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Columnコラム

中日新聞 松井秀喜 2014/03/27
エキストライニングズ(24) ジーター最終年楽しみ
 ヤンキースのジーターが今季限りで引退する。寂しさはあるが、最後に何を見せてくれるか楽しみでもある。とにかく一年間健康でいてほしい。それさえできれば、ジーターなのだから、驚くようなことをやるはずだ。

 彼と七年間ともにプレーできたことは幸運だった。数字の上でも偉大な選手だが、本当のすごさは一緒にプレーして初めて分かった。一人でチームにあれほど影響を与える選手には、ほかに出会ったことがない。

 引退発表の記者会見でジーターは「野球は失敗のスポーツ」と言い、だから常に変わらない姿勢を保とうとしたと話した。これこそ僕がいつも考えていたことであり、野球観が同じなのだとあらためて認識した。一流打者でも七割は凡退。ましてプロは批判にさらされる。一喜一憂せずにプレーを続けなければ、いい成績は残せない。ジーターは常に変わらない。だから緩んだ試合には緊張感をもたらし、逆に極度の緊張感で迎える大一番ではゆったりした姿が際立った。皆その姿を見て試合に臨んだ。ジーターさえいれば、周りは変わってもヤンキースであり続けた。

 十年以上プレーオフに出ていなかったヤンキースが、ジーターのデビューから十九年間で十七度の進出を果たしたのは、もちろん偶然ではない。

 同僚にはくだけた「素顔」も見せる。ただそれはあくまで野球人としての素顔だと思う。もう一人の違うジーターがいて、本人の中でお互いを見ている感じなのだろう。僕にも二人の自分の間を行き来しながら互いを見る感覚がずっとあった。

 ジーターの場合は野球人ではないときの姿を他人に感じさせない。同僚にも見せていないのではないか。もう一人の「デレク・ジーター」は本人にしか分からない。だからこそ際立つ存在なのかもしれない。引退後は、今以上に存在の大きさが感じられると思う。不在によって存在感がさらに増す。そういうまれな選手だ。(元野球選手)
中日新聞 松井秀喜 2014/03/13
エキストライニングズ(23) 有意義だった若手指導
 巨人とヤンキースのキャンプに約二週間ずつ臨時コーチとして参加し、有意義な時間を過ごした。指導の機会が多かった宮崎キャンプは、特に勉強になる経験だった。

 宮崎ではとにかく選手にきっかけを与えられればという思いだった。プロは皆いいものを持っている。ただ主力は自分の良さが分かっているが、それが分かっていない選手もいる。だからこそ若手選手を見るのは面白かったし力が入った。

 一人一人を観察すると見えるものがある。五つも六つもアドバイスをするのは簡単。その選手にとっての優先順位が何かを考えて声を掛けなくてはと思った。アドバイスを絞ることによって、自然と選手に進むべき方向を示せる。本人が気が付かないものを、第三者が気付かせられるか。きっかけになりたいと考えたのはそういうことだ。

 できないことと苦手は全く違うものだ。別人にはなれない。巧打が持ち味の選手が長打力不足に悩んだりする必要はない。ただ目指す選手像にたどり着くまでに越えるべき壁はある。それが苦手克服。苦手を克服した先には選手生活を変えるような開眼がある。

 僕は内角高めの速球が弱点だとプロ三年目を終えて痛感した。まずインハイを克服し、次にインハイを意識しながらほかの球に対応すること、とテーマを絞ってオフを過ごした。反応に必要な時間も球との距離も一番短いインハイの速球と時間も距離も最も与えられるアウトローの変化球の両極を常に意識してバットを振ったことが、四年目以降の成績向上につながった。

 開眼の瞬間について聞かれることがある。一日で別人になる不振からの脱出とは違い、技術の習得は劇的ではなかった。十回やって一、二回しかできなかったことが、五、六回になり、そのうちほぼ毎回できるようになる。目指すものが見えた選手には粘り強く取り組んでほしい。 (元野球選手)