。
ただ、シーズン初めは先発投手陣が頑張り、ロングマン(長いイニングを投げるリリーフ投手)だった私に出番はなかなか回ってきませんでした。
5月に入り先発陣がそろそろ疲れてくると私の登板も次第に増えてきて、その上、クローザーであったトロイ・パーシバルの故障でセットアップのマイク・ジャームスがクローザーに回ったため、セットアップが手薄になりました。
負けゲームばかりに投げていた私に勝ちゲームでの登板が回ってきました。
その試合はフェンウエイパークでのボストン・レッドソックス戦でしたが、際どい球をことごとくボールと判定され四球を出し、そのうえ、タイムリーを打たれるという散々な結果となってしまいました。
しかし、その試合以降どんどん登板機会が増えブルペン投手としてもなんとかやっていけるのではないかと自信がつき始めました。
その年のシーズン後半までエンジェルスはテキサス・レンジャースと猛烈な首位争いをして、しかも私はロングマン、セットアップ、時にはクローザーの仕事までするようになっていたため、とにかく毎日が必死。
そのデッドヒートは9月まで続きました。
レンジャースとの直接対決で負け越し、ちょっとエンジェルスは劣勢に立たされましたが、それでもまだゲーム数も残っていたため、あきらめるには早かった。
それが決定的になったのは試合数もあとわずかとなった状況での地元アナハイ ムでのシアトル・マリナーズとの試合。
この試合に負ければほぼ優勝がなくなるという状況の試合に、私の登板が当たり前のように回ってきました。
その試合で強力マリナーズ打線に私がつかまり、逆転されて優勝は遠のいてしまいました。
試合後、いつもはどんな状況でも落ち込むことはなかった私もその日ばかりはロッカールームの自分の席にうなだれて座っていました。
それを見たパーシバルは私をトレーナー室へと連れて行きました。
長い間優勝から遠のいているエンジェルス。
久々の優勝の可能性があったこのシーズンもその日で実質優勝がなくなったのだから、みんなが落ち込んでいるに決まっている。
てっきり私は反省会か何かが開かれるのかと思いました。
するとほとんどのレギュラー選手がそのトレーナー室へビール片手に集まってきて、「シギー、なぜお前が落ち込んでいるんだ。今シーズンはお前がいたから優勝争いできたんだ」といって慰めてくれました。
次々とチームメイトが私の肩をたたきながら一言、二言、声を掛けてくれる。
私は悔しさなのか、メジャーリーガーとして選手に認められたうれしさからなのか、涙が止まらなくなりました。
その夜は、みんなでシーズンの頑張りをたたえ合い、深夜近くまで飲みながら話をしました。
最後は愛きょうのあるトレーナーがみんなの前でパンツを下ろし、「シギー、これでも見て笑ってくれ!」とお尻を見せてお開きとなったのでした。
私はこの時はじめて「メジャーリーガーとして認められたんだ」と感じました。
自分の満足していない仕事であるブルペンの仕事。先発がしたくてたまらない気持ち。
それらが全部吹っ飛んだ気がした日でした。
「俺はこのメジャーに投げに来たんだ。先発であろうとブルペンであろうと関係ない。メジャーの投手として活躍するんだ」という確信めいたものがこの時はじめて芽生えました。
このことは、私が9年間メジャー生活を支えた出来事で、久しぶりにチームメイトに会ったこのゴルフトーナメントで、改めてあの日のことを思い出しました。

あまり気乗りしていなかったゴルフトーナメントでしたが、やはり年に数回はこういうものに参加するべきだと改めて感じました。
もちろんそれはビジネスのためでもありますが、それ以上に自分のアメリカでのルーツを再確認するためでもあります。