Matsui's Space 松井秀喜ファンサイト

Columnコラム

北國新聞 2013/04/28
石川に貢献は「使命」 松井さんインタビュー
 5月5日に国民栄誉賞を受賞する元大リーガーの松井秀喜さん(38)が27日までに 、ニューヨーク市内で北國新聞社のインタビューに応じ、「年末年始は必ず石川で過ごし ます」と述べ、現役を引退してますます深まる故郷への思いを語った。「日本球界への貢 献は使命」と強い責任感を口にし、石川ミリオンスターズを盛り上げる「助っ人」となる 意欲を見せるなど、石川への貢献も約束した。(杉山圭一郎)

 吹く風に冬の名残りを感じさせるマンハッタン。昼下がりのレストランに松井さんがや って来た。「太らないよう気をつけてるから」。フルーツをつまむその姿から、体調管理 に気を遣っていることがうかがえる。

 妻の出産準備で今年の正月はニューヨークで過ごした。新年を石川県以外で迎えたのは 人生初。大好物のコウバコやブリの刺し身を味わう機会はなかった。「実家で家族と過ご せなかったし、石川の味覚を食べられなかったのは残念でした」。

 引退後、松井さんは極力メディアへの露出は避けている。そんな中でも取材を快諾して くれたのは、故郷への強い思いがあるからだろう。現役時代と同じく、番記者だった当方 に会うと「最近の石川県の話題は?」と尋ねてきた。

 引退してから大リーグ中継は見ていないという。だが、母校・星稜高の試合結果は気に 掛けており、石川ミリオンスターズにも関心を持つ。巨人で同僚だった木田優夫投手(4 4)が加入したからだ。先日、約10年ぶりに木田投手と電話で話し、「今も現役でいら れるのはうらやましい」と言ったそうだ。年末以外に帰省予定はないが「一度、木田さん の試合を見たい」と考えている。

 これまで「ゴジラ2世」と呼ばれる同郷選手がたくさんいたが、大成した選手はいなか った。「角中勝也選手の首位打者タイトルは立派。なかなか獲れるものではない。そうい う選手が石川から出てきたのはうれしい。(星稜の後輩の山本)省吾や、大松尚逸選手の 今年の成績はどう?」。言葉の端々から、将来の指導者就任を見据えた胸の内が見えた。

 先月上旬、富山市出身の妻との間に生まれた長男の話を振ると、パパの顔になった。「 夜中に何度も泣くし、風呂に入れるのも気を遣う。一番大変なのは妻ですが、親の大変さ が分かります。やっぱり、かわいいですね」。今年も現役でいたら、出産には立ち会えな かっただろう。「いいタイミングで産まれてきてくれました」。160キロの剛速球と対 峙する世界を離れた今、家族3人の日々に新鮮な喜びを感じている。

 コーヒーを何度もおかわりし、気づけば夕食時近くになった。「石川県の皆さんによろ しく伝えてください」。いつもの律儀さで店を出た松井さん。「それじゃまた」と、にこ やかに言った表情に第二の人生を踏み出す充実感が漂っていた。
中日新聞 松井秀喜 2013/04/25
エキストライニングズ(3) データ活用 日米で差
 プロ野球は既に同一リーグの対戦が一通り終わった。大リーグのことを考えると本当に早い。僕の巨人時代は交流戦がなく、五チームとの対戦が全てだった。ヤンキースに移籍した二〇〇三年にレギュラーシーズンで対戦したチーム数は十八。この差が生む違いは大きく感じた。

 同じ相手との対戦を重ねる日本では、徹底的に敵を研究する。複数のスコアラーを使って情報を集め、チームとして方針を決める。大リーグでこういう戦いは経験しなかった。各球団は記録会社が集計した情報を共用。ミーティングも全般的なものだった。

 ただコンピューターは充実していて望めば細かい情報はいくらでも得られる。映像も試合中に前の打席を確認できるほど早く用意される。お金を掛ける部分が違うと思った。それを使うかは個人次第ということ。

 情報戦といえば、やはりID(データ重視)野球を掲げた野村克也監督時代のヤクルトが思い浮かぶ。僕が日本でプレーした十年で巨人とヤクルトは四度ずつセ・リーグを制覇。最大のライバルで、かつタイプの違うチームとしてよく比較された。

 どこまで研究されていたかは、巨人側からは分からなかった。ただ疑心暗鬼になった時点で負け。ヤクルトからすればそういう狙いもあったと思う。野村監督はそういうところも巧みだった。

 僕は配球にはこだわらない方だった。読み合いは自分にあまりプラスにならなかった。だからヤクルト戦では捕手の古田さんを意識しないようにした。でも意識しないようにするという時点で意識している。僕にとってそんな捕手は一人だけだった。配球そのもの以上に古田さんという選手が相手を惑わす存在だったと思う。 (元野球選手)
中日新聞 松井秀喜 2013/04/11
エキストライニングズ(2) 移籍 前向きでドライ
 メジャーでは今季も多くの選手が新しいチームで開幕を迎えた。米国で何年かプレーすれば、対戦チームにたいてい元同僚がいることになる。日本との大きな違いを感じるのは、選手もファンも移籍をとてもポジティブに捉えているところだ。

