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Columnコラム

中日新聞 松井秀喜 2014/10/23
エキストライニングズ(39) 認めざるを得ない打力の差
 セ・リーグの打撃主要三部門のタイトルを二年連続で外国人選手が独占した。彼らは大半がメジャーに定着できず異国に活躍の場を求めた選手で、出場枠で人数も限られている。その外国人に打撃では日本の精鋭が及ばないという現実を認めなくてはならない。

 状況は十年以上前からあまり変わらない。僕が巨人にいた十年間でセは外国人の首位打者が五度。イチローさんがオリックスにいたパ・リーグは首位打者こそ日本選手が取り続けたが、本塁打王は外国人が八度取った。

 確かに肉体的な違いは大リーグでプレーして痛感した。だが「外国人だから」と言ったら、それで終わってしまう。同じ打撃はできなくても、勝てない理由を考えることは必要だと思う。

 原因を一点に求めることはできないが、打球の速さが鍵だとは感じた。打球が速ければ飛距離が伸びるのはもちろん、野手の間を抜けて安打になる確率も高くなる。それで首位打者になれるという単純な話ではない。ただ打球の速さを長所として生かしながら、そこに日本順応のために肉付けをしているという印象は彼らの打撃から受ける。

 日本での最後の四年間、僕はヤクルトのペタジーニと本塁打王を二度ずつ分け合った。ライバルだったが、当時の僕が最も注目し参考にした存在でもあった。別格の存在として外国人の打撃に関心を払わない選手もいるが「なぜこんなに打てるのか」と探る気持ちが必要だと思う。まねはできないかもしれないが、違うからこそ今まで見えなかったものに気付くことがあるのではないか。

 日本で成功した外国人選手はみな研究熱心だ。メジャーの実績がなくても柔軟に考えられる者が生き残る。ことさら「日本野球」について考えたことのない日本選手よりも本質をつかんでいるかもしれない。異国で新しいキャリアを築き上げた外国人選手の活躍から考えさせられることは少なくない。 (元野球選手)
中日新聞 松井秀喜 2014/10/09
エキストライニングズ(38) 期待の重み感じプレー
 選手時代、球場で野球帽をかぶって目をぎらぎらさせている少年を見ると昔の自分を思い出した。ファンの視線を感じた時は、たいていそこに野球少年がいた。彼らがプロ選手を見るときの気持ちが分かるから、僕が無意識に少年ファンを探していたのかもしれない。

 思いを託されるというのは、ありがたいことだ。元気づけられたと言ってくれるファンがいるが、僕にとっては逆だ。自分を気に掛けてくれる人がいることが力になる。

 アスレチックスに所属していた二〇一一年三月、東日本大震災が起きたことをキャンプ地のアリゾナで知った。役に立ちたいという気持ちはあっても、あの惨事を見て何も言えなかった。野球は野球でしかない。楽しみにしてくれる人はいるが、見ない人も多い。無力ではないかもしれないが、大半のことに影響を及ぼせないのが現実だ。

 「被災者のために」と言ったとしても、がれきの中で作業をしている消防隊員、自衛隊員、警察官や、休みなく対処に当たった自治体の職員などと、野球選手とを比べることはできない。しかも被災者のために働いた多くの人は自身も被災者だったはずだ。

 被災地の状況が米国でも毎日伝えられた。大切な人や住む場所を失い、それでも懸命に暮らす人たちを報道で目にした。その姿を見たら謙虚にならざるを得なかった。この中に一人でも野球を楽しみにしている方がいるのなら、やはり選手は球場でいい姿を見せるしかないと思った。無力に近くても、野球選手にできることはほかにない。

 東日本大震災の被災者だけではない。世の中にはさまざまな困難に直面し、それに立ち向かっている人がいる。その中に少しは野球ファンもいるはずだ。選手は自分を律して楽な方へ流されず、力を尽くす義務があると感じた。期待を背負うことには責任が伴う。そう考えなくてはいけないと思う。 (元野球選手)