中日新聞 松井秀喜
2014/06/19
エキストライニングズ(30) 内角球を捨てて成長
好投手との対戦から僕は多くのものを得た。ヤクルトの石井一久さんや広島の黒田博樹投手(ヤンキース)ら圧倒的な力を持つ同世代のエースを打とうとすることで打者として成長できた。ただその後の野球人生に最も生かされた対戦というなら、それは阪神の左腕、遠山奨志さんだ。
一九九九年、サイドスローに転向して救援投手として復活した遠山さんと15打席対戦し、13打数無安打、6三振と完璧に封じられた。内角のシュートを打たされる、あるいはファウルにさせられて追い込まれるパターンが続いていた。何とか捉えたいと内角を意識したが、無駄だった。
シーズン後に振り返ると、振らされたシュートはほとんど内角のストライクからボールになる球だった。内角攻めに対応しようとしていつもより広い範囲で内角を待っていた。内角のストライクゾーンに入ってきてもボールになる球なのだから、逆にいつもより打つべき範囲を狭めなければならないのだと気付いた。
内角を捨てるという発想の転換だった。そこにストライクが来たら仕方ない。打たないという選択も、狙い打つことと同じくらい大切なのだと分かった。二〇〇〇年以降の三年は打率3割7分5厘、3本塁打と遠山さんを打てるようになった。
「捨てる」という考えは、米国に渡ってレベルの高い投手と対戦するときに役に立った。遠山さんという一人の投手の攻略を通じて普遍的なものを身につけることができた。こういう形でしか手にできなかったと思う。
米国ではブルージェイズ時代のハラデーから多くを得た。ともに150キロを超えるカットボールとシンカーを操り、制球力も抜群。典型的な米国投手のスタイルを最も高いレベルで実現していた。67打席の対戦で打率2割2分2厘と攻略しきれなかったが、時代を代表する投手との勝負が他の対戦に生きたのは確かだ。 (元野球選手)
一九九九年、サイドスローに転向して救援投手として復活した遠山さんと15打席対戦し、13打数無安打、6三振と完璧に封じられた。内角のシュートを打たされる、あるいはファウルにさせられて追い込まれるパターンが続いていた。何とか捉えたいと内角を意識したが、無駄だった。
シーズン後に振り返ると、振らされたシュートはほとんど内角のストライクからボールになる球だった。内角攻めに対応しようとしていつもより広い範囲で内角を待っていた。内角のストライクゾーンに入ってきてもボールになる球なのだから、逆にいつもより打つべき範囲を狭めなければならないのだと気付いた。
内角を捨てるという発想の転換だった。そこにストライクが来たら仕方ない。打たないという選択も、狙い打つことと同じくらい大切なのだと分かった。二〇〇〇年以降の三年は打率3割7分5厘、3本塁打と遠山さんを打てるようになった。
「捨てる」という考えは、米国に渡ってレベルの高い投手と対戦するときに役に立った。遠山さんという一人の投手の攻略を通じて普遍的なものを身につけることができた。こういう形でしか手にできなかったと思う。
米国ではブルージェイズ時代のハラデーから多くを得た。ともに150キロを超えるカットボールとシンカーを操り、制球力も抜群。典型的な米国投手のスタイルを最も高いレベルで実現していた。67打席の対戦で打率2割2分2厘と攻略しきれなかったが、時代を代表する投手との勝負が他の対戦に生きたのは確かだ。 (元野球選手)