 移籍が多いのは制度の違いによるものだろうが、何より捉え方が違う。ファンは毎年「ことしのチームは…」と顔ぶれの変わったラインアップを楽しみにし、選手も活躍の場を求めて積極的に自分を売り込む。

 僕は米国で四球団に在籍した。大リーグでプレーする以上移籍はつきものと分かってはいた。ただ七年間在籍したヤンキースを離れエンゼルスに入団した二〇〇九年オフは、初めての移籍を決断するまで大変な葛藤があった。出場機会を求めての移籍でメリットがあると分かっていても、チームへの愛着が強くて去りがたい思いがあった。

 新チームでは今までと同じ力を出すことが大事になる。ただし力を出すために、環境づくりがまず必要だ。新チームでの役割を理解し、人間関係を含めた環境づくりができて、初めて力が出せる。移籍の鍵はそこにあると思う。

 巨人で同僚だった上原浩治投手が米国で三球団目となるレッドソックスで好スタートを切った。移籍を経て、より必要とされる球団で実力を発揮する好例だろう。もともと体調さえ良ければ活躍できる投手。四十歳を超えてメジャーで活躍した斎藤隆さん(楽天)のようになれるのではないだろうか。

 移籍の盛んな米国で僕にもちょっとした変化があった。同僚の投手を見ながら「この投手なら、こう打つ」と考えるようになった。巨人時代はあまり現実味がなくて、そういう意味で真剣にチームメートを見たことはなかった。 (元野球選手)
Number Web 野ボール横丁 2013/04/10
松井秀喜だからこその、国民栄誉賞。偉大なる「普通人」が果たした親孝行。
 日本人はみんな松井秀喜が好きなのだ。

 それが、彼が国民栄誉賞を受賞することになった理由なのだと思った。

 松井というと真っ先に思い出すシーンがある。私があるスポーツ新聞社に入社した1年目のことだった。

 当時、私は横浜ベイスターズ担当だったのだが、オールスターのとき1日だけ「松井番」を任されることになった。

 当時、プロ入り5年目を過ごしていた松井は、すでに押しも押されもせぬスター選手だった。先輩記者はその任に就くに当たり、私を松井に紹介した。今にして思えば、わずか1日の臨時担当者をわざわざ選手に紹介するものでもない。先輩記者は松井だから紹介したのだ。より正確に言うと、できたのだ。

 その理由は直後にわかった。私がガチガチになって松井に名刺を差し出すと、松井はそれを両手で受け取り、こう言ったのだ。

「こちらこそ。よろしく」

 驚いた。プロ野球という世界は、そんな「普通」に滅多にお目に掛かることはできない世界だ。

 それだけに松井の振る舞いは驚愕に値した。

自分が好きだと思ったことから逃げないこと。

 もうひとつ忘れられないエピソードがある。

 2009年11月、ワールドシリーズでMVPを獲得した翌日のことだった。

 幸運にもインタビュー機会を得た私は、松井にこんな質問をした。夢を実現するために小さな子どもたちに言葉をかけるとしたら――。

 松井はじっと考え込んだあと、こう言った。

「……逃げないことじゃないですか。好きだと思えることからは」

 誰でも言いそうなセリフだった。だが前日の晩、松井の活躍でヤンキースがワールドシリーズのチャンピオンになった酔いがまだ残っていたのか、松井が感情を抑えながらボソッと発言した言葉に胸のあたりが熱くなった。

彼のコメントはいつもつまらないと思っていたが……。

 それまでは松井のコメントに対し、不満に思うことの方が多かった。あまりにもありきたりな言葉に終始するからだ。つまらないとさえ思ったこともある。だが、このとき初めて松井のすごさがわかった気がしたのだ。

 今にして思えば、どんなに大仰な言葉を使っても様になる場面だった。こんなに普通じゃない状況においても、松井はこんなに普通のことしか言わないのだ。そこが松井の偉大さであり、多くの人に愛される理由なのだと思った。

 世間は今回の受賞に関して、メジャーでの実績が不十分だの、松井よりも野茂(英雄)の方がふさわしいだのとかまびすしい。

 私も最初はそう思っていた。だが、それをいちばん理解しているのは他でもない松井自身だろう。あれだけ「普通」の感覚を持っている松井がそこを理解していないはずがない。

 想像だが、松井1人に対する受賞打診であれば、松井は辞退していたのではないか。

 ある記者が「長嶋(茂雄)さんが松井と一緒に受賞したことをあれだけ喜んでいたら辞退できないでしょう」と話していたが、私もそう思った。

 恩師との同時受賞は、最大の「親孝行」でもあるのだ。一介の新人記者のあいさつさえ無下にできない男が、そういう意味を持った授賞を断れるはずがない。

“広く国民に敬愛され”た松井秀喜にこそ、この賞はふさわしい。

 国民栄誉賞は、ときの首相が「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」に与える賞だ。

 必ずしも実績重視ではないと謳っている。それこそ、いの一番に「広く国民に敬愛され」とあるではないか。うがった見方をすれば同賞は政府の人気取り策だが、いわば「究極の国民人気投票」だ。

 その意味において、日本でもっとも偉大な「普通人」である松井ほどふさわしい人物はいないのではないか。